原田和典のJAZZ徒然草 第51回

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2009.11.25

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40年代ジャズの若大将、アレン・イーガーにじっくり耳を傾けてみようぜ
今年はレスター・ヤングの生誕100年である。なのにそれほど話題にならないようだ。とくに日本では。同い年のベニー・グッドマンほどのポピュラリティに欠けているということか。もったいないことだ。レスターほどジャズの自由を漲らせ、それを謳歌しながらアドリブを繰り広げたミュージシャンが他にどのくらいいるというのか。
先日も僕はレスターの『イン・ワシントンDC 1956』(Pablo)5部作を聴きこんでいた。日本ではLP時代にポリドールから第4集まで発売されたはずだ。リリースが進んでいくにしたがって、だんだん演奏がヨレていくのが実に興味深かったが、逆にいえばvol.1、vol.2におけるレスターの霊感はすさまじく、同年に録音された、晩年の作品では最高ランクといわれている『プレズ&テディ』を遥かにしのぐ。当時の彼はかなりアルコール依存が進んでいて、固形物を口にすることはほとんどなかったと伝えられる。しかもものすごく体調が悪かったというではないか。だがこの日のレスターはものすごく乗っている。サイドメンは地元のミュージシャンで(といっても、ピアノはワシントン・ジャズ界の名士といえるビル・ポッツだが)、世界的な有名どころはひとりもいない。が、レスターは他人の音に左右されて演奏するタイプではないので(天才は基本的にヨソに関心がないものだ)、おのれのインスピレーションが満タンであれば、それが即ち名演として成立するのだ。
レスターを味わったあと、あまりにも気分がよかったので、僕は続けて“グレイ・ボーイズ”(レスターは、彼から影響を受けた若手サックス奏者の一群をこう呼んだ)の演奏をいろいろ聴いた。本家に近づこうとしているという点ではブリュー・ムーアが圧巻だが、ノリの歯切れよさ、フレーズの大胆不敵さという点ではアレン・イーガーに心を奪われた。よってここではイーガーを取りあげる。
An Ace Face
スキーのインストラクター、カーレーサー、モデルとしても活躍した伊達男だ。
彼は40年代半ば、ニューヨークのジャズ界に颯爽と登場した。と考えると1910年代後半から20年代前半の生まれであっても不思議ではないのだが、産声をあげたのは1927年。デクスター・ゴードンの4歳下、ワーデル・グレイの6歳下、ソニー・スティットの3歳下、マイルス・デイヴィスの1歳下にあたる。にもかかわらずイーガーが10代の頃からシーンの中央で活動できたのは生まれ故郷がニューヨークだったので“地方巡業のビッグ・バンドをめぐりめぐって上京の機会をうかがう”必要がなかったこと、まわりに一流ミュージシャンがゴロゴロいたため容易にハイレベルで実践的なトレーニングを受けられたことが大きいように思う。
イーガーがクラリネットを始めたのは13歳のとき。やがて主奏楽器をテナー・サックスに変えて、デューク・エリントン・オーケストラを退団したばかりのベン・ウェブスターに熱中、遂に彼の個人レッスンを受けることに成功した。白人の少年に「サックスを教えてください」と頼まれたベンの驚きようは察するに余りある。18歳の頃にはいっぱしの奏者となってマンハッタン52丁目周辺を闊歩していた。 「おもしろい少年がいるぞ」という話はすぐにミュージシャン間に伝わったのだろう、イーガーは続いて“テナー・サックスの王者”コールマン・ホーキンスと一緒にレコーディングする機会を得る(46年2月27日)。ホーキンスはテナー・サックスどうしの共演が好きだったのか、レスター、ベン、エディ・ロックジョー・デイヴィスアーネット・コブソニー・ロリンズとも吹き込みを残しているが、イーガーとの共演はホーキンスが最も左傾化していたといわれる46年に記録されていることに価値がある。が、このときすでにイーガーの意中の人はホーキンスでもベンでもなかった。よりライトでクールなレスター・ヤングへ傾倒していたのだ。
3月22日には、当時の最先端ジャズ“ビ・バップ”を精力的に記録していたサヴォイ・レーベルに初めて自己名義の録音を残している。内容はゴリゴリのビ・バップというべきもので、前年におこなわれたデクスター・ゴードンのリーダー・セッション(『デクスター・ライズ・アゲイン』収録)、ヴィド・ムッソチャーリー・ヴェンチュラ的なスタン・ゲッツの初リーダー録音(46年、『オパス・デ・バップ』収録)よりも驚くほどモダンで、歳月の流れを思いのほか感じさせない。同年6月には、ノーマン・グランツの主催するジャム・セッション団体“ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック”のカーネギー・ホール公演でイリノイ・ジャケーとテナー・バトルを演じている。
47年4月には、新たに編成されたバディ・リッチのビッグ・“バップ”・バンドの一員としてニューヨークの「アーケイディア・ボールルーム」に出演した。イーガーはメイン・ソリストとして活躍したが、楽団自体が短命に終わったのと、レコード会社とのコネクションがうまくゆかなかった(?)ため、記録はごくわずかしか残されていない。が、イーガーが思いっきりフィーチャーされた「デイリー・ダブル」が現存しているのは不幸中の幸いだ。
Daily Double収録のCD(Buddy Rich)
この流れるようなフレーズ、抜群のリズム感、豊穣な音色。なるほど、こんなに吹ければ他人にあまり関心のないレスターも“Allen Eager can blow”と口を開くわけである。その3ヵ月後には再びサヴォイにリーダー・セッションを録音。デューク・ジョーダン(ピアノ)、カーリー・ラッセル(ベース)、マックス・ローチ(ドラムス)というチャーリー・パーカーとゆかりの深いリズム・セクションをそのまま起用し、堂々たるプレイを聴かせるイーガーはすごい貫禄だ。しかし、このとき彼はまだ20歳になったばかりだった。11月には批評家バリー・ウラノフが集めたオールスター・バンドの一員として、ファッツ・ナヴァロ、パーカー、レニー・トリスターノ、リッチらと顔を合わせている。
48年もイーガーの好調は止まらない。タッド・ダメロンのバンドに加わって、短命に終わったジャズ・スポット「ロイアル・ルースト」に登場。ナヴァロやワーデル・グレイと腕を競った。
 
Navarro名義で発売されたDameronのRoyal Roostライヴ
いっぽうでスタン・ゲッツ、ズート・シムズアル・コーンジェリー・マリガン等、年代的には一緒なのだけどキャリア的には後輩に当たる(イーガーが早熟すぎたため)サックス奏者とも連れだって少なくないレコーディングを残している。彼らとの吹き込みで僕が最も興味深いのは、マリガンのプレスティッジ盤『マリガン・プレイズ・マリガン』に入っている「マリガンズ・トゥー」だ。1951年という、まだSP盤(片面3分)主流の時代に17分を超える演奏が記録されているというのも掟破りだし、どちらかというとアレンジャーの印象が強いマリガンがアドリブ奏者としての底力を全開し、イーガーも凄みを漲らせてテナー・サックスを吹ききっているのだから、やはりこれは特筆すべき名演であるといいたい。このレコーディングのしばしのち、マリガンは西海岸に渡り、歴史的に名高いチェット・ベイカーとのオリジナル・カルテットを結成する。以後マリガンは二度と「マリガンズ・トゥー」のような演奏をすることはなかった。このときマリガンと一緒に西海岸にいけばジャズマンとしてのイーガーの未来も変わっていたのかもしれないが、彼は故郷で活動する道を選んだ。
Brothers And Other Moderns(サヴォイ録音)

50年代初頭のニューヨーク・ジャズ界は一種の沈滞期にあった。55年3月には憧れのチャーリー・パーカーが世を去ってしまった。この時期からイーガーは少しずつジャズ界から距離を置くようになる。スキーやモデルの仕事をしながら気の向いたときにサックスを吹くという生活が続いた。とはいえトニー・フルセラのアトランティック盤、マーシャル・ソラールケニー・クラークのヴォーグ盤『リユニオン・ア・パリ』(パリ滞在中に参加)におけるプレイは香気を失っていない。60年にはチャールズ・ミンガスらが中心となった団体「ジャズ・アーティスツ・ギルド」が開いた反ニューポート・ジャズ祭にあらわれ、アルト・サックスを吹いたそうだ。
Tony Fruscella
しかし60年代は、その前の10年以上にイーガーが“ジャズを忘れた”時代となった。カーレースに出場し、アルプスでスキーをし、メロン財閥の遺産相続人と懇意になり、ティモシー・リアリーの教えを受けてLSDにハマった。イーガーは、ジャズの流れが変わったからといって、わざわざそこに自分を合わせようなどと思わなかったのだ。60年代から70年代にかけてのレコーディングは「ない」といわれているが、コンピレーションCD『An Ace Face』のライナーノーツにはフランク・ザッパの『フリーク・アウト』と『ホット・ラッツ』に、(おそらく)ソプラノ・サックスで参加しているとの記載がある(だがザッパのアルバムにイーガーの名前はクレジットされていない)。
彼がジャズ界に戻ってくるのは80年代のことだ。82年だったかにアップタウン・レーベルにカムバック・アルバムを録音したものの、そこには「早熟な天才」の姿も、「年を重ねてすっかり円熟の境地に入った名手」の姿もなかった。が、「デイリー・ダブル」、およびサヴォイ・セッションやタッド・ダメロンとの録音がこの世に残っている限り、これからもアレン・イーガーの演奏はジャズ・ファンの心に火をともしつづけるだろう。
未発表演奏をまとめたCD[In the Land Of OO-Bla-Dee]



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