「神の左手、無意識の右手/ポール・マッカートニーの作り方 No.34」 宮崎貴士

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2020.11.25

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【番外編コラム05:ポスト・ビートルズ時代の4人と『ジョンの魂』】


さて、前回の補足を番外編として続けます、しばしお付き合いを。


1970年はビートルズ解散の年ですが、ジョンとポールだけではなく、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターもソロ・アルバムをリリースしています。まず、3月にはリンゴが『センチメンタル・ジャーニー』をリリース(プロデュースはジョージ・マーティン)、アメリカのスタンダード・ソングのカヴァー集で、(ビートルズ解散前後の殺伐とした時期なのに、もしくは、だからなのか)ノスタルジー感溢れる作品集になっています。


そして、11月にジョージがファースト・ソロ『オール・シングス・マスト・パス』をリリースしています。全23曲、LP3枚組で発売された『オール・シングス~』は全英、全米ともにチャートで1位を獲得、同時に発売されたシングル曲『マイ・スウィート・ロード』もチャートで1位、その圧倒的な成績は他のメンバーの存在を凌駕します。『オール・シングス~』のプロデューサーはフィル・スペクター、フィルと言えば、この年の5月、映画の公開に合わせたビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』のプロデュースも、他プロデューサーから引き継ぐ形で手がけています。


ビートルズ周辺が混沌としていたこの年、1年間のリリースの流れを時系列で整理すると、3月にリンゴのソロ、4月にポールのソロ、5月にビートルズ、11月にジョージのソロ、そして12月にジョンのソロが発売されます。1年間でビートルズ関連アルバムが5枚もリリースされる、異様な状況なんですね。そして、5枚中3枚のアルバムのプロデュースをフィル・スペクターが手がけている事実。ポールだけがプロデューサーを立てずに自力でアルバムを作っています。


ちなみにジョンとジョージのアルバムにはドラマーとしてリンゴが参加しています。ポール以外の3人は引き続き、互いに関係性を維持し、活動を続けているんですね。アルバム製作の周辺情報だけでも、当時のポールが4人の中でいかに孤立していたのかが伝わります。


ところで、話はジョンのファースト・ソロアルバムに戻ります。『ジョンの魂』…… ポスト・ビートルズ時代を意識したときに「ビートルズではない自分」を突き詰めたアルバム。主なレコーディングメンバーは3人、ピアノやギターはジョン、ベースはクラウス・フォアマン、ドラムはリンゴ・スター。


サウンド面の顕著な特徴はドラムの重いビート、特にバスドラムの存在感、その独特な響き。リンゴのバスドラムは、さながらジョンの当時の心境(ヨーコと2人でビートルズを終わらせて次に進もうとする意志)を表象する楔のようで、それがリスナーの耳に深く打ち込まれるような音像になっています。そして、ビートルズ時代には必ずそこにいたポール(という存在)の不在 ―― リンゴのリズム「だけ」を想定したアレンジゆえ、ジョンはこのアルバムにおいて〝ピアノ〟という選択をしたのではないか、と。


ピアノとアコギの違い、それが作曲時、楽曲のアレンジ作業でどんな役割を担うのか? わかりやすい例として『ジョンの魂』の1曲目、ピアノとドラムとベースだけでシンプルに演奏されている『マザー』を取り上げてみます。


『Mother』John Lennon/Plastic Ono Band   https://youtu.be/sPYsMM1FvXs
 

ジョンの『マザア~~ア~~~! 』という歌から始まる演奏、コード《F》を鳴らすのは4/4拍子の頭1拍だけで、ピアノの残響音(リリース・タイム)が歌唱の音譜の長さと呼応しています。ペダルを踏んだピアノの音の長さがジョンの歌うメロディ、その音譜の長さに対応しているんですね。ピアノとアコギを入れ替えたサウンドをイメージしてみると、その違いは伝わるのではないでしょうか。リリースタイムが短いアコギでこのアレンジは成立しません。


「ポールとジョージがいない前提で曲を作る」「歌うべき曲はシンプルな演奏であること」―― その条件で作られた『ジョンの魂』の楽曲たち。『マザー』のデモは最初アコギで作られていましたが、録音時にはピアノに置き換えられています。アコギで演奏されている曲は? と言うと、ほぼ弾き語り、つまりギター1本、ジョン一人で成立する曲なんですね。


ビートルズ時代のように自らがギターを持ってバンドで演奏しようとすれば、必然的にポール(ベース・ライン)とジョージ(オブリガード)の不在が想起されてしまいます。最低限のアンサンブルが成立する〝ピアノとドラム〟という楽器編成は、ジョンにとって、二人の不在を前提にした〝意識的な選択〟であったと理解しています。


また、ビートルズの後期、ポールのピアノ演奏とそこから楽曲の多彩さが広がっていくのをみていたジョン。そのポールの姿が、この時期のジョンのピアノに対するモチベーションに結びついていたのかもしれません。ジョンはかつてギターの弾き方もポールから学んでいるのです。


このように、ビートルズが解散しても、ジョンとポールは互いに影響され続けていたのです。ポールがジョンから受けた影響については、今後、別章で記す予定です。
 

[宮崎貴士]1965年、東京生まれ。 作、編曲家。ソロ名義で2枚(Out One Discより)、2つのバンド「図書館」「グレンスミス」(ともにdiskunion/MY BEST!RECORDSより)で共にアルバム2枚リリース。 他、岸野雄一氏のバンド「ワッツタワーズ」にも在籍中。 2015年、第19回文化庁メディア芸術祭エンターティメント部門大賞受賞作(岸野雄一氏)「正しい数の数え方」作曲。曲提供、編曲、など多数。ライター活動としては「レコード・コレクターズ」(ミュージック・マガジン社)を中心に執筆。2017年6月号のレコード・コレクターズ「サージェント・ペパーズ~特集号」アルバム全曲解説。同誌2018年12月号「ホワイト・アルバム特集号」エンジニアに聞くホワイト・アルバム録音事情、取材、執筆、他。 
"Paul and Stella"  Illustrated Miyazaki Takashi