【インタビュー】 ゑでぃまぁこん 『あおいあしおと』発売から15年を経てアナログ化!

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2020.04.22

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  • ゑでぃまぁこん / Aoi Ashioto / あおいあしおと (LP)

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    Aoi Ashioto / あおいあしおと (LP)

    ゑでぃまぁこん

    Kerosene Records / JPN / LP(レコード) / KRSE21 / 1008075271 / 2020年04月22日

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    関西アシッドフォークの至宝ゑでぃまぁこん名盤『あおいあしおと』が発売15周年を記念してアナログ化!日本が誇るアシッド・フォークの至宝、ゑでぃまぁこん。姫路を拠点として、ゑでゐ鼓雨磨(Gt.Vo)と柔流まぁこん(Ba)を中心に活動。タイ...

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    関西アシッドフォークの至宝ゑでぃまぁこん名盤『あおいあしおと』が発売15周年を記念してアナログ化!日本が誇るアシッド・フォークの至宝、ゑでぃまぁこん。姫路を拠点として、ゑでゐ鼓雨磨(Gt.Vo)と柔流まぁこん(Ba)を中心に活動。タイ...

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―――発売から15年を経てアナログ再発される「あおいあしおと」。
今回、同じくミュージシャンの井手健介さんをインタビュアーに起用し、
2020年4月某日TV電話にて、ゑでぃまぁこんのお二人に取材を行いました。

また、ギューン・カセット須原敬三さんにはメール・インタビューで当時のお話しをお伺いしました。


■ゑでぃまぁこんインタビュー■(インタビュアー:井手健介)

(ゑ)ゑでぃ
(ま)まぁこん
(茶)茶目子
(井)井手健介

------------------

■灰野さんと怖[coa]が一緒にやったときに「発表していないうたものの曲、誰でも1曲ぐらいあるだろ?」って言われて、でもそれがなくて。


(井)早速ですがゑでぃまぁこん結成のいきさつを教えて下さい。

(ゑ)結成のいきさつ・・・なんか「結成しよう!」ていう感じではなかったんやけど、
うたものを作ろうて思ったきっかけが灰野さんと怖[coa](注1)が一緒にやったときに(注2)
「発表していないうたものの曲、誰でも1曲ぐらいあるだろ?」って言われて、でもそれがなくて。

結局、素ナプキン(注3)のな、ちょっとあほっぽい曲をな、一緒にやったんやけど
そん時に「うたものの曲みんな作っとんやな、ほんなら作っとかなあかんなぁ」って思って。

そしたらそん時まぁこんから「はちみつぱいみたいなうた、作って~な」って言われて。
そんで作って一緒に録音したやつがあんねやけど、それが楽しくてちょっとずつ曲が増えていった感じやなぁ。

(井)なるほど、じゃあそこからゑでぃまぁこん?

(ま)そやなぁ、そこからライブをし始めたんかなぁ。
ずっと結成は2000年やと思ってたんやけど、最近調べたら2001年やった。

(ゑ)最初に作ったカセットが2001年やって、ただそん時はまだ「エディとマコト」って名前。
そやからはっきりとどこからが「ゑでぃまぁこん」かは、はっきりとわからんなぁ。

(井)それまで、まぁこんさんはLSDマーチ(注4)でサイケデリック・ロックやってて、
ゑでぃさんは怖でデス・ボイスで「ワーーー」ってやっていて。
で、そこからうたものに。

(ゑ)うたもののもな好きやってんな、その頃。

(ま)その時期はよくアシッド・フォークとかブリティッシュ・フォークとか聞いてたんじゃないかなぁ。

(井)爆音からすごい小音に転換したわけじゃないですか。
自分からしたらそれがすごいなって思うんですけど、
それには明確な意図があったんですか?

(ゑ)怖とかは曲作るっていうかスタジオで「ワーーー」って感じやって、
ゑでぃまぁこんの曲とかは一人暮らしのアパートでちっちゃい音で作りよったからなぁ。

(井)なるほど、環境も影響してたんですね。
アシッド・フォーク的な雰囲気は意識してたんですか?

(ゑ)元々フォークを聴いて育っとってな、
アシッド・フォークみたいなんは思ってなかったけど、
当時は外国のトラッドとかを意識したバンドが多かったからな、
もうちょっと日本よりのができんかなぁと思って。

(井)そうだったんですね、なるほど。

(ゑ)ちょうどその頃、短歌にもはまっとってな。
短歌をずっと書いとる時期もあって。

(井)笑


■そん頃は普通の声で歌うんがすっごい恥ずかしくて、でもベアーズのコンピで大瀧詠一トリビュートみたいなんがあってな。


(井)ゑでぃまぁこんが持つサイケな雰囲気って、どこからかの影響があるんですか?

(ま)当時、姫路ってサイケが流行ってたから。

(井)そうなんですね。発信地のような場所はありました?

(ま)マッシュルームやなぁ。(注5)
最初の店長やってた人が池田さんて、人間ロケットやってた人でな。
一時期はヒロシさん(注6)も店長やってたし、ゑでぃはそこのスタッフやった。

(井)へー!すごいライブ・ハウスですね!

(ゑ) DROOPとかプレイメイツとかポートカスとかおってな、面白い場所やった。

(ま)当時ビジュアル・バンドが全盛期やったんやけど、全員禁止!みたいな。
で、出演バンドが全然いなくなって・・・アングラなバンドだけ残った笑
でもそこに全国からいろんなバンドがきてて、ゆらゆら帝国とかラリーズとか羅針盤も。

(ゑ)ヒロシさんとか、当時店長やった長谷川光平さん、あとロケットさんとか・・・
その人らの影響は大きいと思う。

(井)あの、ゑでぃさんがうたを歌って「めちゃくちゃええ声やん」みたいなことにその当時なったと想像するんですけど、そのあたりはまぁこんさん、どうでした?

(ま)いや、全然そんなこと思わなかったけど・・・

(井)まじで?

(ま)今はうまくなったけど。

(ゑ)いまは歌い慣れてちょっとはマシになったけど。

(ま)あおいあしおと聴いても、なんかあんまり、なぁ。

(井)えーーー、まじで!?

(ゑ)そん頃は普通の声で歌うんがすっごい恥ずかしくて。
もともとベアーズのコンピで大瀧詠一トリビュートみたいなんがあってな(注7)

(井)"それはぼくぢゃないよ"ですね。

(ゑ)そん時もやらされた、みたいな感じがあったんやけど。

(井)たしかにあれはゑでぃさんがまだ、ゑでぃまぁこんでの陰りのある声というよりは
ちょっと照れもあるような・・・明るい感じがありますよね。

(ゑ)最初はな、ウィスパー・ボイスで歌ってって言われて。

(井)笑

(ゑ)そのカセットのコンピの時は、そういう感じで歌ったんやけど。
そのあとまたその曲を高田渡さんとデュエットして録るってことになって(注8)
歌だけ録り直すってなってな。
ほなな、うち普通の声で録り慣れてへんから、家で歌うみたいに普通にやろうとしてたら
渡さんに「普通に歌ってたらダメだよ」「姿勢を正して歌いなさい」って指導されてな。
だからちょっと緊張した感じの声でもあるんよ笑

(井)そうだったんですね笑
ゑでぃまぁこんの活動としては、2002年にCD-Rを2枚発表してますよね?
そして2005年にオーストラリアのレーベルからカップリングで再発になっています。(注9)

(ま)最初にまさを君ってドラムの子がいて、一緒に録音して。(注10)

(ゑ)東京にソロでライブやりに行くってなった時に、交通費がてら作ろうってなったやつやな。

(ま)ほんで、オーレン(注11)が姫路に来た時に「最近こんなんやってる」って渡してな。

(ゑ)ほならだいぶん経ってから聴いたんやろうな、オーレンのいとこがやってるレーベルから「出しませんか?」ってなってな。
ほんで出してくれはった感じ。

(井)じゃあ、位置づけとしては「あおいあしおと」がファースト・アルバムということでいいですかね?

(ま)そうやね、「輝く墓標」は急に決まって、ぱっと出してもらった感じやったから。
ジャケットとかお任せやったしなぁ。

(茶)ニャー


■やっぱり、ギターの音とかはテープで録ったほうが好きやなぁ。


(井)ではいよいよ、あおいあしおとについて伺います。
ギューン・カセットの須原さんからリリースの打診があったそうですが。

(ゑ)そう、須原さんが「自分らで好きなように録音してー」って言ってくれて。でもなかなかやらんくて。

(ま)やってもいたんやけど、思うように進まなくて。

(ゑ)もじもじしとってな。
そしたら突然稲田さんが「録音しよう!」って言ってくれて。

(ま)そう、当時のこと調べたら2005年の2月26日にCAFE EASE(注12)でRADAR[※現・パーパ](注13)と対バンしてて、
そん時の打ち上げに言われたんやと思う。

(ゑ)もうそこからはとんとんとーんて進んでいってな。

(ま)稲田さんも多分録音作業がしたかったんやと思う。
それでGWに録ろうということになって。

(ゑ)うちらから誘ったんじゃなくて「水谷にも吹いてもらうから」ってあたりまえのように稲田さんが決めてな。

(井)へー!そうだったんですね!

(ゑ)そう、だからあおいあしおとにはパーパ全員参加してる。

(ま)ベースとギターと歌はほぼGWに録って、そこからオーバー・ダビングしていった感じやね。

(井)どこで録音したんですか?

(ま)ベーシックは神戸のコマヤっていう喫茶店(注14)で録って。
あとは自宅で録ったりやね。

(井)録音機材はアナログですよね?

(ま)カセット・テープのMTRで、AKAIの4トラックのやつ。
結構最近までこれ使って録音してたよ。

(井)へーーー!!

(ま)それをPCに移して、オーバーダブしてる。

(ゑ)やっぱり、ギターの音とかはテープで録ったほうが好きやなぁ。

(ま)音は良いと思う、ただ面倒くさいだけで。

(井)本当に良い音で録音されていると思います!
アルバムにまつわるエピソードはありますか?

(ま)レコーディングに向かう時に水谷さんの車が壊れて・・・
フィアットのパンダっていうのに乗ってたんやけど。

(ゑ)坂で煙ふいてな。

(ま)それでレコーディングが一日潰れたってことはあったなぁ笑

(井)笑

(ま)あとまだその時は参加してないけど、たまたまモツさん(元山ツトム)も遊びに来てたなぁ。
あおいあしおとのレコーディングのちょっと後に楯川さんが参加して。
だから、自分の中ではあおいあしおとはまだ過渡期って感じがしてる。

(井)なるほど。
あおいあいおとではサウンド・エフェクトも印象的ですが、
"さよなら"のイントロは列車をサンプリングしたんですか?

(ま)あれはよく電車の音って言われるんやけど、蓄音機を回してる音で。
何もかけずにただ針を回してるだけの音。

(井)あ、そうだったんですね。
"きりのなか"の間奏で使っている楽器は?

(ま)あれはトミーのスクールオルガン。

(井)音がちょっと遅れてくるのが良いですよね。

(ま)それはモーターが弱ってたのかも笑
スイッチ入れて、モーター動かしてっていう作りだから。

(ゑ)「輝く墓標」でも使っとんやけど、当時「掃除機の音がはいってますー」って苦情がきてな。

(井)笑


■まだ「ジグザグ」は見つけてなくて、「さんかく」までしか使われへん時。


(井)やっぱりゑでぃさんのメロディがめちゃくちゃ美しいというのが
このアルバムではっきりすると思うわけなんですけど、
メロディはギターを弾きながら作っていく感じですか?

(ゑ)ありがとうー。そやなぁ、ギターは弾きながら、メロディは歌詞と一緒に考えてるかなぁ・・・

(井)メロディがあってそれにあうコードを探していくわけではない、ということですね。
ゑでぃさんのギターって普通に、なんていうのかな
コードを覚えてから弾く人のギターじゃないと思うんですよ。

(ゑ)そやな、覚えてないからなぁ。

(井)ゑでぃさんにしかわからないコードみたいなのがありますよね?
特にあおいあしおととか、その前の作品に顕著だと思うんですけど。

(ゑ)うーん、あんまり意識はしてないけど。

(ま)まぁ、だけどあおいあしおとは簡単な曲ばっかりやからな。

(井)この頃はいわゆる「ジグザグ」(注15)は登場してないですよね。

(ゑ)そやなぁ、でも「さんかく」(注16)ってのもあってな。

(井)「さんかく」??あおいあしおとでも使ってますか?

(ゑ)うん、"むかう"とか「さんかく」やで。※ギターを取り出して押さえ方を確認

(井)あー、なるほど。
ではこれはゑでぃさんのなかでは「さんかく」として認識されていたということですね。笑

(ゑ)そう。

(ま)まだ「ジグザグ」は見つけてなくて、「さんかく」までしか使われへん時。

(全員)笑

(ゑ)や、でもな「逆さんかく」もあんねん。あと「まっすぐ」も。

(全員)爆笑

(ま)ほんまに当時はコードとかも何も知らなかったから。

(井)じゃぁ、コードはすごく簡単な図形で覚えていた、と。

(ゑ・ま)そうそうそう。

(全員)爆笑

(ゑ)"あみめ"は「とびとび」。

(井)「とびとび」・・・。まぁこんさんはそれを認識してコードを拾っていったと。

(ま)僕も当時コードとかそんな知らんかったからなぁ、
ゑでぃの弾いてる指を見ながら弾いとったなぁ。

(井)笑
あと、このアルバムは三拍子が多いですよね?

(ゑ)なんか、8ビートっていうのをやりたくなくってな、当時。
いまはそんなことないねんけど。

最初に"さよなら"って曲作った時、すごい自分の中で違和感があって
なんかこれ没かなーって思うとってんけどな。

(井)ええー!
でも結局1曲目になったのはなんでだったんですか?

(ゑ)やってるうちに慣れたんかなぁ。
曲順はまぁこんが決めたんやと思う。

(井)名曲ですよ、没にならなくて良かった・・・。


■平仮名とかカタカナの雰囲気を大事にしとったなぁ。


(井)では次に、ゑでぃまぁこんってアルバムの装丁いつもめちゃめちゃ凝ってるじゃないですか。
このあおいあしおとでも、粘土細工が印象的ですよね。

(ゑ)この人形を作ってくれたのが、いまjugz(注17)をやってるかおりさんで、
かおりさんとはjugzに入る前から知り合いやったんやけどな、
ボニー・プリンス・ビリーのチラシとかで粘土細工やっとってな。
それでお願いしてみた。
ほんでイラストとかデザインしてくれたんは当時ようライブさせてもらっとったCAFE EASEのマスターでな。

(井)タヌキツネコの概念もこの時に生まれたんですか?

(ゑ)そうそう、このときポンコンって付けたんちゃうかな。
pong-kong recordsはなかったかもしれんけど、pong-kong studioはあったかも。

(井)あおいあしおとって世界観が童話的じゃないですか。
子供の頃に影響をうけて、いまでもそれが自分の中にあるってものはありますか?

(ま)ゑでぃの出身はたつの市(注18)ってとこでな、そのたつの市ってとこはずーーーっと赤とんぼが流れとんや。

(井)夕方に流れるやつみたいな?

(ま)そうそう、夕方になったら赤とんぼが流れる。

(ゑ)ちゃうで、朝と夕方と夜や。 (注19)

(井)3回も!?笑

(ゑ)あんまり意識してなかったけど、あとは武井武雄(注20)とか初山滋(注21)の影響はあるかも。

(ま)「あおいあしおと」の頃も、そんなん好きやったもんな。

(ゑ)そんなふうにしてくれって頼んだ気がする。
ただ歌に関しては童謡とか子供みたいなのは意識してなくてな、
平仮名とかカタカナの雰囲気を大事にしとったなぁ。

(井)なるほど。
小説や映画はゑでぃまぁこんの世界観に影響を与えていますか?

(ま)映画ではロジャー・コーマン(注22)。ゑでぃまぁこんの名前の由来にもなってる。
あとは大林さんかな。 (注23)

(井)ロジャー・コーマンからだったんですね!
アルバム・タイトルは?

(ゑ)前作に「輝く墓標」ってつけたときは、過去の作品っていうイメージがあってな。
これは1STアルバムとして初めて録音するし、青いっていうのをイメージとしてつけたくて。

(井)すごくしっくりきます。
今回のアナログ化、15年振りの再発ということなんですけど、
いま聴いても瑞々しい印象を受けます!

(ゑ)丁寧に作ってもろて、うちらもめっちゃ嬉しいです。
ありがとうございます!


ー今回ゑでぃまぁこん活動初期に関して、興味深い話を伺うことができました。
アナログ再発にあたり、稲田さんの自宅よりマスター音源を発掘できた幸運により、
当時と同じくギューン・カセット須原さん監修の元、大輪エンジニア(STUDIO YOU)の手によって再マスタリングを行いました。
須原さんにはメール・インタビューという形でご回答頂きましたので、こちらに挟ませて頂きます。



・GYUUNE CASSETTEとはどういったレーベルでしょうか?

93年末に立ち上げた当初は、
初めて作品を出すアーティストをサポートすると言う目的で、 カセットテープを月に2タイトルずつ出してました。

自分でダビング作業と梱包をやっていたのですが、 あまりに睡眠時間が削られるので、1年足らずでCDに移行しました。

発売しているアーティストのジャンルに一見、一貫性がないので、恐らく最も評価されにくいレーベルだと自負してます笑


・ギューン・カセットの中にはいくつかのサブ・レーベルがあると思うのですが、雑食レーベルとはどのような位置づけでしょうか?

「雑食」はもともとEDDIE(b.vo)さん、BILL(dr)さんがやっていた怖[coa]というバンドが主催するイベントの名前であり、レーベル名でした。
  怖だけでなく、ゑでぃさんやBILLさんが活動の拠点としていた、姫路マッシュルームというライブハウス近辺のバンドも興味深いものばかりで。
彼女らの発案で、作品を作ったら面白いのではないか?と考えて、雑食の名前をお借りしたというのが経緯です。


・ゑでぃまぁこんのおふたりとのファースト・コンタクト、第一印象を教えてください。

ゑでぃさんとは阪神大震災の年に、怖でベアーズに出てた時に知り合いました。
見てる風景が違うひと、て印象です。
まぁこんさんとはそれからだいぶあとかな?。当時彼がベース弾いてたバンドを見たのが最初です。
完全にお客さんに背中向けてベース弾いてて、凄みがありましたね。


・あおいあしおとをギューンから発売することになった経緯を教えてください。

うーん、あんまり覚えてないんですけど・・・
当時ゑでぃまぁこんは何枚かCD-Rをライブだけで売っていたんですが、
その内容が素晴らしくて「ねぇ、プレスしたアルバム作ろうよ」と、お願いしたんだと思います。
当時、ぼくは体調が悪かったのでマスタリングにしか立ち会えてないのですが。
ちなみにそのCD-Rは海外レーベルからまとめられて、「あおいあしおと」の少し前に発売されてます。


・リリース当時の反応はどうだったでしょうか。

ゑでぃさんもまぁこんさんもラウドなサイケデリック・ロックを演奏している、
という印象だったので、耳にしたひとたちは驚いて、その音世界を支持してくれたみたいです。
また、怖を知らない人たちからも喜んでもらえた、という印象でした。


・2005年当時、そして2020年現在、マスタリングするうえで意識したことはありましたでしょうか?

最初のマスタリングでは、唄の世界をどうやったら最良の形でまとめられるか、が課題でした。
スタジオYOUにはビンテージの機材と当時最新のデジタル機材が同居していて、
完璧に扱えるエンジニアが居ましたので。
課題はすぐ解決しましたが。

今回の作業は、録音担当稲田さんが発掘してくれたオリジナルマスターから作業が出来たことは幸運でした。
エンジニア大輪さんと、15年ぶりに宝箱を開けたような気持ちで聴き返しながら、
LPとして最良の音域のバランスと、音と音の空間をいかに味わい深く聴いて貰うか、を考えながら制作しました。
(須原敬三)

ー4月某日、メールにて


■おわりに

(井)では最後になるんですが、4月に姫路で開催予定だったイベント「ぎゃふん!」ですが、
中止ではなく延期とのことで良かったです!(注24)

(ゑ)日程も押さえれたし、それを希望にしたいなぁ!

(井)本当にこの先の未来に楽しみがあるっていうのはありがたいですよ。
楽しみにしています!

(ま)井手くん、来るの?

(井)何年先になっても行きますよ!

(ゑ)そんなんなったら、文化センター無くなってもうてるよ笑

(茶)ニャー(注25)

全員笑


ーディスクユニオン特典の「妄想帯」。こちらの裏面には井手健介さんによる紹介文も記載、お見逃しなきよう。
そして、今回の再発にあたり、ご協力いただいた本当にたくさんの皆様にこの場を借りて心よりお礼申し上げます。ありがとうございました!


*聞き手・編集:池部(diskunion)

(注1)1993年から活動していたEDDIEとBILLによる自称・ネコ・サイケ・デュオ。
(注2)灰野敬二&怖 / 一億と一番目の祈りを導きだせばいい [2000年/HOREN]
(注3)素ナプキン:三浦カヨ、EDDIE、BILLによるガール・ギター・ポップ・トリオ。大学生時代に結成。
(注4)現オシリペンペンズの道下慎介が率いるサイケデリック・グループ。EDDIE、BILLも参加した時期がある。[1997-2001 At Mushroom/GYUUNE CASSETTE]
(注5)姫路マッシュルーム: 通称「ロックの恐山」と呼ばれ、姫路の音楽シーンを支える。2011年に建物の老朽化の為、閉店となる。
(注6)燻裕理 (ヒロシna):70年代にだててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズに参加。長い活動休止期間を経て、ニプリッツ、ポートカスなどで活動。
(注7)難波ベアーズで開催された、大瀧詠一トリビュートライブの入場特典としてカセットが作られたそう。40個限定で配布されたらしい。
(注8)V.A. / MUSHROOM A GO GO![1998年/GYUUNE CASSETTE]
(注9)Shining On Graveposts 輝く墓標 [2005年/PRESAVATION]
(注10) ズンダスまさを:ちんぷんかんぷん、他力本願寺のドラマー。
(注11)OREN AMBARCHI:オーストラリア、シドニー出身の音楽家。
(注12)姫路市威徳寺町にあるCAFE。
(注13)PAAP:稲田誠(b,vo)/香取光一郎(p,acord)/水谷康久(reeds)により1995年震災直後の神戸にて結成されたトリオ。初期はレーダー(RADAR)としてジョン・ゾーンのレーベル「Tzadik」よりアルバムをリリース。
(注14)神戸・新開地の多目的空間。
(注15)ゑでぃ独自コードの通称。
(注16)ゑでぃ独自コードの通称。
(注17)1997年に岐阜で結成、現在は岡山を拠点とするサイケデリック・グループ。
(注18)兵庫県南西部に位置するたつの市は童謡「赤とんぼ」の作詩者:三木露風の生誕地。童謡の里づくりを推し進めている地域。
(注19)夜の回は22時に流れるそう。それにあわせて町中の犬が遠吠えを上げる。朝と夕方は季節によって変わるらしい。
(注20)明治27年~昭和58年、長野県岡谷市出身の童画作家。『童画』という言葉を生み出す。
(注21)明治30年~昭和48年、東京都浅草生まれの動画画家。版画作品は長きに渡り小学校教科書の表紙を飾る。
(注22)「低予算映画の王者」「B級映画の帝王」として知られる、アメリカの映画監督。現在94歳。
(注23)大林宣彦:惜しくも2020年4月10日に肺がんのため逝去した自主制作映画のパイオニア。
(注24)2020年4月29日に姫路文化センターで開催予定だったホール・コンサート。共演は坂本慎太郎、燻裕理 (ヒロシna) 。※4/22現在、9/21に振替が決定しています
(注25)ちなみに茶目子さんは「あおいあしおと」録音の1週間前に生まれ、ベーシック録音直後にお家にやってきたそうです。
ゑでぃまぁこん

ゑでゐ鼓雨磨(ガットギターと歌)と柔流まぁこん(ベース)により2001年頃結成。
歌を中心にした音楽。現在は主にバンドで活動。これまでに6枚のアルバム、2枚の7inch、1枚の10inch、1枚の12inch レコード、多数のCD-R作品など制作。自身のレーベルpong-kong recordsから2018年8月にCDアルバム『眩暗眩花』をリリース、昨年2019年9月に愛猫ポコちゃんの為に制作した7inchレコード『少女/ふわふわあい』をリリース。
現在の主要メンバーは水谷康久(Sax,etc)、楯川陽二郎(Dr)、元山ツトム(Steel Gt)、朝倉円香(Chorus)。
http://eddiemarcon.com


井手健介

音楽家。東京・吉祥寺バウスシアターの館員として爆音映画祭等の運営に関わる傍ら、2012年より「井手健介と母船」のライヴ活動を開始。
様々なミュージシャンと演奏を共にする。
バウスシアター解体後、アルバムレコーディングを開始。2015年夏、1stAL『井手健介と母船』をPヴァインより発表する。その後、2017年には、12インチ・EP『おてもやん・イサーン』(EMレコード)、1stALヴァイナル・エディション(Pヴァイン)をリリース。
その他、映像作品の監督、楽曲提供、執筆など多岐に渡り活動を続ける中、2020年4月、石原洋サウンドプロデュース、中村宗一郎レコーディングエンジニアのタッグにより制作された、「Exne Kedy And The Poltergeists」という架空の人物をコンセプトとした2ndAL『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists(エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト)』をリリースする。
http://www.idekensuke.com/about