<連載>原田和典のJAZZ徒然草 第117回

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2021.03.02

祝、創立25周年! 英国のBBEレーベルから超強力な日本ジャズ・コンピの第3弾が登場、その監修者であるトニー・ヒギンズ氏とマイク・ペデン氏、そしてオープニング・ナンバーに「Song of Island」が選ばれたピアニストの河野康弘氏からの熱いメッセージを紹介するぜ

創立25年になるというのに、英国のBBEレコーズはますます元気がいい。ここから出るものに目を配っていれば、ごく自然にかっこいい音たちが集まってくる―――― そんな印象を持つ。BBEがなかったら、Rim Kwaku ObengNkem NjokuVictor Chukwuといったアーティストを知ることなく終わっていたかもしれないと思うと、出会いの大切さが一層心に響く。
そのBBEが、昭和日本ジャズのコンピレーション・アルバム『J Jazz Volume 1 - Deep Modern Jazz from Japan』(黒ジャケ)を出したのは2018年2月のこと。CDとアナログ盤(1枚につき180グラムの重量級)の同時発売で、ジャズ喫茶やライヴ・スポットの店内やロゴの写真を散りばめたジャケット写真も異彩を放っていたが、それ以上に刺激的だったのがトニー・ヒギンズとマイク・ぺデン両氏による選曲だった。「そういう演奏があることも、そういうアーティストが存在することも知らなかった」、そんな瞬間が何度もあり、ぼくはたしかに、往年の日本のジャズについて、イギリスのふたりから、この選集を通じてエデュケーションを受けたわけである。いや、もっと細かく言えば、そもそも日本のジャズに関心が増していたところに、尾川雄介氏(universounds)の一連のワークスを通じて探求心がさらに加速し、さらにトニーとマイクの視点を受けて、なにかとんでもない“日本のジャズへの愛”が自分の中で醸造されている感じか。その成果は2020年2021年にウルトラ・ヴァイヴからリリースされた『シーナリィ・オブ・ジャパニーズ・ジャズ』二部作のディレクションやライナーノーツに遺憾なく発揮させていただいた。
さてBBEの“Deep Modern Jazz from Japan”シリーズだが、2019年春リリースの第2集(緑ジャケ)に続いて、この3月3日、ついに最新作『J Jazz Volume 3 - Deep Modern Jazz from Japan』(白ジャケ)が登場する。今回も多くのジャズ・ファンが、インスピレーションを得ることになるであろう。曲目リストは以下の通り。



●3LP
A1. Song Of Island - Yasuhiro Kohno (河野康弘) Trio + One
A2. Cumulonimbus - Shigeharu Mukai (向井滋春)
B1. Morning Tide - Kohsuke Mine (峰厚介)
B2. Black Nile - Hideyasu Terakawa (寺川秀保) Quartet Featuring Hiroshi Fujii (藤井寛)
C1. Song for Hope - Aki Takase (高瀬アキ) Trio
C2. Honey Sanba - Itakura Katsuyuki (板倉克行) Trio
C3. Kirisame - Ryusei Tomoyose (友寄隆生) Quartet
D1. Kemo Sabe - Masao Nakajima (中島政雄) Quartet
D2. Phoebus - Hiroshi Murakami (村上寛) & Dancing Sphinx
D3. Planets - Masaru Imada (今田勝) Trio + 1
E1. 1⁄4 Samba II - Tatsuya Nakamura (中村達也)
E2. Cumorah - Eiji Nakayama (中山英二)
F1. Acoustic Chicken - Koichi Matsukaze (松風鉱一) Trio feat Ryojiro Furusawa (古澤良治郎)

2CD
DISC 1
1. Song Of Island - Yasuhiro Kohno (河野康弘) Trio + One
2. Morning Tide - Kohsuke Mine (峰厚介)
3. Kemo Sabe - Masao Nakajima (中島政雄) Quartet
4. Groovy Samba - Hideo Shiraki (白木秀雄) ※CDのみ
5. Song for Hope - Aki Takase (高瀬アキ) Trio
6. Cumorah - Eiji Nakayama (中山英二)
7. Phoebus - Hiroshi Murakami (村上寛) & Dancing Sphinx
8. 1⁄4 Samba II - Tatsuya Nakamura (中村達也)
DISC 2
1. Cumulonimbus - Shigeharu Mukai (向井滋春)
2. Burning Cloud - Ryojiro Furusawa (古澤良治郎) ※CDのみ
3. Planets - Masaru Imada (今田勝) Trio + 1
4. Wolf's Theme - Seiichi Nakamura (中村誠一) ※CDのみ
5. Honey Sanba - Itakura Katsuyuki (板倉克行) Trio
6. Kirisame - Ryusei Tomoyose (友寄隆生) Quartet
7. Black Nile - Hideyasu Terakawa (寺川秀保) Quartet Featuring Hiroshi Fujii (藤井寛)
8. Acoustic Chicken - Koichi Matsukaze (松風鉱一) Trio feat Ryojiro Furusawa (古澤良治郎)

監修者のトニー氏とマイク氏の談話を紹介した記事は少なくないが、今回改めて取材を申し込むことができたのは幸いだった。このコーナーでしか読めないであろう話を味わっていただけると嬉しい。
(取材協力:日高健介氏)



「10代前半は主にロックやプログレのレコードを買い漁っていたが、学校を卒業した70年代の中旬にそれらを売っ払い、ソウル・ボーイ・シーンに深くハマり始めた。ジャズ・ファンク、フュージョンからディスコまで全てのレコードを買っていたね。私はジャズのフュージョン的な面が大好きで、この手の音楽をプレイするDJを追い求めていた。そのひとりであるクリス・バングスは幸いにもボーンマスのクラブでレジデントDJを務めていて、しかも私のために素晴らしいミュージック・カセットを作ってくれた。そのカセットテープの中で、渡辺貞夫益田幹夫菊池ひみこ福村博など、1980年代初頭の日本のフュージョンに初めて出会ったんだ」(マイク・ペデン)

益田幹夫はキングレコードのエレクトリック・バード盤、菊池ひみこはテイチクのコンチネンタル盤、福村博はRVCの『ナイス・デイ』かアポロンの『ホット・ショット』あたりか。80年代初頭は、日本のレコード会社やミュージシャンがどんどん外国に乗り込んで、現地の凄腕たちとキメキメのフュージョン・セッションを行なった作品が毎月のように複数枚リリースされていた時期である。もっともぼくはビリー・ハーパーアーサー・ブライスチコ・フリーマンベニー・ウォレスに夢中だったので、フュージョンに対して「これもありだな」と思うまでには時間がかかったのだが、マイクはがっつりフュージョンを吸収したわけだ。

「80年代中旬、クリス・ヒルやジェフ・ヤングなどのDJが賞賛され、UKで日本のジャズ・ファンクは大流行りだった。より深く掘り起こしたいと思っているうち、私はジ・エレクトリック・ボールルームで開催されていたポール・マーフィーによる伝説的なセッションにたどり着き、彼がプレイした音楽に魅了された(特にヘヴィなラテン、500マイル級のスピードを持つサンバの傑作など)。そして、彼がプレイした日野皓正のアルバム『ダブル・レインボウ』収録の「メリー・ゴー・ラウンド」を聴いて衝撃を受け、本格的に日本ジャズへのオデッセイに乗り出した。
私はポールに感化されて、故郷ボーンマスにあるミッドナイト・エキスプレスで自身が主催するパーティを始めた。私はそこでブルーノート・レーベルのジャズ、アフロ・キューバン、サルサ、フュージョンなどをプレイしつつ、いつも日本のジャズ、例えば日野皓正「メリー・ゴー・ラウンド」、本多俊之「イースタン・レガシー」、菊池ひみこ「ハイアー・レヴェルズ」などをプレイした。当時のほとんどの観客にとってあまりにも先見的であったので、この私のパーティは残念ながら半年で終わったが、その後DJする時にも日本のジャズのお気に入りの曲は必ず何曲は必ずかけるようにした」(マイク)

「メリー・ゴー・ラウンド」を収めた『ダブル・レインボウ』は81年に日本と米国でリリースされた。同年7月、日野皓正はフジテレビ系の歌番組「夜のヒットスタジオ」に出て比較的ポップな「イエロー・ジャケット」を演奏したが(ぼくの記憶では、ウィキペディアに記されている「アボリジナル」ではない。バンド・メンバーにはケニー・カークランドやドン・アライアスがいたはず)、「メリー・ゴー・ラウンド」は相当に冒険的な楽曲だ。

「今までこんな音楽は聴いたこともなかったよ。生々しく実験的でエッジの効いた、70年代初旬のエレクトリック・マイルス・デイヴィスに感化されて放たれた、ジャズとファンクの妥協のない融合という感じだった。アルバム全体が素晴らしく、菊地雅章というキーボード奏者が編曲を担当していたことも知ったので、彼のアルバム『ススト』を見つけ、聴いて驚き、日本ジャズに対する私の情熱は増す一方になった。インターネットがない時代に高品質の日本のジャズを探すのは至難の業だったが、たまにあちこちの中古レコード屋、毎年行ったアメリカのレコード掘りの旅行やメーリング・リストを通じて作品を集めていった」(マイク)

このあたり、“ネット以前の音楽オタク”の通過儀礼という感じがする。自分もそうだった。オークション・リストを取り寄せて、grooveとかsoulとかがタイトルに入っていて安ければ、不見転で入札したものだ。

「そして、インターネットが誕生してから急速に(私の知識が)拡大し、日本のジャズ史を本格的に深く掘り起こし始めた。自身のブログを立ち上げたのも、非常に役立った。私は、音楽に対する愛情を他の人々と共有するために、ブログ「Orgy In Rhythm」を一人で始めた。このブログは、長年にわたって数百万ヒットを記録し、コレクター、DJ、ファン、ジャズに関するあらゆる愛好家のためのオンライン・フォーラムとしての地位を確立した。日本のブロガー達と連絡を取り合い、日本に旅行してシーンを探索し、日本のジャズについてますます学ぶことができた。この10年間で私は6回来日し、レコード探索ツアーをしている。その直接的な結果として、BBEで出しているJ-Jazzコンピレイションが生まれたのかと思う」(マイク)

プロジェクトの成功には、BBEの代理人であるコーディネイター日高氏の存在が不可欠であった。

「彼は(オリジナル・アルバムの)解説文を(英語に)翻訳したり、アーティストと直接連絡を取る才能の持ち主で、アーティストから我々のプロジェクトに賛同するように説得して、彼らのジャズ人生を取材している。再発する作品の背景を探るために、彼のコネクションと努力はかけがえのないものとなっているんだ」(マイク)

マイクやトニーの行なう“再発見”を通じて、相澤徹や寺川秀保といった演奏家を知ったジャズ・ファンは、自分も含めて少なくないはずだ。個人的には、それは、かつてブルースがブリティッシュ・ロック・ミュージシャンによって広く注目されるようになった故事に通じるように感じられる。英国には、こうした「再評価して世界に広める」風土があるのだろうか。

「英国は1920年代からポピュラー音楽の主要な市場であり、ジャズやブルースなどの音楽を収集し、再評価するという強い文化が常にあった。そうしたバンドや音楽スタイルが発展するための重要な場所になった。主な理由は、どちらの国も英語を話すこと、2つの国と2つの音楽文化の間に自然なつながりがあったためだろう。第二次大戦後しばらく大きな帝国を持っていた影響で、60年代までアフリカ大陸、インド、西インド諸島など、英国が植民地を持っていた地域との国際的なつながりも根強かった。たとえば、スカやレゲエなどの音楽は50年代と60年代にジャマイカからの移民と共にやってきて、特に黒人移民が住んでいた地域の多い都市の白人労働者階級の若者の間で高い人気があった。彼らはアメリカのソウル・ミュージックも好きで、すぐに多くの人々が世界中のさまざまな音楽のエキスパート(オタク!?)になった。この風潮により、レコードの収集、アーカイヴ化、特定の分野に的を絞ったレコード・レーベルの誕生などの文化が産み出され、多くのひとが音楽を発見し、再発する動機にもなった。
アメリカ、ジャマイカ、アフリカの一部、さらには日本などの国で創造された多くの音楽が、母国では大勢の聴衆に届かなかったり、そのアーティストが重要だと見なされなかった場合もあるはずだ。英国では音楽自体を特別視する習慣があり、芸術として認知していた。ローリング・ストーンズザ・アニマルズジョン・メイオールなどはマディ・ウォーターズハウリン・ウルフなどのアーティストに注目し、尊敬していたが、それ以前(マディやウルフが)母国のアメリカで広く認知されていたとはいえない。英国のバンドがアメリカにこの音楽を紹介したことで、初めて母国の白人から認められるようになった。この現象は特にアメリカ産のブルースとR&Bに対して起こったが、これは特にアメリカのブラック・ミュージックと、白人労働者階級との間に親和性があったからだろう。お金がないとか、労働条件や生活条件の悪さについて歌った歌詞に、通じ合うものを感じていたんだ」(トニー・ヒギンズ)


その発言に耳(目)を傾けていると、いつしかぼくの頭の中で、ザ・クラッシュとレゲエの関係、イアン・デューリーとファンクの関係、ジャー・ウォブルトニー・アレンの共同作業などが、ザーッと広がっていく。

「同じことが60年代後半~70年代前半のデトロイト・ソウルやシカゴ・ソウルのレコードでも起こったが、ファンクやその後のディスコの流行にとって変わられた。この種のレコードは英国のDJ界隈で収集され、ノーザン・ソウル・シーンに発展していく。その後、70年代後半から80年代初頭にかけて、無名なジャズ・ファンク、ラテン、フュージョンのレコードが一部のクラブで人気を博し、ポール・マーフィーやコリン・カーティスなどのDJがこの種のレコードをプレイしていくうちにUKのジャズ・ダンス・シーンができあがり、アシッド・ジャズ・シーンへと発展した。世界中からの音楽を受け入れ、評価し、価値をつけて、再文脈化するのは英国の強い文化だ。うまくいけば、その音楽は母国でも認識される。日本のジャズ及び日本のジャズ・アーティストの認知度と価値が国内だけではなく世界中で高まることを願うよ」 (トニー)

そこで、今は亡きピアニスト、福居良の話になる。ぼくは北海道出身なので彼の演奏は子供のころからテレビ(HBCこと北海道放送に出ていたと記憶する)を通じて知っていた。“北海道のジャズ界の顔というべきピアノの名手”という印象はあったものの、彼の楽曲「アーリー・サマー」が欧米で熱烈に支持され、YouTubeのview数が1000万越えになるとは予想をはるかに超えていた。どうしてこんなにいま、福居良なのだろうか。率直に尋ねてみた。

「特定の時期に、特定のアーティストが注目を集める理由を解読するのは困難だ。私にも明快な回答はない。福居良に関していえば、トリオ・レコードから発表された彼のアルバム『Scenary』は昔からコレクター間で需要が高く、入手困難なアルバムだった。なかでも「アーリー・サマー」は人気となった。私は、2003年に出たコンピレイションCD『Shibuya Jazz Classics: Trio』でDJジャイルス・ピーターソンと一緒に仕事をしたことがある。「アーリー・サマー」はこのコンピに収録されたので、新しいリスナーに知られる手助けをしたとは思う。ジャイルスも自身のラジオ番組でプレイしていた。長い間をかけて、福居良の名前は多くの人に知られるようになり、リリカルで、優しい感じの日本のジャズ・ピアノ・スタイルを代表するアーティストとして見られるようになった。しかし、実をいうと、海外でもっと知ってもらいたい、さまざまなスタイルとサウンドを持つ偉大な日本人ピアニストはたくさんいる:例えば、本田竹広今田勝佐藤允彦などだ。多くの日本のピアニストの作品をJ Jazzのコンピレイションに収録したいと思っているんだ。実際、我々が最初に再発したアルバムのひとつは、相澤徹が出した非常にレアな『Tachibana Vol 1』だった。このピアニストが学生の頃、1973年に録音したものだ。彼は1枚しかアルバムを作らなかったが、今では我々の再発によって、ヨーロッパやアメリカにも名前が知られるようになった」(トニー)

踊らせるだけではなく、じっくり聴かせることも、UKのクラブ・シーンでは重要視されるようになっていて、そうした場に日本のモーダルなアコースティック・ジャズはぴったりであるともいう。

「UKのクラブ・シーンには、ジャズをプレイする偉大な伝統がある。かつては素晴らしいジャズ・ダンサー達向けにダンスフロアに解き放ったジャズをプレイしていたが、近年はBrilliant Corners、Spiritland、BBE Storeなどロンドンのハイ・エンドのオーディオ・システムを装備したリスニング・バーや多数のポップ・アップ・バーが誕生したおかげで、DJとしてダンスフロアの客層に特化することもなくなった。我々が監修したJ Jazzコンピレイションに収録している挑戦的な日本のジャズをプレイできる環境も増え始めているよ」(マイク)

日高氏の尽力により、『J Jazz Volume 3 - Deep Modern Jazz from Japan』のオープニング曲「Song of Island」の作者・演者であるピアニストの河野康弘氏からもコメントをいただくことができた。ぼくは上京間もない頃、河野氏の「四万十川コンサート」を見ている。終演後、出入り口に行くと、河野氏がひとりひとりに丁寧に頭を下げ、礼を述べているところだった。ニコニコしながら強い握手をしてくれた姿を、昨日のように思い出す。現在は京都を拠点に活動する河野氏のメッセージを紹介したい。

<河野康弘 近影>


---- 河野さんの80年代の作品が、今、イギリスを中心に人気を集めていますね。

河野康弘 80年代からヨーロッパで演奏したいと思い、96年、97年にはベルギーの「ブリュッセル・ピアノ・フェスティバル」で演奏しました。でも、その頃からアフリカ、パレスチナなどへ日本で不要になったピアノを寄贈して演奏に行く平和・環境活動が中心になったので、他のヨーロッパの国で演奏する機会を持てなく残念に思っていました。今回、BBEで「Song of Island」が出版され、ヨーロッパや世界の皆様に聴いていただけて最高に嬉しいです。2019年の終わりにBBEでの販売の話がきました。世界シェアで発売できることがすごく嬉しく、元気をいただきました。BBEで私のアルバムを選んでいただけたことに感謝します。

---- オリジナル・アルバム『Song of Island』、および楽曲「Song of Island」制作のきっかけを教えていただけますか。

河野 録音(85年8月)の半年くらい前に始めて佐渡島でライブをしました。佐渡島の風景も素敵でしたし、ライブでのお客さまの反応が最高でした。ライブはお客さまの反応で、どんどん変わっていきます。演奏家とお客様が一緒に、その日のライブを作っていきます。演奏が終わったときに、次回は佐渡島でライブ録音したレコードを出すぞ、と決めました。熱いライブを録音したかったのです。楽曲「Song of Island」は、荒波の冬の日本海に囲まれた佐渡島をイメージしてつくりました。初めて佐渡島に行ったときは冬の終わりで、行き帰りの船が大きくゆれました。

---- これは現在も続いている河野さんのレーベル“A.S.Cap”の第一弾作品です。レーベル設立のいきさつは?

河野 私はアケタズ・ディスクが好きだったので、自分の作品を発売していただけて大変嬉しかったです(『ピース』『ローマ・イン・ザ・レイン』)。しかしレコードの販売に関する考え方は、少し違っているようでした。それで自分の思うように活動するには自分でレーベルをつくるのが良いと思いました。レーベルの全名称はAcoustic Sound Cap。ジャズの著作権のASCAPの名前に似せてつくりました。ロゴマークがCapになっています。

---- YouTubeチャンネルなど、このコロナ禍のなかでも精力的に活動していらっしゃるのも嬉しい限りです。

河野 2019年まではライブで知り合ってきた人たちとの交流、南アフリカへのピアノ寄贈の旅(https://earth-harmony.jimdofree.com/%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB/)ほかで世界の人とつながってきましたが、コロナで昨年2月以降ライブができなくなりました。そこでネットでYouTubeほか音楽配信サイト、ツイッターに力を入れることにしました。BBEからの発売が、ネットでの活動の大きな力になりました。新しい出会いに感謝して活動を続けていこうと思います。

★河野康弘ウェブサイト https://yasuhiro-kono.jimdofree.com/

<1985年8月、『Song of Island』収録中の写真(佐渡島「ライブハウス・アゲイン」にて)>