原田和典のJAZZ徒然草 第76回

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2012.03.30

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デビュー60年、没後30年。時代の風が再び江利チエミに吹いてきたぜ

この3月7日、江利チエミの一連のジャズ作品が店頭に並んだ。ジャズといってもベティ・カーターシーラ・ジョーダンのようなアーティスティックなものではなく、あくまでもジャズ・テイストをふりかけたポップスという感じではあるが、これくらいの味付けだからこそ一般大衆に強くアピールしたのだろう。亡くなって30年になるというのに、売れ行きは思いのほか好調のようだ。ぼくも友人から「店頭に買いに行ったのに品切れ状態だった。試聴機には入っているのに」等の意見をきいた。レコード会社様、ただちに増刷してどんどん店に流していただきたい。レコード店様、平積みにしてドッカンドッカン売ってほしい。これはぼくだけの所感ではないと思うが、江利チエミ、実はAKB48の大島優子に似ている。『チエミの民謡ハイライツ=第2集』のジャケットを見て、それでも大島に似ていないと言い張れるひとがいるだろうか。
「江利チエミのジャズ系オリジナル・アルバムを一気に復刻したい」という話を、ぼくがキングレコードからきいたのは昨年の秋だったと思う。ラインナップは以下の通り。
チエミのスタンダード・アルバム(59年)
チエミ ラテンを歌う(60年)
チエミとデルタ・リズム・ボーイズ(61年)
チエミとカール・ジョーンズ(同)
クレイジー・リズム(62年)
ナイス・トゥ・ミート・ユー(81年)
監修には、かつてThink!レーベルからチエミ作品を紙ジャケCD化した塙耕記氏が当たるという。それは鬼に金棒だ。二つ返事でオファーを引き受け、「オリジナル・アルバムで復刻されなかった曲を中心としたコンピレーションCDを作って一緒に売るのはどうだろうか」と提案させていただいた。というのは、基本的にチエミは大衆歌謡のひとであり、主戦場は最後までアルバムではなくシングル盤であったと思うからだ。そうしたところに入っているジャズ的なものや、どうにも見落とされがちな60年代後半以降のアルバムに入っているグルーヴ感のある楽曲をまとめれば、今までの江利チエミのCD史に存在しなかった強力なコンピレーション・アルバムも不可能ではないとも考えた。
今までキングレコードが出したチエミ関連のジャズ系コンピレーションCDには『チエミのジャズ・アルバム』、『Chiemi Swings』がある。後者は予想以上に売れたとのことだが、上記6枚とは選曲がかなりダブる。今回のコンピは、その6枚を買ったひとにも、その6枚を買うまえのひとにも購入してもらいたいし、皆が「お徳感」を持ってくれるようなものにしたい。「なんだ、あれもこれもオリジナル・アルバムと重複しているじゃないか。買って損した」では困るのだ。話は飛ぶが、ぼくはビートルズの英国盤アルバムの曲目が好きである。シングル盤で出ているテイクとのダブりを極力おさえているからだ。重複分にお金を出させない・・・・・これが音楽ファンに対する礼儀ってものだろう。
『クレイジー・リズム』から『ナイス・トゥ・ミート・ユー』までの19年間にも、チエミは数え切れないほどの名唱を残している。それらを聴いて、「ジャズ」という枠でおいしく賞味できるものを選ぶのがぼくの役目だった。この時代、チエミはポリープ手術等も経験したこともあってか、50年代とはかなり歌い方を変えている。簡単にいえば太く低くなった。しかし、それもまた歌手・江利チエミであり、1969年版「テネシー・ワルツ」には、あの有名な1951年版には感じられない円熟味と明瞭さが加わっている。今回、新たに組まれたコンピレーション『チエミ+ジャズ』は、その“69年版テネシー”で始まる。
『チエミ+ジャズ』というタイトルは、ジョー・スタッフォードの『ジョー+ジャズ』というアルバムから拝借した。チエミの「テネシー・ワルツ」は歌詞をお聴きになればわかる通り、世界的にヒットしたパティ・ペイジのヴァージョンをモデルにはしていない。元になっているのはジョー・スタッフォードのヴァージョンだ。そんなことも考えつつ、この表題をつけ、さらにラストに、そのスタッフォード版をより緻密に参考にした(に決まっている)“54年版テネシー”、通称EPヴァージョンをおいた。ここで収録時間は70分余り、テネシーに始まりテネシーに終わるのもまたよかろう、と思ったのだが。
発見された。ついに発見されたのだ。以前からマスター・テープの捜索をお願いしていた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のライヴ・ヴァージョンが見つかったという知らせが飛び込んできたのだ。「ロック・アラウンド~」はいうまでもなくビル・ヘイリー&コメッツがヒットさせた、一説にはロックンロール時代の幕開けとも言われるナンバーだ。もっとも正確にはサニー・デイ&ヒズ・ナイツというグループのほうが先にこの曲を出しているのだが(Ace盤CD『You Heard It Hear First!』で聴ける)、まるで売れず、現在はヘイリーの名とワンセットで記憶されている。これを最も早く日本語でカヴァーしたのが日本コロムビアのダークダックス(伴奏は小野満とフォア・ブラザース)とキングレコードの江利チエミだった。チエミのシングル・ヴァージョン(スタジオ録音)は過去何度もCD化されているが、ライヴ・ヴァージョンをごく普通に耳にできるのは『チエミ+ジャズ』の出た2012年3月7日までほぼ不可能に近かった。それはなぜか。
チエミは1956年4月15日、サンケイ・ホールで行なわれた「ハイカラー・クラブ・サンデイ・ジャズ・コンサート」に登場した。他の出演者は海老原啓一郎、鈴木章治とリズム・エース、渡辺弘とスターダスターズ、原信夫とシャープス&フラッツ、ペギー葉山など。チエミは(ぼくの知る限り)、スターダスターズをバックに「スターダスト」、シャープをバックに「ロック・アラウンド~」を歌った。その模様は3枚のEP盤(45回転、片面6~7分収録)にわけてリリースされ、さらにその一部が30cmLPとしてもリリースされた(日本人による最初の30cmジャズLPだという)。「スターダスト」は無事そのLPに収められたが、「ロック・アラウンド~」は漏れてしまった。LPヴァージョンのほうは70年代と90年代にも復刻されているのだが、EPだけで聴けた曲目は初回プレスから55年以上も手つかずのまま、レコード会社の片隅で眠っていたのである。昭和31年当時のディレクターが今もキング社内にいるわけがないので、音源の捜索は困難をきわめたときく。しかし、さまざまな関係者の手を煩わせ、ついに19歳当時のチエミが、ライヴで歌う「ロック・アラウンド~」を皆様にお届けすることができるようになった。56年4月、日本ではまだエルヴィス・プレスリーのエの字も紹介されていなかった。そんな時期に録音されたチエミのロック&ロール! 『チエミ+ジャズ』というタイトルにはいささかふさわしくないテイクではあろうが、ボーナス・トラックとして巻末に付け加えさせていただいた。
最後に江利チエミのバイオグラフィに少々触れたい。本名・久保智惠美。1937年1月11日、東京市下谷区(現・東京都台東区下谷)に生まれた。父親はクラリネット奏者でピアニストの久保益雄、母親は女優の谷崎歳子。12歳でプロの歌手になり、当初は進駐軍キャンプを中心に活動。江利チエミという芸名は、米兵が彼女につけた愛称“エリー”を基に母親が考案したといわれている。レコード・デビューを目指してコロムビア、ビクター、ポリドール、テイチクのオーディションを受けるが、いずれも不合格。そんな彼女に注目したのがキングレコードだった。そして52年1月、「テネシー・ワルツ」でデビュー。当時としては異例ともいえる40万枚超の大ヒットを記録した。以来、チエミは82年2月13日に亡くなるまでキングにレコーディングを続ける。
53年3月下旬には初めてのアメリカ旅行に出発。ロサンゼルスやハリウッドでコンサートを開き、ルイ・アームストロングケイ・スターウディ・ハーマンハリー・ジェームスエラ・フィッツジェラルドサミー・デイヴィスJr.、ルイ・ジョーダン、テレサ・ブルーワら数々のジャズ系ミュージシャンと親交を結んだ。渡米中にはキャピトル・レコードのためにレコーディングもおこなったとも伝えられるが、僕の知る限り当時のチエミのアメリカ盤は、オハイオ州シンシナティにオフィスを持つR&B系の会社、フェデラル・レコードから発売されたSP盤「Pretty-Eyed Baby(B面:Gomenasi。“ゴメンナサイ”の誤記と思われる)」のみ。しかも盤面には“Recorded in Japan”という文字がある。“チエミがキャピトルに吹き込んだ”、“全米チャートに登場した”という説はどこから出てきたのだろう?
帰国する直前にはハワイで公演を開催。そこで「ドライ・ボーンズ」のヒットを持つ男性ヴォーカル・グループ“デルタ・リズム・ボーイズ”と合流し、5月19日から日本国内でジョイント・コンサートを開いた。同年末にはNHK紅白歌合戦に初出演。翌年1月には浅草国際劇場の「国際最大のジャズ・ショウ」にナンシー梅木、“ジョージ川口とビッグ・フォア”らと共に登場した。1955年には同い年の美空ひばり(49年デビュー)、雪村いづみ(53年デビュー)と共に映画「ジャンケン娘」に主演。彼女たちは「三人娘」と呼ばれ、当時の芸能界を席巻した。56年には単独主演映画「サザエさん」が大ヒット。続編も含めて計10作品が作られた。しかし“チエミのサザエさん”はDVD化されておらず、劇場でのリバイバル上映に頼るしかないのが現実だ(原作者・長谷川町子の意向もあるときくが・・・)。59年2月16日には俳優・高倉健と結婚(71年9月離婚)。一時期芸能活動を中断するものの、60年9月に日本劇場で行なわれたショウ「再び江利チエミ大いに歌う」で本格的に復活。翌年1月にはデルタ・リズム・ボーイズとの再共演コンサートをおこない、63年春にはジャズ界最高峰のビッグ・バンドといわれるカウント・ベイシー・オーケストラの初来日公演にも客演した。また71年の「旅立つ朝」ではロサンゼルス・レコーディングを敢行。ハル・ブレイン(ドラムス)を筆頭とするトップ・ミュージシャンたちをバックに歌った。80年に入ると元デルタ・リズム・ボーイズのカール・ジョーンズをアレンジャー、ヴォーカル・コーチに招いて、再びジャズに意欲をみせた。不世出の歌手・江利チエミの軌跡はジャズに始まり、ジャズで終わったのである。



★近況報告
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