《連載コラム》 幸枝の『惑星円盤探査録』Vol.28

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2022.05.12

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「惑星円盤探査録 Vol.28」

安室奈美恵
『GENIUS 2000』




それは、1998年の12月31日だった。
私は毎年冬休みになると訪れる母の実家にいた。母は秋田の今はない村の出身で(合併する少し前に所さんのダーツの旅に登場した。)、家族みんなで帰省し年越しをするのが毎年の慣わしであった。
1999年になる数時間前、私は2階にあるおじさんの部屋のTVの前に座りその時を待っていた。なぜみんなと一階の居間で過ごしていなかったのか記憶は曖昧なのだが、おそらく私はひとりでこの瞬間を迎えたかったのだと思う。
司会者の呼びかけでステージに登場したその人は変わらぬ姿で、だけど、小学生の私が見ても分かるくらいにこわばった表情でマイクを握っていた。
1年間の産休からの復帰場所を、紅白という大舞台にした(本人の意向ではないかもしれないが)安室奈美恵さん。TVに映し出される大好きな、憧れのアムロちゃんを、固く握りしめた拳を正座した両膝に乗せ見つめていた。硬い表情のまま歌う彼女に心の中で「がんばれアムロちゃん、がんばれ」と声をかけ続けていた。
間奏でステージの前方に歩き出した彼女。おそらく演出上決まっていた動きだったんじゃないだろうか。私には、彼女が前に進むのを怖がっているように見えた。下を向いて、お客さんと目を合わせるのを怖がるように近づく彼女に、拍手と「おかえり」のシャワーが降り注いだ。瞬間、彼女は泣き出す自分を堪えることが出来ず顔をふせた。それでもそんな顔を見せまいと、顔を上げた瞬間にはマイクに向かい歌い始めた。そんな彼女の姿に再び祝福の音が会場を包み、彼女は時折声を詰まらせ、震わせながら、歌い続けていた。
後に放送されたドキュメンタリーで、「復帰が怖かった。誰も自分を待っていてくれないのじゃないかと。」と語っていたのを見て、彼女の全てに「あぁそうだったんだね。」と合点がいったものだ。

さて、この一連を見ていた11歳の女の子。憧れの人の涙にもらい泣きをしながら人生で初めての欲望を抱いた。「私もここに立ちたい」と。
ステージの上から感動を与える人が、ステージの向こうの人たちに励まされ感動をもらう。そんなことが起こる特殊な空間。少女の心は決意してしまったのだ。

それが、私の音楽家の道のりの第一歩だった。

「GENIUS2000」は復帰後初のアルバム。小室氏とダラス・オースティンの共同プロデュースということもあり、曲により趣きが違う。ダラス氏の作る良質なR&Bポッブスは全体的にキー低めで、大人・安室奈美恵の(この後の安室ちゃんの方向性の一つの軸にもなるような)魅力が遺憾無く発揮されているし、小室氏の作る曲の安室ちゃんは「あぁこれこれ」という、真冬のお風呂のような気持ちよさがある。
私は90年後半~2000年頭頃のR&B,SOULサウンドが好きなのだが(前回の「Shake」も正に)、このアルバムもその時代ど真ん中のサウンドアレンジ。これだけでたまらないし、シンプルにとても良いPOPアルバムだと思う。ジャケットのかっこよさから滲み出ている通り、22年経った今も色褪せない、素晴らしい一枚だ。

私はよく晴れた青空の下でこのアルバムを聴くのが大好きで、特に3曲目~5曲目の流れがたまらない。切なくなって開き直ってカッコよくなって。

少女は大人になった今も、あの感動と高鳴りが続いているらしい。
夢見てから23年経ったというのに、どうしても想いを現実にせねば気が済まぬらしい。2022年、マイクを握り始めたのだ。
追いかけた背中はいなくなってしまったけれど。追いかけた背中のかっこよさならずっと忘れない。





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著者プロフィール

楓 幸枝
バンド活動を経て、現在はドラマー、作詞家、文筆業、MCなど活動の幅を広げている。
ミステリーハンターとしてフィンランドを取材するのが密かな夢。

Instagram
楓 幸枝(@yukie_kaede)