「ポール・マッカートニー/ヴァラエティ 連載 No.41」 宮崎貴士

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2021.02.18

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前回(第40回)こちら https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/94243
 

【レノン=マッカートニーについて Vol.1】


「初めてポールに会ったとき、ギターを持って歌っている彼を見て、才能があることはすぐに分かった。そして何よりもポールはエルヴィスに似てたんだ。つまり僕は彼に惚れたんだ。」…… ジョン・レノン
 

作曲と作詞を分業で担当する〝ソングライター・チーム〟―― ポピュラー・ミュージックの歴史では、それが伝統的かつ中心的な役割として機能していた時代があった。《バート・バカラック=ハル・デヴィッド》や《ジェリー・ゴフィン=キャロル・キング》、また『ティン・パン・アレイ』や『ブリル・ビルディング』など、米国におけるソングライター・チームや分業システムについて、ここであらためて語るのに値する知識を自分はもっていない。ただ理解しているのは、おもに1950年代から60年代初頭にかけて、米国商業音楽業界が作り上げた構造、大量複製可能なレコードや楽譜(シート・ミュージック)を世界中に販売する体制は、質と量、ともに圧倒的であった事実である。


国として歴史が浅い米国だからこそ、伝統に縛られず、欲望のままに拡散してゆく、驚異的に強度のある〝大衆文化〟(ちなみにアニメーションで成功したディズニーがLAで複合的娯楽商業施設をはじめたのは1955年である) ―― すべてが〝産業〟としてシステム化され、個の才能はそれぞれの分野で選別され、優遇され、最適化され、凄まじいスピードで進化してゆく。


音楽業界においても、作曲、作詞、歌唱、パフォーマンス、(ルックスを含めた)タレント性など、それぞれの能力は個々に特化され、それを組み合わせて製作されたレコードや楽譜は広く頒布され、莫大な収益を生み出す。企業として「音楽出版社」が所有する〝楽曲〟の権利をいかに〝最大限の利益〟に結び付けるのか? ―― 決して一人の人物には宿ることが無いであろう、複数の才能を掛け合わせることでそれは可能となった。


たとえば(作曲者の多くが優秀なピアニストでもあるのに)あの『ホワイト・クリスマス』の作者であるアーヴィング・バーリン[1888~1989]、ポピュラー・ミュージック史上に残るスタンダードをもっとも多く生み出した彼は、作曲と作詞も兼ねることもあるが、ピアノの演奏はさほど上手ではなく、楽譜の読み書きも苦手であった。

【Irving  Berlin “God Bless America” on The Ed Sullivan Show】  https://youtu.be/Vmc-pEyUHTs


世界中に拡散し、最大限の利益を生む〝ポピュラー・ソング〟―― いわゆるソングライター・チームの優れた仕事に加え、楽曲を具現化される演奏者、歌手の存在も当然、重要であった。その楽曲やパフォーマンスに魅了され、表現者としての彼らに憧れたのは、英国に住む若者であったジョン・レノンとポール・マッカートニーも同じであった。そして50年代半ば、ミドルティーンだった彼ら二人の前に最大のアイドルが現れる。エルヴィス・プレスリーの登場である。

【Elvis Presley“Thats Alright(Mama) ”-First Release- 1954】  https://youtu.be/NmopYuF4BzY


黒人音楽を基調にしたリズム&ブルースから生まれたロックンロール / 8ビートのリズム(4分音符の半拍である8分に割って構成された、裏拍が強調されるリズム) / 3コードを中心とした楽曲構成 / シンプルな3ピース編成(ドラム、ベース、ギター)による演奏 ―― デビュー前のビートルズのメンバーが誰を目指していたのか、彼らがアコースティック・ギターを持って歌うスタイルで何を表現しようとしていたのか? ―― 稀代の歌唱力とパフォーマンス、当時のエルヴィスの姿をご覧頂けたら一目瞭然である。


参考までにジョン16歳、ポールが14歳だった1956年の米国ビルボード年間シングルチャート表は以下のとおり

https://yougakumap.com/hits/year-end-singles-1950-1960/


年間ベスト10にエルヴィスの曲が3曲もチャートインしている。突然変異のように出現したエルヴィスの影響力は圧倒的であり、歌手、パフォーマーとしての存在感は(後のビートルズがそうであったように)「彼のようになりたい。なれるかもしれない」と世界中の少年を歓喜させるものであったと、その時代を体験していない身でも充分に想像できる。アコギを持ってエルヴィスの曲を歌ってみる、それが自分達にも「できる」と思わせるシンプルな魅力がそこにはあった。


ジョンとポールが初めてリヴァプールの教会で出会ったのは、エルヴィスが大ブレイクした翌年、57年7月のことである。エルヴィスが出現した後の世界だったからこそ、二人は巡り会った。のちにジョンが〝その日〟を語るように、ジョンとポールはエルヴィス(という存在)によって共鳴し、ここから全てがはじまったのである。

(連載【第4回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88302】でもこの話に触れています)


その出会いから5年、『ザ・ビートルズ』としてデビューするまで、ジョンとポールの二人は《バカラック=デヴィッド》《ゴフィン=キング》などの優秀なソングライター・チームの楽曲をカヴァー、分析かつ参考対象として〝チーム〟で曲を作り続ける。またギターを持ち、エルヴィスによって触発された〝歌手、パフォーマー〟としての能力も磨き上げる。このように《レノン=マッカートニー》とは、米国発の〝大衆文化〟を代表する音楽産業から派生したシステムと、そこから生み出された最良の産物を統合し、具現化した、二人の〝シンガー・ソングライター・チーム〟だったのだ。


ソングライターではなく、あくまでも〝シンガー〟ソングライターである二人 ―― そう、《レノン=マッカートニー》チームの特殊さは「二人ともに優秀なシンガーでもあった」ことにあると思う。(次回へ続く)
 

[宮崎貴士]1965年、東京生まれ。 作、編曲家。ソロ名義で2枚(Out One Disc)、2つのバンド「図書館」「グレンスミス」(ともにdiskunion/MY BEST!RECORDS)で共にアルバム2枚リリース。2020年よりポニーのヒサミツ氏との2人ユニット「Flozen Japs」活動開始。岸野雄一氏のバンド「ワッツタワーズ」にも在籍中。 2015年、第19回文化庁メディア芸術祭エンターティメント部門大賞受賞作(岸野雄一氏)「正しい数の数え方」作曲。
他、曲提供、編曲、など多数。ライター活動としては「レコード・コレクターズ」(ミュージック・マガジン社)を中心に執筆。直近では2020年9月号のレコード・コレクターズ「ポール・マッカートニー・ベスト・ソングス100」特集号にて執筆。
宮崎貴士[mail : m-taka-m@da3.so-net.ne.jp]