【連載】 原田和典のJAZZ徒然草 第85回

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2013.04.26

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2月でも真夏。急場しのぎでキューバに行ってきたぜ (その3)


「〝ハバナ・ジャム〟が行なわれたカール・マルクス・シアター」

僕が初めてキューバという国を意識したのはいつだっただろうか、と考えてみると、どうやらそれは1970年代後半のことであろう、という結論が導かれた。
1979年3月、当時アメリカ最大のレコード会社であったCBSコロンビア所属のアーティストが大量にハバナを訪れた。ウェザー・リポート(ジャコ・パストリアス入り)、トニー・ウィリアムスジョン・マクラフリンスタン・ゲッツデクスター・ゴードンウディ・ショウアーサー・ブライスヒューバート・ロウズボビー・ハッチャーソンエリック・ゲイルウィリー・ボボスティーブン・スティルスリタ・クーリッジクリス・クリストファーソンマイク・フィニガンボニー・ブラムレットビリー・ジョエルファニア・オールスターズ・・・同社がこのハバナ公演にどれだけ力を入れていたかが分かる面々である。そしてキューバ側もイラケレ、フランク・エミリオ、ギジェルモ・バレート、チャンギート、タタ・ウィネス、オルケスタ・アラゴーン等を揃えて応戦した。「カール・マルクス・シアター」で3日間にわたって行なわれたコンサートの、たぶん1割にも満たないであろうプレイは『ハバナ・ジャム』、『ハバナ・ジャム2』という2枚組LP2セットで聴くことができる。
当時のアメリカ大統領はジミー・カーター。革命からちょうど20年、当時の雑誌記事を見ると「これがきっかけとなってアメリカとキューバの友好関係が復活するのでは」という論調もみられる。このイベントは日本のジャズ誌でもとりあげられていた。イラケレというグループがすごいらしい、という話が日本に伝わってきたのもこのころだろう(その後、初来日のときに吹き込まれた『チェケレ・ソン』というアルバムを聴き、なんだこの薄っぺらいフュージョンはと思うのだが、それはまた別の話である)。


「革命記念館」

「カール・マルクス・シアター」を訪れるのは、わが長年の念願だった。コンサートをやっているのならぜひ見たい、椅子の形状や便器の座り具合も細かくチェックしておきたいと思ったが、あいにく僕の滞在中に催しはひとつもなかった。だが外見写真は撮ったので、それはぜひ掲載したいと思う。
そこから南西に向かうと、キューバ音楽ファンなら誰でも知っているレコード会社「エグレム」(Empresa de Grabaciones y Ediciones Musicales)がある。旧アレイート・レコードだ。向かって右側、アーチ状になっている屋根のところをずっと歩いていくと左手にスタジオがある(観覧はできなかった)。そして向かって左側、アーチのないところにある小さなドアを開くとそこがカフェになっていて、コーヒーを飲んだりエグレムのCDやTシャツを買うことができる。
シンプルそのものの外観だが、ここで数多くの名盤が生まれたのかと思うと、なんともいえない気分になり、つい手を合わせてしまった。来年はエグレムに改称してから50年。なにか盛り上がる催しがあるのではないかと、今から心待ちにしている。


「エグレム・カフェ」

僕はさらに西側に向かい、サーカスを見に行こうと思った。キューバは電車も地下鉄も普及していないので、手っ取り早い交通手段は自動車とココタクシーしかない。今回、最もお世話になったのが、このココタクシーだ。簡単にいえばオート三輪のキューバ版。後部になんとか二人並んで座れるぐらいの広さの席があるのだが、ドアがないので運転席の隙間から入って体をひねって座席につく。
両横はほぼガラ空きなのでしっかり手すりにつかまっていないとカーブの際に道路に叩きつけられる心配がある。またキューバの道路は必ずしも丁寧に舗装されているとは限らないのでしっかり手すりにつかまっていないと上下の揺れが激しすぎて頭を天井にぶつける怖れがある。窓はあるがガラスは入っていないので、前の車がとんでもない量の排気ガスを噴出していると、こっちはそれを顔全体で浴びることになり鼻の穴の中まで真っ黒だ。そんなデンジャラスな乗り物がココタクシーなのだが、なぜか僕はこれを好いてしまった。激しく揺られること数十分(途中、二車線の道路の真ん中でエンストされたときは、さすがにもう五体満足では帰れないのではないかと思った)、ようやく「Circo Trompoloco」のテントにたどり着いた。

開演時間になるとオーケストラがファンファーレを奏ではじめ、「おお、サーカスまで生オーケストラ! さすがキューバ」と唸ったけれど、肝心のサーカス自体は僕の考えるそれとはほど遠いものだった。簡単にいえば「漫談、コント、体操、たまに犬」というものであったが、キューバの子供たちは大いに喜んでいたから、これがこの地のサーカスなのかもしれない。スペイン語がわかれば、漫談も楽しかったに違いないのだけれど・・・・。


「キューバのサーカスは生オーケストラつき」

音楽の話をしよう。キューバ編第1回で紹介した「La Zorro y El Cuervo」と共に、ハバナを代表するジャズ・クラブといわれているのが「Jazz Café」(Third level of the Galerías Paseo mall, Avs. Paseo and 3 | Vedado, Havana, Cuba)だ。現地のひとはヤス・カフェという。マレコン通り沿いにあるショッピング・モールの3Fにある。ガラス張りの店内は、ちょっとニューヨークの「ディジーズ・クラブ・コカコーラ」を思い起こさせる。
確か入場料は10CUC。僕が見に行ったときは元イラケレのパーカッション奏者、オスカル・バルデース率いる“ディアカラ”が出演していた。オスカルはコンガやバターを演奏していたが、「20年前に見たかった」というのが正直なところ。個人的には河野治彦のパーカッションに強い精気を感じた。


「ジャズ・カフェの看板」


「オスカル・バルデースのバンド“ディアカラ”」


「マレコンからカリブ海を臨む」


「夜のマレコン」


「Casa de la Musica」(Ave. 20 No. 3308 esq. a 35, Miramar)は、横浜BLITZぐらいの広さはゆうにあるライヴハウス。店名は「音楽の家」という意味で、ラテン、ロック、エレクトロ、ヒップホップ、なんでも聴けるらしい。


「カーサ・デ・ラ・ムシカ(音楽の家)内部」

10時開演とのことで、ぼくは9時半頃にいったが、別室で延々と待たされた上、10時半頃に会場のドアが開き、大音量でミュージック・ビデオ(それは欧米のヒット曲だった)が流れる中、「まだライヴがはじまらないものか」とじっとしていた。
12時頃になると花売りの女性がウワーッとやってきて、一人で来ている男性の横に座って話しかけたりして(僕のところには来なかった。ちょっと残念)、中にはそのままどこかへ消えてしまったと思しき即席カップルもいる。

演奏は12時半になっても始まる気配がない。僕は「もう、いいです。帰ります」と入り口の係員に告げ、一歩外に出たところ、たちまち7、8人の男に囲まれた。そして「タクシー? ホテル?」と問われまくった。
「タクシーを探しているんだが」
「ここにあるじゃないか!」
「これ、あなたの自家用車でしょ。僕はタクシーが必要なんだ」
「タクシーなんて、いくら待っても来ないよ。君の言い値で送ってやるから乗りなよ」
けっきょく僕は、いちばん声の大きな男の運転する白タクにこわごわ乗った。「どこから来た?」、「ハポーン」、「ツナーミが大変だったらしいね。キューバにも情報が伝わってきたよ。今はどんな感じなんだい?」、「当時より落ち着いてはいるようだけどradioactivityの問題が・・・」といったことをカタコトの英語でしゃべっていると、目印となる高級ホテル(僕が泊まっていた民宿のすぐそば)が見えてきた。
「ここで車を止めていいかな?」、「どうして」、「ホテルのタクシー乗り降り場に、俺の車は入れない」。
なるほど、白タクには白タクの矜持があるのだろう。結局ぼったくられなかったし、余計に払えと脅されることもなかった。

「音楽を聴きにいこう」と思わなくても、どこからともなく音楽が聴こえてくるのがハバナだ。旧市街では無料の生演奏を聴きながら飲食できる場所が山ほどある。彼らは大抵、ライヴが終わった後、CDを売りにくる。「このバンドのナマが聴けたのも何かの縁だろう」と思うと、つい財布のひもがゆるむ。僕が買ったのはSexteto San Miguel(2ギター、1アルト・サックス、1コントラバス、1コンガ、1ギロ。ギロ奏者がリード・ヴォーカルをとる)と、Manos Libres(1女性ヴォーカル、2ギター、1コントラバス、1パーカッション)の作品。後者の歌はユーチューブでも視聴することができる。





「レストランでライヴ中のManos Libres」

キューバで生水を飲むことは命知らずの行為である。ソフトドリンクはあるにはあるが、ジュース類は取り扱いが少ないし高価。主流と呼べるのはサイダーやコーラ等の炭酸類だ。だが炭酸ばかり飲んでいてはゲップするのに忙しくて困る。じゃあ、どうするか。ビールの出番だ。キューバの飲食店はどこにいっても、まずビールがあると考えても問題ない。キンキンに冷えたやつが2CUC前後で飲める。沖縄のオリオンとか、インドネシアのビンタンとか、タイのシンハに通じる、サラッとした飲み心地を、僕は「クリスタル」と「ブカネロ」に感じた。
日本にいるとまったくといっていいほど飲めないのに(体が受け付けない)、外国に行くとなんでスイスイ飲めるのか、謎である。

最初にしては上出来の滞在だったと思う。だがあと1週間余計にいれば、ヘヴィー・メタル~スラッシュ~デス~パンク等のエクストリーム・ロックのお祭り「Brutal Fest」を見ることができたのだ、と知ると、なんとも口惜しい気もしてきてタチが悪い。このフェスは2008年に始まり、今年はキューバ、フィンランド、デンマーク、フランス、スイスのバンドが集合。1台のバスに乗って移動し、ハバナだけではなくマタンサス、オルギン、サンタ・クラーラなどでも演奏した。なんでもキューバには約50のメタル・バンドがいるそうだ。
僕は現地で収録された音源をいくつか聴かせてもらったが、面白かった。乗りに乗った。
キューバ・メタルの高まりを克明に捉えたCDがワールドワイドにリリースされたら、どんなにエキサイティングだろうか。


「Brutal Fesで人気を集めたAncestor」

 
「キューバの朝市」


「ハバナ旧市街」


「カリブ海で沈む人」


「キューバ国営テレビ局」


「偽ローリング・ストーンズ」


「「〝カストロ万歳〟と書いてある」


「なぜかU2」


「あまりの暑さにのたうつ犬」


「そして犬」


「さらに犬」


「見る者を威嚇する巨大カメ(キューバ水族館にて)」



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2月でも真夏。急場しのぎでキューバに行ってきたぜ (その2)
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