原田和典のJAZZ徒然草 第80回

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2012.10.19

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大のジャズ・ファンで、しかも「モノノフ」。劇団「ラッパ屋」主宰者の鈴木聡さんに、たっぷり語ってもらったぜ

今回は特別インタビューをお届けしたい。演出家、脚本家、コピーライター、劇団「ラッパ屋」主宰者など多彩な顔を持つ鈴木聡さんの登場だ。2008年上演の舞台「八百屋のお告げ」、「あしたのニュース」で第41回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞、今年は「をんな善哉」で第15回鶴屋南北戯曲賞に輝いた。NHKの朝の連続テレビ小説「あすか」や「瞳」の脚本を執筆したことをご存知の方も多いだろう。
鈴木さんはまた、大のジャズ・ファンでもあるのだが、それとは別に突如、あるアイドル・グループにハマってしまった。その名は、“ももいろクローバーZ”。ももクロの愛称で知られる5人組だ。この11月8日から18日にかけて紀伊国屋ホールで行なわれるラッパ屋 第39回目公演のタイトルは、ずばり「おじクロ」。ももクロに感動したおじさん達の物語だ。僕はダンス・レッスン風景をのぞかせてもらったが、主人公たち(ずばり、僕と同世代)の動きには、まるでももクロが乗り移ったかのような気迫と凄みが感じられた。
「まさか自分がアイドルのファンになるとは思わなかった」と語る鈴木さん。だけど僕はとても嬉しい。なお取材では、鈴木さんとは30年来の盟友であるコピーライターの羽深浩史さんにもご同席いただいた。


 

--- ジャズとの出会いを教えていただけますか。

鈴木 幼稚園か小学校低学年の頃に見た「シャボン玉ホリデー」ですね。毎回、番組のエンディングでザ・ピーナッツが「スターダスト」を歌うんです。なんてきれいな曲なんだろうと思ったんですけど、子供だからタイトルもわからない。それが親が持っていた、スタンダード・ナンバーを集めた10枚組のLPに入っていたんです。それからグレン・ミラーとか、家にあるスイング・ジャズのレコードを片っ端から聴きました。
モダン・ジャズは中学に入ってからですね。国立(くにたち)の中高一緒の学校に通ったんですが、高校生の先輩がおませな道に引き込むわけ。それで初めてジャズ喫茶に連れていかれて、中学から高校にかけて吉祥寺の「ファンキー」、「ファミリー」、「メグ」、「アウトバック」、「A&F」等に通いました。多分1973年とか74年の真夏、たしか「ファミリー」のドアを開けた途端、冷房の風が吹いてくるのと同時に、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」が聴こえてきたことがあるんです。かっこいいなあと思って、そのあたりから本格的にジャズにハマリ始めましたね。あと、国立に「喇叺」というジャズ喫茶があったんですよ。「ラッパ屋」のもとになった店名なんですけどね。そこでライオネル・ハンプトンの「スターダスト」を聴きました。スラム・スチュアートのベース・ソロがすごく良かった。ベベベン、ドゥイーンってやつ。その後にビル・エヴァンススコット・ラファロの共演盤を聴いて、いわゆるインプロヴィゼーションの面白さが自分ではちょっとわかったつもりになったのかな。プレイヤーどうしが即興的におしゃべりしているように感じました。
正直言って、モダン・ジャズを最初に聴いた頃は何がなんだかわからなかったんですよ。デタラメ吹いているみたいにも思えたし、最初はトランペットとサックスの区別もつかなかった。まだ中学生でしたから。だけどジャズ喫茶に通っているうちに、聴き方を覚えたというのかな。無理して大人びて背伸びして聴いているうちに、モダン・ジャズが面白くなってきたんです。

--- その時代は、どちらかというとジャズよりもロックが盛りあがっていた頃ですよね。

鈴木 当時の“今の音楽”はプログレッシヴ・ロックでしたね。ピンク・フロイド、“エマーソン、レイク&パーマー”とか。小学生の頃はテレビで流れる歌謡曲も好きだったけど、中学に入ると興味がなくなった。テレビよりも、ラジオの深夜放送ばかり聴いてましたね。洋楽ヒット・チャート花ざかりの頃で、僕が中学に入った年にジョン・レノンの「イマジン」がヒットしました。ほかにもシカゴTレックスチェイスエルトン・ジョンが流行っていて、ポール・マッカートニーはウィングスを率いていた。そういう時代です。
一方で長谷川きよしさんのファンだったんですよ。中学校の頃からコンサートに毎回行っていて、あんな風に弾きたくてガット・ギターを始めたんです。ボサノヴァのコード進行も研究して、「これは日本でまだ誰もやってないんじゃないか」と思いながら曲を作っていました。オリジナルは200曲ぐらいありますよ。その頃はミュージシャンになりたかった。子供の頃はマンガ家にも憧れていたんですが、中学の頃にはあきらめていました。自分より全然うまいやつがいて、ぜんぜんレベルが違うから。でもボサノヴァのシンガー・ソングライターを目指している奴なんて、ほかにクラスにいないでしょ?(笑) 誰もやってないからオリジナリティで勝負だと思って。大学生のときには国立のスナックで弾き語りしてたんですよ。カラオケがまだ普及してない頃でね、酔客の歌をギターで伴奏したりもした。分厚いアンチョコがあるわけです。それに大抵の歌は載っていた。ある日「カスバの女」を歌いたいから伴奏してくれといわれた。「そんな曲、知らねーよ」ってアンチョコを探したら載っていて、そこに出ているコードを弾いてね。

--- 演劇に携わるようになったのは?

鈴木 父親がテレビドラマのディレクターだったんで、ウチに演劇の招待状がいっぱい来るんですよ、親父が行けないときには僕が行って、文学座とか俳優座とか片っ端から見てた。つか(こうへい)さんには強烈にしびれましたね。ものすごい分かりやすくて面白くて喜劇的でありながら、圧倒的なメッセージがある。紀伊国屋ホールの公演はぎっしり通路までお客さんがいて、本当に劇場が揺れるという感じだった。笑いと興奮と熱気でね。演劇でこんなことができるんだ、自分でやりたいなと強く思いましたね。高校2年の時です。ボサノヴァのオリジナルを歌っても全然ウケないし(笑)。
高校3年になって、初めて舞台を作りました。前年、「ロッキー・ホラー・ショー」が初めて日本に来て、まだ全然知名度がなくて、お客さんが半分ぐらいしか入ってなかった。それを友人たちと見に行って、みんなで感動して、「こういうのをやろう」って盛りあがって。みんな素人なのに、やることにしたんですよ。それで僕が「俺が脚本を書いて曲も作る」と言った。演奏はみんなでやって、ウチの座敷で稽古して。タイトルは「二十面相最後の犯罪」、創刊して間もない頃の「ぴあ」に情報を出した。そこに「女子高生による実験的ミュージカル」ってキャッチフレーズをつけたんです。そうしたら取材がたくさん来て、お客さんもすごい入った。初めてなのに立ち見ですよ。FM東京とか、NHKの「若い広場」に出ちゃって、「軽いじゃん」と誤解しました(笑)。
劇団「ラッパ屋」の初期、まだ「サラリーマン新劇喇叺屋」だった頃は、僕の大好きなジャズをお客さんに聴いてほしくて芝居を書いてたところがありますね。1本目のタイトルが「ジャズと拳銃」(84年)。次の「品川スウィートソウル心中」(85年)はジャズじゃなくてマーヴィン・ゲイ系だったけど、その後が「スターダスト」(86年)、「小百合さんのビルエバンス」(87年)、「星空のチャーリー・パーカー」(87年)、「ジャズと拳銃(SIDE2)」(88年)。「シャボン玉ビリー・ホリデー」(88年)もあった。でもそこまでかな、ジャズ・シリーズは。「人々は、僕が思ってるほどジャズが好きじゃないんだな」と、ようやく気がついた(一同、大爆笑)。

羽深 時代はもう小室哲哉だったよね。

鈴木
そう、バブルの頃。僕はずっと、「みんなジャズを聴かず嫌いなんだ」、「知らないだけだ」と思ってたわけ。聴かせれば絶対に好きになるはずだと信じてた。でも聴かせても、意外と好きになってくれないんだな(笑)。

羽深
僕はその頃からジャズに興味を持って、ビル・エヴァンスとか聴くようになりました。

鈴木
それは100人にひとりぐらいだよ(笑)。

--- そんな鈴木さんが、なぜももクロにハマってしまったのですか?

鈴木 僕はよくネットで、ネタ探しを兼ねて面白い話題を集めたニュースを見るんです。そこに「塚地がももクロのライヴに」という見出しがあった。ドランクドラゴンの塚地(武雅)さんがももクロを見に行った、と。それを報告をしている記事があったんですよ。写真も出てて、沢山のひとが興奮している中で、塚地さんがものすごい楽しそうな顔をしていたの。「人間ってこんなに楽しそうな顔ができるのか」というぐらい、いい表情なんだ。

羽深
最初はももクロ自体じゃなくて、ももクロを見ているファンたちの表情に惹かれた、と。

鈴木
ようするに塚地さんだよね(笑)。それでももクロが気になって、YouTubeの「ももクロに興味がなくても応援したくなる動画」を見た。確かに「なるほどな」と感じたけど、この時点ではまだそんなに心に来てなかったね。誰が誰だかよくわからなかったし、6人のときと5人のときの映像が混在していたから。青い娘(早見あかり)が一番かわいいなと思ったんですけど、「今はもういないんだ」とわかったりね。YouTubeについているコメントが、いちいち熱いんですよ。で、ライヴのDVDはどんなのがあるのか知りたくて通販サイトのページに飛んだら、そのコメントがまた熱い (笑)。「号泣しました」とか「人生が変わりました」とか「ももクロに会えて良かった」とかさ。「いま、僕はももクロによって生かされている」とか、そんなのが100個ぐらい載っているわけですよ。尋常じゃないわけ、その熱さが。「今まで一度もアイドルのファンになったことがないのに」みたいなコメントも多くてね、オタクというよりは普通のひとが戸惑いながらハマってる。とりあえずDVDを買おうと思ったんですけど、クリックするまで3日ぐらいかかった(笑)。アイドル関連のものは買ったことがないから。

--- 葛藤があったのですね。

鈴木 忌野清志郎桑田佳祐のDVDは持ってますよ。そういうのは躊躇なく買えるわけですよ。だけどアイドルは・・・。だって僕は今まで一度もアイドルのファンになったことはないんですから。Amazonの「欲しいものリスト」には、とりあえず入れました。だけど「買う」をクリックするまでは時間がかかった。あるとき、酔っ払って帰ってきてその勢いでクリックしたんだけどね(笑)。シラフだったら買わなかったかもしれない。そして荷物が届いて、見るまでにさらに3日かかった(笑)。パソコンで見たんです、夜中にね。『ももいろクリスマス in 日本青年館~脱皮:DAPPI~』の最初の切り落としで、メンバーのシルエットが写る。そして「走れ!」を「♪笑顔が止ま~らない」って歌いだして、リズムが入ってももクロの姿が見えて、客席がワーってなる。その時点で歌声がメロメロなのよ、泣いてて。「こんな大きいところに、お客さんが私たちのためだけに集まっている」って感じだろうね、メンバーがみんな、こみあげてるの。その瞬間に俺も泣いてるんだ(一同笑)。あとは『4.10中野サンプラザ大会 ももクロ春の一大事 ~眩しさの中に君がいた~』2部の「あかりんへ贈る歌」、あれは泣かざるを得ないですよね。最初いっぱいいて、だんだんだんだんメンバーが変わって、ヤマダ電機のツアーとか、バンの中で寝た話とか、あかりん(早見あかり)が脱退を言い出したとか、DVDを買う前にももクロの歴史をちゃんと押さえていましたし。
とにかくももクロはパフォーマンスへの集中力とか表現力がものすごい。ちょっと他にないなという感じがする。僕はミュージカルにも携わっているので、あのダンスをこなすのがどれだけ大変で、彼女たちがどれだけ真剣に取り組んでいるか、それがわかるんですよ。ものすごくスタッフが素晴らしいとか、楽曲に恵まれているということも含めてね。彼女たちがとんでもない努力家で、しかもあのパフォーマンスを心からの笑顔でやっているってことは本当に尊いことに思えます。「ミュージック・マガジン」のももクロ特集で出雲阿国にたとえられていたでしょ? 僕も同感です。最初にももクロを見たときに、「あっ、阿国だ」と思った。僕は木の実ナナさんが主演した「阿国 OKUNI」というミュージカルを書いています。「芸能の心」のようなものが主題の一つだったんだけど、それを思い出しました。たとえば、「行くぜっ!怪盗少女」のダンス。具体的にいうと足を蹴り上げる動きなんだけど、それは、いわゆる踊りのスタイルからはみ出した動きなんですよ。蹴り上げる動きは、とても子供みたいに見える。子供みたいに無邪気に楽しんじゃいましょう、って身体が言ってる感じ。「芸能の原点」って感じがしたんです。僕は「阿国 OKUNI」の中で、「極楽ちょっとおすそわけ 阿国と申します」っていう歌詞を書いた。芸能の心を歌詞にしたつもりでね。ももクロのパフォーマンスには、それと共通したものを感じますね。
ももクロを見ていると「部活みたいだな」とも感じますね。出世しようとか成功するためにやっているというより、自分たちが楽しいからやっているように見える。それはプロにとって実に大事なことで、お客さんに向ける気持ちと同じぐらい、自分がやりたくてやるという意志がないと、お客さんを心から楽しませることができない。それをキープするのはすごく大変なんですが、ももクロちゃんはそれのかたまりみたいな気がする。だから応援したくなっちゃうというのもあるんですよ。最年少のあーりん(佐々木彩夏)が高校を卒業した頃、ももクロはどうなってるんだろうとか心配になるんですけど、スタッフが優秀ですから、長いスタンスで活躍できるエンターテイナーになっていくんじゃないかと思います。
(原田に)どうして、ももクロのファンになったんですか?

---- ぼくは力道山のファンなんです。戦後の子供たちのヒーローであり、いっぽうで「東京アンダーワールド」の主役だった。その光と影に強く惹かれるんです。力道山の日本名の苗字は「百田」なので、見たことのない画像はないかと思って、よくネットで検索するんですよ。そしたら2010年頃から、力道山や百田光雄や百田義浩の画像に混じって、和服みたいな衣装を着たかわいい女の子の姿がよく出るようになった。「誰だ?」と思って調べたら、百田夏菜子という名前で、「ももいろクローバー」というアイドル・グループの一員であることがわかった。それで「ウラフェス」という動画を見たら、その百田さんがまた、とんでもない圧巻で。そして、その年の秋にライヴを見て、すっかりハマってしまいました。

鈴木 苗字が「百田」じゃなかったら、ももクロのファンになるのが遅かったかもしれない?

---- そうですね。でも、ももクロを知らないまま今に至るとか、まったくハマらなかった、ということはなかったような気がします。ところで「おじクロ」は、ももクロに感動したおじさんたちの物語ですが、具体的にどんな人物を想定しているんですか?

鈴木 現実で苦労している人ですね。これはアイドル好きのおじさんの話とは違う。僕と同じように、ももクロに出会うまでアイドルなんかまったく興味もなかったおじさん、非常に厳しい現実に直面している人がテーマです。

---- それにしても、なぜももクロを? 「鈴木さんがどうしてアイドルに?」と驚いている方も多いと思います。

鈴木 11月に芝居をやることは決まってたわけです。ももクロのファンになったのが6月だったかな。8月の頭にテーマを決めたんですよ。ももクロを好きになってから、僕はうっかりするとついももクロのことを考えちゃうんで、それだったらももクロにちなんだ芝居にすれば効率的だと思った(笑)。昨年は震災をテーマにした「ハズバンズ&ワイブズ」をやったんだけど、今年は、おじさんクローバーZで「おじクロ」。ももクロは、とにかく明るく元気な気持ちにしてくれるでしょう。だって「引きこもりの子が、ももクロのおかげで久しぶりに外に出ました」という報告だってあるわけですよ。それこそ芸能の力です。四の五のいわずに、とにかくお客さんを明るくする、というね。ももクロに教えられたものを、芸能に携わる者として、演劇で表現したいと思ったんです。


 

ラッパ屋 第39回公演 「おじクロ」
■場所 新宿・紀伊国屋ホール
■日程 2012年11月8日(木)~18日(日)
■脚本・演出 鈴木聡
■出演 おかやまはじめ 俵木藤汰 福本伸一 三鴨絵里子 弘中麻紀 大草理乙子 ともさと衣 ほか
■チケットに関するお問合せ サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(10:00~19:00)
■公演に関するお問合せ ラッパ屋 080-5419-2144(12:00~19:00)
ラッパ屋 オフィシャルサイト http://homepage3.nifty.com/rappaya