<連載>原田和典のJAZZ徒然草 124回

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2023.04.25

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「誰の為に作っているかというと、もう自分の為なわけです。まず一番に僕が欲しい」 ビクター・トレジャー・アーカイヴスを通じて中村八大、平岡精二、鈴木庸一の足跡に新たな光を当てるアンソロジストの濱田高志さんに思いの丈を語ってもらったぜ


「これはすごい! すごすぎる!」
ラインナップを見て全身が血走った。4月26日に登場するビクター・トレジャー・アーカイヴスの第2弾は、『中村八大ビクター・イヤーズ』、『平岡精二ビクター・イヤーズ』、『鈴木庸一ビクター・イヤーズ』の3作品(各2枚組)。中村八大は「上を向いて歩こう」の作曲者ということもあって、ある意味常に語られ続けている存在だが、それにしても平岡精二鈴木庸一の選集が出るとは、このご時世になんと痛快なことだろう。加えて初CD化楽曲の率も高く、その内訳は中村26曲、平岡32曲、鈴木13曲というとんでもなさ。戦後昭和の日本のジャズを愛するファンにも訴えるところが多々含まれる内容であることから、ぜひ当コーナーでご紹介すべく、シリーズの監修を務めたアンソロジストの濱田高志さんにお話をうかがった。途中、アーカイヴァーの鈴木啓之さん、音楽ライター・編集者の馬飼野元宏さんもゲスト参加してくれたので、最後までごゆっくりお読みいただけると幸いだ。
とにかくこのビクター・トレジャー・アーカイヴス3作品は、「見つけた時に買い」の最たるもの。当ホームページの該当箇所をクリックして、より充実した通販ライフをお送りいただきたい。


<中村八大ビクター・イヤーズ>


<平岡精二ビクター・イヤーズ>


<鈴木庸一ビクター・イヤーズ>



---- 濱田さんがアルバムの企画・監修・プロデュースに関わるようになったきっかけを教えていただけますか?


濱田高志 現在、作曲家として活躍中のゲイリー芦屋がライターだったころ、彼と僕、そしてトニー・吉田こと吉田明裕の三人で土龍団(もくらだん)を名乗って復刻企画に携わっていたことがあるんですが、それ以前、90年代の初めから3人でテープ交換をしていたんです。知り合ったのは、GS研究家の故・黒沢進さんが「君らは同じようなものが好きだろうから」と僕らを引き合わせてくれたのが縁で。でも、好きなものというよりも、むしろ嫌いなものが共通していました。「あれ、嫌い」「俺も嫌い」みたいな感じで。逆に好きなものに関しては、それぞれ得意分野があって、僕はどちらかというとサントラやイージーリスニング、ヴォーカルものが好きで、ゲイリーはソフトロック、吉田は歌う女優やいわゆるお色気もの、何より歌謡曲全般に詳しかった。
3人にとっては歌手や演奏者の名前よりも作詞家や作曲家、アレンジャー、それにディレクターやプロデューサーなど裏方の存在が重要で、「中村八大のあの曲、いいよね」とか「山屋清のアレンジは素晴らしいよね」みたいな話ばかりしていました。いわゆるベスト盤というと、普通はヒット曲しか入らない。でも、ヒットしてない曲の中にこそ僕らの好きな曲があって、90年代半ばに、シングルのB面やアルバムの中の一曲を集めたコンピレーションを作れないかと動き出したんです。僕らは大阪万博(1970年)に憧れを抱いていたので、「エキスポ・ジェネレーション」とタイトルをつけて企画書を作り、黒沢さんに同席してもらって、企画を東芝EMIに持っていきました。そうしたらディレクターが気に入ってくれて、「一社じゃなくて、各社でやってみたら?」といわれて、結局、東芝、キング、ポリドール、アルファ、日本コロムビアで計5枚出すことになりました。
90年代当時、僕らはレトロフューチャーみたいなものに憧れていたけど、年上のディレクターたちにとっては「エキスポ・ジェネレーション」というタイトルがピンとこなかったようです。「古臭い、もう少しなんとかならないか」みたいな話になったんですが、そのときのタイトル候補に、捨て案として「ドライブ・イン・ソフトロック」というのを忍ばせていたんですね。これだけは絶対にないという前提で。すると、それを見つけたディレクターが「これのほうがいい。順番を逆にして、ソフトロック・ドライヴィンでいいんじゃない?」と言われて、なんかとんでもないタイトルになっちゃったなと絶望的な気持ちになったのを覚えています。


---- ソフトロック・ドライヴィンの第1弾は1996年に発売されました。車のジャケットが印象的で、ユキとヒデの「恋のスノー・ドルフィン」や、太田幸雄とハミング・バーズの「ヴィラ88」、伊東ゆかりの「グリーン・ジンジャー・フライング」などを聴いて、こんなにかっこいい曲があったのかと大感激したものです。2006年発売の『ソフトロック・ドライヴィン ビクター編 ~空と海とわたし』に入っていたオリーブの「カム・オン…!」にも魅了されました。


濱田 土龍団はこのシリーズを出したら解散のつもりだったんですよ。もとから半ば趣味で企画したものだし、そんなに売れるとも思わなかったので。ただ収録曲がいいものであることはもちろん分かっていて。僕らが好きな曲を集めると、村井邦彦さんや中村八大さんの曲がたくさんあって、山屋清さん、三保敬太郎さん、渋谷毅さん、平岡精二さんも含めて、いわゆるジャズメンが関わった曲が多かったんですね。ただ、このシリーズを出したことで、その後、ひょんなことから八大さんのご子息の中村力丸さんと知り合ったり、当時SFC音楽出版(現ウルトラ・ヴァイヴ)の高護さんに後見人という感じで付き添っていただいて、中村八大さん、いずみたくさんのボックスの企画を東芝に提案することになったり……。


---- 『中村八大作品集~上を向いて歩こう』と『いずみたく作品集』ですね。2作品を同時に買うと、8センチCDがもらえました。


濱田 八大さんのほうは4枚組で、発売は1999年の9月9日、値段は9999円だったかな。八大さんは4枚組だったけど、いずみさんは事情があって2枚組になりました。その時から僕は、いずれもう少しまとまったいずみたく作品集をボックス・セットで作りたいなと思っていて、それを実現したのが、昨年ビクターから出た『いずみたくソングブック -見上げてごらん夜の星を-』です。それに八大さんの作品も、当然ながらあの4枚組では収まらないほど良い曲がいっぱいある。今回の『中村八大ビクター・イヤーズ』は、基本的にはビクターの音源だけでまとめました。2000年代の初めごろ、「ラブ・サウンズ・スタイル」という日本のイージーリスニングのコンピレーション・シリーズを数社で作ったんですが、そのときも平岡精二さんの演奏を選曲したり、“エース7”(中村八大を中心とするレコーディング用のバンド)の企画盤を出したときも、彼の演奏や八大さんのオリジナル曲を全部入れてみたり、自分なりに裏テーマを設定していました。その時点で、中村八大さんと平岡精二さんに関しては、いずれ改めて企画盤を編みたいという構想があったんです。


---- 四半世紀もの歳月をかけた企画だったわけですね。ビクター・トレジャー・アーカイヴスには、「TV AGEシリーズ」のロゴも入っていますが、この「TV AGEシリーズ」についても教えていただけますか。


濱田 ビクターのディレクター、川口法博さんと仕事したときに、意気投合して「また何か一緒にやりましょうよ」という話をしたんですよ。二人ともコマーシャルが好きだし、ほかにドラマの主題歌なんかも好きだってことで。で何か新しいシリーズができないかということで始めたのがTV AGEシリーズです。第一弾は山下毅雄さんの追悼盤で『ヤマタケ・フォーエバー』(2006年)。そのあと発売した『のこいのこ大全』は4万枚ほど売れたようです。こうした企画盤としては異例のヒットだと思います。


---- 今まで500枚以上のコンピレーションを作ってきた濱田さんですが、今回、新たに3作品がビクター・トレジャー・アーカイヴスとして登場します。


濱田 昨年、いずみたくボックスの余勢を駆って出したビクター・トレジャー・アーカイヴスが『いずみたくビクター・イヤーズ』、『山上路夫ビクター・イヤーズ』、『山下毅雄ビクター・イヤーズ』の2枚組3セット。それで終わりじゃもったいないのでシリーズにしたいなと思って、今回、中村八大、平岡精二、鈴木庸一の三氏の作品集を出すことになったんです。八大さんと平岡さんは1931年生まれで、鈴木さんが30年生まれ。同世代でいずれもジャズ畑出身の作曲家なんですね。いずれも巧みなアレンジで、音の輪郭がしっかりしています。鈴木庸一さんに関しては、昨年亡くなった吉田(明裕)が好きだったんですよ。彼とは90年代終わりから「いずれ、平岡精二と鈴木庸一の作品集を作りたいね」と言い続けていたんです。鈴木さんの楽曲にはお色気歌謡も複数あって、それだけにキワモノっぽく取り上げられることもありますが、そこだけを特化させずに、キャリアを俯瞰できる作品集を作りたいと話していました。もともとは“スマイリー小原とスカイライナーズ”のピアニストで、後年はビクターの作曲講座で講師もされています。吉田は自分で選曲した鈴木さんのカセットテープを作っていましたし、存命なら彼がやるべき仕事でした。ただ、今回は彼のかわりに吉田と仲良くしていた鈴木啓之さんに選曲と解説をお願いしました。


---- ここで一作ごとにポイントをうかがえたらと思います。まず、『中村八大ビクター・イヤーズ』から。ジャズファンには、「ブロークン・ハーテッド・ピジョン」がことさら印象深いです。八大さんがピアノを弾いた“渡邊晋とシックス・ジョーズ”は、「もしジョージ・シアリング・クインテットにスタン・ゲッツが参加したら」的な芸風があって、この曲もゲッツの名演「ディア・オールド・ストックホルム」の雰囲気を本当に巧みにすくいあげているんです。そして目玉は、全曲としては今回が初復刻となる・・・


濱田 第17回芸術祭参加作品の企画盤『遠い日の歌』ですね。これが中核にあります。この作品は八大さんの何周忌かの時、中村家が私家版で復刻したんですが、商品としては今回が初CD化です。ご子息の力丸さんに相談したところ、これについては、詩を手掛けた谷内六郎さんが書いた企画書というか、構成案が八大さんのご自宅に残されているということで、現物を拝見しました。スケッチブックを束ねたような分厚さで、横須賀美術館に一日だけ展示されたことがあるそうですが、それ以外、公開されたことがない。谷内さんの直筆で、それ自体が作品といってもいい。これを見ると、どういう経緯で『遠い日の歌』というアルバムが作られたかがわかるんです。「六・八コンビ」というと普通は永六輔さんと八大さんだけど、これは谷内六郎さんと八大さんによるもう一つの「六・八コンビ」。すべて谷内さんの詩が先にあって、それを一言一句変えずに、八大さんがメロディをつけた。しかも歌っているのが、フランク永井中尾ミエなど、いわゆるビクターを代表する人たちです。


---- 先の4枚組にも収録されていたトリオ・クレールの「吸入列車」に、また出会うことができたのも感激です。アルコールランプが登場する歌詞も面白いし、シンコペーションの利いたリズムも気持ちいい。『平岡精二ビクター・イヤーズ』に関しては、いかがですか?


濱田 平岡精二さんに関しては、90年代半ばに『或る窓』という(全曲平岡作品を歌った)松尾和子のアルバムを手に入れて、それを繰り返し聴いていたんですね。僕はこのアルバムが本当に大好きで。これを聴くまでは、松尾和子に対してムード歌謡のシンガー、あるいは演歌歌手のイメージしかなかったんですが、ヴォーカリストとして素晴らしいんです。手に入れてすぐにコピーして、土龍団3人で共有したことを思い出しました。『或る窓』は1976年のリリースなんですが、平岡精二さんは、それまでの数年間しばらく表立った活動がなかったそうなんですよ。ですから、このアルバムが復活の狼煙になったんです。


---- ディスク2ではウィントン・ケリーの「ケリー・ブルー」や、クリフォード・ブラウンの「ジョイ・スプリング」も演奏していて、すごく貴重だなと思いました。「あいつ」に、スタンダード・ナンバーの「スプリング・イズ・ヒア」のメロディを盛り込んでいるところも洒落ています。濱田さんが平岡さんの世界にのめりこんだきっかけはなんですか?


濱田 90年代の終わりか2000年代はじめ、安田謙一さんから『平岡精二より愛をこめて』というアルバムを聴かせてもらったのが決定的でした。平岡さんの晩年のオリジナル・アルバムです。もちろん、それまでも平岡さんの感性にすごく惹かれてレコードを集めていましたけど、あのアルバムを耳にして、改めてぐっと心を掴まれた感じでしたね。
それまでも、平岡さんと関わりのあったディレクターやエンジニア、タレントさんや歌手の方々に会うたびに平岡さんのことを尋ねて、発表するあてもなく、いろいろ調べていたんですが、その蓄積が今回のライナーノーツに反映されています。でも正直、この『平岡精二ビクター・イヤーズ』を誰の為に作っているかというと、もう自分の為なわけですよ。平岡精二作品に関しては、誰かの為よりもまず一番、僕が欲しかった。平岡さんの作品は、ご本人の自作自演集はあるものの、これまで作品集という形でまとまってませんしね。。もっとも、今回は「ビクター縛り」がありますけど。ただ、当時、フィリップスの作品は日本ビクターが配給していたので、フィリップスから発売されていた“平岡精二とブルー・シャンデリア”のアルバム『ナイトクラブの片隅で』から、平岡さんの自作曲を全部入れています。ちなみに「謎の女B」はアルバム・ヴァージョンではなく、馬飼野俊一さんがアレンジしたシングル・ヴァージョンを入れました。こっちのほうが洒落た仕上がりでいいんですよ。映画『華やかな女豹』(69年公開)で浅丘ルリ子がジュークボックスでかけたのは、実はこのヴァージョンです。過去に『GO! CINEMANIA(5)』(2000年)という企画盤CDに収録されたことはありますが、それは映画用のモノラル・ヴァージョンなので、ステレオ・ヴァージョンの復刻は今回が初CD化です。


---- 平岡精二編は、とくにライナーノーツの文字が多くて、知らない事柄がたくさん出てきて、とても勉強になりました。


濱田 ブックレットには当然収録曲の歌詞を載せていますが、平岡盤は2枚のうち1枚がほぼインストゥルメンタル曲なので、その分紙面に余裕があって、結果的にほかの盤より解説の字数が多くなっています。でも、最初に入稿したときは、(完成品のライナーに)掲載されている半分ぐらいの分量だったんですよ。ところが入稿した後に部屋を整理していたら土龍団時代に国立国会図書館に通って調べたことや関係者から聞いた話のメモをまとめたノートが出てきたので追記しました。映画『女体桟橋』(58年公開)の中で「あいつ(彼奴)」が主題歌としてクレジットされているのに実際の劇中には登場しないこととか、そのあたりの逸話も全部ノートに書いてあって。本編で使われたのは「思い出」だけで、しかも、岩谷時子さんの作詞なのに、映画のオープニングには岩谷晴子とクレジットされていることとか。


---- 旗照夫さんと平岡さんの交流について触れた箇所は、特に必読でしょう。続いては『鈴木庸一ビクター・イヤーズ』ですが、先にジャズファン向けのポイントをご紹介しますと、日本のレスター・ヤングと呼ばれた尾田悟の演奏を「伊勢佐木町ブルース」で聴くことができます。『鈴木庸一ビクター・イヤーズ』の選曲と解説は鈴木啓之さんがご担当です。


鈴木啓之 普通は「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)か「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈)ぐらいしか知られてないですし、いわゆる歌謡曲の作家といっても、すぐに名前が出てくる方ではないと思うんですけど、ビクターさんの企画であれば絶対に欠かせない人だと思います。以前、ムード歌謡のコンピレーションを作ったときにも鈴木庸一さんの曲を入れましたが、それはかなりマニアックなものばっかりで、いつかはちゃんと作家としての単独作品をできたらと思っていましたから、非常に良い機会をいただきました。初CD化の曲もビクターさんにマスターが残っていて、そこからデジタルリマスターしました。


---- 60~70年前のマスターテープが、いい状態で保管されているのは僥倖に近いですね。


濱田 平岡精二さんのものだと、中尾ミエ「キッスしたいの」「星を上げましょう」はもともとソノシート(ビクターミュージックブック)で発売されたものですが、そのマスターテープも存在したんです。


---- それが驚きです。50~60年代のビクターの音作りは洗練されていて、しかもステレオでも泣き別れ感がなくて、とても自然に聞こえます。そのあたり、馬飼野さんはどうお考えですか?


馬飼野元宏 親会社がオーディオメーカーという日本独特の事情があって、そのオーディオでいい音で再生されるような音作りにしていたというのはあると思います。しかも、同じ老舗メーカーでも日本コロムビアと比べると、50年代、60年代のビクターは、よりラウンジミュージックが得意だったようにも思えます。つまり、赤坂とかのナイトクラブでチークダンスする時にかけるような曲。松尾和子とか和田弘とマヒナスターズとかもそうでしょう、男の人がホステスさんを口説くような情景は、この時代、都会にしか存在しないもので、田舎にはない。ビクターの音楽は都会的なんですよ。寺岡真三さんのように、専属の編曲家が、洒落て洗練されたアレンジを施していたことも大きいでしょう。それに、ビクターは、戦前の「東京音頭」(1933年)の昔から、ダンスミュージックを出し続けてきたという歴史がある。50、60年代に都会派のラウンジミュージックを手がけるのもその一環ではなかったでしょうか。


---- ビクターのダンスミュージックという流れで、そこから一連のピンク・レディーものや、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」に引っ張ってゆくこともできますね。


馬飼野 60年代頃のビクターは、ひとりのディレクターがひとりの歌手を担当するシステムではなかったそうですね。橋幸夫とか売れている人の楽曲は、一曲ごとにディレクターのコンペティションで決めていた、と聞いたことがあります。


---- 橋幸夫の楽曲もすさまじく幅広いですからね・・・・。それにしてもこんなご時世の中で、ビクター・トレジャー・アーカイヴスは、内容・パッケージ・解説のすべて、「もの」としてのスペックがむちゃくちゃ高いと思います。物欲のある人には必ず訴えるラインナップだと思いますし、大好きな人は何が何でも手に入れるはずです。


濱田 この3年くらいの間に動いておかないと、もう(昭和のアナログ音源は)デジタルにならないような気がするんです。デジタルにならないとサブスクに上がってこないですから。僕もサブスクを使いますし、「スポティファイ便利だな」みたいな感じにもなっていますけど。ディスクとしてのリリースに関しては、僕らの気力、体力にも限りがあるし、本当の意味での新発見というよりは、むしろ今までやってきたことを総ざらい、あるいは落ち穂拾いしてる感じです。売れないと次が出せないという気持ちもあるし、買い手の年齢がどんどん高くなっているし、ここで踏ん張らないという気持ちもあって、最後の悪あがきですけど、出せるだけ出したいなと思って取り組んでいます。ただ、もう本当に先が見えて来たなという気がしてますよ。