「神の左手、無意識の右手/ポール・マッカートニーの作り方 No.9」 宮崎貴士

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2020.06.01

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【第3章:ロストハウス/音像に刻印される〝マッカートニー流〟サウンドの現在性 Vol.2】
 

第0回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/87737
第1回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/87852
第2回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/0/87995
第3回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88161
第4回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88302
第5回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88422
第6回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88506
第7回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/0/88610
第8回 https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/88801

1970年4月にリリースされたポール・マッカートニーのファースト・ソロアルバム『マッカートニー』、全ての楽器を自ら演奏し録音、音作りまでふくめて、ほぼポール1人で作り上げたアルバムである(リンダ・マッカートニーがコーラスで参加している)。
《ザ・ビートルズ》という巨大かつ、それまで唯一だったバンド幻想に裏切られ、本人にとっては二度と戻りたくもないであろう時期に作られたアルバム、そして後の再評価――時代とともに180度、評価が変わったアルバムとしても認識されているであろう。

ポールが『マッカートニー』の素材作りを始めた時期は69年の末、解散(※1)前年であったその頃のビートルズは、ほぼ活動を停止している状態であった。
バンドを前提にした曲作り…書いた曲をメンバーに聴かせる機会も、共作者のジョン・レノンに楽曲の可否を判断される前提さえ、彼は失ってしまっていた。これまでの音楽のキャリアのなかで、彼は初めて〝他者〟という判断基準を喪失してしまったのだ。

今まで書いてきた通り、ポールは他者の存在によって自身の能力を自覚し、開花させてきた。
ジョージ・マーティンの存在によって自身の才能に気づき、ジョンとともに共作した楽曲は世界中に猛烈なリアクションとセールスを生み出した。当然、レコードを購入する世界中のリスナーの存在も他者である。

そして(彼の中の基準である)他者をいきなり喪失してしまったポールは混乱する。
「あの時は廃人になる一歩手前だった。リンダが側にいてくれたから立ち直れたんだ」…アルコールや薬物にまで手を出した、と後に語っているほどである。

ビートルズ解散以後、ウイングス絶頂期でポールのファンになった自分などは、この時期のポールの迷走、アルバム『マッカートニー』の在り方、制作意図が長い間不可解であった。
「ポールほどの才能がそこにあるなら、どんな時期であろうと何でも出来たはずだし、自信を持って音楽を作っていていいはずだ」と。この時期以外の彼がそうであるように。

ポールの音楽歴、それを形作っている意識の興味深さはそこにある。アカデミックな(楽理的)背景や基準がなく、ビートルズ時代の巨大な成功体験と、周囲にいたビートルズのメンバー、特にジョン・レノンからの評価こそが、自身の才能の証明なのだ。
 
そして、ビートルズの解散により、その全てを失ってしまったポール…「自分には何が出来るのか?」「自分にとっての音楽とは?」
 
あらためて『マッカートニー』を聴いてみる。彼が向かったのは、今まで信じていた才能を使った曲作りではなく、〝音〟そのものの世界であった。 アルバム全13曲のうち5曲とインストゥルメンタルの曲が多いのも、その証左であろう。
音楽を構成する〝音〟そのものを、ひとまず自分のなかであらためて捉え直す作業。本人の意識が作曲よりも音響に、音楽を構成する音、素材に向かっていたと想像出来る。

当然、アルバムにはポールにしか書けないような優れたポピュラーソングも含まれている。ある意味、アリバイのような、それらの曲の素晴らしさ。が、しかし、それらの曲にもどこかに音素材への意識が漂っているように感じられるのである。
 
自身のヴォーカルも、宅録ゆえの生活音も、楽器演奏もすべての音が「自分のため」に鳴らされた音楽。対ビートルズのためでも、リスナーのためでもない、自分の中にある《音楽》を再確認して、再設定するためにも〝音〟そのものを手探りで掴んでいくような作業になっているのだ。

そして、今でも世界中のシンガーソングライターがその〝音〟に惹きつけられる理由は、まさにその意識、「自分のために作る音楽」を共有しているからではないか。
商業的な期待に応えるためでも、誰かに気に入ってもらいたいがためでもない。自身の内面にある「作る理由」、それだけを見つめる作業。
 
そして、その切実さは作り手側だけの話ではなかった。『マッカートニー』の再評価は、音楽に独り向き合うリスナーの意識にも呼応していたのである。
「私たちにはなぜ音楽が必要なのか?」…あのポール・マッカートニーがその本質に独りで向き合って生まれた作品は、誰にとっても示唆的で本質的な音になっているのである。
 

 
 ※1)ビートルズの解散については色々な考え方がある。ビジネス上の解散、そして音楽制作上のパートナーとしての活動休止の解散。ここでは後者、音楽的な意味での解散を前提に話を進めている。
 

[宮崎貴士]1965年、東京生まれ。 作、編曲家。ソロ名義で2枚(Out One Discより)、2つのバンド「図書館」「グレンスミス」(ともにdiskunion/MY BEST!RECORDSより)で共にアルバム2枚リリース。 他、岸野雄一氏のバンド「ワッツタワーズ」にも在籍中。 2015年、第19回文化庁メディア芸術祭エンターティメント部門大賞受賞作(岸野雄一氏)「正しい数の数え方」作曲。曲提供、編曲、など多数。ライター活動としては「レコード・コレクターズ」(ミュージック・マガジン社)を中心に執筆。2017年6月号のレコード・コレクターズ「サージェント・ペパーズ~特集号」アルバム全曲解説。同誌2018年12月号「ホワイト・アルバム特集号」エンジニアに聞くホワイト・アルバム録音事情、取材、執筆、他。 
"Paul and Stella"  Illustrated Miyazaki Takashi