神の左手、無意識の右手/ポール・マッカートニーの作り方 No.6

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2020.05.08

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【第2章:ふたりと5人/ポール、そしてビートルズとジョージ・マーティン編 Vol.4】

第0回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/87737
第1回 
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/87852
第2回 
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/0/87995
第3回 
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88161
第4回
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88302
第5回 
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88422

マネージャーであるブライアン・エプスタイン(※1)の「世界を変えるほどに絶対売れるはずだ」という熱に浮かされた営業努力もあり、レコード契約にこぎつけ、自分たちの可能性を発見していくザ・ビートルズ。

ここでジョージ・ハリスン(以下G・ハリスン)が重大な役割を果たす。ドラマーとしてのリンゴ・スターの重要性を、他のメンバーの誰よりも理解していたのは彼であり、そのための人間関係の画策と提案を熱心にしていたのだ(ゆえにピート・ベスト解雇についても、誰よりも後悔し続けていた)。

そして1961年6月、テスト・レコーディングでの出来事……(おそらく)プロとしての心構えなど厳しく言い渡されたであろう打ち合わせの際、「何か意見はないのかね?」とG・マーティンに聞かれても、メンバー全員、緊張で言葉も無かったらしい。威厳があるプロデューサー(彼は当時36歳、EMI傘下のレーベル、パローフォンのオーナーである)を前に、リヴァプールからノコノコとマネージャーに連れてこられた4人の若者はグズグズ押し黙っていた(ほぼ経験がない録音スタジオ、見た事もない機材、フォーマルな服装をしたキャリアある人材に囲まれて、いったい何を言えばいいのだ?)。

「あなたのそのネクタイが気にいらない!」そこで口火を切ったのは当時19歳、最年少のG・ハリスンだった。
「うわ~!何を言い出す!?ジョージ!」ポールも内心焦ったらしい、その一言で、そこにいた全員が期せずして笑いに包まれた。そして一気にG・マーティンとの関係性が出来上がったのである。
その状況を作ったのが(それを言い出しそうな)ジョン・レノンでも、ましてやポール・マッカートニーでもなく、ジョージ・ハリスンだった。G・マーティンとビートルズが抑圧する/される関係ではなく、〝一緒に「面白がること」〟として始まった素晴らしい瞬間、がここにある。

「まいったね!涙が出るほど笑ったよ!」~ G・マーティン

G・ハリスンのきっかけで生まれた空気は、現場をジョークの嵐に巻き込んだらしい(なんといっても、あのジョン・レノンがいるのだ)。そして彼らが現場を去った後、G・マーティンは居合わせた関係者と重大な決定を下す。彼らのバンド名を『ザ・ビートルズ』に決定したのだ。

当時といえば、メインヴォーカリスト+バンド名が一般的な時代である。つまり〝売り〟はヴォーカリストとそのバックバンドの時代。(当然、彼らに抵抗されたであろう提案ではあるが)G・マーティンも慣習として『ジョン・レノン&ザ・ビートルズ』もしくは『ポール~&ザ・ビートルズ』を考えていた。

しかしここで、G・マーティンはあえて「彼らはそのままの〝バンド〟として売っていこう」と気づいた。
この発明とも言える「気づき」の重要性は言うまでもない。「バンド」という匿名性の概念によって、〝メンバーの個性がすべて等しく価値のあるもの〟として認識されることになったのである。
以後、「バンド」というコンセプトが急速に拡散して、世界中の若者たちを駆り立てることになる原点がここにある。「自分も〝バンド〟のメンバーとして、同等かつ重要な一員になれる!」のだ。(※2)

ビートルズとG・マーティンの音楽チームは、この5人でなくてはならなかった。そしてそのチームはジョージの気の利いたツッコミ(としか言いようがないジョーク)で全員が〝笑う〟瞬間に始まった。4人とプロデューサーは、それぞれが互いにとって「ふたり」であり、そして5人全員が「ひとつ」なのである。
 
※1)ビートルズをほぼ単独一人で売り出したマネージャー、ブライアン・エプスタイン。彼の存在、歴史的な役割について考える時、自分が連想してしまうのはフランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクの存在である。オカルト的な理解の範疇ではないけれど(どちらかというと時間は可逆的であるというSF解釈で)、歴史的にその人物が必要だったから存在していた、としか解釈出来ない、その一人である。

※2)定冠詞を持つ単独バンドは以前から存在するが、メンバー全員が個として同一地平で認識される「バンド」の在り方はやはりビートルズから始まったと思う。


 
[宮崎貴士]1965年、東京生まれ。 作、編曲家。ソロ名義で2枚(Out One Discより)、2つのバンド「図書館」「グレンスミス」(ともにdiskunion/MY BEST!RECORDSより)で共にアルバム2枚リリース。 他、岸野雄一氏のバンド「ワッツタワーズ」にも在籍中。 2015年、第19回文化庁メディア芸術祭エンターティメント部門大賞受賞作(岸野雄一氏)「正しい数の数え方」作曲。曲提供、編曲、など多数。ライター活動としては「レコード・コレクターズ」(ミュージック・マガジン社)を中心に執筆。2017年6月号のレコード・コレクターズ「サージェント・ペパーズ~特集号」アルバム全曲解説。同誌2018年12月号「ホワイト・アルバム特集号」エンジニアに聞くホワイト・アルバム録音事情、取材、執筆、他。 
"Paul and Stella"  Illustrated Miyazaki Takashi