2008/11/20 | INFORMATION | GREG WILSON初来日記念スペシャル・インタビュー!
もはや、誰もが認めるElectro-Funkの巨匠!
The Face Manchester DJ Guruであり、UKにBlack Electro Musicをもたらした
Greg Wilson(以下G)!来日直前の自宅でキャッチ!

■まず、聞くところによるとDJ、アーティストとしてのキャリアを15歳からスタートさせたということですが、あなたの周辺のクラブシーンはどんな感じだったのですが? そして、あなたはどんな曲をプレイしてたのですか?
G:1975年に僕のホームタウンNew Brighton (Brightonじゃないよ) でクラブでプレイを始めたんだ。New BrightonはLiverpoolからMersey川を渡ったところにあるんだけど。あの頃はディスコ・ミュージックはジャンルとして確立されていたわけじゃなかったけど、クラブとディスコではプレイされていたよ。ただ、それはほとんど今で言うディスコじゃなくて、どっちかと言えばソウル、ファンクだね。イギリスではブラック・ミュージックはトラディショナルで1960年代から人気は根強いんだ。Tamla , Motown , Staxなどのレーベル、あとはレゲエのTrojanなんかは、1960年、70年前半にモッズやスキンヘッドカルチャーの中でも凄い人気があったな。実は僕のルーツもその時代にあるんだよ。僕の姉さんと兄貴は2人ともブラック・ミュージックの大ファンだったから、家には、凄い7インチのシングルがたくさんあったよ。
■あなたはマンチェスター出身? あなたの音楽の歴史はマンチェスターをベースに始めたんですよね?僕の聞いた感じだと、マンチェスターは独特の音楽シーン(クラブミュージック)があるように思えますが、つまりロンドンと同じじゃないってゆーか、、どうなんでしょうか?
G:僕がマンチェスター出身ってのは結構勘違いされることが多いな。マンチェスターはある意味僕のスピリチャルホームだけど、実際は住んだ事はない。あと、よく勘違いされるのは、僕が黒人だと思ってる人が多いってのもあるね。これは僕がブラック・ミュージックシーンのスペシャリストと付き合いがあったのと、80年代前半には殆どが黒人のオーディエンスの前でプレイしてたからだと思うよ。そしてマンチェスターでは、1981年にLegendでプレイし始めたんだけど、その時点では僕のDJ歴は既に6年間経ってたかな。あの頃のマンチェスターの特徴は、他のイギリスの都市と比べて凄くコスモポリタンだった事。つまり、黒人と白人が色々なアイデアを交わし合い、新しい方向性を模索し合ってた。その結果、A Guy Called Gerald , 808 State , The Happy Monday , The Stone Rosesとかが生まれたんだ。この辺のアーティスト達は皆ブラック・ミュージックシーンと直接つながっていたか、影響を受けて新しいダンス・ハイブリッドを構築していったと思う(僕がLegendでプレイしていた頃、Geraldはレギュラーでプレイしてたよ)。あの頃のイギリスでは人種差別が結構あって、1981年には人種差別関係の暴力はイギリス中どこでも起きてるような感じだったよ。そんな中で、マンチェスターの黒人が多く住んでた地区でMoss Sideっていうところは、皆、意識が高く若い黒人達を中心に自分たちのパワーを音楽とダンスに向け始めたんだ。
ひとつ付け加えておきたいんだけど、僕のLegendでのプレイを聴きに来た人は近くにあるWigan Pierからの流れてくる黒人客じゃなくて、特にHuddersfield , Birmingham , Nottingham , Leeds , Sheffield , Stoke , Derby , Bradford , Liverpool等いろんなところから集まって来てた。もちろんロンドンから来た人もいたけど、人数は少なかったな。
■そういえば、Unabomber/Electronsもマンチェスターでしょ?彼らも今年の4月に来日して、いいパフォーマンスをしてくれましたよ。Gregにとってやはり彼らは注目してるアーティスト?よく話したりします?
G:そうだね、LukeとJustinは凄い好きだし、彼らのマンチェスターでの伝説のパーティー・Electric Chairはイギリス中のアンダーグラウンドシーンに大きな影響を与えたのは間違いない。マンチェスターのクラブシーンの遺産を受け継いだElectric Chairはクラブパーティーの歴史で大きな1ページを作った。僕もElectric SoulっていうElectric Chair関連パーティーで、何度かプレイした。それは僕の誇りでもあるよ。
■Gregのスタイルは今世界のクラブシーンやメインストリームで活躍してるいろいろなアーティストに影響を与えたと思います。例えばIdjut BoysとかDj Harveyとか、、彼らとはお互いに連絡取り合う仲なんでしょうか?あなたのパーティーに来たりしてた?あと、Norman Cookは影響を受けたDJの中にあなたの名前を挙げてます(特にスクラッチプレイ!)。今でもそういったプレイはするんですか?
G:実は、Harveyとは会った事もないし、プレイを聴いたこともないんだ。彼は僕が1983年にDJを一旦止めた以降に始めたようだし、その5年後また僕が復帰して活動を始めた後は、既に彼はイギリスから出て他の国で活動していたので、不思議とまだ接触する機会がないんだ。Dan と Conrad (Idjut Boys)は最近親しくなったよ。彼らは僕と同じロンドンのエージェントがブッキングしてるってのも縁でね。たまに同じクラブでプレイすることもある。彼らのセレクションとヴァイブはいつも僕を楽しませてくれる。
Norman Cookとは1983年に会ったのが最初だったかな。あの頃から僕のスクラッチプレイは変わってない。凄く原始的だけどね。まぁ、僕はターンテーブリストじゃないし、スクラッチDJでもないけど、たぶん一番最初にイギリスでスクラッチをしたのは、僕だと思う。その頃、Normanは(当時はQuentinって呼んでた)彼のホームタウンであるBrightonで、僕がプレイした時によく来てくれてた。当時、The Haciandaや、イギリス南部でもツアーでプレイしてたかな。そんなきっかけでNormanはスクラッチの基本を僕から学んだんだと思う。
■あなたはいろんなアーティストに影響を与えたって事は先ほど触れたけど、逆に影響を受けたアーティストとかDJはいるの?若いころとかはどんな音楽を聴いてたのでしょうか?
G:そうだね、2人いるよ。2人ともローカルなDJだったけど、一人はLes SpaineってDJで、最新のファンクとソウルをThe TimepieceっていうLiverpoolで凄く影響力のあるクラブでプレイしてた。もう一人はTerry Lennaineで、毎週Radio Merseysideの「Keep On Truckin」っていうソウルミュージックショーでプレイしていた。とにかく、そのショーは選曲が良くて、実に音楽の幅が広くてね。それを僕は毎週チェックしていたんだ。その選曲に僕は影響を受けたし、こういう選曲をしたいって思った。その時に確信したのが、僕のスタイル/ゴールは彼らみたいな皆にリスペクトされているブラック・ミュージックのスペシャリストになることだったんだ。それから、1981から1984年までの間Legendでプレイしているうちに、自分でそのゴールに到達したって瞬間を感じたよ。
■ところで、Electro Funkっていうのがあなたのスタイル、これをもっと広めたいって話を以前してましたが、これは具体的にはどんなスタイルなの?Electro-Funkって名前のルーツは何?
G:Electro-Funkは、テクノロジーベースの1980年代のブラックミュージックだ。ドラムマシーンがたくさん使われ始めた頃、多くのレコードは、Prelude , Westend , Emergency , Tommy Boy , Street Wiseなど多くがニューヨークのレーベルからリリースされていた。僕はその辺は大好きだったし、このElectro-Funkってネーミングは、その時代1982年に流行った「Electric Funk / On A Journey」と「Shock / Electrophonic Phunk」を融合させて取った名前なんだ。
■DJをやるときはオープンリールを今でも使うそうですね。もちろん最近ではオープンリールでDJするという人はあまりいないけど、、どんなセットでやるんですか?
G:僕の基本セットアップは、PC、サブミキサー、PCDJコントローラーとRevox B77のオープンリールだ。トラックはパソコンからプレイして、サンプル、オーバーダブ音などは、Revoxからプレイする。リールはダブエフェクト用にも使う。80年の中頃から、その時のレコーディング・プロジェクトのきっかけでクラブプレイでもリールを使うようになったんだ。
■2020 Visionからの最新リリースではジャケットにオープンリールの画像が使われてますよね?これはあなたのアイデア?
G:あの写真は、僕の家で撮ったもんだ。マネキンの手はアルバムのテーマの一部。リールとそのボックス、鉛筆、ヘッドクリーニング液、あとブレードとスプライス用のテープが写ってる。Revox B77のリールは僕のトレードマーク。フライヤー、アーティスト写真などにもRevoxのイメージを使ってる。皆、僕のDJを聴きに来る人は、僕のリールプレイを期待して来るんだ。だからリール無しでプレイすることはないな。
■このリリースであなたはSpirit Catcherなど最近のアーティストも選曲してますが、普段のDJの時も結構最新のテックハウスとかかけたりするんですか?
G:僕のヴァイブとマッチしたものを常にプレイしている。彼らSpirit Catcherのトラックは僕のそれと一致していたんだ。1970年と1980年前半のトラックがメインだけど、もちろん最近のものもところどころに入れているよ。あのアルバムでは僕のエディットもあるけど、他の人のエディットもあるし。多くのDJはひとつのジャンルしかプレイしないことも少なくないけど、僕や、僕の周辺の多くのアンダーグラウンドなDJ、例えばUnabomberやIdjutなどは現在と過去のダンスミュージックのいいところを自分のスタイルに融合させて選んでる。場所やオーディエンスによってもそれをクロスオーバーしてプレイしているね。
■確か最近アメリカにツアーに出てましたよね。イギリス以外でのプレイはどうですか?
G:ああ、何週間か前にニューヨークとサンフランシスコ、あとロサンゼルスでプレイしてきたよ。あとは3月にはマイアミのWMCにも行くつもり。最近ではブッキングの3分の1くらいはイギリス外でやってる。でも1980年代に比べると、それってだいぶ違う。というのも当時は一番遠出するツアープレイではあのNorman Cookと会ったBrightonくらいがせいぜいだったからね。
■あなたはクラブミュージックシーンにひとつの歴史を作ってきたわけですが、遂に日本でその伝説のプレイが聴ける日が来ましたね!ちなみに日本は初ですよね。あなたの周辺の誰かから日本のクラブミュージック、クラブシーンについて聞いてますか?
G:日本は僕がプレイしてみたい国のトップ・プライオリティーだったんだ。ホントは2007年に実現させたかったんだけど、叶わなかったんで、今回は嬉しいよ。日本ではダンス、クラブミュージックカルチャーは深く浸透してると思う。特に日本のレコード屋はおもしろいってD・Wangから聞いてたよ。中古レコードの12インチにも、詳しいコメントが書かれてるプライスカードが付いてたりとか、リリースデートや、関連DJなどもそれに書かれてて、ヤバいね!日本人ってのは何かに興味を持ち始めると凄くハマるみたいだね。
それと、日本は僕のElectro-Funkスタイルにとっても重要なところなんだ。僕は皆を一度1980年代前半に目を向けて欲しいと思ってる。それはダンスカルチャーの進化にとても重要な時期だったって事を知ってもらいたいからだ。イギリス人のリスナーも、この時代の重要性に気づきつつあるんだ。ブラックミュージックの重要さ、特にElectro-Funkの時代のね。その進化の過程にポッカリ穴が開いてて、イギリス・ダンスカルチャーのミッシングリンクってところかな。多くの人達にとってはIbiza1983がダンスミュージックの創世記って思ってるかもしれないけど、これは違うと思ってる。その前からカルチャーで活動してきた多くのクラブ、ダンサー、DJに失敬かな。
■今回のツアーでは東京と福岡ですよね?あと東京ではクラブLoopの13周年というアニバーサリパーティーでのプレイになりますね。皆、楽しみにしてますよ。初めての日本でのプレイを堪能して、楽しんで下さい!
G:僕も凄い楽しみだ!これは僕にとっても大きな経験になると確信してる。実は僕の母親は4年前に亡くなったんだけど、彼女はすごく日本に惹かれてた。僕が実際に今回、日本の地を踏むのは母親の夢を果たす事にもなるかな。しかも、日本に一週間も滞在できるって事は僕にとってはボーナスだね(笑)いろんな人と会えるし、東京を探索することも楽しみだ。あとは福岡にも行けるし。次回はもっといろんな都市をツアーしたいね。
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