<連載>原田和典のJAZZ徒然草 第113回

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2020.08.12

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卓越したカメラ・ワークでジャズ・ピアニストの妙技に迫るストリーミング・ライヴ・シリーズ、「ニューヨークからのラブレター」。そのアシスタント・プロデューサーを務めるピアニストの井川弥生さんに番組のこと、そして現在のNYのジャズ状況についてメールで質問してみたぜ


ピアノ・ファン、ジャズ・ファン垂涎のストリーミング・ライヴ・コンサート・シリーズが始まっているのをご存じだろうか。題して「ニューヨークからのラブレター」。配信は日曜10時、再放送が翌週水曜19時。チケットは日本の配信サイト「muser」から販売されている。収録場所はニューヨーク・ミッドタウンにあるピアノ工房「クラヴィアハウス」内ホール、そして使用されるのはイタリアが誇るファツィオリのコンサート・グランド・ピアノだ。70年代からジャズ・プロデュース界で活動する重鎮ジム•ルースが陣頭指揮をとり、画像も音質も充実のきわみ。さまざまなところに配置されたカメラが、ピアニストの指先、表情、腕の動きをクリアに捉える。通常、ライヴでピアニストの演奏に接しても、我々の視界に入るのは奏者の右腕と右横顔だ。しかしこのプログラムは違う。「このアングルを見たかった」的な構図は、ピアノ愛好家を徹底的に喜ばせること間違いなしといえる。
ぼくがいたく感激したのは8月2日に配信されたフランク・キンブローのソロ・ピアノだ。80年代から活動し、個人的にはハービー・ニコルズ・プロジェクトでのプレイも印象深いのだが、この日は半ばギル・エヴァンス・トリビュートだったのか、「ノーバディーズ・ハート」や「スプーンフル」(もちろんハウリン・ウルフクリームでもおなじみ)などを次から次へと演奏する。ぼくの頭の中にはギルのレコードの響きがこびりついて久しいのだけれど、ピアノ一台で曲の“核”を抽出するように音楽するフランクにはつくづく惚れ惚れさせられた。9日の配信ではサイラス・チェスナットが登場。こちらではラスト、ソロモン・バークニーナ・シモンが名唱を残した「 I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」をソロ・ピアノで演奏した。また、フランクもサイラスも偶然か「ダーン・ザット・ドリーム」を演奏していた。くそっ、なんて夢だ。また君のことが夢に出てきてしまった。だけどこれは大切な夢なんだ。だって夢以外で君に会うことはできないのだから・・・的な歌詞を持つ曲のメロディを、ふたりは、それぞれのアプローチで極上のジャズに衣替えした。
この興味深いシリーズについて、同コンサートのアシスタント・プロデューサーであり、9月27日には演奏者としても登場するピアニストの井川弥生さんにメールで状況をうかがうことができた。実現に至ったきっかけ、そして我々が行きたくても行けない今のニューヨークの状況など、ざっくばらんに語って(文字打ちして)いただき、それをインタビューに編集した。なお登場人物のカタカナ表記は井川さんのそれを優先した。
 

<井川弥生>



--- 東京は梅雨が明けて酷暑がやってきましたが、新型コロナウイルスは油断できない状態です。ニューヨークはどうですか?

井川弥生 日本は梅雨が長引き、水害もあって大変だったと聞いています。ニューヨークは夏真っ盛りで、先週の台風では多くの世帯が停電になって5日経った今も復旧していない地域があります。コロナはニューヨークでは落ち着いてきていますが、学校の再開や他州の流行などを考慮するとまだまだ油断できません。4月から5月にかけて、ジャズ・コミュニティは多くのミュージシャンを亡くしました。ブロードウェイの年内公演中止が決定して、ライブハウスでのコンサート再開の目処は経っていないのですが、野外フェスやライブストリームの収録は徐々に増えてきました。先日は56年目を迎える「ジャズ・モービル」の夏のコンサートの収録で久々に多くのミュージシャンと会うことができて興奮しました。

--- もう56回目なのですか! ロイ・キャンベルが「ジャズ・モービルでリー・モーガンにトランペットの手ほどきを受けたのが忘れられない」と語っていたことを思い出します。ところで井川さんが「ニューヨークからのラブレター」に携わるようになったきっかけを教えていただけますか?

井川 これは、プロデューサーのジム・ルース(Jim Luce)が、かねてからパートナー関係にあったニューヨークのピアノ工房「クラヴィアハウス」と録音エンジニアのデューク・マルコスと一緒に日本に向けて立ち上げた企画です。演奏者と司会者として参加しないかという打診を受けて、今はアシスタント・プロデューサーとしても制作チームにも携わっています。私は「ブリッジプロジェクト」としてニューヨークと東京のミュージシャンとの共演をセットアップしたり、現在は日本とカリブ海の音楽(マーティニークやハイチ)で実験的なコラボレーションをしたりしているので、2つの文化を音楽で繋げるという構想にすぐにときめきました。

--- 第1回目に登場したのはルイス・ペルドモでした。続いてフランク・キンブロー、今後も海野雅威、注目の若手ア・ブゥなど幅広く、輝かしい方々がラインナップに加わっていますね。

井川 人選はジムが長年コンサートのプロデュースを手がけてきた中で培ってきた勘と“本物を見極める傾向”によるものだと思います。彼はジャズを多くの観客に届けることに長いキャリアを捧げてきて、ミュージシャンとも深い交友関係があります。彼が言うには、「音楽はミュージシャンとの最高の人間関係を築く中で生まれる副産物である」そうです。深い信頼関係の中でミュージシャンが自由に演奏できる。ジャズという音楽において演奏者と聴き手の共通の目的は精神を高揚させることだと。演奏者と聴き手が一体となってハッピーになれる場所、それがこのコンサート・シリーズ「ニューヨークからのラブレター」のコンセプトと言えます。

--- チャーリー・パーカー・ジャズ・フェスティバル等にも関わる大御所、ジム•ルースが携わるようになったきっかけは?

井川 よく一緒に演奏しているベーシストのミミ・ジョーンズ(ルイス・ペルドモ夫人)が、今年の5月に紹介してくれました。それ以来ほぼ毎日仕事のやり取りをする中で、直感的でジャズだけでなく全ての音楽を愛している方だと実感しました。ニューヨークのジャズ専門ラジオ局WBGOや公共ラジオ局NPRのパーソナリティーや製作を手がけてきただけあって、音楽の造形の深さは素晴らしく、私にとって勉強になることばかりです。また、生の音楽現場の醍醐味を共有できる方で、過去に毎年セロニアス・モンクの誕生日を祝い5時間かけてピアニストを集めてピアノ・マラソンをしたり、キャラモア・ジャズ・フェスティバルで様々な演奏を提供してきました。とてもアーティストに近い感覚を持っていて、多くのミュージシャンと交友があるのも納得できます。

<ニューヨークのピアノ工房「クラヴィアハウス」>


<番組収録風景>


<プロデューサーのジム・ルース>



--- 「ニューヨークからのラブレター」は、厚みのある音質、多方面から奏者を捉えるカメラアングルも特筆すべき点だと思います。

井川 録音のデューク・マルコスはミンガス・ビッグバンドのグラミー賞受賞アルバム『Live at Jazz Standard』を手がけたり、NPRの「Jazz Profile」という番組でジムと共にピーバディー賞を受賞した天才エンジニアです。聴き手はもちろん演奏者からも賞賛をいただいており、このコンサートのハッピーな経験に大いに貢献している方です。カメラ・ワークは、ガブリエル・ルースの録画をサンフランシスコ在住のマーク・フォークナーがミックスするというチームワークの賜物です。いくつものアングルを同時に見れたり、手元や表情がバッチリ見れるのは録画配信ならではですよね。

--- 使用されているファツィオリ(Fazioli)のピアノは日本のジャズファンの間では、ハービー・ハンコックが使っていることで知られています。今回のライブシリーズはすべてこの会社のピアノですか?

井川 「ニューヨークからのラブレター」では本国イタリアの了承を得て全てのコンサートでファツィオリ・ピアノを使用します。また、10人のピアニストで贈るピアノ・シリーズの他にも、8月30日にはチャーリー・パーカーの生誕100年を記念してジョー・ロバーノのデュオ配信(9月2日再放送)、10月にはセロニアス・モンク誕生日祭、12月にはデイブ・ブルーベック生誕100年祭とベートーヴェンの生誕250年祭と、ジャンルを超えてニューヨークの最新のピアノ会場より発信していく予定です。クラヴィア・ホールのあるピアノ工房クラヴィアハウスにはショパンに所縁のある美しいピアノがあり、そのピアノに関する造詣と演奏家へのホスピタリティーからニューヨークに旅するピアニスト達の駆け込み寺のような役割も果たしてきました。

--- また今回の企画には、かつてニューヨークにあったピアノ・ジャズの聖地「ブラッドリーズ」や、日本で行なわれていたコンサート・シリーズ「100ゴールドフィンガーズ」からの影響もあるとうかがいましたが。

井川 ニューヨークに旅行で初めて来た1995年に「ブラッドリーズ」に行ったことがあるのですが、改装中だったのか閉店した後だったのか、お店にはたどり着いたものの中は閑散としていて残念だったのを覚えています。ジムは「ブラッドリーズ」でジョン・ヒックスバリー・ハリスケニー・バロンカーク・ライトジーシーダー・ウォルトンラリー・ウィリストミー・フラナガンビル・エヴァンスハンク・ジョーンズモンティ・アレクサンダーなどを聴いたそうです。また演奏しなくても多くのジャズ・ピアニストが他の演奏者をチェックアウトしに来たそうで、当時のエネルギーを想像しただけでワクワクします。「ブラッドリーズ」に限らなくても、ニューヨークで演奏していると、時々素晴らしいミュージシャンがひょっこり遊びに来たりして、びっくりします。近年は「スモールズ」のオーナーであるスパイク・ウィルナーがブラッドリーズをモデルにした姉妹店「メッツロウ」を盛り上げていました。「100ゴールドフィンガーズ」に関しては、97年の第5回だと思いますが、大学時代にジャズ・ピアノを習っていた頃、その先生のお手計らいで演奏を聴かせていただきました。当時手探りでジャズを始めたばかりの私にとっては夢のような経験で、素晴らしいコンサートに感謝しています。終演後楽屋を訪ねてケニー・バロンに話しかけ、ジュニア・マンスには「ニューヨークに来たら僕を訪ねなさい」と連絡先までいただきました。その頃から心はすっかりニューヨークでした。その後99年にニュー・スクールに入学して、ジュニアが教えているブルースのクラスを何回も取りました。

--- 井川さんがジャズに魅せられたきっかけは?

井川 ピアノ教師だった祖父の影響で3歳から12歳くらいまでクラシック・ピアノを習っていたのですが、初めてジャズを聴いたのは15歳の時に短期留学でオレゴン州のポートランドにいた時です。ホームステイ先のお父さんがジャズ・ドラマーでビル・エヴァンスの『Waltz for Debby』と『Sunday at Village Vanguard』のカセット・テープ(!)をくれたのがきっかけです。ホームステイ先の家ではお父さんと息子がパーカッション、私がピアノで即興のセッションをよくして、当時英語を話せなかった私は、音楽でよりコミュニケーションが取れることがとにかく楽しかったのを覚えています。日本の大学ではジャズ・ビッグ・バンドのサークルで先輩や講師の先生にジャズのことを教えてもらい、よく一緒に音楽を聴かせてもらったのがとても為になりました卒業のタイミングで恩師の計らいでニューヨークに1ヶ月滞在する機会があり、その時にジャム・セッションにたくさん参加してニュー・スクール大学の学生と友達になって学校に出入りするようになったのが渡米のきっかけです。

--- ニュー・スクール時代のことについて、教えていただけますか。

井川 大恩師はベースのレジー・ワークマンです。音楽に対する姿勢、詩や劇など他の芸術媒体と音楽を融合させることなど、学んだことは無限です。ピアノはリッチー・バイラークのクラスの後、リーアン・リジャーウッドに主にハーモニーについて何年も学びました。

--- マリアン・マクパートランドのお弟子さんで、フルート奏者ジェレミー・スタイグと親しかった方ですね。井川さんはさらに、ジェリ・アレンにも学ばれたとうかがっていますが。

井川 そうです。大ファンだったジェリ・アレンに何ヶ月か学ぶことができて光栄でした。彼女の生き方、音楽への魂の入れ方は今でも感化されます。その他にもビリー・ハートバスター・ウィリアムスに習う機会があるなど、現役で活躍しているミュージシャンの背中を見てNYのジャズ・コミュニティに育ててもらったことは財産ですし、何かの形でいつか恩返ししたいことです。

--- ほかにはどんなレジェンドと交流がありますか?

井川 ハワード・ジョンソンの書くアレンジが大好きで、彼のチューバ・アンサンブル「Gravity」とバリトン・サキソフォン・アンサンブル「Bear Tones」と演奏させていただく機会があって、以来交友関係が続いています。ジャズの生き字引のようなミュージシャンでもあり、去年は彼の功績を祝ってニューヨーク内外のミュージシャンが集まってコンサートをしました。ドラムのマイケル・カーヴィンは唯一無二のスタイルを持つ偉大なドラマーで、彼のカルテットでの録音『Flash Forward』、そしてトリオで演奏した数年は財産です。彼のドキュメンタリー映画『No Excuse』はおすすめです。菊地雅章さんの特別で精神的な演奏、音楽に対するストイックさを垣間見ることができたことはずっと心に留め学び続けていきたいです。

--- 菊地さんとはどのようにして出会ったのですか? 彼との会話の中で印象に残っていることはありますか?

井川 初めてお会いしたのはポール・モチアンのヴィレッジ・ヴァンガード公演を聴きに行った時です。それから何度かお話しする中で、家の整理に手助けが必要とのことでお手伝いにうかがった時期があります。強靭な精神力の方で、「いろいろあっても、それを乗り越えてもっと音楽をやる」とおっしゃっていたのが印象に残っています。私のピアノを聴いていただいたり、リゲティやクルシェネクのクラシックをたくさん聴かせてもらいました。あまり多くのコメントはいただきませんでしたが、その時間がかけがえないもので感謝しています。

--- 井川さんのお名前が日本に伝わってきたのは、前述のマイケル・カーヴィン『Flash Forward』や、Tyshawn Soreyを加えたアルバム『Color of Dreams』だったと思います。「ハクをつけるためにいる」というのとは全く違う、骨の髄までニューヨークのジャズ・シーンに入り込む覚悟を決めて、真剣にジャズと格闘しているピアニストという印象を受けたものです。ぼくはTyshawnが大好きなので、それも格別な嬉しさでした。

井川 天才タイショーン・ソーリィーは学生時代からの友人で、昔は夏休みに何時間も練習してもらったり、ニューヨークのバーで毎週演奏したりしました。私の初めての日本ツアーにも一緒に来てもらいました。これからもっともっと活躍していくであろう大好きな友人です。

<マイケル・カーヴィン『Flash Forward』>


<井川弥生『Color of Dreams』>



--- 彼はドラムだけではなく、ピアノ、トロンボーンにも熟達していて、作曲の才能にも富んでいて、しかもその作曲が特定のジャンルに収まらない感じで、個人的には未知のモンスターに出会った感じをあの才能から受けています。『Color of Dreams』でのプレイは、ドラム・キット全体が踊っているようです。

井川 未知のモンスター、その通りですね! 2017年にMacArther Fellowshipを受賞したことからも明白な通り、世界が彼に注目していて嬉しく思いますし、期待しています。『Color of Dreams』は随分前ですが、初めて会って私の曲を演奏してもらった時に楽譜を持ち帰って次の時にはピアノで完璧に楽譜なしで弾いていました。彼のプロジェクトで演奏させてもらったこともあるのですが、音と空間の絶妙なバランスに感嘆しました。

--- 新型コロナウイルスによって、ニューヨークのジャズ界は大きく変わったのではないかと思います。ストリーミング重視は世界的な傾向だと思いますが、なにか新しい動きはありますか?

井川 ニューヨークならではの強みは、ここが世界各地そして様々な文化から素晴らしいミュージシャンを集めてきたマグネットであるということ。今は地元に疎開中のミュージシャンも多いのですが、インターネットを使って世界各地を繋げていけたらと夢見ています。今アメリカ各地ではコロナ危機に加え、黒人の尊厳と権利向上運動、警察の行き過ぎた権限、性や移民などに起因する社会的不平等など従来からあった問題に焦点が当たっています。それらをニューヨークにいて肌で感じながら私たちなりの答えを音楽にどう反映していくかは、時々仲間内で話題にのぼります。

<マイケル・カーヴィン・トリオ(左からジャンセン・シンコ、井川弥生、マイケル・カーヴィン)>



「ニューヨークからのラブレター」、今後の出演者は次の通り(日曜午前10時から配信、再配信は翌週水曜19時から)
8/16 (日) エドセル・ゴメス
8/23 (日) 海野雅威
8/30 (日) 特別エディション!チャーリー・パーカー生誕 100 周年コンサート 〜 ジョー•ロヴァーノ デュオ(ピアノはレオ・ジェノベーゼ)
9/6 (日) ア・ブゥ
9/13 (日) アルトゥーロ・オファリル
9/20 (日) ジョージ・ケーブルス
9/27 (日) 井川弥生
配信チケットは日本の配信サイト「muser」から1コンサート2500円(+Tax)で販売されている。彼らの鍵盤さばきを素晴らしい画像で目に焼き付け、そしてディスクユニオンに行き(行けない場合は通販も)、盤をバリバリ買って、この酷暑を乗り切ろうではないか!