<連載> ★山本隆の"続 JAZZ IN THE WORLD"★ 2023 Dec.

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2023.12.11

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Here Now / サン・ビービー
https://diskunion.net/jazz/ct/detail/1008742281

 
シゼル・ストームの初めての東京コンサートがコットンクラブで行われた。
2014年の7月だった。その際のピアニストが彼だった。シゼルの作品の歴代のピアニストは、ヤコブ・カールゾン、ラーシュ・ヤンソン、マグナス・ヨルトであったが、随行してきたのは、サン・ビービーだったという訳。デンマークのピアニストは層が厚い(ラーシュはスウェーデンだけど)と感じた。
2013年には、マーク・ジョンソン(b)、アンダーシュ・モーゲンセン(ds)でのトリオ作品『エヴァ』を発表。
2016年には、キャスパー・タゲル(b)、アンダーシュ・モーゲンセン(ds)でのトリオ作品『ホーム』を発表。
2019年には、同メンバーで『エコーズ』を発表。北欧的な静逸感がピアノトリオファンを魅了してきた。
今回のメンバーは、キャスパー・タゲル(b)、ドラムは替わりKnut Finsrud(ds)となった。
毎回期待を裏切らない彼のピアノトリオですよ。
コットンクラブのコンサートの数日前、シゼル御一行を東京案内したことを思い出す。神保町アディロンダックでは、サンのピアノでシゼルが2曲歌った。その近くの海鮮居酒屋で生きた烏賊の刺身とかを見て驚いていた。
コットンクラブでのライブは満員大盛況でよかった。その後彼女は、数回東京でコンサートをしたと記憶している。

 


 


ぼくの音楽人生 : エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史 / 服部良一
https://diskunion.net/jazz/ct/detail/1008763658

人生で初めて、NHKの連続テレビ小説という番組を観ている。週末、その週の5本をまとめて観る。そう『ブギウギ』だ。服部良一役に草彅剛がキャスティングされているから観る、という家人につきあっているわけ。ドラマは1週間5回で一つのエピソードが展開されていく。あまりにも面白くて、この本を買い読んだ。この本は、服部良一本人が書いたもので、1993年に発行された『ぼくの音楽人生』に加筆、訂正を加え、再編集を加えたもので文章も読みやすい。服部良一の「ぼくの音楽人生」ということなので、笠置シヅ子を中心としたテレビとは展開を異にする。
その証拠に、笠置シヅ子の名前が登場するのは、172ページ目、本としては後半戦に突入している。
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「笠置シヅ子です。よろしゅう頼んまっせ」と、目の前にきた、鉢巻で髪を引き詰めた下りまゆのショボショボ目が挨拶する。
ボクは驚き、すっかりまごついてしまった。
ところが、その夜おそく始まった舞台稽古では、思わず目を見張った。
『クイン・イザベラ』のジャズ・リズムにのって、タラッタ、と舞台の袖から飛び出してきた女の子は、昼間のトラホーム病みの子とは全く別人だった。
三センチほどもある長い付けまつ毛の下の目はパッチリ輝き、ぼくが棒をオーケストラにぴたりと乗って、「オドッレ、踊っれ」と掛け声を入れながら、激しく歌い踊る。その動きの派手さとスイング感は、他の少女歌劇出身の女の子たちとは別格の感で、なるほど、これが世間で騒いでいた歌手かと、納得した。
(ぼくの音楽人生より抜粋)
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最初の彼女に対するコメントがこのようなもので、笠置シヅ子を特別視している感じはない。それはそうだ。当時売れっ子の作曲家、服部良一は、あらゆる映画、レコーディング、中国外遊などの仕事を請け負い、昭和14年には既に大先生だったのだから。
ドラマ中に突然、市川美和子扮する奥さんが、「メッテル先生」と口にした場面があった。知らない人は誰のことだろう、「メッテル???」だったと思う。実は服部の才能を見出し、高度な音楽話法をたたきこみ、音楽人として開花させたのは、ウクライナの亡命音楽人エマニュエル・メッテルであった。服部の広大な音楽的素養(和声学をはじめ指揮法、管弦楽法)は、巨匠メッテルの個人教授によって育まれた。その描写は意外にも多くのページが割かれていて、いかに服部良一としての最重要人物であったということがわかる。
また、大正、戦前のジャズ事情も細かく書かれている。あまりにも古いので、出てくるミュージシャンのことについては何も知らない。これから調べてみるつもりだ。
戦後のジャズポップス界(245ページから)という章では、ようやく馴染みのある名前も多く出てきて、「そうか、そうだったのか」と歴史的な生の情報が書かれていて興味深い。





12月の写真は、世界遺産になっているワルシャワ歴史地区。ワルシャワへは、2016年の10月に行った。JazzPerspective13号で「ポーランド・ジャズ」の特集をしたその取材だった。ポーランドラジオのルトス・ラウスキーコンサートスタジオ(Told lutos lawski concert stuio of polish radio)でコンサート観たり、ライブハウス行ったり、ユダヤ歴史博物館で説明受けたり、ノヴィ・シンガーズのベルナルト・カフカと会食したり、ポーランドのジャズ雑誌Jazz Forumの編集室を訪問したり、いろいろな人とビール飲んだり、ラーメン食べたり、寿司食べたりした。パヴィアク刑務所博物館にも行ったが休館日だった。
午前中は何もすることがないので、ふとワルシャワ歴史地区を歩いてみようと思いついた。
歩いてはみたものの、事前に下調べをしていなかったので興味は半減だった、後悔している。旧市街を「レンガの割れ目一つに至るまで」忠実に再現したことが、世界遺産登録の着目点らしいから、そういうことを知っていれば、もっと注意深く観察してきたにちがいない。
下記は、ポーランド観光局(Polish Tourism Organisation)の説明を転載しましたので、興味ある方はお読みください。
ポーランドは第二次世界大戦でナチス・ドイツの侵攻を受けます。1939年には美しい王宮が空襲を受けるなど被害を受けていましたが、壊滅的な悲劇は1944年に起こりました。この年、ワルシャワでは暴力と迫害に耐えかねた市民たちが立ち上がり、「ワル シャワ蜂起」を起こしたのです。しかし2ヶ月の後、約20万人の犠牲者を出し全滅、ナチス・ドイツの爆撃と火炎放射による破壊活動によってワルシャワの街の80パーセント以上が瓦礫と化してしまいました。そして蜂起の最後の砦となっていた旧市街一帯は、最も徹底的に破壊しつくされたのです。
しかし、戦後、ワルシャワ市民たちは旧市街の街並を昔の姿のままに再建すること を決意します。実は市民たちは建築科の学生を中心に、戦前や戦時中危険を承知で市街の隅々に至るまで入念なスケッチを残していたのです。市民たちは亡くなった家族や仲間への想い、愛国心を胸に、スケッチや歴史的絵画などを手がかりに、跡形も無く瓦礫の山となってしまった一つ一つの建物を「レンガの割れ目一つに至るまで」忠実に再現したのでした。再建作業には建築家や修復の専門家だけでなく、ワルシャワの多くの一般市民が参加し、戦後何年もの時間をかけて驚くほど丹念に進められました。この努力は見事に成功を収め、戦前と寸分たがわぬワルシャワの旧市街が蘇ったのです。ですから、今日我々が見るワルシャワ旧市街はま
るで中世の街並そのものですが、実際は戦後わずか数十年の歴史しか持っていません。1980年、ユネスコは街自体の歴史的価値ではなくこうした「街の復興にかける市民の不屈の熱意」を評価し、ワルシャワを世界遺産に登録することを決定したのです。


写真


ワルシャワ歴史地区



巨大なウォールアート。ボクの住んでいる近所の天王洲アイル周辺にも、このような巨大な壁画があるけど。落書きではなくて、「アート」という位置づけのようだ。



ユダヤ歴史博物館。



ユダヤ歴史博物館の開館記念音楽を任されたトマシュ・スタンコのCD『Polin』は、おそらく日本未入荷。



ポーランドラジオのルトス・ラウスキーコンサートスタジオ。ジャズ・ジャンボリーの拠点となります。




パヴィアク刑務所博物館と敷地内に残った1本の木がシンボル的に保存されている。


本格的な寿司を提供する、Izumi Sushi。ここでベルナルト・カフカに会った。



若き日の渡辺貞夫が、Jazz Forumの編集室を表敬訪問した時の写真などいろいろ見せてくれた。