"Ryoma Takemasa"インタビュー

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2012.10.15

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"Ryoma Takemasa"インタビュー

デビューアルバム『Catalyst(カタリスト)』を、2012年10月17日にUNKNOWN seasonからリリースする、トラックメイカー"Ryoma Takemasa"。

本アルバムに収録されている「Catalyst」は、"Theo Parrish"が2001年にリリースした「You forgot」を大胆にサンプリングし、そのクオリティは本人にも認められている。

幼少時代をアメリカで過ごした彼は、ブラックミュージックなどの音楽に影響を受け、ジャズやヒップホップなど、さまざまなエッセンスを加えたミニマルテクノを制作中だ。

今回は、アルバムについてや彼のルーツミュージック、トラックの制作の話を中心に、彼自身に迫ってみた。




─アルバムタイトルの由来を教えてください。

 

以前より、男の人の声で"Catalyst"と何度も言っている「Catalyst」というタイトルの曲があるんですけど、その言葉がとても耳に残っていたんですよ。

ちなみに"Catalyst"って「起爆剤」という意味なんですけれど、

"何かと混ざり合って促進させる"という。

リスナーの方がこのアルバムを聴いてくれたことで色々なことに対して積極的に取り組んでもらえるようになったらいいなと思います。

 

─どんなテーマで制作したのですか?

 

自分が聴いた時に、アルバム全体の流れが違和感の無いように作るというのがテーマでした。

元々作ってあった曲もあるのですが、全てこのアルバムの色に合うように手直しをしました。

レーベル・オーナーの堀野さんからも、リスナーの視点を大切にしてイメージして作ってみたらどうかな?

とアドバイスがありました。

 

─具体的にはどう反映させたんですか?

 

DJプレイと同じ感覚でアルバムを作ってみました。

曲の順番だったり、山があってという流れの起伏とか、全体のストーリー性を意識しましたね。

 

─ボイスネタの曲が多かった印象がありますね。

 

今回はボイスに限らず、アルバム全体の八割くらいはサンプリングを下敷きに音を構築しています。

ヒップ・ホップの音をサンプリングしたり、サンプリングの素材は様々ですね。

僕自身は元々ヒップホップのDJをしていたのですが、その頃はこう言った音楽はあまり好きじゃなかったんですよね(笑)。

 
 

─4ツ打ちトラックを聴くようになった理由は?

 

僕は10年間カルフォルニアに住んでいたんです。その後は日本に帰国し住んでいるんですが、アメリカに一時戻るチャンスがあったんです。

その時に偶然にも日本人の友達に面白いホーム・パーティがるからと言うことで連れていってもらったんです。

それがとても衝撃的なパーティで。。。

 

─どんなパーティだったんです。

 

そこは空家を使っていて、

大きいスピーカーとか持ちこんで、バーやDJブースとかを自分たちで作って、という感じの、本当のDIYパーティだったんですよ。そこでジャーマンテクノが流れていたんですけれど。

設備が良いとか、音が良いとか、別にそういうのではなく、

そうやって自分たちで遊んでいる感じがとても良かったんです。

告知も友達同士だけ。

そこにはルールとか、セオリーとかがなくて、何でもOK。

こういう遊び方もあるんだと思いましたね。

日本に帰ってからは色々なパーティに出歩くようになりました。

そこでテクノとかハウスにより深く興味が出てきたんです。

 

─日本では、どんなパーティに行っていたんですか?

 

日本に帰って来たのが2004年で、

その時はちょうど"ジェフ・ミルズ"が期間限定のレジデントDJとして渋谷のWombで4週連続パーティをやっていたんです。

それに、DJの"Kensei"さん、"ケン・イシイ"さん、その他にもデトロイトからDJをブッキングしていたりしていて、

毎週色々な人とセッションしていたのですが、そこには全部遊びに行ってましたね。

それが僕にとってのデトロイト・テクノの入り口だったんです。

 

─アルバムがすごくストイックで、、、確かにデトロイトテクノの雰囲気は感じました。

 

ブラックミュージックの文脈としてもデトロイト・テクノは、ヒップホップを聴いていた人からしてみたら入りやすいんだと思います。

音楽に対するアティチュードがヒップホップと似ている部分もあると思いますし。

その"ジェフ・ミルズ"は、"ザ・ウィザード"というDJ名でヒップホップもやっていましたからね。

 

─自身でもデトロイトは行ったんですか?

 

実は、まだ行けてないんです(笑)。

"野田努"さんの著書『ブラックマシーンミュージック』から入ってくる、

文字と絵でしか情報を知らなくて、生では体験できていません。

 

─ヒップホップミュージックはいつから聴き始めたんですか?

 

元々は、"Korn"とか、"Coal Chamber"、"Mudvayne"とか、

95年のニューメタル/ハードコアが好きだったんです。

そこから"DJ Qbert"とか、"D-Styles"とかのバトル・スクラッチ系ブレイクビーツを聴くようになって、

そこからヒップホップに行ったんです。

 

─ハードコアはどうやってハマったんですか?

 

中学生の時はアメリカに住んでいたんですけど、

教室の席の隣にツメをマジックで真っ黒に塗っている、

いかにもハードコアを聴いてそうな超悪そうな奴がいたんです。

僕はその時、授業中にヘッドホンで大音量で"TRF"を聴いていて。。。

 

─"TRF"って、あの"TRF"?

 

そうです、小室哲哉です。

そうしたらその彼に「こんなワック(偽物)な音楽を聴いてんじゃねーよ!コレ聴け!」って言われて、

渡されたのが"Korn"のファースト・アルバムだったんです。

ボーカルが泣き叫んでいるし、最初は「何コレ!?」って感じでしたけれどね。

でも、ちょうど僕も、友達とうまくいってなかったり、反抗期だったり、

個人的にも色々あった時期で、そういう音楽が心に沁みたというか。。。

そこから、ツメを黒く塗り出したり、ラバーソール履いたり。。。

"SLAYER"のポスターを部屋に貼ってたりしていました。

 

─ある意味、きちんと段階を踏んで聴いている音楽が変わっていっているんですね(笑)。

ちなみに、"TRF"はどういう経緯で聴いていたんですか?

 

家の近くに日本の映画とかを置いているレンタルビデオ店があって、

当時だと「ミュージック・ステーション」とかの歌番組を親が借りて来てたんですよ。

あとは、日本に住んでいるおばあちゃんに欲しいCDを送ってもらったり。

リトル・トーキョーでも、日本の音楽が売っている場所もあったので。

 

─それで"TRF"を?

 

当時は"TRF"とか、小室ファミリー全盛期でしたから。

その他にも、J-POPはオリコンで上位の音楽を聴いてましたよ。

 

─そしたら、急にハードコアの波が押し寄せてきたと(笑)。

 

急に来ましたね。今まで聴いてきた音楽に「こんなの音楽じゃねー!」って言われましたよ(笑)。

それまで音楽は、家にいて勉強したりする時に聴く程度だったのですが、

彼が発端で、音楽づくしの生活に変わりました。

 

─それで今のテクノ、ハウスまで行った訳ですね。

 

そうです。

 

─音楽制作的に影響を受けたアーティストだったり、作品だったりはありますか?

 

マイルス・デイビスの『ビッチェズ・ブリュー』というアルバムです。

 

─モダンジャズなんですね。

 

あと彼の『ダーク・メイガス』というアルバムだったり、

"Akufen"の『My Way』とか、やっぱり"Korn"のファースト・アルバム。

それと"Jeru the Damaja"のファースト・アルバムですね。

色々なタイプの音楽が好きなんです。

何か特定のモノが好きじゃなくて、自分の好きなものが好きなんですよ。

 

─トラック制作を始めたのはいつ?

 

20歳くらいの時です。

 

─バンドをやっていたとか、そういうのはないんですね。

 

バンドはやっていないんです。

純粋なリスナーでしたね。

 

─その"純粋なリスナー"から作り手になろうと思ったキッカケは?

 

キッカケは周りの友人が作っていて、本当に興味本位ですよね。

DJもやっていたので、自分が使いやすいトラックを作りたかったんですよ。

単純に、自分の需要をトラックにしただけです。

その後、MPC 3000を買って、ヒップ・ホップとかハウスのトラックを作り始めました。

でも、その時はまだ本格的という感じではなかってですね。

 

─本格的に作り始めたのは遅かったんですね。

 

22歳の時ですかね。

大学を卒業したくらいにシステムを導入して、やっと本腰を入れて音を作り始めたんです。

オリジナルを作り始めたのは、「Logic」というDAWの音楽ソフトを手に入れてからですね。

 

─現在の音楽ソフトは?

 

「Logic PRO7」です。

サンプリングにはMPC3000を使っています。

 

─ちなみに、トラックはどのように作られているんですか?

 

サンプリングした音源を、『MACKIE』の16チャンネルのミキサーを介して「Logic」に取り込んで、

それで編集という感じです。

 

 

─それはいわゆる元ネタがあるサンプリングですか?

例えば、そのために誰かに演奏してもらったものを録る事はない?

 

ないですね。

自分の声を使った曲はありますけれど(笑)。

 

─なるほど。

ヒップホップみたいな曲の作り方なんですね。

 

そうなんですよ。

自分の好きな音を集めて、並び替えをしているだけなので

「曲作りしている」という感覚ではないです。

ヒップ・ホップとか、バンド・サウンドとか、

色んなところからサンプリングしてます。

例えば今回で言うと80年代ニューヨークの某ノーウェイブバンドとか。

 

─まさに新世代のエディットミュージック!

 

そんなカッコイイ名前を付けてくださってありがとうございます(笑)。

ヒップ・ホップと、テクノなエッジでラフで良い意味でダーティな部分が混ざっている感じが良いんですよ。

 

─タイトル曲「Catalyst」では、"セオ・パリッシュ"がサンプルの使用を認めてくれたという事がありましたが、

彼とは元々繋がっていたの?

 

まったく繋がっていませんでした。

レーベルオーナーの堀野さんが、

日本の窓口でもあるA Hundred Birds Productionsを通して、

直接彼にコンタクトを取ってくれたんです。

デモを送ったら「いいよ!」って。

 

─レーベル『UNKNOWN season』の堀野さんとは?

 

"Teruyuki Kurihara aka Cherry"くんという『UNKNOWN season』からもリリースしているアーティストがいるのですが、彼の紹介なんです。

僕は、昔、COLORS STUDIOという西麻布にあったクラブで働いていて、

彼とはそこでやっていた「ローカル・モーション」というパーティで知り合ったんですよ。

その後、彼は『UNKNOWN season』から作品をリリースしたのですが、

彼が堀野さんに僕のmyspaceを教えてくれて、

僕の曲を聴いて気に入ってくれた堀野さんより直接連絡をいただいたんです。

 

 

─「Deepn'」は、FORCE OF NATUREの"KENT"さんとGonnoさんにリミックスをお願いしていますね。

 

"KENT"さんは堀野さんの繋がりなんです。

最初に「Deepn'」は、2バージョンのリミックスを作ろうと、堀野さんと話になったんです。

2人で相談してその2人にお願いしました。

 

─"Gonno"さんとの繋がりは?

 

"Gonno"さんも、僕がCOLORS STUDIOで働いている時の繋がりで、

あるパーティのゲストDJが"Gonno"さんだったんです。

ソレがキッカケですね。

"Gonno"さんのリミックスは、いまだに"ジェームス・ホルデン"がヘビープレイしてくれているみたいですね。

The Backwoods Remix とGonno Remixが12インチのアナログ盤で11月くらいにeneよりリリ—スされる予定です。

 

 

─アルバム制作で、苦労した点は?

 

最初の上がりを聴いて、どうも視点がDJに寄り過ぎる点があるかなと思うこともありました。

ただ、自分のアルバムなので、無理して変えようとは思いませんでした。

無理してアーティスティックな曲を作ったとしても、結局は自分が納得いかなかったらの自分の物じゃないですからね。

 

─推し曲はあります?

 

タイトル曲の「Catalyst」。

それと「Untitled 3.4」ですかね。

 

─「Untitled 3.4」はタイトル無しという意味ですよね、この3.4という番号は?

 

制作の作業をしていて、曲名がまだ決まっていないときは、

「untitled」で保存するんですよ。

それが1.1から始まって、これは上書き保存の3.4番目なんです(笑)。

そのままがカッコよかったので。

自分の中では何か新しいとかはないんですけれど、コード進行が気もち良いし、

何よりもDJで使いやすいので、好きなんです。

 

─色々と面白いタイトル名がありますが、決め方は?

 

例えば「Mr. And Mrs….」は、、、僕は曲を作っている時はPCを2台立ち上げているんですよ、

で、たまたま一方のPCの中で立ち上がっていたiTunesを見た時に、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas, Mr Lawrence)」が出ていたんです。。。それでこのタイトルにしました(笑)。

 

─このジャケットの写真はどなたの作品なんですか?

 

これは、『UNKNOWN season』のコンピレーション、『A DayOf Rain – UNKNOWN perspective -』(USCD-1001)でも使用された"松田康平"さんの写真で、いただいた素材の中から選びました。

 

 

─ちなみに何の写真なんですか?

 

なんでしょうね?

煙突からシュワシュワ出ている感じですよね。

1曲目もシュワシュワしていますから(笑)。。。

 
 

─最近は、どんなDJをされているのですか?

 

その時の気分でDJを変えています。

ハウスやテクノだけではなく、レゲエとかヒップ・ホップ、ジャズ、色んなスタイルの曲をかけます。

DJに関しては音のスタイルを限定したような線引きはしたくないんですよね。

イベントやパーティーの内容によってDJスタイルを変えています。

 

─日本と、アメリカのパーティの雰囲気の違いはありますか?

 

実はアメリカで行ったパーティは先程話しをしたホームパーティだけなんです。

年齢制限があって入れなかったんですよ。

ライブ・ハウスへは行っていましたね。

 

─どんなライブに行っていたの?

 

地元のローカルなハードコアのバンドとか、"Mudvayne"とかです。

西海岸はハードコアが多いですよね。

「オズフェスト」という"オジー・オズボーン"が主宰するハードコアのフェスがあるんです。

日本で言うと、音楽のタイプは違うけど、"石野卓球"さんの「WIRE」みたいな感じなのかな?

大きい会場でオズボーン・ファミリーを皆呼んで盛り上がろうというフェス。

そのフェスに出ると、無名のバンドが人気が出たり、知名度が上がるんですよ。

またそれ自体がアメリカ各地を回わるのでショーなので規模が大きいんです。

そもそもロック系の音楽はMTVでは普通に流れていますから、マーケットも大きいですよね。

 

─今後の音楽制作活動的な部分ではどんなことを考えてます?

 

そうですね、次は京都とか行って川のせせらぎや自然の音をフィールド・レコーディングしたいですね。

そしてそれを使って面白い音を作ってみたいです。

それもサンプリングミュージックですよね。

 

─ご自身でもアナログのレーベルをやられているんですよね。

そちらはどんな状況なんですか?

 

24歳の時に自主制作でリリースしたのですが、またやりたいと思っていますよ。

ただ個人マネーなので、、、お金が貯まったらやります(笑)。

 

─レーベルもぜひ続けて、音楽業界を盛り上げてください。

ありがとうございます。

 

 

こちらこそありがとうございました。

 

Text by 金子 英史(BonVoyage)