INFORMATION | KENICHIRO NISHIHARAファースト・アルバム「HUMMING JAZZ」リリース記念スペシャル・インタビュー!

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  • 2008.12.19

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    KENICHIRO NISHIHARA08年の春、1枚の7インチが渋谷・宇田川町界隈のレコード・ショップで話題となった。テノーリオ・ジュニオールの「Nebulosa」と、パット・メセニーの「Slip Away」というクラブ・クラシックをカヴァーしたものだったが、これと同じような例として、数年前に話題となったイノ・ヒデフミのユゼフ・ラティーフをカヴァーした「Spartacus」の7インチを思い起こす。イノ・ヒデフミはこれがきっかけで結局はアルバムをリリースし、全国区で名前が知られるアーティストへと飛躍していくのだが、今回の7インチの主である西原健一郎にも同じような期待が寄せられた。そして、その期待通りファースト・アルバムとなる『Humming Jazz』を届けてくれた。ここには前述の2曲をはじめとした数々のカヴァー曲、そして彼が聴いてきたジャズ、ボサノヴァ、ヒップホップ、ハウスなどさまざまな音楽からの影響を通して自身の音を紡ぎ出したオリジナル曲が収められている。さらに、国境を超えて参加したシンガーやラッパーも、新人アーティストのアルバムとは思えないほど充実した面々だ。そうした豪華メンバーと作ったアルバムでありながら、決して気取ったところはなく、自然体で等身大の音楽であり、何より気軽にいろいろなシチュエーションで楽しんで、リラックスして聴くことができるアルバムだと言えよう。そんな西原健一郎に、音楽との出会いや今までの活動、そしてアルバムのことや今後の活動などについて広く話を伺った。

    -僕とヒップホップの出会いの橋渡しとなったのは、意外にもテクノなんです-


    ■音楽との出会いはどのようにして始まったのですか?

    N:母親がジャズ・ピアニストだったので、小学校に入る前からピアノを習っていたんですけど、強制的にジャズのレコードを聴かせるような母親ではなかったです。ただ、家には音楽が流れていて、そんなところから自然にジャズは耳に入っていったと思います。

    ■そのままジャズ・ピアニストになろうとかは思わなかったんですか?

    N:あくまで習い事のような感じでやってましたから、そんなに上達はしなかったです。それより、中学に入ってからロック・バンドをやり始めて、自分から聴くようになった音楽の方にのめりこんでいきました。で、そんなある日、偶然サンプラーを手に入れて、それでバンドじゃなくて自分ひとりでも音楽は作れるんだということに目覚め、それからいろいろ打ち込みの音を制作するようになっていったんです。高校1年の頃です。

    ■当時はどういった音楽を聴いていたのですか?

    N:ロックの中でもナイン・インチ・ネイルズとか、打ち込みを取り入れたものを聴いていたのですが、そうしたところからクラブ・ミュージックを聴いたり、レコードも買ったりするようになって、ボディ・ミュージックとかも聴いてました。ミート・ビート・マニフェストとかから遡ってフロント242とか。

    ■いわゆるクラブ・ミュージックともまた違ったタイプのものですよね。

    N:ええ、僕にとってのクラブ・ミュージック前夜というか(笑)。その頃は雑食的に何でもいろいろ聴いてみようという気持ちが強く・・・で、ケミカル・ブラザーズがダスト・ブラザーズ名義でやってた頃とか、そういうのを通じてテクノにもハマっていきました。カール・クレイグ、URとか。でも、その頃のレコード・ショップって今ほど細分化されてなくて、例えばテクノのコーナーにモ・ワックスのレコードが置いてあったりしたんですよ。そんなところからDJシャドウやDJクラッシュを並列して聴き始めました。ブレイクビーツの一環として。だから、僕とヒップホップの出会いの橋渡しとなったのは、意外にもテクノなんです(笑)。

    ■確かにモ・ワックスはカール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラや、ムーディーマンも加わったアーバン・トライブといったレコードも出してて、アブストラクト・ヒップホップのみにとどまらない幅広いレーベルでしたからね。でも、テクノからいきなりクラッシュというのは、あまりに飛躍してないですか(笑)?

    N:その頃はDJも始めてて、テクノ系のレコードを回してたんですよ。で、クラッシュさんのレコードは33回転のものを45回転でかけてました(笑)。でも、やっぱり33回転でかけた方がカッコいいなと思うようになっていって、それからきちんとヒップホップを聴き始めました。90年代のヒップホップ全盛時で、ア・トライブ・コールド・クエストやピート・ロックとかいろいろ聴きました。DJスマッシュとかレーベルのニュー・ブリードのように、ハウスとヒップホップがミックスされたものも好きでした。でも、やっぱり一番の衝撃はクラッシュさんの『Strictly Turntablized』だったように思います。「何だコレは!」という感じで。そうした流れでインドープサイキックスを聴いてケンセイさんもやっぱり凄いなと。そこからキット・クレイトンとかポールとか、エレクトロニカやIDMなどにも広がりました。

    ■ハウスやジャズは聴かなかったのですか?

    N:ハウスはテクノの流れで聴いていました。後にセオ・パリッシュとかに凄くハマるんですけど、彼はDJの時ハウスだけじゃなくガラージ・クラシックとか古い曲もプレイするじゃないですか。そんなところからクラシックものも聴くようになりましたね。ジャズに関して言うと、いわゆるクラブ・ジャズは当時はそれほど聴いてませんでしたが、家にはたくさんジャズやボサノヴァ、あと民族音楽とかいろんなタイプのレコードがあったので、それを聴いたり、サンプリングしてました。

    -ショウでライヴをやれっていう話になって、会場にMPCを持っていって叩いてやったんですよ-

    ■制作もかなり本格的にやるようになっていたのですか?

    N:いえ、遊びみたいなもので、ジャズのレコードを引っ張り出してきて、このフレーズをサンプリングしたら面白い感じになるんじゃないかとか。ネタの入っているレコードとか、そういったことは当時はあまり知らなくて、何でもかんでも我流ですけどいろいろやってました。ネタについては後から知っていったというか、当時フリー・ソウルも流行ってて、そういったものを聴いた時に「あ、コレはネタだったんだ」とか。その後、ディスク・ガイド本もいろいろ出てきて、そうしたものを読んで改めて勉強したという感じですね。

    ■そうして作ったものを発表したりとかはしなかったのですか?

    N:DJする時にかけたりすることはあったのですが、まああくまで自分の楽しみというもので・・・でも、たまたまモデルやってる友達がいて、大川ひとみさんのミルクボーイのショウに出たりしてたんですよ。で、ある日彼が、今度のコレクションのBGMは素人が作った音でやることに決まったから、お前もどうって大川さんに紹介してくれたんです。その時の音楽デイレクターは藤原ヒロシさんで、デモを聴いてもらったらOKが出て。でも、録音したものを流すんじゃなく、ショウでライヴをやれっていう話になって、会場にMPCを持っていって叩いてやったんですよ(笑)。

    ■それはいつ頃の話ですか?

    N:高校の時です。

    ■早熟というか、凄いですね!

    N:いや、その時は自分でも何が何だかよくわからない感じでしたね。でも、それが縁となってファッションショーの音楽制作をいろいろ紹介されるようになったんです。高校を卒業して大学にも行ったんですけど、割とそれが仕事として成立するようになってきたから、就職しないでこれでやっていくかと。ただ、いろいろなブランドをやっていくと自分で作った音だけじゃイメージを伝えきれない時もあって、そうしたところから選曲の仕事もやるようになって、また化粧品やヘア関係のイベントやCFの仕事も紹介してもらえるようになったんです。ショウのBGMの先輩から声をかけられて、エンドレス・ムーンというユニットでチルアウト系のアルバムも2枚作りました。ミュージシャンの方がいて、僕はプログラミングをするんですけど、ホセ・パディーヤとかに好評で、カフェ・デル・マールでもかけてくれたみたいですね。

    -ジャズからそれこそタンゴまで、何か自分に引っ掛かるものが自然とわかるようになってきた-

    ■アンプライベートという会社を設立したのも、そういった仕事や活動がきっけに?

    N:ええ、基本はこうしたイベントやCFの音楽制作や選曲の会社です。でも、そういった具合にクライアントがいて、そのイメージに合った音楽を作ったりしていると、果たして自分が聴きたい、自分が好きな音楽って何なんだろうと悩むようになりました。そうやって煮詰まるような時期を経過する中で、いろいろ聴いてきた音楽の中でも、ジャンルには関係なく、ジャズからそれこそタンゴまで、何か自分に引っ掛かるものが自然とわかるようになってきたんです。整理されてきたというか。その頃だと思います、イエスタデイズ・ニュー・クインテットとか日本でいえばヌジャベスやミツ・ザ・ビーツとか、90年代のATCQの頃とはまた違った感覚で作られたジャジー・ヒップホップが出てきて、自分もそうしたものに惹かれるようになっていきました。例えばアーマッド・ジャマルとか、好きで聴いてきたジャズの音源がサンプリングされてたりして、自分の中でもいろいろなものが1つの線で結ばれていくようになった気がします。

    ■マッドリブにヌジャベス、あとイノ・ヒデフミとかに影響を受けた音だなっているのはわかる気がします

    N:ええ、イノさんの7インチもとても好きでした。それで僕が高校の時から8年間くらいショウのBGMをやってたヤブ・ヤムというブランドがあって、そこで作った音楽を1枚のCDにまとめて出すことになったんです。300枚とか500枚とかそういったレベルですけど。それをヌジャベスさんがたまたま聴いて気に入ってくれて、ギネス・レコーズの前身のトライブに置いてもらえることになったんです。で、僕も僕でヌジャベスの音をパリ・コレで使ったりしてしてたので、そんなところから交流が始まったんですけど、そうやって知り合ったトライブのスタッフからテノーリオ・ジュニオールの「Nebulosa」をクラブでかけたいけど、曲が短すぎて難しいから、リエディットか何かで伸ばせないかなという話をされて、それなら自分で演奏し直してやった方が面白いよと、それであのカヴァーができたんです。

    ■それで7インチで出そうと?

    N:いや、その時はあくまでDJの時にかけてもらうためくらいのものでした。で、そのまま1年ぐらいずっと寝かせてあったんですけど、西嶋君というギネスのスタッフから、「そういえば、あの曲どうなったの?」という話があり、B面の曲も作って7インチで出そうとアイデアをもらって、それでB面は何にしようかと彼といろいろ考えて、やっぱり好きな曲がいいな、じゃあニック・ホルダーがサンプリングしたパット・メセニーの「Slip Away」でいこうと。

    ■生演奏が入ってますね。

    N:ええ、ピアノやギターは自分でやってます。ドラム・プログラミングとベースも打ち込みですね。で、この7インチがある程度うまくいったから、今度はそれを発展させてアルバムを作ろうと。そうやって開始したのが今年の春くらいのことですね。西嶋君には引き続いて全体のディレクションをしてもらってます。

    -僕にとってのジャズは決してかしこまって聴くものじゃなく、普通に日常の中で流れてるものだった-

    ■アルバム・タイトルの「Humming Jazz」はどういった意味ですか?

    N:前に女の子のヴォーカリストとハミング・ジャズっていうユニットを組んでたんですよ。カヴァーをコンセプトとしたプロジェクトというわけではありませんが、変にオリジナルにこだわるんじゃなく、主に自分たちの好きな曲、いい曲を自分たちの解釈でカヴァーするという。で、「Nebulosa」も「Slip Away」も基本的にそういった考えでやったから、これをアルバム・タイトルに使おうかと。まるっきりカヴァー・アルバムではないんですけどね。僕にとってのジャズは決してかしこまって聴くものじゃなく、普通に日常の中で流れてるものだったんです。それこそ、鼻歌でメロディを歌うような感じで。だから、僕の音楽もそうやって日常の中で親しめるものになるといいなという想いがこめられています。

    ■演奏は自分ひとりでやっているのですか?

    N:自分でできるところはやってますが、限界がありますから、部分的にきちんとしたミュージシャンの方を紹介してもらって演奏してもらいました。

    ■ゲスト・シンガーやMCはどのようにして選びましたか?

    N:基本的にはディレクターと相談しつつ僕が好きな人、やってみたいと思った人にコンタクトを取りました。サブスタンシアルやピスモは日本でも結構知られてるラッパーですけど、キッシー・アスプルンドやグレッグ・グリーンは割と最近出てきた人たちです。普段12インチとかを聴いてピンときた人に連絡してみました。だいたいMySpace経由が多いですね。アリソン・クロケットやモニカ・ヴァスコンセロスはコーディネイターの方に紹介してもらいました。最初からそういった人たちに歌ってもらうことを想定して曲を作って、それでそれぞれ僕のトラックを聴いてもらって、「OK、いいよ」っていう感じで割とスムーズにいきました。結果的に海外の人たちばかりですけど、普段日本語の歌をあまり聴いていなくて、だったら別に日本人や日本語の歌がなくてもよいかなと思いました。でも、ゲスト・シンガーたちはこのアルバムをとても東京っぽいと言ってました。それは僕が今まで聴いてきた音楽とか環境も含めて、いろいろなものが雑多に存在しているところが大きいと思います。だから、日本ということを意識してなくても、結果的に日本という国から出てきた音楽なんだなと。それより、音楽的に尊敬できる、わかりあえる人とやりたいということが重要です。だから、エンジニアもブッダ・ブランドやインドープサイキックスの時代から憧れだったD.O.Iさんにお願いしました。

    ■「Nebulosa」「Slip Away」以外にもフランキー・ナックルズの「Rain Falls」、デヴィッド・ベノワの「Life Is Like A Samba」、ギル・スコット・ヘロンの「Willing」とカヴァーがありますが、これらを選んだ理由は?

    N:西嶋君といろいろ相談して決めたのですが、やはり自分の好きな曲というのが一番です。僕の場合こうやってカヴァーする時は、なるべくオリジナルの雰囲気やメロディ・ラインを壊さずに、そのいいところがストレートに伝わるように気をつけてます。「Willing」などのアレンジはかなりオリジナルに忠実かなと思います。

    ■確かに、あまり作りこんだアレンジはしてないですよね。

    N:ええ、それは作曲についても言えるのですが、あまり完璧になり過ぎないようにしました。と言うのは、前にお話したBGM音楽の制作の話とも通じるのですが、仕事ではクライアントの要望に沿うために完璧に音を作り込みます。でも、自分が作る音楽を考えると、もっとシンプルに好きな音でいいんじゃないかと。そうやって出てきたフレッシュな気持ちを、作りこむことによってその鮮度を落としたくないんです。だから、割とラフ・スケッチに近い状態で制作し、1曲をだいたい1日で仕上げるくらいの気持ちで進めました。

    ■それはマッドリブとかにも近いスタンスというか、制作スタイルかもしれないですね。オリジナル曲はどういったイメージで作っていくのですか?

    N:基本はサンプリング無しで作ってるのですが、練習でいろいろ好きな曲のカヴァーとか、コピーをやってて、そうしたものの中から気に入ったフレーズが出てきて、それを発展させたり、インスピレーションが生まれて作ることが多いですね。そういった手法自体ジャズのアドリブのトレーニングとしては割とスタンダードなアイデアだと思います。どちらにせよリズム・トラックからではなく、だいたいメロディから作っています。

    ■こうやってジャズやサンバのいろんなカヴァーあり、ヒップホップ系のものからハウス系のものと雑多な音楽性が詰め込まれているのですが、そうした中にもどこか統一したムードがあるのは、そのメロディやピアノのコード感からくるのかなとも思いますよ。では最後に、今後の活動予定や目標などはありますか?

    N:まず、このアルバムをライヴでやりたいと思ってます。生バンドでやりたいので、メンバーをいろいろと探しているところです。それから、今回ゲスト・シンガーやD.O.Iさんなど、とてもスキルのある人たちと仕事ができて、僕自身学んだことが多いです。この経験を生かして、早く次のアルバムも作りたいですね。


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