原田和典のJAZZ徒然草 第83回

  • JAZZ
  • JAZZ徒然草

2013.02.22

  • LINE

  • メール

2月でも真夏。急場しのぎでキューバに行ってきたぜ (その1)

前から行きたい行きたいと思っていたキューバに、ようやく行くことができた。本当ならハバナだけではなくサンティアーゴ・デ・クーバや山村など各地を回ってサンテリーアの奥義なども身につけたかったところだが、あまり欲張りすぎても老後の楽しみがなくなる。いち観光客としては十二分に、おつりがくるほど意義のある旅行をすることができた。



現在、日本からキューバへの直行便はない。ぼくが使ったのはカナダ・トロント乗り換えのエア・カナダ便だ。トロントは雪。空港は広くて天井が高く窓が大きく、太陽の光がやわらかに入ってくる。空港内にはいまや日本にもアメリカにもないヴァージン・ストアが店舗を構えていて、その壁にはトロントの音楽堂「マッセイ・ホール」(チャーリー・パーカー等が参加した『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』の舞台)のイラストが描かれている。実にいい雰囲気だ。
が、キューバ乗り換えの飛行機は成田⇔トロント便の5分の1ほどの大きさ。通路も実に狭い。3時間半ほどのフライトの後、ハバナのホセ・マルティ空港に着くと機内から乗客どうしの拍手が起こる。無事に入国を済ませると、目指すは両替所だ。キューバの通貨は2種類あり、ひとつは人民ペソ、もうひとつは兌換ペソ(CUC)。観光客が一般的に使えるのは後者だが、前者も使えないというわけではない(24人民ペソ=1CUC)。日本円をCUCにしてくれるところは(僕の知る限り)成田空港にはないが、キューバにはマルティ空港のほか、いわゆる旧市街にも両替所がある。

観光客には様々な宿が用意されているが、僕が選んだのは5つ星ホテルのホテル・ナシオナール・・・・ではなく、そこから歩いて15分ほどのところにある民宿。5つ星ホテルは、見学に行けばいい。せっかくだもの、少しでもキューバのひとと触れ合いたいではないか。そしてその人が音楽好きで、しかも打楽器かなんかやっていたら最高だ。民宿の主人は残念ながら音楽人間ではなかったが、大の動物好きだった。犬と猫を2匹ずつ、それに大きなインコを飼っていた。犬たちはやたらノリがよく、僕が到着したその日からなついてくれたので、まったく退屈しなかった。だから、お礼に「黒くてデカい犬」、「まゆげ犬」と名づけることにした。キューバでできた最初の仲間は、この2匹の犬である。

荷物を片づけると、さっそくライヴが恋しくなってくる。ジャズでもラテンでもサルサでもいい、とにかくリズムの強烈なやつを聴きたい。道路をぶらぶらしていると、男女のカップルに英語で声をかけられた。発音のたどたどしいことではどっこいどっこいなので、親近感が沸く。「サルサ・パーティがあるんだ。君も行って俺たちと一緒に踊らないか?」ときかれたので、「踊れないんだ。それに僕はこれからジャズ(現地ではヤスと発音)・クラブに行こうと思ってる。サルサ・バンドのライヴも聴いてみたいけどね」と答えた。すると向こうは「あー、ヤス・クラブはみんな休みだよ。それよりパーティに行こうよ。もちろん、すごいサルサ・バンドが出るよ」。そのまま歩いていると、道路の向こうにレストラン(パラダールと呼ばれる個人経営の高級な食堂)が見えてきた。「君、腹へってない?」と先方。「まあ、減ってるかな」と僕。「じゃあ、ここで食べようよ。パーティ代は俺たちが払うから、食費は君が持ってくれ」。
ここでようやく、意図がわかった。パーティなんて最初からなかったのだと思う。僕は「ノー、グラシアス」といい(欧米と同じく、キューバでも「ノー」は絶対的に「ノー」である。「いいえ」といっても、「そこをなんとか」と食い下がる輩の多い日本とは違う)、来た道を引き返した。目指すは「La Zorra y El Cuervo」(calle 23 Esq. a O, El Vedado)。べダード地区にあるジャズ・クラブで、店名は「狐とカラス」。

なにが「休み」なものか。しっかり営業しているではないか。電話ボックス風の入口を入って右折し、階段を降りると、そこがクラブの後部座席につながっている。このあたり、ひょっとしてニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」を参照したのかもしれない。店内にも太い柱があり、そのへんもヴァンガードを髣髴とさせる。が、あれよりも思いっきり見づらい。柱が無意味なまでに横長なせいもあろう。俯瞰気味に見ると決して広くないバンドスタンドが2:3(柱):5ぐらいに3等分されていることがわかってくる。いいかえれば3割の客はミュージシャンではなく柱を見に行っているようなものなのだ。柱の近くに案内され、「ここじゃステージが見えない」と店員に席替えを希望するオーディエンスの声も聞こえた。店員の答えがふるっている。「あそこにあるモニター画面を見ればいいでしょ」。たしかに客席上手(かみて)の壁にはテレビ・モニターがある。だが目の前でやっているライヴの音だけを聴けて、演奏する姿はテレビでしか見ることができないというのは殺生な話だ。
入場料はひとり10CUC。そこにカクテル2杯がつく。メニューはキューバリブレとモヒート。ソフトドリンクやビールや食べ物は扱っていなかったと記憶する。ぼくが最初に行ったときはジャセク・マンサーノ(Yasek Manzano、1980年生まれ)のグループが出ていた。セリア・クルースのバンドや、イラケレロス・バン・バン等に所属したトランペット奏者である。メンバーは他にポータブル・キーボード(クラブにはアコースティック・ピアノを置くスペースがない)、コントラバス、ドラムス、パーカッションの5人組。そこに数曲、あまりいただけない、妙に気取った女性シンガーの英語の歌(「ウェイヴ」等)が入る。マンサーノのプレイは、トランペットを吹くときはウィントン・マルサリス風、フリューゲルホーンのときはフレディ・ハバード風とでもいおうか。とてもテクニックのある奏者であり、音量が豊かであることはよくわかった。90年代後半にはニューヨークに行ってジュリアード音楽院で学んだこともあるという。






翌日の出演者は大ベテラン、ラサロ・バルデース(Lazaro Valdes、1940年生まれ)率いる“ソン・ジャズ”だ。ビセンティーコ・バルデースの甥で、10代の頃ベニー・モレーのバンドで本格デビューを果たしたという、もうとんでもない伝説的人物である。ユーチューブではグランド・ピアノを盛大に弾きまくるカナダ・モントリオール・ジャズ祭での映像を見ることができるが、上記のような理由でこの日はポータブル・キーボードによる演奏。ビックカメラだと2万8千円ぐらいで買えそうな薄型のやつだ。だが、それでも熱く弾きまくり、こちらを興奮させてくれるのがラサロのいいところ。「マンテカ」等もとりあげていたが、ホーン・セクションが命のこの曲を、よくもまあここまでピアノ+ベース+ドラムス+パーカッション用に再構築したものだと思う。チューチョ・バルデース(血縁関係はない)を思わせる巨体の持ち主だが、体格を維持する秘訣はトレーニングにあり、柔道四段でもあるという。日本には1981年にサルサ・バンドの一員として訪れ、神戸で半年間、演奏したそうだ。「また日本に行ってみたいが、もう他人のところで演奏する気はない。ソン・ジャズで、日本を訪れることはできないだろうか」。僕はその可能性があってもいい、と思った。ただこのバンドも女性シンガーがいて、歌が入ると途端に演奏のスピード感が減じていくように感じられたのが気になった。



翌日は、やはりピアニストのホルヘ・ルイス・パチェコが登場した。「キューバで最も有望、そして最も熱い若手ピアニスト」という触れ込みだったので聴きにいったのだが、前述の理由によりポータブル・キーボードによる演奏。とにかくあらんばかりの音数、複雑なキメで曲を構築していく。このセカセカした感じ、僕が真っ先に思い出したのはキルギス出身のエルダーだ。いわゆるピアノ奏法における指の動きの最高速度はもう、彼らによって極められてしまったのかもしれない。2010年にはハバナを訪れたウィントン・マルサリスと共演、昨年出たCD『Pacheco's Blue』はチューチョのプロデュースだ。影響を受けたミュージシャンにはチューチョのほか、エミリアーノ・サルバドールゴンサロ・ルバルカバ等の名前を挙げている。有望なミュージシャンであることは間違いないのだろうが、僕はピアニストでもないしテクニック至上主義でもないので、技術よりもその演奏家独自のストーリーを聴きたい、と、どうしても思ってしまう。

次回は高級ホテルやキャバレーでのスペシャル・ショウ、もう1件のジャズ・クラブ、男女の出会いの場も兼ねた巨大クラブ、エグレム・スタジオ、米国カーター政権時代に知れ渡ったあの有名劇場、生バンドつきのサーカス、水族館、窓もドアもないオート三輪タクシーなどについて書く予定。乞うご期待!

 ■原田和典著作関連商品■