<連載>原田和典のJAZZ徒然草 "仮バンド"の6弦ベーシスト、BOH氏インタビュー

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2017.04.24

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ファースト・ミニ・アルバム『仮音源-DEMO-』をリリース。
世界をまたにかけて弾きまくる“仮BAND”の6弦ベーシスト、BOHさんに地元話から音楽話まで
ザックバランに語ってもらったぜ




藤岡幹大(ギター)、BOH(ベース)、前田遊野(ドラムス)からなるセッション・ユニット“仮BAND”(2015年11月発足)が4月26日、
ついにデビュー作『仮音源-DEMO-』をリリースする。



数十名も入れば満杯になる規模のライヴハウスと世界有数のアリーナ&スタジアム・・・その両方での演奏経験を持つ稀少な凄腕たちが、入魂のオリジナル曲を集めて真価を問う。
へヴィーメタルの神がかり的プレイで注目されてきた彼らだが、ゲストにカルメラ西脇辰弥、ISAO、そして目覚ましい勢いで躍進する
ピアニストの桑原あいを迎えた『仮音源-DEMO-』はジャズ・フュージョン・ファンからも熱い拍手で迎えられることだろう。

仮BANDに行なったインタビューは「ミュージック・マガジン」5月号に掲載されているので、ここではBOHさんへの単独インタビューを
お届けしたい。奇しくも同じイヌ年、同じ北海道旭川市出身ということがわかり、ガンガン親近感がわいたので、ジャズ・フュージョンのことや地元話を中心に再度うかがいたいと取材依頼したところ、快諾をいただけたのは喜びというしかない。<協力:ベルウッド・レコード>


---- BOHさんが学生の頃はどこで楽器やCDを購入されたのですか? 僕(原田)が学生の頃の旭川市は、マチイ楽器(1997年閉店)ぐらいしか楽器を扱っていなくて、レコード店も、ラーメン屋「梅光軒」の入っているビルにあった「国原」(2008年閉店)、デパート「OKUNO」の地下にあった「玉光堂」(今は郊外に移転)ぐらいでした。

BOH 玉光堂(ぎょっこうどう)と島村楽器が多かったですね。

---- 幼いころから音楽は大好きだったのですか?

BOH むしろ嫌いでした(笑)。母は小学校の音楽教師で、父は市場で働きながら地域貢献で旭川市の合唱団の指揮者をしていたんですが、僕はちっちゃい頃に無理やり市の少年少女合唱団を習わされたり、音楽スクールに通わされたりとかで、音楽が嫌いになっちゃった。だって、全然ワイルドじゃないでしょ? 旭川で生まれ育つと、やっぱり自衛隊員になりたいじゃないですか。

---- 旭川は大日本帝国陸軍第7師団のあったところですから。僕の小中学校のクラスメイトは、約半数が自衛隊員の子供でした。

BOH 僕も夏休みに米だけ持って1週間ぐらい山の中にこもったり、そういうことを常にやってたんでサバイバー的な感じでいたかったんです。だけど中学校の時に先輩が文化祭で演奏してるのを女の子と一緒に見に行ったとき、その子に「BOHちゃん、なんか楽器やらないの?」ってきかれたんですよ。当時は何もできなかったので素直に「できない」って言ったら「ダセェ」と言われて。かわいい子じゃなかったんですけど、だからこそ怒りしか湧いてこない。かわいい子に言われたらショックだけど、その子に言われたらショックよりも怒りが上回った。
「じゃあダサくなくなってやるよ」という感じで、友達の家にギターを触りに行ったんです。そうしたら弦が6本あるし、コード(和音)の弾き方とかすごいめんどくさいなと思った。だけどベースはとりあえず弦4本だし、単音でもサマになるし、弾きやすい。すぐ「オレ最強!」みたいな気分になっちゃって、そこからベースをどんどんどんどんやりだすんです。
最初はLUNA SEAさんのスコアを買ってきて「TRUE BLUE」(94年リリース)とかを弾いたのかな。「ベース買ったばっかりなのに、プロと同じぐらいになっちゃった。これはもう音楽の神様が僕に“プレイヤーになれ”って言ってるんだな」っていう勘違いが始まって、洋楽にも関心を拡げて、MR.BIGを聴いてビリー・シーンが好きになって、そこからいろいろ掘り下げて、ベースの面白さを追求していくうちに「ヴィクター・ウッテンがすげえぞ」とか、「マーカス・ミラーはどうやってあんな音を出してるんだろう」とか、だんだんジャズとかフュージョンも聴くようになったのが高校の時です。それに弟がレッド・ツェッペリンディープ・パープルのような60~70年代のロックが好きで、そこからも影響を受けましたね。

---- 初めて手にしたヴィクター・ウッテンの作品は?

BOH 『ライヴ・アット・ベース・デイ』というVHSです。ビリー・シーンに感動して、「個性的なとんでもないベーシストがほかにいないかな」と思っていた時に、楽器店のビデオ・コーナーで見つけました。ジャケット写真のベースに対する手の位置があきらかにおかしい。何をやってるんだろうって興味を惹かれて、だからジャケ買いですね。アルバムでは『ショウ・オブ・ハンズ』(97年)が好きです。

ヴィクター・ウッテン「ライヴ・アット・ベース・デイ」(DVD)
ヴィクター・ウッテン「ショウ・オブ・ハンズ」


---- 僕が最初に聴いたビリー・シーンのバンドは“タラス”です。当初はビリー・シーハンというカタカナ表記でした。

BOH 僕はMR.BIGのベスト盤(96年)からさかのぼって、タラスやデヴィッド・リー・ロス・バンドの演奏も聴きました。ロック・ベーシストであんなに面白いフレージングをする人を僕はほかに知りません。デニス・チェンバースと組んだフュージョン・バンド“ナイアシン”も、ロックをやるときとはまた違ったアプローチで興味深かったですね。僕が初めてフレーズ分析をしたベース奏者がビリー・シーンです。

ナイアシン「ビリー・シーン・プロジェクト ナイアシン」


---- ほかに「このジャズ・フュージョン系のベーシストをよく聴いた」というのは?

BOH 『ジャコ・パストリアスの肖像』には圧倒されましたね。「これは本当にベースの音なのか?」と驚きました。あとはスタンリー・クラークジェフ・バーリンスチュアート・ハムネイザン・イーストブライアン・ブロンバーグのギターのようなアプローチにも惹かれますし、リチャード・ボナはヴォーカルも素晴らしいと思います。それに、6弦ベースの形を作ったと言っても過言ではないアンソニー・ジャクソン。本人は“コントラバス・ギター”と言ってますけどね。ミシェル・カミロオラシオ・エル・ネグロ・エルナンデスとのトリオは圧倒的です。マーカス・ミラーからは、主にスラップ奏法でヒントをもらいました。

マーカス・ミラー「アフロディジア」
ジャコ・パストリアス「ジャコ・パストリアスの肖像」
ブライアン・ブロンバーグ「フル・サークル」
リチャード・ボナ「ヘリテイジ」
ミシェル・カミロ「トリアングロ」(コントラバス・ギター;アンソニー・ジャクソン)
 

---- ヴィクター・ウッテンではなく?

BOH ウッテンはちょっと曲芸的なアプローチなので。スラップにしても、全部の指を弦に引っかけてみたりとか、まず普通の考えじゃできないような感じです。マーカスはサウンドの土台をしっかり築くようなスラップで、バッキングとしても素晴らしいんです。

---- さてBOHさんは、ヴィクター・ウッテンやビリー・シーンに感銘を受けた後、いよいよ上京なさいます。

BOH 高校の頃から「将来は東京に行ってバンドでデビューするんだ」って言ってたんですけど、母親が「東京に行ってアルバイトしながら音楽をやったって遊んで帰ってくるだけだから」と、音楽学校に入ることを勧めてくれて。いまはないんですけど、ヒューマンアカデミーミュージックカレッジ東京青山校に入りました。そうしたら、うまいひとがいっぱいいて(笑)。講師は殆どスタジオ・ミュージシャンで、バンドでデビューする以外にもそういう道があるんだなというのを知って、僕もセッションとかバック・バンドの人間になりたいと思った。2年制の学校だったんですけど、卒業した後はそこで講師をやってたんですよ。でもそのうちに外部から「弾いてもらえないか」という仕事がいっぱい入ってくるようになって、そのうちSIAM SHADEのギターのDAITAさんと出会って、最初はDAITAさんとKEITAさんが組んだBINECKSというユニットにサポートで入ったんですけど、「メジャー・デビューするからメンバーになってくれ」っていわれて、バンドの一員になったのが2007年の終わりぐらい。メジャー・デビューには興味なかったけど、先輩だし、断れない(笑)。

---- 6弦ベースをメインで演奏するようになったのは?

BOH 東京に来たばっかりの頃はもちろん4弦ベースだったんですけど、その音楽学校にいためちゃくちゃめんどくさくておっかない先生に「おまえ、6弦ベースやってみろ」っていわれたんですよ。夏休みが終わって授業が始まってもまだ6弦ベースを持っていなかったら、そのことをエラい怒られて「なんで俺のいうことをきかないんだ。6弦を買えって言っただろ。持って来いよ!」って。それで安い6弦ベースを買った。当時もギターもピアノもあんまり弾けなかったんで、コードについての授業は、やっぱりちょっとわかりづらかった。だけど6弦ベースではコードも弾けたりするので、それで授業に追いつくことができて、音楽理論とかも、ちゃんとコードを知ることによって以前よりもしっかり入ってくるようになって、「6弦ベースって、いいな」と思って。それに、「バック・バンドのベーシストで6弦をメインにしているひとは日本では特に少ないから、いまからやれば6弦の日本代表になれるかもしれないよ」って、かわいい女の先生に言われたので(笑)、それからずっと6弦ベースを使っています。いま手元にある4弦は1本だけかな。6弦を使ってる期間が長いし、慣れがある。やっていても面白いし、僕に4弦を弾けという仕事も来ないので。

---- 「6弦が必要な時はBOHさんに頼もう」という感じなのでしょうか。

BOH 「僕を呼んだら、こうなるだろう」って周りのひとがわかってくれているんだと思います。あとなぜか知らないけど難しい曲(の依頼)が来まくる。別に難しい曲が好きなわけじゃないんですけど。この前も仮BANDで13拍子の「Chuku」をレコーディングした後、別のところからも13拍子の依頼が来た。13拍子だけめっちゃうまくなったりして、「あいつ13拍子だけは異様にすごいんだよ、4拍子はヘタだけど」って言われる日が来るかもしれません(笑)。

---- その仮BANDのアルバム『仮音源-DEMO-』でもBOHさんの6弦プレイが満喫できます。先ほどお話の出た「Chuku」のほかにも、タッピング奏法で通す「忍者Groove」もすさまじいし、「Snowflakes」での静謐なリフも印象的です。

BOH 「Snowflakes」は自分が学生の頃、家でベースの練習をしながら思い浮かんだフレーズが基になっています。リディアン・スケール(メジャースケールの4度を半音高くした音階)のリフなんですけど、僕は当時スティーヴ・ヴァイのギターにもハマっていたんです。ビリー・シーンを掘り下げていくと、必ずスティーヴ・ヴァイに行きつくので。そこで彼が使ってる気持ちいいんだか気持ち悪いんだかわからないスケールが気になって調べたら、それがリディアン・スケールであるということがわかった。雪が積もった真冬の旭川の春光台で、「このフレーズかっけーな」と自分に酔ってた頃を思い出して、レコーディングでもひたすら(スケールを)繰り返したんです、楽だし。この曲のほかの部分は藤岡先生(藤岡幹大)に丸投げです(笑)。

---- 仮BANDのライヴでは、マイク・スターンの「チャッター」もカヴァーしていました(2003年のアルバム『ジーズ・タイムズ』収録)が、新作に入っているのはすべてオリジナル曲ですね。

BOH 仮BANDはセッション・バンドで、好きな曲を持ち寄る感じで始めました。ライヴではけっこうカヴァーも演奏します。「チャッター」を取り上げたのは、ドラムの前田遊野くんのアイデアです。

---- 『仮音源-DEMO-』は6曲入りということでミニ・アルバム扱いですが、とにかく曲が多彩だし、内容が濃いです。しかもジャケットが強烈です。

BOH ジャズやフュージョンも好きな自分たちが、今いちばんやりたいことをやったインストゥルメンタル・アルバムになったという感じですね。ジャケットに関しては最初から「和な感じで行こう」と決めてました。海外の方からもアルバム・リリースに関してすごく期待を寄せたメッセージをいっぱいもらっていたし、こういうジャケにしておけば外国で喜ばれるかなと(笑)。それに、あんまりジャズ・フュージョン・コーナーに「和なジャケット」ってないでしょ? 店頭に並んだ時の風景や反応もすごく楽しみですね。