【PUNK担当オススメの1枚!!】「俺の~シリーズ(冬休み編)」

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2018.01.12

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ディスクユニオン各店パンク・スタッフが「思い入れ」だけでセレクトした『"俺"の冬休み』

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JERRY J, NIXON / GENTLEMAN OF ROCK'N'ROLL
ロックンロールの伊達男。アメリカはニューメキシコ州で1950年代後半から活動したイギリス出身ジェリーJニクソンさんの1958-1964年に残したと言われるアンソロジー。先に記しておくとコチラのジェントルマン、ホントにその時代に居たのかどうかがまず怪しいです。例えば当時のフライヤーとか絶対的に間違いのない写真等が出てきません。一応レコードも出してましたと裏ジャケに掲載されているものの、インターネッツを駆使しても一切見当たらず。KINGエルヴィスと同時期に活動していた”フリ”をしているのだろうか、とにもかくにも謎である。

肝心のサウンドはこれが本当にその時代に録音されたのなら宇宙のロック史が180度ひっくり返る内容。その後沸き立つデスペラードなロックンロールサウンドをほぼ網羅していると言っても過言ではありません。本作を2003年にリリースしたレーベルVooDoo Rhythmの見解によれば「1年前、名前も聴いた事もない1本のテープを受け取った。これが本当に古いものなのかどうかは判らない、ロックンロールの詐欺かも知れない...が、自分自身で決める」とのこと。年代がどうであれ自身の耳で決着を付け、その音がしっくりきたならそれでいい。素晴らしい作品に変わりないのだから。

名曲だらけの本作、映画「すべてをあなたに」の主題歌THE WONDERS/That Thing You Do!やドイツのネオロカRUNAWAY BOYS/My Loveと同等のドリーミンさを感じずには居られないオープニングの1958年作Moonlightからスタート。星降る冬の闇、トボトボ歩きながらメロディーを口ずさめば夜空ノムコウのお月様に出会った頃の貴方を照らす。元気でやってるか、ちゃんとメシ食ってるか?別れてもう何年も経つけどたまに想い出すんだよなお前の事...おっといけねぇ、野暮なこと考えちまった...明日は頑張ってみようかな、みたいなことを勝手に妄想できる曲です。

タモリ倶楽部オープニングテーマを不良青年がアレンジしたらこうなりました的な2曲目のSaturday Midnight Bopを挟んでお次のWhy Did I?はSMAPで例えるなら$10、イヤ違う、青いイナズマ(レッグラリアット)がボクを責める!...Get You!主にロカビリーを趣向する人々から注目されているジェリーJさんですがワールドミュージックやガレージパンク、TOM WAITS、映画監督ならジム・ジャームッシュ辺りのファンにも一聴をオススメしたいクールな作品です。

全然関係ありませんが今年の冬休みは横浜港シンボルタワーにチャリで行く事が目標です。
(担当者 : 新宿パンクマーケット / 小室)


NOFX / WHITE TRASH, TWO HEEBS AND A BEAN
森下くるみを返しに元旦から原付で近所のビデオ屋に向かうさなか、慎重に慎重を重ね時速2キロぐらいで左折するも、案の定凍った道路に滑り転倒。ダウンを着ていた為クッションのように守られた事と超徐行だった為怪我はなく、というか氷の張った冷たい道路にドスンと勢いよく寝そべっただけで、手から離れていったHONDAジョルノをスリ足で回収し再度ビデオ屋に走り出した20歳くらいの私。翌日の夜から友人宅での5連荘呑みが毎年恒例で、そこでは数年前に行った沖縄旅行の写真を小さいデジタルフォトフレームで永遠に垂れ流し、その当時の彼女が写し出されると毎年同じイジりが始まるという何が楽しいのかわからない状況。音楽もひたすら垂れ流されるわけですが、家主が一体何時代に作ったんだというカセットテープを永遠ループ(数年後にはitunesに切り替わりますが)。「白い恋人たち」から始まり「島人ぬ宝」を通過した頃に流れてくるベースの和音。私達世代は必ずコピーしたであろうイントロ。"Stickin In My Eye"が流れ出してもさして盛り上がるわけではないけど、毎年同じメンツで同じ話を繰り返し、同じ曲を右から左へ聴き流していただけなのに、冬になると思い出す1曲。そりゃユニコーンやジュディマリの方が冬休み感があって、今回のお題の時点ではその辺しか思い浮かばなかったけど、あの頃を思い出すとやはりこの曲。私の冬休みはNOFXと森下くるみです。
(担当者 : 新宿パンクマーケット / 石谷)


YAPHET KOTTO / KILLER WAS IN THE GOVERNMENT BLANKETS
学生時代、人生の春休みから夏休みに入り秋休みが過ぎ冬休みに突入いたしました。雪降りしきる中、毎日のようにmixiのコミュニティでEMOバンド、激情バンドをあさる生活。心の暗黒期(俗に言う中二病)といいましょうか何か世界に対して考えてみたり、自分の小ささに嘆きたり、あらゆる事象に反発してみたり。鬱蒼とした心、釈然としない時は音楽を聴いてごまかす。そんな時に出会った音楽がハードコアやEMOといったものである。「自分では解放できない何かがここにある!」といった具合でライブハウスに行ったり、YOUTUBE見たり、ユニオンのオンラインで爆買いしたりetc. もう音楽しかねえとかシャバい考えを持ち合わせていたあの時。あの時大好きだったYAPHET KOTTOの1STはユニオンで働く今でもよく聴く1枚です。2ND派の人も多数いますが私は断然1ST派です。今も昔も根底にあるものは変わらず冬は元気がなくなりますが今日も1日がんばっていきます!
(担当者 : 新宿パンクマーケット / 中村)

CRADLE TO GRAVE / FROM THE CRADLE TO THE GRAVE
オリジナルは2002年冬の年末にリリースされましたが、その10年後に再プレスのタイミングで、寒さが残る2012年の年始に、ジャケットの手のひらにステッカーの手袋を被せたデザインで再発。オリジナルの定価は1600円でしたが、再発盤は半額の800円にした廉価盤として再リリース。オリジナルメンバーのMaruとHDKに、元SPROCKET WHEEL~WATER CLOSETのギターRickeyと、同時期にWATER CLOSETでもドラムを叩いていた現ZAZOのAniが在籍時の11曲入り2ndフルアルバム。新潟県小千谷市のSPRAY PAINTが音源でカヴァーした「1972」やFIFTHWHEELがライヴでカヴァーした「No More Enemy」も収録。4曲目「★★★★」の正式名称は「Revolution No.2」というインスト曲。CRADLE TO GRAVEのインストは全て「Revolution」という曲名で、3rdアルバムに収録されている「Revolution No.4」まで作られています。この2nd再発盤を購入すると、ロシア構成主義をモチーフにしたジャケットと同デザインのポスターと、バンドのロゴステッカーが付いてきます。ジャケットに貼られたステッカーはTHE ACCUSEDの3rdアルバムに貼られていたサングラスのステッカーを真似したものです。
(担当者 : 渋谷パンク・ヘヴィメタル館 / 小林)


BALZAC / Deep -Teenagers From Outer Space- 20th Anniversary Edition
1997年冬、世間知らずな田舎の高校生でした。冬休みといえばCDやレコード欲しさに町のスーパーや神社でバイトに明け暮れ、貰った小遣いでとにかく通販で買って買って買いまくっていた想い出しかありません…今も変わっていませんけど。スーパーの店頭で凍えながらしめ縄を売るバイトでもらったお年玉用のポチ袋の中身を確認しつつ、高校生の小遣いで買うにはちょっとしんどい値段だったMisfitsの棺桶BOXセットと一緒に緊張しながら都会のレコード屋に電話をかけて通販で買い、豪雪や運送会社の繁忙期の影響でなかなか届かないことに対して北海道のクソ田舎に住んでいる自分を恨み、届いた矢先にゃダンボールをビリビリに無作法にやぶって取り出して興奮してとにかく聴きまくった1枚。そんな当作が20周年アニバーサリー盤として嬉しいリマスター&ボーナストラックたっぷりの内容で再発と来たら、飛びつかざるを得ないです。いつまでも若いつもりが、あれから20年も経ったってことに気が付かされてしまいました、恐ろしいです。ですが全く色褪せていない内容に17歳の私に戻れます。WALLからのTHE HUMAN BLOOD、やっぱり最強です。
(担当者 : 千葉店 / 内澤)


鐵槌 / 日本狼

冬になるとここ20年近くほぼ戦跡を巡る旅をしているのですが、コンビニで温めたワンカップを煽りながら日本の片隅をほっつき歩いた夜に月を見上げて魂に沁み渡るのが「風、蕭々」。肌を指す空気の中背筋を伸ばしさらに一歩前に出る力を与えてくれる最高の一曲です。収録曲全て気持ちを鼓舞される、行動の背中を押すような日本語歌詞の美しさに鳥肌が立ちます。悪戯に右傾化する世間とは一線を画すブレのない圧倒的な強い言葉と歌声と楽曲。賛否を論ずる以前に単純に小さい頃強く男らしくなりたかった気持ちを具現化したような楽曲はいつ聴いても勇気をもらえます。最もこのアルバムを聴いて震えた場所は戦艦陸奥爆沈を弔う周防大島陸奥記念館までのレンタカーか山口県大津島の回天特攻訓練基地跡に本当に自分一人しかいなかった瞬間です。
(担当者 : お茶の水駅前店 / 宇津木)


ミサトとトンカツ / ふたりの行方
俺の冬休み。毎年、東北の田舎に帰省し友人と飲みながら過ごすのが恒例となっております。そしてなぜか毎年、大体嫌な事が起こります。畑に落ちる、夜の繁華街を走って逃げる、前日一緒に飲んでいた友人が警察に捕まっている、畑に落ちる・・・。そんな嫌な冬休みを今年はステキに変えてくれであろうこの1枚。ミサトとトンカツそれぞれ自身の新曲と、互いへの提供曲を書き下ろし、共作共演曲の全7曲。ラストのコラボ曲はPVにもなっており、振り返ると白々しくそっぽ向くシーンでなぜか毎回、ちょっと笑ってしまいます。曲ももちろん良いですが、お二方の歌声、癒されますね・・・永遠に聴ける。この冬1番リピートするであろう1枚。
(担当者 : 横浜西口店 / 斎藤)


DAMNED / DAMNED DAMNED DAMNED
人生初のお受験というハードルを前に、友達に教えてもらったばかりの銀杏BOYZを聴きながらしぶしぶ勉強机に向かっていた中学3年生の冬。気分転換にと同級生が貸してくれたゴイステの伝説的ライブDVD「君と僕とBEEのBEAT戦争」が今思えば全ての始まりでした。そこに映るぐっちゃぐちゃの4人が輝いて見えたと同時に、なぜか心に引っ掛かったのは、目の周りを真っ黒に塗った理由としてメンバーが挙げていた「ダムドみたいだから」という言葉。ダムドとはなんぞや?とロック好きだった父親に尋ねると、棚の奥から引っ張り出してきたのは大昔にダビングした本作のカセットテープ。第一印象としては正直そこまでしっくりくるものではなかったのですが、聴き続けるうちにいつの間にかすっかり洗脳され、のちに初めてジャケットデザインを見たところで「あ、これ最高だ」という揺るぎない感覚が自分の中で見事に完成。結果的にこれが現在まで続く70's PUNK好きの原点となりました。ちなみに高校にはなんとか合格、体育祭では髪を赤組カラーに染めた先輩(三留)が車で校門に乗り付けるような超エキサイティングな高校生活をエンジョイしました。
(担当者 : 営業部 / 石井)


DESCENDENTS / I DON'T WANT TO GROW UP
専門学生ラストの冬休み。当時働いていたバイト先で、店長に「お店の忘年会で何か一曲やりなよ」的なノリで弾けもしないアコギを渡された20歳の私。やっぱ女子だしチャットモンチーとかやるっしょって思いつくも、まず弾けるようになる以前に声が高すぎて無理。ってソッコー断念。何か歌えるのないかなあってようつべで漁っていたところ、キュートな黒髪外国人女子がDESCENDENTS「Silly Girl」をアコギで弾き語っている映像を発見。当時ちょうどDESCENDENTSのドキュメンタリー映画「FILMAGE」が公開されていた頃で、自分の中でもお熱真っ盛り。「DESCENDENTSの弾き語りとか超良いじゃん。これやるしかないっしょ」ってすぐに感化され早速練習開始。当時付き合っていた彼氏に、寒空の下川沿いでひたすら練習に付き合ってもらい(まじで寒かった)、当日の忘年会でも良い感じの盛り上がりを見せたっぽくなんとか初の弾き語り無事終了。個人的にアルバムの中でも断トツに好きな曲だし、時々ふと思い出す良い思い出。関係ないですが学生時代超楽しかったんでたまに戻りたいです、ゲロの街 蒲田でみんなと飲みたいな~。
(担当者 : 営業部 / 牛頭)


銀杏BOYZ / エンジェルベイビー
今でも忘れられない真冬の衝撃。2003年1月GOING STEADY解散。当時、携帯でインターネットにどっぷり入り浸っていた私は、毎日のように見ていた公式サイトでこの事実を知ったのだった。あれ?俺、童貞たちのクリスマスイブ見に渋谷行ったよね?ありゃ夢かい?次のライブのチケットまで買ってたんだもの。本当に驚いた。その頃からかしら、銀杏BOYZの『BBS』というやつにハマりだした。全国にいる銀杏大好きなしょうもないやつらがクダらない書き込みをして、それにしょうもないやつらがレスしてしょうもない会話をしている。カリスマコテハンみたいなやつもいた。面白い荒らしもいた。そんなのを眺めている自分もしょうもないと思いながらも頻繁に見ていた。ただの暇つぶしなんだけど、高校生の自分にはある意味刺激的だった。たまに「おっ」となる書き込みもあった。当時興味のあったアメリカンハードコア、西荻系、snuffy smileについてのスレ。そこだけには会話に参加することもあった。公式BBSから派生した音楽好きが集まる掲示板(魔法のiらんど)も多数あったので、いつからかネット上でしか知らない人たちと夜な夜な音楽について話すことが多くなった。そのとき知り合った友人は、今でもよく呑んだりライブ見に行ったりしているし、そのなかでバンドを組んだ人たちもいる。この年にもなると全国のいろんなところへ行くことも多くなって、そのとき話す同世代との会話では、GOING STEADYと銀杏BOYZは共通言語として度々出てくる。やっぱりすごいバンドだったんだなと何度再認識したことか。そんなことをこのシングルを聴きながら思い出しました(終)。そういえば先日年下のバンドマンに「いまきんさんって銀杏BBSのコテハンでしたよね?」って聞かれたときは死ぬほどドキドキした。コテハンではありません。
(担当者 : 営業部 / いまきん)


銀杏BOYZ / 恋は永遠
ゴイステ解散の衝撃から2年ぐらい経過した'05年1月15日(wikipedia調べ)当時高1の冬。期末テストの成績が悪くて特別補習授業みたいなのを受けさせられていたので確か土曜日だったのは覚えています。朝からそわそわしていたのもお昼過ぎの休み時間にはもう限界を迎えてしまい、一緒に通学していた同級生も共犯にしてひっそりと高校を抜け出す事に成功し、ギア無しだったので自転車の変則を一番重くはできませんでしたが、雪の中を白い息を吐きながら1時間近くかけて地元の国道沿いのCDショップに駆け込み、大量に面出しされていた『君と僕の第三次~』と『DOOR』の2枚のアルバムをすぐ手に取ってレジに持ってきました。今思えば、あれだけCD聴く前からコーフンを抑えきれなかった経験って中々ないなぁと思います。コンポのスピーカーから鳴り響くゆうや~けこやけ~にょのイントロの時点で既に電撃が走り、自室のベッドの上で正座して歌詞カードをめくりながら、何度もその2枚をリピートして多幸感に浸っていました。友達との会話も「どっちのアルバム好き?」とか「駆け抜けて性春のYUKIのパートヤバくない?」とか「人間めっちゃ良い曲だよね」とか銀杏の事ばかり。何か嫌なことでもあれば親がいない時間を見計らって爆音で流し、勉強机の上から仮想ステージダイブを何度もキメてベッドが嫌な悲鳴を上げていたのも良い思い出です。WEEZERピーズBUZZCOCKSじゃがたらJELLYFISHスターリンPIXIES(森高千里とグリーンデイは置いといて。。)も全てここから学び、高円寺や下北沢といった東京の街に仙台の実家からひたすら思いを馳せる日々でした。しかし、そこから時は経ち本格的にパンク/ハードコアにのめり込んでいくうちに、なんだか銀杏に対する想いもだんだんと薄れていってきてしまい、大学に入って上京する頃にはCDラックですっかり埃をかぶる状態となり、正直もうあの2枚を越えることはないだろうと自分の中で決めつけてしまっていたので、久々にリリースされる新譜もほとんどノーマークな状態となってしまいました。気づけば、ミネタ氏以外のあのメンバー3人も脱退・・故・阿藤快さんの言葉を借りるなら「なんだかなぁ~~」という感じです。そんな心境の中、ユニオンで働き始めて1年ほど経過した2017年の今。今度は3部作のシングルがリリース。初回盤は全て7インチサイズで、後々には限定で12インチまで。MVも公開されたし腰を上げてちょっと久々に観てみるか~と何気なくチェックしてみると、さすがに昔みたいにコーフン抑えきれずなんて事はないのですが、いい歳となった今となっても物凄く心に沁みるんです。特に3枚目のリリースとなったこの曲に関しては、なんだか『漂流教室』なんかを初めて聴いた時の様な120%ピュアで懐かしい「あの」感情が蘇り、すっかりお気に入りの1曲となりました。昔みたいなバンド編成じゃなくなったけど、やっぱ俺銀杏BOYZが好きなんだな~と再確認できたのも嬉しく思います。俺の冬休みというか俺の銀杏BOYZになっちゃいましたが、今年の冬休みはこれをじっくり聴きながら東北新幹線に乗って田舎に帰りたいです。
(担当者 : 営業部 / 青砥)


SNUFF / SIX OF ONE, HALF A DOZEN OF THE OTHER 1986-2002
「おめぇら、休み期間は次の遠征費を稼いでこい」 顧問が無鉄砲に言い捨てて始まった高校1年の冬休み。ド田舎で短期のバイトが出来るところなんて…繁忙期の郵便局かスーパーくらいだよ。と、結果ヨー◯ベニマルの鮮魚部門。そこでの仕事は、寿司パック(年末ファミリー向け用)に彩り豊かなネタをのせる!!︎…以前の機械から出てくるシャリを箱に詰める作業。そう、エンドレス・シャリ詰め。そんな気が狂いそうになる程の単純作業に、早くも途方に暮れていたお昼の休憩時間。近くの席に座った同じ鮮魚部門でバイトする兄ちゃん(20代くらい・金髪・名前は佐藤or斉藤)に声をかけてもらって「(兄)眠くなるよな」「(自分)眠いっす!!」やら「(兄)酢メシ嫌いになっただろ」「(自)当分食いたくないっす」なんてくだらない会話をしたり、ジュースを奢ってもらったり。今思えばバイト中の唯一楽しい?時間。そして、その兄ちゃんから教えてもらったのが"SNUFF"。青春パンク真っ盛りな自分に、洋楽パンクなんて…。なんて思ったのも束の間。日本語カタコトで『にんげんていいな』歌ってるし!何これ!って…お陰様で、その後の作業中は脳内エンドレス「にんげんていいな」。ある意味苦痛でしたが、あの日あの頃の佐々木少年に新たな選択肢をくれたのは貴方です、ダンカン(馬鹿野郎)。
(担当者 : 営業部 / 佐々木)


GAUZE / 面を洗って出直して来い
ある冬の日、多分中学三年か高校一年だったか。GOING STEADYのライブに友達と行き、横浜の今は無き24の前でメンバーの出待ちをしている時にある人に声を掛けられた。音楽に詳しい人で、「ああ、あいつは知り合いだよ」なんて言葉に騙され、すっかり俺の中で業界人になった彼は、俺と友達を家に招待してくれた。どうやらバンドをやっているらしく、家に着くなり色々な音楽を聴かせてくれた。その時に教えて貰ったのが鉄アレイとGAUZEだった。中でもインパクトのあるタイトルのこのアルバムは良く覚えていた。正直当時はこんな音楽もあるんだな、なんてぐらいの認識だったが、試しに「面を洗って出直して来い」のCDを購入した俺は、いつの間にかハードコアという音楽にどっぷり浸かるようになっていたのだ。今でもこのアルバムを聴くと思い出されるのはあの日の事である。そしてその日から幾年の時を越え、数奇な事にこの思い出を作ってくれた人物と再会を果たす事になる。RYDEENのKYCさんである。そして彼が連れていってくれた家は、兄であるTKCさんの家である事も判明。横浜界隈でその名を知らぬ者はいない、狂気の双子と当時邂逅していた事は、今の自分を裏付ける事実であると思っている。追記となるが、24から家までのタクシーから、「あ、払っといて」とだけ言って先にタクシーを降りていった彼に、今でも心から感謝しています。
(担当者 : 営業部 / 安藤)


過去のシリーズはコチラ↓↓
「俺の~シリーズ(メロディック編)」
「俺の~シリーズ(サイコビリー編)」
「俺の~シリーズ(UK 80'S ハードコア編)」
「俺の~シリーズ(POWERVIOLENCE編)」
「俺の~シリーズ(GARAGE PUNK編)」
「俺の~シリーズ(EMO編)」
「俺の~シリーズ(オムニバス編)」
「俺の~シリーズ(DISCHORD編)」
■「俺の~シリーズ(夏休み編)」