《連載コラム》 幸枝の『惑星円盤探査録』Vol.10

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2020.11.12

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「惑星円盤探査録 Vol.10」

宇多田ヒカル
「DEEP RIVER」



「好きな人が他の女の子を「かわいい」って褒めるより、「才能あるよね」って褒める方がヤキモチ妬いちゃう。」

とある先輩ミュージシャンがぽろっともらした言葉に愛しさと共感が止まらなかった。身に覚え、あり過ぎる。

例え好きな人が賛美した人物がどんなに凄まじい相手だったとしても、それは避けては通れぬ感情で、更に同業者だともう手のつけようがない。
それまでは自分も好きだったはずなのに、その一言で事態は急変。名前を見かける度に「うっ…」と思わず顔をしかめる程に嫌悪感を示すようになってしまう。

なんでなのか。
容姿の賛美も勿論妬いちゃうのだけど、容姿ならまだ付け入る隙がある感じがする。
でも、才能の賛美って“惚れ込んでる“って感じがしちゃうのだ。
引き剥がせない想いが生じている気がして、まして自分もその人に才能を感じていたとなるとぐうの音も出ない。その状況がまた腹立たしい。
比べてもしょうがない、のはいい加減理解しているのだけど、それはあくまで理性の範疇。本能はメラメラと燃え対抗心が満ち満ちていく。

そんなメラメラを、以前私は宇多田ヒカルさんに抱いていたのだ。
馬鹿げている。
天下の、泣く子も黙る宇多田ヒカルに抱くような感情じゃない。
一体私は何様なのか。
全く身の程を知れ!と理性がいくら説き伏せようとしても無駄で、彼女が各所で賛辞の言葉を投げかけられる度に「けっ」と心の中で小石を蹴飛ばしていたもんだ。
ヘビロテしていたというのに。カラオケで歌ったりしてたというのに。
あぁ、恐ろしき恋心。

そンな嘆かわしい呪縛から私が解放されたきっかけは、Netflixで公開されたライブ映像「laughter in the dark tour 2018」だった。
「勉強のために見ないと」と思いながら、例の嫉妬心のせいで再生まで辿り着くのにかなりの期間がかった。(よく考えたらその時期にはもう恋はとっくに終わっていたのに宇多田さんへの当て付けの感情だけ精算し損ねていたのだ。ご本人からしたら何とはた迷惑な…!)
が、「えいっ」と勇気を出して再生してみたらなんて事はない、私は夢中で二時間観続け、再び宇多田さんを大好きになっていたのだった。
名曲の数々を一緒に口ずさみ、彼女の唯一無二の世界観と歌声に酔いしれた。
最高峰のアーティストでありながら、MCになった途端に照れ臭そうに控えめに少しだけぶっきらぼうに喋る彼女の人間臭さにもグッときてしまって、最後には画面の中の宇多田さんと共に涙腺を緩める始末。
結果、前以上に彼女を好きなってしまった。どんだけ現金なんだよ、私。

「DEEP RIVER」は宇多田ヒカルさんの3rdアルバム。
何かを言いたげにこちらを見ている彼女とは確かに目が合っているのに、どうしようもなく分かり合えないという想いに囚われてしまうのはタイトルに影響されてのことなのか、物憂げな表情のせいなのか。
「traveling」「光」「letters」など名曲目白押しなアルバムの中で、特に私が聴いているのは「FINAL DISTANCE」。
元々「DISTANCE」というタイトルでリリース予定だったのだが、レコーディング中に池田小事件が発生。その犠牲者の中に自身のファンがいたことを知り、アレンジを変更しリリース。シングルCDの中には、少女の名前と、「すべての守りたいものへ」と言う追悼メッセージも添えられていた。
ピアノとストリングスと彼女の透き通る声がとても美しく突き刺さる。元々宇多田さんは情緒溢れる素晴らしい歌唱だけど、この曲にはより一層のソレを感じてしまう。
事件のことは私もよく覚えていたけれど、今回コラムを書くにあたってもう一度詳しい経緯を調べてみて当時知らなかった詳細も色々と分かり、改めて事件の卑劣さを痛感した。綴りたい気持ちがたくさんあって、何度コラムに残そうと挑戦してみても、どれも浅はかで嘘くさく感じてしまい、書いては消してを繰り返した。
今の自分にできるのは、「FINAL DISTANCE」を聴くこと、そして綴りきれなかった想いを忘れないこと。
私もミュージシャンである以上は、いつかきっと音に乗せて届けることができるわけだから、その時まで大事に心に閉まっておく。



宇多田さんの曲を一度聴き始めるとしばらく他のアーティストを聴く気が起きなくなってしまうのはきっと私だけじゃないだろう。
異次元に完成度の高い楽曲と歌唱に圧倒されながらも、滲み出る愛嬌と孤独感に共感を覚える、本当に稀有なお方。
嫉妬なんかしてた自分が改めて情けないけど、宇多田さんなら笑って許してくれそうだな、なんて気もしている。





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著者プロフィール

楓 幸枝

バンド活動を経て、現在はドラマー、作詞家、文筆業、MCなど活動の幅を広げている。
ミステリーハンターとしてフィンランドを取材するのが密かな夢。

Instagram
楓 幸枝(@yukie_kaede)