11/27発売!★特典付★“死神”から“死神紫郎”へ改名後、初となるフルアルバム発売!独占インタビュー!

  • 日本のロック
  • ニュース(インディーズ)
  • 2019.10.30

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    “死神”から“死神紫郎”へ改名後、初となるフルアルバム。間で突き刺す日本式フォーク、やっと4枚目。

    この作品を10人に聞かせたところ、
    10人中10人が慌てて携帯電話、スマートフォンを手探りしました。

    マスタリングを担当した中村宗一郎氏(ピースミュージック)も同じ反応を示し、
    ある業界関係者からは「もう1回聞きたいとは思わない」と言われました。

    放送禁止曲も収録したので、
    もはやラジオ、テレビで放送されることもないでしょう。

    「みんなみんなしんじゃった いつかみんなしんじゃった」

    私の音楽は執拗です。このCDには、宿ってしまっているようです。
    なにかが起きたらごめんなさい。それでもあなたは聞きますか?
     
    死神紫郎「牛は屠殺を免れない」MV

     

    特典詳細情報

    ★ディスクユニオンオリジナル特典”未発表音源CDR”
    (スタジオ録音:2曲入り)
    ※特典がなくなり次第終了いたします。

    ________________________________________________________________________

    フォーク界の特異点“死神紫郎”とは一体何者なのか?
    ハードコア、メタル、ヴィジュアル系、そして社会的タブー…異色のルーツに迫るパーソナル・インタビュー
    (聞き手:清家 咲乃(BURRN!))

     

    この度4thアルバム「さよなら平成」をリリースする死神紫郎。その収録楽曲から先行公開された“牛は屠殺を免れない”のMVに衝撃が走った。
    その不気味さ、不穏さ…しかし露悪的ではなく儚さをも感じさせるそれは、禁忌に触れかねない“屠殺”というワードをでかでかと看板に掲げ、我々を揺さぶる。
    どのようにしてフォーク・シンガー“死神紫郎”は形作られたのか。どこから来て、どこへゆくのか。その足跡を捉えるべく、本人にインタビューを試みた。

     

    ――まずは、差し支えなければ死神さんのルーツについて伺っていきたいのですが。
    「間々田と死神2019~ごじゃっぺ同士」というライブを開催されていますが、「ごじゃっぺ」というのは茨城県の方言ですよね?
    茨城のご出身という事で間違いないのでしょうか。

    死神紫郎(以下死神):栃木県の出身です。私の主催ではないので正確ではないですが、北関東同士ということでこのタイトルになったのでは?と思っています。「ごじゃっぺ」よりも「おっかない」の方が馴染みがあります。
    ――なるほど。栃木県のご出身だったんですね。 音楽活動に目覚めたのは学生時代でしたか?

    死神: 音楽活動に目覚めたのは、中1くらいです。X JAPAN、LUNA SEAに憧れてエレキギターをはじめました。
    コピーよりもオリジナル曲作りが好きでした。当時、コピーは人の真似ごとなので抵抗がありました。自分もX JAPAN、LUNA SEAのように「自分の曲」を作るべき、という気持ちが強かったです。今思えば間違いなんですけど。

    ――そうだったんですね。XやLUNA SEAが初期衝動という方は多いですよね。どのようにそれらのバンドに出会われましたか?
     また、ギターを選んだ理由は何だったのでしょうか?

    死神:X JAPANは小6のときに、早熟な同級生から押し貸しされて『DAHLIA』のシングルを借りたのがきっかけです。最初の頃は、イントロからいきなり「ドンジャガジャガビーン、バタコンバタコン」でうるさいし、音はジンジンするしで聞けたものじゃなかったですね。ですが、不思議とサビのメロディがキレイだったので他のパートを飛ばしてそこばかり聞いてました。そのうち「ドンジャガジャガビーン」の部分も「あ、これがロックなのか!」と得心がいって、以降は恰好良いものとして自然と聞くようになりました。
    LUNA SEAは『DESIRE』をポップジャムかMステを見てハマりました。ボーカルだけ普通の髪型なのが物足りなかったですが、1曲にサビが2つ3つあるんじゃなのかってくらいメロディが良かったので、熱心にビデオ録画したりしていました。もちろん、X JAPANもですが。
    ギターを選んだ理由は、小6のときに同級生が学校にフォークギターを持ってきて、CだのGだの言って爪弾いているのを見て大人みたいで恰好良いなと思って。帰宅して親に聞いたらウチにもクラシックギターならあるというので、じゃあギターを弾こうと。そのほぼ同時期に、X JAPANとLUNA SEAを知ったのですぐにエレキギターが欲しくなって、中学校の入学祝いにエレキギターを買ってもらいました。一家全員、なにかしら楽器をやっている家だったので、音楽や楽器に関しては甘いというか、わりとすんなり買ってもらえました。

    ――なるほど。最初はメロディに惹かれたんですね。
    ギターを選んだ時、やはりHIDEやSUGIZOへの憧れはありましたか?
    また、音楽家族だったということは小さなころから家庭内で耳にしていた音楽などもあったのではないでしょうか?

    死神:メロディですね、当時は具体的に何を歌っているかはあまり関係ありませんでした。歌詞をイメージ記号みたいなものだと思って聞いていたので。
    エレキギターを買ってもらって以降は、HIDE、SUGIZOこの二人に憧れました。サウンドやルックスよりも、そのオリジナリティに憧れました。「ああなるためには、ああなってはいけない」などと一丁前に考えていました。
    家の中では父親がよくクラシックを聴いてました。アマチュアオケでずっとヴァイオリンを弾いている人なので。あとは、兄が練習しているピアノの練習曲とか、そういうのが生活に流れていました。

    ――リフなどだけでなく、歌詞も気にされていなかったんですね。今ではご自身の曲において歌詞は貴重なものですか?
    「曲をコピーするのに抵抗があった」とおっしゃったように、オリジナリティをとにかく強く意識されていたんですね。ということは、髪を染めたり、V系らしい格好に走ることもなかったのでしょうか。

    死神:歌詞、貴重なものですね。音楽に含まれているものはすべて大事な要素なので。
    歌詞をイメージ記号みたいに捉えていたというと「歌詞を全然読んでなかったのか?」と言われそうなんですが、例えばLUNA SEAの「MOON」という曲は「月の幻想的な世界」という大きなアウトラインで書かれた歌詞で、歌詞全体で「MOON」という大きな記号になっていると思ったんです。
    「MOON」という箱の中に、「月の幻想的な世界」にまつわるイメージ原語をぶち込んだみたいなものです。
    1行1行で追っていくと、なんだか意味が通らない変な歌詞なんですが、あの歌詞全体を記号として捉えたとき初めて“分かる”みたいな。記号の中には言語化しきれない情報がたくさん入っているので、歌詞を“塊で感じる”という感覚です。気にしていないのではなく、“感じて”いました。
    死神として活動を始めて以降はわりと、V系が得意としてきた「大きなアウトラインで書かれた記号のような歌詞」を書くスタイルを中心でやってきたのですが、
    ここ近年は1行1行、読んで分かるようなスタイルに変化してきました。
    それはシンガーソングライターのYAOAY(a.k.a.笹口騒音)さんなんかの影響が強いです。
    笹口騒音さんが「なに歌っているか分からないシンガーが多い」的なことをTwitterで発信していて、確かにそうだなと。自分も1行1行で表現できるスタイルを身につけたいなと思いました。
    自分はどちらの書き方も正解だと思っています。
    当時からオリジナリティは強く意識していました。そうでなければオリジナルをやる意味がないとすら思っていました。
    X JAPANにもLUNA SEAにもできないことは?と考えて、「中学校のムカつく先生」のことを歌にしたりしていました。先生の悪口シリーズは、作り始めてみるとムカつく先生が思いのほか少なく、あっという間に座礁しました。
    V系に憧れた私は当時、病的な縮毛でして。とてもああいうスタイルにはなれないと最初から諦めていました。
    親にも「なんで自分の髪の毛は縮れているの?」と半泣きで聞いて、困らせたこともありました。髪を染めるのは校則NGだったので考えたこともありませんでした。
    縮毛でもできて、校則にも引っかからないスタイルというと、坊主頭か、精々がジェルでスパイキーヘアを作るかくらいでした。
    見た目のオリジナリティはあまり出せなかったので、とりあえず、オシャレさよりも攻撃性重視のスタイルを意識していました。それがのちの、メタルやパンクに興味を持つきっかけになるんですけど。

    ――それは面白い聴き方ですね。「MOON」の歌詞、「MOON」のリフ、などではなく「MOON」というひとつの箱として捉えられていたんですね。
    校則に勝てないという中学生の性や、「先生の悪口」というのは等身大で微笑ましいですが、中学生から作曲を始める、というのはかなり早熟なのではないでしょうか。作曲に関しては何か土台がありましたか?

    死神:同級生がコピーだけで満足しているのが、猛烈にダサいと感じていました。
    作曲をしたいと思ったタイミングで運よく、NHKで『熱中ホビー百科~地上最強バンド講座~』(1996年5月~合計5回放送)という番組がやっていまして。
    これが高校生の素人バンドが、オリジナル曲を作ってアレンジを施して最終回でライブをするという内容だったんですが、まさにこれから作曲したいと思っていた自分にぴったりの番組で。それらを録画して、繰り返し見て勉強しました。

    ――そんな番組があったとは知りませんでした。
    同級生がダサく感じたというのは、今ご自身がバンドを組まれずに弾き語りという形で活動されているのとは関係しているのでしょうか?

    死神:あまり関係ないです。一人で活動しているのは、解散も脱退もない編成がソロ、という消去法からです。
    19歳まではバンド形態にこだわっていましたが、メンバーの脱退や解散など、いちいち追求の足止めを食らうのに耐えられなくなったからです。
    一人でやれば、死ぬまで解散することもない、勿論脱退もない。じゃあ、一人でやろうと。20歳のときからそうなりました。

    ――かなり理に適った理由で今の活動形態を選ばれたのですね。
    20歳で決意をしたというのには何か理由があったんでしょうか?例えば、10代の終わりを節目として捉えていた、というような。

    死神:10代の終わりとかは無関係に、 たまたま19歳の終わりに組んでいたバンドが解散しまして。その解散が決まった瞬間から、もう一生ソロでやっていこうと決意しました。
    解散の1ヵ月後にソロでのライブを入れたのですが、そんな急にできるわけもなく、3曲で10分のレパートリーしかできませんでした。
    思い切り一人で馬鹿馬鹿しいことをやってやろうと、自作のカラオケを流しながら歌う、ギターを弾く、ドラムを叩く、笛を吹く、曲間にはブラックジョークの紙芝居をやっていました。
    歌うことは左翼・右翼のパロディ、宗教のパロディなど世の中のタブーにあえて触れておちょくってやろうと、無差別テロのつもりでやっていました。
    当時は、生死に正面から触れるような歌詞は避けていました。それよりもうんと馬鹿馬鹿しいことを大真面目にやる、そのことの方が大切でした。表現したい内容よりも、表現したい欲求の方が優先でした。
    目指していたのは音楽版の大道芸です。兎に角、人があっと驚くようなことがしたかったんです。

    ――なるほど。それまではエレキ・ギターでの活動をしてらしたと思うんですが、急にアコースティックに持ち替えることに抵抗や寂しさはありませんでしたか?
    また、世の中のタブーに触れるという芸風はどこから着想を得たのでしょう?10代でやっていたバンドの音楽性とは全く違っていましたか?政治や宗教のことに触れると顔をしかめるお客さんも多いかと思われますが。

    死神:抵抗は特になかったです。むしろエレキギターの、アンプやエフェクターありきの感じに我慢ならなくなったんです。
    で、エレキギターからアコースティックギターになる前に、太鼓叩き語りを中心にやっていた時代がありまして。より生々しい表現を求めてた結果なんですけど、この生々しいって部分がのちのアコースティックギターに繋がってくるんです。
    世の中のタブーに触れる最初の影響は、JURASSIC JADEから受けました。
    政治、宗教のパロディは鳥肌実の影響です。JURASSIC JADEと鳥肌実を同列に並べたら、それぞれのファンから怒られそうなんですけど、タブーに大胆に触れている点、私は共通していると思っています。
    10代でやっていたバンドは、ざっくり言うとハードコアに属するジャンルで今とは全く異なります。マイナーリーグっていうミクスチャーハードコアバンドが居て、ハードコア×民謡みたいな合体技が巧かったので、その方法論を応用してやってました。
    で、最後に組んだバンドだけは、今の死神紫郎の活動に繋がるような音楽性だったんです。
    ドラムの志度というのが、日本的なものを好む人物で。彼が中島みゆきや森田童子、INU、スターリン、たまなんかを聞いてたので、その影響の影響を受けるみたいな感じでした。
    ちなみにこのバンド時代に“死神”という名前を名乗り始めました。名付け親もこの志度ってやつです。
    死神初期の頃は、顔をしかめる人がいてもいいやって気持ちでやっていたんですが、客は喜んでましたね。まぁだいたいライブハウスに来る人というのは、なんらかの欠陥があるか、異常者なんですよ。
    たまに脅迫メールも来たりしましたが、この通り生きてます。毒か薬のどっちかになればいいやと思ってやっていました。

    ――太鼓叩き語りとは斬新ですね。何に着想を得たのでしょう?また、アコースティックギターの方が生々しいというのは何故なのでしょうか。
    JURASSIC JADEはジャパニーズ・メタルの域ですね!鳥肌実は納得です。パフォーマンスについてもそれらのアーティストからの影響が強いですか?
    鳥肌実というと大分コミカルに政治を嘲笑しているようなイメージがありますが…。脅迫というのは、やはり「辞めなければ危害を与える」というようなものだったのでしょうか。

    死神:太鼓叩き語りの発想は当時同じシーンに居た、謹成祝花(ちかなり しゅくか)さんから得ました。
    彼女はマイク1本とシンバルで即興的にリズムを創りながら踊るダンサーなんですが、この「リズム一本を軸に」という点にヒントを得ました。
    当時のパフォーマンスについては、大道芸人の影響がありました。丁度死神ソロでやるぞってときに池袋の東口駅前で大道芸人を見て、あれを音楽でやろうと思ったんです。なので、活動を始めて1~2年は、唄、ギター、太鼓、笛、紙芝居など表現の種類を意識的に増やしていました。
    脅迫は匿名で、活動できなくするぞ的なレベルでした。最初はちょっとビビってライブ当日くらいは警戒してましたけど。
    政治的主張をする音楽をダサいと思っていたので、それに対する風刺としての右翼、左翼ネタの音楽をやっていたのですが、周りは私のことを右翼寄りと思っていたみたいです。脅迫はきっと左翼寄りの考えの人からじゃないですかね、きっと。

    ――なるほど。“死神”というのはバンドメンバーの発案とのことですが、なぜ“死神”だったのでしょう?
    イメージが固定されてしまいそうな名前ですが、抵抗はありませんでしたか?

    死神:「日本」を強く意識したバンドだったので、ドラムの志度がカウンターのカウンターを狙って、
    よく知られている日本の妖怪の名前からつけようと。
    水木しげるの妖怪図鑑だかを調べたと思うんですが、「見た目がそっくり」ってことで「死神」に決まりました。今よりもっと痩せてやつれていたので。
    ちなみにそのとき志度の名前は「天狗」になりました。彼はライブ直前に改名してましたけど。
    イメージの呪縛には名前をつけてから気づきました。来年レコ発2マンで共演する呂布カルマさんも言ってましたけど、名前はよく考えてから付けたほうがいいですね。
    一時期「死神」という名前を変えようとしたこともあるのですが、私が死んだときに「死神が死んだ!」となるほうが面白いので、今でも死神を名乗っています。
    後付けですが、死神という字面は「死」という文字が「神」の前にありますよね。「神」という存在の前に「死」という絶対が鎮座しているイメージです。死を司る神のイメージはないです。

    ――土着の妖怪としての死神、だったんですね。死を司る神ではないという部分も、海外の“God of Death”とは違いますね。
    バンドではハードコア寄りの音を出されていたというお話が出ましたが、ハードコアや、ヘヴィ・メタルを聴くようになったきっかけはなんだったのでしょうか?X JAPANからルーツを辿って…というパターンがあるかと思われますが。

    死神:もろにその手合いです。X JAPANのインディーズ時代の音源を掘ろうとすると、「HEAVY METAL FORCE III」「SKULL THRASH ZONE I」というオムニバスにたどり着くんです。
    そしてそのどちらにもJURASSIC JADEが参加しているんです。「鏡よ鏡、この世の終わりを映せ!」ですよ。
    もうそこからはスピード狂というか、更なる過激さを求めて、ハードコアや、ヘヴィ・メタルに傾倒していきました。

    ――やはりそこは誰しも通るところですよね。 具体的に熱狂したバンドというと?

    死神:そのオムニバスで熱狂したのは、JURASSIC JADEだけです。各段にオリジナリティがあったので。なのでそこから「GORE」っていうLPで買ってそれをテープにダビングして、念仏のように聞いていました。
    中2くらいだったんですけど思春期特有の疑心暗鬼に陥っていて、自分を正常に保つためによく聞いていました。
    「俺はお前らには理解できないJURASSIC JADEを聞いているんだ。」と。救いのない音楽に救われたはじめての経験でした。

    ――疑心暗鬼、ということは周りの人から自分を護る鎧がJURASSIC JADEの音楽だったんですね。
    ご自身の音楽が、現在思春期の人達にそうした存在として届いてほしい、という気持はありますか?

    死神:鎧、そうですね。または自らの立脚点というか。
    思春期の人、聞いてくれるかなぁ、聞いてほしいですね。
    暗くてもいい、明るく生きなくてもいい、前向きでなくてもいい、絶望していてもいい、負けてもいい、勝たなくてもいい、とりあえずボヤキながらでも生きてみるのも良いかもしれないよと。
    世代問わず、自分の音楽が誰かの救いになるなら嬉しいですね。

    ――必ずなっていると思いますよ。特に、死神さんは生で観た時に良い意味で漫然と生きていないというか、身を削って生きてらっしゃるように見えるんです。
    なので、この人に負けじと生きようと思われる人も多いのではないでしょうか。ライブ・パフォーマンスでは静寂を操るというか、独特な息遣いで場を制圧されてるんですが、それについては何か意識しているところはありますか?

    死神:そうですね、これはかなり意識しています。
    静寂=間(マ)なんですけど、音が鳴っていないところにこそ最大の音楽があると思っています。
    この間(マ)を、音が鳴っていないからと休憩していたら、一瞬で死に間(マ)になりますし、間(マ)に耐えきれず途中で集中を切らしても死に間(マ)になるんです。なので、音が鳴っていないときが一番気張っています。
    この間(マ)の影響は、マリア観音から受けました。そこから、間(マ)の勉強をしたくて、舞踏家の中嶋夏さんの稽古場に週1くらいで通いました。よく舞踏やってるんですか?と聞かれるんですが、にわかレベルもいいとこです。

    ――あの指先まで張り詰めたような動作には間(マ)を作る意味があったんですね。
    正直、開演前は写真を撮ろうとしていたのですが痺れたように携帯に手が伸びませんでした(笑)
    舞踏については、MVを拝見して、私も「経験されているのかな?」と感じておりました。今後そちらに手を伸ばす可能性もないですか?

    死神:間(マ)は呼吸や動作を伴って生み出されるものなので、あの動きにステージアクション的な意味合いはあまりないんです。
    舞踏の作品は、2010年くらいに一作作って挫折しました。中嶋夏さんに「もっと本腰入れて舞踏やってみたら? 」と言われたこともあるのですが、今の私には片足の爪先を突っ込んでいるくらいが丁度良いんです。
    ――“パフォーマンス”ではないということですね。
    他に興味のある芸事やクリエイター活動はありますか?

    死神:他には絵画に興味があります。
    高校1年のときにわずか1年弱デッサンを習って挫折してるんで、描ける人が羨ましいんです。以降は完全に見る方専門なんですけど。
    最近では、ササベ翔太さんという執念深い点描が特長の画家や、丁子紅子(ちょうじ べにこ)さんという冷やっとする美人画が特長の画家が好きです。この二人には、1stマキシ、3rdアルバムのジャケット画をそれぞれ提供してもらいました。
    あとは、半人間・半機械のモチーフが特長の石田徹也さんの作品も好きです。これは最近の私の楽曲に強く影響していると思います。
    あと絵画ではないのですが、漫画家のつげ義春さんも独特の閉塞した世界観が素晴らしいです。突然話がブツ切れで終わる作品からは強烈な間(マ)を感じます。音楽であれをやれたらすごいだろうなと思っています。

    ――自分に出来ないからこそ、惹かれるものというのはありますよね。
    丁子紅子さんの画は死神さんの楽曲にハマっていると思いました、刹那感といいますか。
    それでは最後に、これまでの人生で影響を受けた人、モノ、バンド、風景などを10選出してお聞かせ下さい。

    死神:「好き」ではなくあくまで「影響」で10選、この方々の影響で今の私は作られていると思います。

    X JAPAN、LUNA SEA、COCK ROACH、JURASSIC JADE
    町田康、三上寛、中学生棺桶、マリア観音、三島由紀夫、組織暴力幼稚園


     

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