2009/05/20 | INFORMATION | Tokyo Black Star スペシャル・インタビュー Interview & Text: 長谷川 賢司(gallery)

Interview & Text: 長谷川 賢司(gallery)

1970年生まれのイサオ・クマノと1973年生まれのアレックス・フロム・トーキョー。
代々木上原と池尻という渋谷からほど近いエリアで少年時代を過ごした2人。
彼らが多感な青春時代を迎えるころには世の中は華やかなバブルの時代へと…。
しかし、その時代にはまだ、携帯電話もインターネットも普及してなかったのである。
10代後半のディスコ遊びから始まりクラブへ…。
彼らのルーツは?



-- 僕らはみんな同世代と言っていいと思うんだけど、アレックスは早熟だったよね。14歳くらいからクラブ行ってたでしょ。

アレックス・フロム・トーキョー(以下A) :
そうだね(笑)。友達とね。そのお父さんが音楽関係の仕事してて、 六本木に住んでたのもあって、よく彼のところに泊まりにいってさ。彼のお父さんにクラブ関係の知り合いが多かったりでね。
それで、よく遊びに行ってたよ(笑)。それと、学校も飯田橋にあって…、在日フランス人学校なんだけど、結構とんでもないヤツ等がいたからさ。
とくに先輩がさ(笑)。不良の先輩がいっぱいいたんだよ。その影響が凄くあったよね。学校のダンスパーティーがよくあって…。そんな不良の先輩連中、高校2年とか3年生の先輩がオーガナイズしてたんだけど、
学校の食堂にサウンドシステム持ち込んでさ。中学生くらいから行けたんだよね。まぁ、学校も幼稚園から高校までずっと一緒で、小学校から中学校に移っても仲間が一緒だったりでね、そんな感じで中学校くらいになるとダンスパーティーがあって。そこには30カ国以上の人種の人がいて、もの凄いミクスチャーだったんだよ。

-- 凄い環境だよね。不思議な感じだねぇ…。学校自体がね。

A : そうなんだよ。今思うと結構不思議な感じだよね。
教育はフランス語なんだけど、もちろん日本人もいるし、授業以外のときはフランス語から英語から日本語から…、もうなんでもだよね。すごいミクスチャーでさ。それに、外交官の息子とか大企業の息子とかのエリートな人達もいつつ…、全然そうじゃない人達もいて、不良もいっぱいいたんだよね。学校も小さくて1クラス30人くらいなファミリー的な感じだったんだよね。だからまぁ、不良って言っても、実はみんないい人達ばっかりだったんだよ。 そんななかに音楽が好きな人達がいっぱいいたんだよね。
そんななかで学校のダンスパーティーから始まったかな…。

-- そうすると時代的には80年代とかだよね。学校のパーティーではどんな音楽が流れてたの?

A : なんでもだったよね。ヒップホップはもうけっこう…ね。そのときオールドスクールから新しいものが出てきて…。オールドスクールなものもかかってたけど、あとはポップなものも多かったね。ニューウェーヴなんかもポップだったし、ディスコやファンクとかもゴチャ混ぜだったりとか、ベストヒットUSAとかMTVとか出てきた時期でもあったりするじゃない。まぁ、その辺から始まったよね。

-- その辺には我々の世代、あまり差がないよね。

イサオ・クマノ(以下K) : そうだね、差はないね。ぼくも中学校のときは金曜日の夜中にTVKでソニー・ ミュージックTVがあって、あれ朝までやってたんだよね。それで、最後まで観て土曜日学校行ってほとんど寝てたっていう(笑)。

-- あの時代のTVKの存在は結構おおきかったよね。

K : それと、レンタル・レコード屋さんが完全にリンクしてたなぁ。その当時は洋楽好きの仲間何人かで、新譜が出ると手分けしてレンタルして人数分ダビングしてね。だから、トップ40はカセットテープで全部持ってたな。あの頃のお小遣いはほとんどレンタルレコードとカセットテープに注ぎ込んでたね。あとはエア・チェックっていうFMラジオの番組を雑誌でチェックして録音するんだよね。そんな感じだったね。

A : おれも学校の友達とそんな感じだったよ。アメリカに留学した友達からお土産でレコードもらったり、イギリス寄りの音楽が好きな友達からはロック、ニューウェーブとか教えてもらったりしてさ。

K : 今思い返してみれば、高校生くらいになって、バイトとかしててさ。そんな流れでディスコとかに女の子と行くじゃないですか?それで、女の子が行きたいとこに行こうよと。そうすると、やっぱりユーロビートでパラパラだったんですよね。一緒に行っても鏡とかみて(パラパラを)やり出すから、それがつまんなくてね…。
パラパラ覚えるつもりもないワケだし、そもそもこの音楽好きじゃないし…ってなって(笑)。
そこでね…。こりゃ違うわ…って。今思えばそこからかな…。そうじゃない仲間ができて西麻布のクラブなんかに行くと、そっちではアシッド・ジャズなんかがかかってて。なんてカッコいいんだろうこれ!ってなるんだよね。だからそのあたりから女の子にウケるような音楽とは決別してしまったような…(笑)。

A : おれが覚えてるのは、そうやって六本木のディスコとかに遊びに行って、その延長でたまにレコードとか六本木のWAVEなんかに買いに行ったりしてたね。で、そこで「THE BANK」のことをはじめて聞いて、行ってみたら、あのヴァイブにやられてね。それからディスコでは遊ばなくなったね。そこで人生が変わったよ。ワォって感じだった。音にしても、あの雰囲気。真っ暗であの妖しい雰囲気。一回経験したらね…。
人生がほんと変わったよね。六本木のディスコも楽しかったことは楽しかったけどね。
でもあの「THE BANK」の妖しい雰囲気…そこに危険な雰囲気もあって、なんかそれに凄く憧れたね。
女の人もさ、なんか絶対手が届かないような凄い綺麗な人が来てたりね。普通のディスコとかにも綺麗な人はいたけど…(笑)、なんか種類が違うっていうか…、オーラが違うっていうか…(笑)。 ほんとに、「THE BANK」に行ったら、音楽から、店の店員にしても、全部がかっこよかった。

K : なんかコロナビールとか飲みたくなるようなね…(笑)。

-- 別物だったよね。ディスコとクラブ。音楽がかかって踊るって意味では同じ現場なんだけどね。

A : 知らないあいだにやっぱり音にヤラレてたんじゃないのかな?
そのときは「ウワッ、この曲ヤバい!」とか、「凄い楽しかったな!」とかは思ってたけど、今思うとさ、無意識のうちにね…。純粋に音にやられてたんだね。いつも行ってた六本木のディスコと、「THE BANK」の音の感じ方、全然違ったもんね。たぶんその頃はそこまでわかってなかったけど、振り返ってみると絶対そうだったんだよね。音と雰囲気にヤラれてたんだよね。そこが始まりだよね。そこにルーツがあるよね。

K : おれも行ってたもんね…。中学の頃の友達とね。高校はヤンキー校みたいなところだったから(笑)。
あんまり一緒に音楽聴く友達はいなかったね。その頃から楽器のローンが絶えなくて…。で、ヤマハのドラムマシーンを結構な金額で買ってさ、ちょっとしたシーケンスが組めるんだけど…それで、ちょっとヒップホップ的なものを作ってさ、テープに録って友達に聴かせてね、今思うとものすごくショボイものだったんだけど(笑)。 「ヤバいよ!カッコいいよ!」って盛り上がってさ。その盛り上がりのまま西麻布に行くみたいな感じだったね(笑)。よくわかってなかったけど、自然にディスコから離れていったよな…。
外人とかもよく見かけたけど、その外人っていうのはもしかしたらアレックス達だったかもね。

A : ほんと毎週行ってたからね!よくスピーカーのなかで寝てたりしたもん(笑)!

-- その辺は我々はみんな一緒かも知れないですね。
入り口にはディスコがあったけれども、自然にクラブの方に行くようになったよね。

K : そのあとはやっぱり「YELLOW」かな…。

A : …そうだね。あと、「GOLD」だね…。

K : その頃はね…、おれはジャズマンになってて…(苦笑)。ひたすら勉強してたね(笑)。
その時期はわかりやすい、いわゆるポピュラー・ミュージックから完全に遠ざかってたね。現代音楽
とかにまでいっちゃってた。ちょっと病んでる時期だったかも…ね。

A : おれは、ちょうど高校を卒業してパリに行ったんだよね。それで、パリでも東京のアンダーグラウンド・シーンと似たような場所に行ってた。レコード屋さんとかいろんな人に会ってさ。

K : その頃、今回のアルバムでシンセサイザーで参加してくれてる高木くんと知り合ったんだよね。その頃にぼくはミュージシャンの方にいってるから、そこで、ジャズやって現代音楽までいくとさ、本当に勉強っていうか…。ま、良さはすごくあるんだけど…。なにやってんだろう…?面白いのかな?ってなって。ややこしいことをやるのがいいことだ。みたいになっちゃって。で、 あるとき疲れて、スライ&ファミリーストーンを聴いたときに涙が出てきそうになってさ…(笑)。『これ凄いいい』と思って…。『おれ、(やっぱり)こういうのが好きなんではなかろうか?』って思ってさ。

A : すごいダイレクトで、ストレートでファンキーでね!

K : それでまた考え直して、ダンスミュージックってもともとエレクトロニックなビートのね…、プリンスなんか好きだった頃に立ち戻ってさ。ちょうどそんなジャズ病から立ち直りかかった頃に「YELLOW」なんだよね。
そしたら、(「YELLOW」 で)同じループのちょっとズレてるやつを十何分とかやってるんですよ。『狂ってんな~この人』って。ライブだったんだけど、誰だか覚えてないんだよね。たぶん誰かの来日ライブで…。
ドラムマシーンをいじりながら、シンセやったりなんかしてたんだけど。何しろ新しいビートを聴きたいと思ってフラっと「YELLOW」に行ったから…。それはもう、ズレてるし、演奏テキトーだし、ひでーなぁと思ったんだけど、10分以上聴いてたら、だいぶ気分良くなってきて…(笑)。これはいったいどうしたことか?と。周りも盛り上がってるし、自分もその盛り上がりのなかにいて。ジャズはいったいなんだったのかってなって…。
こっちの方が楽しいな…ってなって。そこからコンピュータの方にいったんだよね。ジャズがだめだっていうことではなくて…ね。そっちはそっちで、自分の落としどころがなかったんだよね。テクニカルになり過ぎちゃって。そのままテクニックさんみたいになるのもどうなんだろう…って思いつつも、それしかやりようがなかったし。(逆に)味だよって、そんな若者が言うことじゃないし。

-- 落としどころがなかったんですね。テクニックを磨いて極めていけば落としどころが見つかるんじゃないかと思ってそっち行くわけですんもんね。ま、ところがクラブに行ってみたら、実際には意外にもこんなところに落としどころがあったんだっていうのが発見でしょ。

K : けっこうビビって(笑)。ガーン。結局やっぱこういうのが好きなんだって。自分を知るみたいな。
だから、一度勉強して…。でもフィーリングに戻ったんだよね。そんときに。だから、今アレックスと一緒にやっててさ、2人ともフィーリング・タイプだと思うんだよね。テクニカルに構築されたいいものに憧れる気持ちはあるんだけども…、自然にそれができるんだったらやりたいけど、とりあえず、いるメンツで楽しくやることの方が大事。そういう考えだから、制作に対してあんまりキュウってならないね。

A : とんがったものとか、変わったものとか、面白いものに反応しちゃうんだよね。

K : それの精度が、そもそも衝撃を受けたのはズレたビートを10分聴いたら気持ち良かったっていうとこから始まってるから。精度の問題じゃないっていうのが…。そこがぼくが復活したきっかけだから…。ズレてていいんじゃん。今回のアルバムにもそういう部分というのは出てるね。

A : フィーリングは重要だね。

K : まずは、自分が正直になったところからスタートしてね。今回の作品に通じるテーマでもあるよね。

A : そういう意味でこのアルバムは個性的だよね。

K : ズレてても良いっていう…。そういう手法もこのアルバムには取り入れてる。『MIDNIGHT EMPEROR』とかは結構ヒドいからね…(笑)。よくよく聴いてみると。実は解析不能なくらいズレてるよ(笑)。



かくして、アレックス・フロム・トーキョーはDJへと、イサオ・クマノはエンジニアへの道へと進んで行く。
そんななかで2人が出会ったのは、90年代中頃。ある意味でクラブ・ シーンがひとつの成熟をむかえる頃。そのムーブメントとリンクしていた渋谷のアナログレコード・ショップでだ。渋谷のレコード・カルチャーと、そこにあったD.I.Y.のスピリッツで繋がったという2人はやがて、TOKYO BLACK STAR(以下TBS)を結成する。この4月に彼らのファースト・アルバム『BLACK SHIPS』がリリースされたわけだが、出会って以来、この2人の根底に流れるマインドは一貫している。


A : 今の若い子って、音楽に詳しいかもしれないんだけど、ライフスタイルがないって思うんだよね。

K : ある種インターネットだから、もうマイ・スペースから直接レーベルで、レーベルがすぐ地方にいるまんま作品を出して、いきなりライブだったりするでしょ。土地とか街、仲間っていうのをすっ飛ばして…。それでマネジメントが上手ければ、それで売れちゃうっていう。まぁ効率はいいのかもしれないけど…。
だけど、街でいろんな思いしながら…今日はレコード買いすぎちゃった…とか。

A : 何時間か語って、レコード聴いたり、いろんな人とであったりとかさ…。そういうのが今はないよね。そういうところでぼくら知り合ったワケじゃん。今はネットのおかげもあって、あまりにも効率良くなってきてるから、だから会いたくない人には会わずに済むよね。昔はクラブにいろんな人が来てたじゃん。会いたくない人にも会っちゃうような事が多かった。

K : システムとして、レコード・カルチャーが機能してたんだよね。それと、雑誌なんかも連動してたっていうか、同じ気持ちでやってる人とかいたからね。わりとスムーズだったし。今ほど、仕事っぽくなかった気がするね。効率が悪くて、無駄が多いように感じるんだけど、その無駄のようなものが実は触手のようにいろんなものを結びつけてたっていうね。今思うと凄く有機的なことだったんだなっておもうんだよね。
だってさ、普通に制作会社の技術者として仕事しててさ、ここまでDJ達と知り合うってなかなかないと思うもん。パーティーはやっていたにしてもさ、仕事でそこを結びつけるってことは今だと難しいっていうか。

A : 今はないよね…。そういうのがね。当時は渋谷に集まってたよね。

K : そこにパブリック的な価値があって、成立してたっていうか。オーガナイザーにしてもDJにしても、トラック作ってる人にしてもコミュニケーションがあった感じでね。

-- 現場感あったよね。

A : すごいあったよね。エキサイティングだったよ!

K : アンダーグラウンドが増殖していった時期っていうかさ。いろんなものがいろんなセンスで出てきて、それを切り取って、その人なりに調理していくことに価値があて、流行りがどうだって事よりも、流行りっていえば、そんな個性が集まって、全体が流行りだったみたいなさ…。それはとても理想的な感じがあったかな。スタイルが全然違っててもお互いリスペクトがあったよね。

A : あのころは、みんなそれぞれに位置があったんだよね。

K : 今はなんとなくさ、仕事になるところは尊重されるけど…。 それ以外の個性はね…。

A : 特に日本はね。

K : ヨーロッパなんかだと、アメリカもそうかも知れないけど、 まず個性…みたいなところがあるじゃない?

A : そうだよね。

K : クオリティーじゃなくて個性…だと思うんだよね。粗くても個性…みたいな。
日本の場合はまずクオリティーで、クオリティーを突き詰めれば、個性が出てくるみたいな…。意外と厳しいですな…師匠(笑)。みたいなところがあって。もちろんそういうのも大事かもしれないけど。メチャクチャなヤツ等が好き勝手やってくなかで、それがだんだん整ってきたりなんかしたら凄いじゃんみたいな…そういうのがあった気がするな、当時はね。だから、ひどいパーティーとかもいっぱいあったけどね。『こりゃ、やりきってんな!』って感じがあった。アンダーグラウンドてことにもの凄いモチベーションがあったっていうかね。

A : クマノさんとの関係もそこにルーツがあるなぁって思うのは…、ダンスミュージックのD.I.Y.のインディペンデントなスピリッツっていうのに魅力を感じて、それが凄い好きでDJも始めて、それでパリに行ったときにそれをさらに経験して、ヨーロッパの他の場所でもそれを感じられて、そのインディペンデント・スピリッツっていうか、アンダーグラウンド・スピリッツっていうか…、それに魅力を感じて、そのコミュニティーが凄く好きでさ。で、日本に帰ってきて、ミスター・ボンゴにも同じように思ってさ、クマノさんにもD.I.Y.のスピリットを感じたんだよね。師匠がいて師匠の下で勉強してっていうんじゃなくて、なんか、日本のシステムとは違うところにいたよね。だから、一緒になれるんだよね。

K : それで、やりきれると思ってたからね…。まぁ、難しいことは難しいよね。一時期は良くてもそれをキープするってのがね、本当に難しいよね。ある種さ、意固地になりすぎるところもあるじゃない、アンダーグラウンドって。これでいいんだ!って。おれたちが納得してやってんだから、他の評価は関係ないって。そういうのも強さの一つだけれども、ある意味閉鎖的になっちゃって。そのジレンマがある。…とはいえみんなと遊びたくてやってるワケだからさ。また逆に、なんでもオープンにするとクオリティーはさがるっていう恐怖もあるワケで…。そこの調整はやっぱり本当に難しい。

A : おれはそのジレンマ…。たぶん、狭くなるジレンマのなかでニューヨークに行ったと思うんだよね。

K : もの凄い煮詰まった時期があったよなぁ…。もの凄くイライラしてたんだよね。なんかそんな話ばっかりしてたよね。危機感に煽られるっていうか…。…でも、考えて話していても解決するわけじゃなくて…。
そんななか、あるときアレックスと作っていく過程のなかで、作品がなんか(状況を)変えるってことがあるぞってね。

A : そうだね。一枚目をリリースして…、そこからなんかね…。

K : わりと気持ちが楽になったっていうか…。作品にもの凄くイマジネーションの高いものを出していけば、遊びが新たに肉付けされていくっていうか…。思いもよらなかった遊びが展開されていくような、有機的なことになるような予感がそこで凄くしたんだよね。

-- 作品にしてリリースすることで答えに繋がったんだね。

A : (このアルバムに関わる)みんなと…、インナーヴィジョンズのクルーとかとも純粋に音楽でコミュニケーションしてるんだよね。毎日のように電話してるってワケじゃないしさ。初めて音源渡したときとかも、『出してよ』って営業的にじゃなくて…。 友達として、リスペクトしてるDJとして、是非聴いてもらいたいなぁっていうのがあってさ。その応えとして『リリースしたいよ』ってきたからね!ただ友達に頼まれたからっていうのじゃなくて、音楽でコミュニケーションできたんだよね。そうやってサポートされてて、友達でもあるから、確かに気持ち楽な部分もあるんだけど、プラス、彼らもこだわり持ってやってるし。だから、リスペクトしてればこそ、プレッシャーもあるし、ちゃんとした作品を渡したいしね。彼らも同じ考えで、同じヴィションを持ってるし。

K : マツさんも同じことを言ってるよね。寄せてくれたコメントのなかでね。凄くイマジネイティヴなコミュニケーション手段っていうかね。作品同士でコミュニケーションできるっていうね。

-- 最高だね。

A : 健康的な、理想的なシチュエーションだよ。

K : 相当スピリチュアルな感じはするけどね。

A : まぁ、そうだけど、でもそういうスピリチュアルな関係が当たり前だったりするんだよね。

K : 信頼関係があるってことだよね。

A: それはなんかすごい気持ちいいよね。

K : 逆にさ、実務的には淡々と進んでいく面があるじゃない、作ったものに対して。もう何にもなしでOKだと。で、ディクソンはディクソンでリミキサーとか手配して、商品としてもう、すぐ完成される。凄く、テクニカルなところはちゃんとしてる。だけど、それはイマジネーションのコミュニケーションがもう成立してるから、そこは凄くプロフェッショナルなんだよね。凄くスムーズ。ごちゃごちゃしないんだよね。

-- 凄いね~。

K : 楽しいですよね…。

A : 楽しくやれるよね。

K : ぼくらが盛り上がって、『いい』ッて思たものは、本当に同じ感覚で評価してくれるし。

A : もちろん、それぞれ好き嫌いはあると思うけど、基本的にそうだよね。

-- インナーヴィジョンズからリリースすることになった経緯を詳しく教えてもらえる。

K : 『BLADE DANCER』だよね…。

A : そうだね

K : それまでは、だいたいこういうプロジェクトがあるからこういうの作ろうとか、こういうリミックスのオファーがあるからとか企画があってやってたんだよね。だけど、『BLADE DANCER』に関しては何もなかったんだよ。オリジナルをちゃんと作ろうか、みたいな。それが結局…ね。

A : そのとき、ちょうどDX100(シンセサイザー)をニューヨークで見つけてゲットしてね。

K : 遊んでたら、良い音出るんですよ(笑)。自然とああいう…「チャッチャ・ッチャー」ッて(笑)。そういうふうに弾いちゃうよね、これは!って(笑)。

A : いわゆる、ラリーハード、ケリー・チャンドラー、デリック・メイ…もうね。ああいう音色がそのままね。

K : また好きなわけでさ…(笑)。

A : 持ってかれたよね!

K : 持ってかれたねぇ~。もう…方向は決まったみたいな(笑)。最後までベース・ラインには悩んで、いろいろやってみたけど、ね。結構、熱く作ったよね。

A : 熱く作ったね。早くできたよね。

K : それがまさかね。ある種、オリジナルとして好きに作った第一号。

A : 人生が変わった曲だね、今思うとね。凄いハマッてたよね。

-- 凄くいいのができたな…と。

A : たまたまその頃、ミニマルなテックっぽいハウスが出てき始めた頃だったしね。タイミング的にもバッチシだったんだよね。

K : そうだね。なんかハイテック・ジャズみたいなものを作ってみたりしたんだけど、気乗りしなくって。
ピンと来なかったんだよね。で、こっちじゃないの?って。

A : ダビーなハウスとか、ね。それで、ちょうどその頃ディクソンがベルリンで「INNNERCITY」っていうハウスのパーティーを始めたときだったんだよね。彼はジャザノヴァ/ソナーコレクティヴで活動してたんだけど、
ディクソン自らニュータイプのダンスパーティーを始めるようになったんだよね。だから、ディクソンのパーティーの雰囲気とベルリンで起きてる新しいハウスミュージックの動きと、僕らが作った曲とが、それらがすごくマッチしたんだよね。で、それでリリースするまでに結構時間かかったんだけど、それは曲を渡したとき、最初、ソナー・コレクティヴから出そうって話になったんだけど、結局、『ぼくらで今新しい動きをアームと考えているからちょっと待っててくれ』って。彼らがちょうどいろんなプランを考えてるときに、ドンッって『BLADE DANCER』を聴いて、これで新しい動きのきっかけにできるんだと。それで、ちょっと待った結果…、『ぼくらもジャザノヴァ/ソナー・コレクティヴから離れて…インナーヴィジョンっていうレーベルを始めるから』って。

K : ま、そんときはそんときで、えっ、ソナー・コレクティヴから出せるの??マジ??ってなったけどね。

A : そうそう…。だから、新しいレーベルに不安な部分もあったよ。時代の入れ替わりだった部分もあるし。あのころソナー・コレクティヴもいい感じになってたからね。正直言うと。でも、彼らが『今、ベルリンで新しい動きがあるし、ここで、僕らがいろいろ始めないといけない時期なんだよ。』って、『もし興味があるなら、そのニューレーベルで出さないか?』って。もちろん、すぐOKしたんだけどね。

-- なるほどね。

A : そのときまだ東京にいたんだけど、その動きが東京にはなかったんだよね。ムーヴメントとしてはね。向こうのリアリティーと東京のリアリティーがさ…。東京って意外に消費的には早く入って来るかもしれないんだけども、でも現場のクラブ的には必ず遅れて入ってくるんだよね。ムーヴメントとしては一年とか二年とか遅れて入ってくるんだよ。だから、今も東京はまだ、テックなミニマルだったりするんだけど、意外にベルリンとかはもう人気が落ちてるとこがあるんだよね。もちろん大きなパーティーとかはそうかも知れないけど、ミニマルのDJとかいっても意外にみんなハウスなんだよね。そういった意味でインナーヴィジョンの役割は注目されてるんだよね。ミニマルでもないし、オーソドックスなハウスでもないし。新しいハウスミュージックでもあったりするから。

-- レーベルの動きとして面白いよね。ハウスのなかでもクロスオーバーしてるっていうか。

K : マネできる感じがしないよね。ヘンリック・シュワルツとかのあの感じとかさ。アームにしてもそうだし。

A : 今はマイアミでもそうだったんだけど、動きとしてはアフリカっぽい要素とか、民族音楽的なサンプリングのものとかばっかりだったよ。なんかサイクルだなって思うんだけど。クリッキーなハウスとかはもう終わってて、エスニックな感じがね。まぁ、戻ってきてるよね。またちょっとそれもトゥー・マッチだったりするんだけど(笑)。

-- そうなんだねぇ…。話は戻るけど、さっき言ってた、煮詰まるっていうこと。いろいろ考えちゃうから煮詰まって、それで楽しさが失われていくってことだよね。そうすると、あまり、周りの事は考えないほうがいいのかな…。

K : やってる人が何か楽しみを持ってなかったら、それは伝わりようがないよね。

A : それは凄いベーシックなことだよね。これはDJについてのことだけどさ、ロラン・ガルニエの自伝を翻訳したときに…、グッとくるポイントがいっぱいあるんだけど、ひとつ忘れられないのが、プレイするとき…、針から自分のエネルギーが伝わっていくんだって…。ほんっとにそう思うんだよ…。自分の気持ちが入ってないとね。まぁ、適当に喜ぶものかけたら、なんとかうまくはいくんだけどさ。だけど…、そこで終わっちゃうよねぇ…。

K : ぼくは結構聴き分けますよ~、そこは(笑)。

-- そこを羅列されちゃうとさ、それこそディスコになっちゃうワケだよね。

K : そう。ディスコは「型」だとおもうんだよね。ある種、「型」をしっかりして、その上で魂を込めろっていうのが日本的な「○○道」。だから日本のディスコのプレイは「ディスコ道」 なんだよね、きっとね。
でも、その「型」を生み出したなんらかのシステムの元には、なんらかのイマジネーションがあるんだよね。それが「型」だけになっちゃうと、ね。気持ちが入ってないとね。難しいのは、とはいえ人がたくさん集まって営業するわけじゃないですか、そこで、「型」破りなことで成立させるっていうのはある意味天才だよね。ほんとにクリエイティヴなことだから。毎日営業して、クリエイティヴなことを成立させるっていうのは業務としては非常に不安定だよね。だから、ディスコがしぶといのは、その「型」があるからっていう。
安心できるし、その「型」を求める人がある程度いればね。「型」さえはずれなければ最悪な失敗はまずないでしょ。だけど、クリエイティヴにやってたら、大ハズシもあり得る。で、それを任されてるDJっていうのは、自分のコンディションに非常に責任があるっていうかさ、乗り切れなかったらどうすんの?っていう…(笑)。

A : けっこうチャレンジだよね。

K : そこはエキサイトだっていうこともあるし。またお客さんにも優しさがあるとね…。『わかるよ~。もうちょっとだよ。』なんてさ。ツウな楽しみ方かも知れないけどね。相当精神的なコミュニケーションをやってる…。
クラブの本筋っていうか、真摯にやってる人達はさ、真剣にそういうコミュニケーションを求めてたり、どうにか、クリエイティブな遊びをしようって。ほんとにいい人達だなって思うんだよね。

A : 中途半端なことはしちゃいけないよ。

K : テクニックに逃げちゃったら、楽かもしれないのに。それで、一生大金持ちになれるんだったらね。
だけど、それじゃ満足できないっていうか…。音楽病っていうのか…(笑)。

-- 「型」はつくらない方がいいのかな?

K : たぶん…「型」が出来た段階ではもうフレッシュじゃないから、その「型」が有効なのは意外と短いんだと思うんだよね。一般の人にはわかりやすくなるんだろうけど、やってる本人としては、その「型」で楽しめる期間っていうのはそんなに長くない。 …ま、ただ、それはスターの条件みたいなのもあって、例えばジェームス・ブラウン(以下JB)にはJBの「型」があってさ、必ずJBってわかるステージングだったりさ、それでずっとやり続ける。そうみると、「型」っていうのはもしかしたら、エンターテインメントの基礎かもしれないですよね。その中にずっとスピリットを失わないような人が本物の天才っていう…。例えばバレエとかもね。落語もJAZZのスタンダードなんかもね。言ってみれば「型」じゃないですか、でも単にBGMになっちゃう人とかさ…。そこは才能の問題だったりするんだろうけど、マイルス・ディヴィスみたいに「型」っていうことを否定し続けて、スタイルを変え続ける芸術っていうのもあるし…。ある種、大きな視点で観ればさ、僕らがやっているのも、 いわゆる、クラブ・カルチャー/ダンスミュージックっていう「型」のなかにいるかも知れないし。そのなかのチャレンジだったり。それを取っ払ってしまうと、かなり大変なことに…(笑)。

-- そういう意味でいうと、「型」っていうのはいきつくところまでいくと変えられない「型」になりますよね?

K : 洗練されていくと確かにそれしかないっていうぐらいの筋が残るのかもしれない。でも、TBSでやってることは、意外とそういうオーソドックスな部分もあるじゃない?

A : まぁそうだね。

K : その部分っていうのは「型」を使ってると思うんだけど。それが際立つヤバいところに…そのリフ『チャッチャッ・チャッチャッ・チャチャッチャ…』とかさ(笑)。それはね、そういう風に聴こえたら、もうそれでOKなわけだっていうね。その「型」の原型を浮き彫りにさせたいって言う欲求があって…。

A : それはなんていうか、ダンスミュージック的だよね。ヒプノティックなね。

-- 本質的なとこだと。

K : それは残るんだわっていう強烈なね…、プラネット・ロックのリフみたいな…。そういうのが出てくるとなんか嬉しくなっちゃってね(笑)。

-- 「型」が悪いと一概に言えないってことですよね。

K : そうだね…。洗練されていくと「型」が残るかも知れないね…。でもその「型」を引き継ぐのは難しいことだと思うんですよ。例えば、今みんなエレクトロという「型」を再構築しようとしてたりするじゃないですか?そこにもの凄いクリエイティヴィティーだったりとか、魂が入ってたりすれば、すんなり楽しめると思うんだけど、「型」にしか聴こえないものが多すぎる…。それは「型」だ。っていう。それだけ見せられても困るっていうね。オリジナルが生まれてきた背景のカッコ良さまでは到達しないっていうか…。やっぱね、相変わらずその時代のもののほうがカッコ良く聴こえちゃうっていう…。みんなちょっと「型」に頼りすぎっていうか…。ま、業務的に考えたら今は「エレクトロでポップなメロ書ける人いませんか?募集中!金になります。」みたいな看板がそこら辺にあるけどもね。

-- それをバランスとってやっていくことも大事なのでは?

K : TBSはやっぱりやらないんだろうなぁ…。やる必要がないっていうか。そこで仕事してもしょうがない。それよりも重要なことをやらなきゃね。もうちょっといい仕事をしたいっていうか。ま、なんか挑戦しなきゃいけないっていう…。

A : 一枚目のEPからアルバムに至るまで、挑戦しながらもフリーにやってる部分はあるよね。裸になって、パーソナルなことをやろうとしてるね。毎回ね。

K : そうだね、そこがテーマみたいなものでもあるもんね。

A : もちろんさ、例えば、インスピレーションの元としてこの曲のこことかってピックアップして始めたら、でも全然ちがうものになったりしてね。

K : とっかかりのきっかけにはなってもね。

A : なんかのきっかけではあるんだけど、でも何かしらのきっかけがないと。どんな天才でも誰からも何からも影響を受けないで作品をつくるっていうのはないと思うし。今回はそこから、2人でコラボレーションしてセッションしてるから…。さらに自由にやれる感じがあるよね。

K : ハマりこまないっていうか…。ダイナミックなところが出てるとは思うよね。まぁ、緻密に一人でつくりこみましたっていうのも、それはそれで好きなんですけどね。うわぁ、良く作ったね…、深いとこまで連れてくねぇ…。とかあるじゃない。でもTBSはダイナミックさが楽しかったりするっていう。ディープに聴こえても、オタク向けじゃないぞこれ。どっちかっていうと遊び人向けだっていう感じだね(笑)。

A : だから、一人でやってるともしかしたら、遊びを出す部分が難しいんじゃないのかな?逆に2人で一緒にやった方がお互いの遊び心をシェアできるっていうか。

K : そこはマジックだよね。

A : うん。それがひとつのメッセージでもあるよね。

K : だから、それは音楽ってことだよね。それがパーティーを作ったり、レーベルを作ったり…。人と繋がることのきっかけの種みたいなものだから…。

A : 10年前に知り合ったときの出会いだったり…。遊びが始まりでもあったりするわけだから。そのころのスピリッツが…入ってる。

K : 最終的にみんなで盛り上がりたいっていうか、楽しみたいっていうか…。

A : みんなで遊びたいっていうか、みんなでいいことをしたいっていうかさ。

K : 芸術として音楽の一番の特徴はそこだと思うんですよ。やっぱり画家の人はなかなか一緒に描くっていうのは難しいと思うんだけど、音楽はバンドだったりとかさ、一緒に演奏してようやく…なんだか不思議なウネリがでたとかさ。TBSでもやっぱりそうなんだよね。一緒にやる作用に…そこに磁力みたいなものが生まれて…。マツさんともコラボレーションできたりさ。なかなかああやって、一人でさ、イマジネーション豊かにね。凄い才能だと思うんだけど、でもそういう人も一緒に遊んでくれるし。ディクソンもそうだし。レーベルも出来ちゃったりとか。そうやって、結びついてきて…。有機的に繋がっていける。"gallery"ももちろんそうだし。みんな(音楽の)そういうのがわかってて、そういう魅力があるから。パーティーやったり、音楽、DJ、制作…。一人の天才のための発表の場ではないし…。

A : ホントそうだよね!

-- 芸術ってそういうことだよね。一つの作品、一つの種がどんどん大きくなっていうっていうか。

K : アーティスト、アートの役割があるんだよね。アーティスト、アートが金勘定の人になっちゃったら、エネルギーを人に伝えられないっていうか、人から奪うことになっちゃうんですよ。 今やアートも弱ってしまったのかな…。TBSはアートをやるよっていう宣言でもあるよね、今回ね。本当に優れた芸術っていうのは節々にいい仕事を、アーティストが亡くなった後もね、作品が仕事をし続けるっていうね。命のように続いていくんだよね。生きてる作品っていうかね。そういう仕事をね…。

A : フィーリングで生きてると、それをシェアする人間関係が重要だよね。

K : それに尽きるのかなぁ…。面倒くさいことがあっても、けんかしてでもね…、一緒に遊べた方がいいんですよ。迷惑かけたりかけられたりするけど、ね。しかし、一緒に遊べなくなったら淋しいですもん。いくらこんな機械がいっぱいあったって…(笑)。オレ一人だったらどうすんのこれ…。っていうね。

A : ほんとそうだよね…。

K : 作品を作って、こうやってインタビューされててなんだけど、アルバム作ったのも発表会っていうわけじゃなくて…。こういうコミュニケーション・ツールを作り上げたから、これから一緒に遊びましょうよ。ってことなんだと思うんだよね。そんな深刻なもんじゃないっていうか。売れてくれればもちろん嬉しいけど、でもそこが全てじゃないって。思える。今回出来上がったものが、正直に2人の関係やらいろんなものが入ってるから、ホントに出来て良かったって思うんだよ。

A : 凄く満足してるよ。やったことはやったよね?

K : やった。

A : 伝えたいことは伝えたと思うし。ぼくらの役割は果たせたっていうかさ…。

-- この先もアルバムを作っていく?

A&K : そうだね。発表してない曲もたくさんあるし、日本盤も出したいしね。


TOKYO BLACK STAR 1st Album - Black Ships


2009/03/27 | INFORMATION | DJ MOCHIZUKI NEW MIX CD「LOVE LIGHT」リリース記念スペシャル・インタビュー!

「LOVE(愛)とLIGHT(希望)」をコンセプトに各アーティストが書き下ろしたハウスチューンをDJ MOCHIZUKI(以下M)がミックス! 「ハウス」というカテゴリーの中で、ジャンルに捕らわれないエッジの効いた春色ハウス・ミュージックが満載、既存のミックス/コンピとは一味違った作品です。



DJ MOCHIZUKI■まずはリリースおめでとうございます。前作から2年ぶりのリリースという事ですが、今回、ご自身のMIX CD「LOVE LIGHT」をリリースするに至った経緯を教えてもらえますか?

M:前作のMIX CD「IN THE MIX」からの流れというか。「IN THE MIX」を聴いてくださったコロムビアの担当の方が、その第2弾的なMIX CDどうでしょう?っといった所から話がスタートしまして。色々話をしている内に、何故かLoveとLightだね、みたいな感じで、僕のキャラと正反対?の方向に話が盛り上がりつつ、そのままの流れで(笑)。でも正直、僕自身こういうコンセプトが有った方が、新鮮さ・面白みも有りましたし、やりがいを感じましたのでそのまま突っ走りました。

■前作の「IN THE MIX」とは雰囲気が変わっているように思えますが、今回の選曲にあたって、コンセプトやテーマなどイメージした事があれば教えて下さい。

M:リリース時期が春という事もあったので、暖かい感じ、ポップな感じ、希望に満ちた感じをイメージして制作・選曲しました。テーマは、タイトル通り“Love Light”です。以前リリースした「IN THE MIX」より、さわやかなで明るい感じになっています。

■メジャーでのオフィシャルMIX CDをリリースされたことで、個人的には以前よりも露出度がかなり上がったように感じていたのですが、その辺りはどうでしょうか?

M:自分のミックスがより多くの方の耳に届く可能性が大きくなったという意味で、純粋に嬉しいです。

■出来上がったCDを改めて聴いて、自分の選曲の変化、音楽性の変化をどの辺りに感じますか?

M:基本的な部分は変わっていないと思います。HOUSEと 謳いながらHOUSEだけじゃ無いところとか(笑)。ひねくれていますね。やっぱり、ミックスアップ・スタイルというかジャンルに囚われずに音楽を伝えたいという気持ちがどこかにあるのかも知れませんね。でも、もしかすると今回のMIX CD「LOVE LIGHT」は、最近の僕の現場でのDJプレイを聴いている方にとっては凄い意外!な感じかもしれません。凄い明るい曲中心で構成されているので。でも、これはこれでDJ MOCHIZUKIの一面なんです。音楽性が変わった訳ではありません。節操が無いと思わないで下さい(笑)。

■こちらに収録された楽曲にまつわるエピソードや思い出などがありましたら教えていただけますか?

M:今回はMIX CDなのですが、全15曲中6曲を制作プロデュース、3曲をリミックスしてますので、かなり愛着がありますね。しかも一曲一曲違うコンポーザーやボーカリスト、ミュージシャン達とコラボレーションして制作する形を取ったので、それぞれの曲にそれぞれの思い出があります。中でも二曲目のYURAIさんとの曲は、凄かったデス。久々、1年ぶり位にいきなり連絡して「スミマセン、トラック作ったので明後日までに、メロと歌詞を入れて欲しいんですけど。。。」みたいな、かなり強引な感じで制作に引きずり込んでしまったり。でもそこで期待以上のものを出してくれるんですよね。やっぱり、凄いです才能のある人は。。。皆さんに感謝です。ライセンス楽曲の中でも、"Rock With You"、"Love is Stronger Than Pride"のカバーを収録出来たのは、嬉しかったですね。オリジナルがDJをする前から好きな曲だったので、こういう形で接点が持てた事自体が嬉しかったです。

DJ MOCHIZUKI■DJとしてもご活躍されておりますが、DJをする際、普段から心がけてる事はありますか? また自分自身がプレイして、最近、特に印象に残ったパーティは?

M:常に新鮮で刺激的なプレイをしたいと思っていますね。欲を言えばというか、えらそうに聞えてしまうかもしれませんが、人にクリエイティブな影響を与えれるようなプレイをしたいですね。そういうクリエイティビティの連鎖とか、“音発信“から成り立てばいいなって思いながらDJしています。特に印象に残ったパーティーは、やっぱりLOOP第4土曜日に行っている”in the mix”ですね。このパーティーは、LOOPオープン時から続けていまして14年も続いていますが、毎回毎回刺激的な音やら出会いやらが飛び交って、毎回印象的で面白いデス。皆飲んだくれなんですが、やっぱり音に対して真剣なメンバーが集まってるいいパーティーです。

■普段、どんなところに音楽の魅力を感じますか?



M:やっぱり、人と人を繋いで行くところに不思議な魅力を感じますね。地域や国境、人種の壁を越えて、音を通じて新しいコミュニケーションが生まれたり、クラブなんかでは、音を求めて感性が近い人達が集まったり、音によってフロアが一体になったり。もちろん、ビートも然りメロディーも然り、音楽自体の持つ“心地よさ”に魅力は感じますが。

■では最後に、今後の予定を教えてください。

M:まずは、本CDのリリース・ツアーです。その後は、PETE Zとのアルバムを早く仕上げリリースしたいですね。あと、Daisuke Uchidaとのユニット“MOXIED”のアルバムも、自分自身のアルバムも制作したいです。予定というか、希望になっちゃいましたが。。。

■ご協力ありがとうございました。

DJ MOCHIZUKI DJ SCHEDULE

3/28(土)@LOOP”in the mix” (青山)
4/04(土)@LITE(福井)
4/11(土)@STAND BOP(福岡)
4/25(土)@LOOP”in the mix” (青山)
5/02(土)@WEDGE”HOUSE”(下北沢)
5/05(火)@FAI” HARROMA NIGHT”(青山)
5/23(土)@LOOP”in the mix” (青山)
6/06(土)@ROCK WEST”SUGAR”(渋谷)
6/20(土)@MUSICA BAR(宮古島) 
6/27(土)@LOOP”in the mix” (青山)
6/28(日)@MODULE”distination”(渋谷)
7/11(土)@EIGHT HALL(金沢)


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DJ MOCHIZUKI LOVE LIGHT

2009/01/08 | INFORMATION | SAKURA AKAGIファースト・アルバム「叡智」リリース記念スペシャル・インタビュー!

国内屈指のブレイクビーツ/エレクトロニカ・レーベル・INSECTOR LABOからファースト・アルバム「叡智」をリリースされたSAKURA AKAGIさん(以下S)と、サウンドを全面的にプロデュースしたINSECTOR LABOのCHAOSさん(以下C)にインタビューさせていただきました。

SAKURA AKAGI■今回SAKURAさんにとってはファーストアルバムという事で、色々な想いが詰まった
作品だと思いますが率直に完成した作品を見ていかがですか?

S : まだ、アルバムをリリースしたのだという実感はないんですよ。12/12の発売日に、実際に店頭に自分のCDが並んでいるのを見ても、昨日と今日の何が変わったのか、私にはよくわからなかった。ただ、この日を心待ちにしてくれていたファンの方々から、ブログのコメントやメッセージをもらって、『i-podに入れて通勤のときに聴いてます!』とか、『車の中で爆音で聴いてます』とか、『夜寝る前に毎日聴いてます』というふうに言われて、やっと、ああ、myspaceでPCの前で聴く以外の聴き方が、わたし以外のみんなができるようになったんだな、と。このときにやっと感じましたね。

■CHAOSさんにとっても、今回VOCALの入った作品をアルバム単位でやる事は初めてだと思いますが、SAKURAさんと作品を創り上げるうえでどのような事を意識されましたか?

C : 計算することが決してできないVOCALの魅力をいかに引き出すか。これが今回のポイント。VOCALをトラックと融合させるのは針の穴に糸を通すようなもので、1曲ごとにそのワンポイントを探すのにものすごく時間がかかったよ。約1年かけての制作だったんだけど、生楽器のレコーディングなど実に刺激的だった。その楽器の音を引き出すためにはその楽器のことを知ること。どんなミックス技術よりもこのことが大事だという事を改めて感じた。とても成長できた1年だったと思う。

■SAKURAさんの歌詞にはとてもメッセージ性というか、リスナーに問い掛けるような諭すような言葉が多いように感じるのですが歌詞はどのように生まれてくるのですか?

S : もともと、喋ることがひどく苦手なんですよ。あまのじゃくな性格なので、口頭で話すと、大事なことほど、裏腹なことを言ってしまう。だから、普段からヒトに対して手紙を書くことが多いですね。文章で気持ちを表すことが。なので、私にとって歌詞というのはその延長ですね。イコールといってもいいくらい。ひとつひとつの歌詞に、実はどの曲にも明確な相手がいます。
そしてわたしが『あなた』と呼びかけるとき、それはその相手に、そしてその曲を聴いてくれた総てのヒトに、そして、自分自身に呼びかけているんですよね。歌詞がどのように生まれてくるか?という質問の答えにはなっていないかもしれないけど(笑) そのことばが、その時のわたしの、素直な気持ちで、本当に言いたかったこと。本当に伝わってほしかったこと。

SAKURA AKAGI■個人的にSAKURAさんとCHAOSさんのライブを見せて頂いた事がありますが、やはり今までのクラブシーンにもっとこういった形でのコラボレーションが必要かなとも思うんですね。ジャンルやフィールドを飛び越えたものがもっと融合して新しいリスナー含めて色々な人達を巻き込んだものに出来たらなと思うんですが、今のクラブシーンやSAKURAさんが活動されているフィールドについて思う事はありますか。
 







S : LIVEというものや、コラボレーションに関しては、もの凄く明確なビジョンがありますね。私は、わたしの歌や音楽はもちろん、顔や躰や髪や爪、血の一滴まで含めてのすべてが、赤城桜だと思っているので、やはり、LIVEを見に来てくれたヒトにはそのすべてで、全身全霊でぶつかっていかなければいけないと思うんですよ。音を聴く。眼で見る。匂いをかぐ。感触で確かめる。そして食す。五感のすべてで感じられるようなLIVEをしたいですね。そしてそれはわたしひとりの力では無理なので、そこからがコラボレーションということになってくると思うんですよね。LIVEはある意味、『ショウ』だと思っています。エンターテイメント。『音響系』といわれるジャンルのアーティストの方々は、かなりそういう意味での表現がきちんとできているので、素晴らしいと思いますね。ただ、わたしに言わせれば、『肉』の部分が足りないかな。

■では最後に、この作品を紹介していただけますか。

S : 今回のアルバムでは、chaosはじめ、生楽器のアーティストしかり、ヘアメイク、ネイルアート、ボディーアート、フォトグラファー、ジャケットデザイナー、ひとりひとりに、ガチンコでぶつかっていきましたね。わたし、そうとう面倒くさいヒトだったとおもうけど!でも、絶対に妥協しないことで、このアルバムに関わってくれた全員が、わたしの想いに応えてくれたんだと思います。本当に感謝しています。ありがとう。アルバムタイトル『叡智』~ei-chi~には、その意味が込められています。このアルバムに関わった、ひとりひとりが『知』。そしてその知恵の集結が、すなわち『叡智』ということ。実はもうすでに、次にやりたいことが明確に見えていて、曲を作りはじめています。これを実現させるには、今回以上に膨大なヒトの協力が必要ですね。でも、かならず実現させます。

今まで出会ったすべてのヒトに。

そしてこれから出会うすべてのヒトに。

peace.............!!!

■ご協力ありがとうございました。


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SAKURA AKAGI 叡智

2008/12/19 | INFORMATION | KENICHIRO NISHIHARAファースト・アルバム「HUMMING JAZZ」リリース記念スペシャル・インタビュー!

KENICHIRO NISHIHARA08年の春、1枚の7インチが渋谷・宇田川町界隈のレコード・ショップで話題となった。テノーリオ・ジュニオールの「Nebulosa」と、パット・メセニーの「Slip Away」というクラブ・クラシックをカヴァーしたものだったが、これと同じような例として、数年前に話題となったイノ・ヒデフミのユゼフ・ラティーフをカヴァーした「Spartacus」の7インチを思い起こす。イノ・ヒデフミはこれがきっかけで結局はアルバムをリリースし、全国区で名前が知られるアーティストへと飛躍していくのだが、今回の7インチの主である西原健一郎にも同じような期待が寄せられた。そして、その期待通りファースト・アルバムとなる『Humming Jazz』を届けてくれた。ここには前述の2曲をはじめとした数々のカヴァー曲、そして彼が聴いてきたジャズ、ボサノヴァ、ヒップホップ、ハウスなどさまざまな音楽からの影響を通して自身の音を紡ぎ出したオリジナル曲が収められている。さらに、国境を超えて参加したシンガーやラッパーも、新人アーティストのアルバムとは思えないほど充実した面々だ。そうした豪華メンバーと作ったアルバムでありながら、決して気取ったところはなく、自然体で等身大の音楽であり、何より気軽にいろいろなシチュエーションで楽しんで、リラックスして聴くことができるアルバムだと言えよう。そんな西原健一郎に、音楽との出会いや今までの活動、そしてアルバムのことや今後の活動などについて広く話を伺った。

-僕とヒップホップの出会いの橋渡しとなったのは、意外にもテクノなんです-


■音楽との出会いはどのようにして始まったのですか?

N:母親がジャズ・ピアニストだったので、小学校に入る前からピアノを習っていたんですけど、強制的にジャズのレコードを聴かせるような母親ではなかったです。ただ、家には音楽が流れていて、そんなところから自然にジャズは耳に入っていったと思います。

■そのままジャズ・ピアニストになろうとかは思わなかったんですか?

N:あくまで習い事のような感じでやってましたから、そんなに上達はしなかったです。それより、中学に入ってからロック・バンドをやり始めて、自分から聴くようになった音楽の方にのめりこんでいきました。で、そんなある日、偶然サンプラーを手に入れて、それでバンドじゃなくて自分ひとりでも音楽は作れるんだということに目覚め、それからいろいろ打ち込みの音を制作するようになっていったんです。高校1年の頃です。

■当時はどういった音楽を聴いていたのですか?

N:ロックの中でもナイン・インチ・ネイルズとか、打ち込みを取り入れたものを聴いていたのですが、そうしたところからクラブ・ミュージックを聴いたり、レコードも買ったりするようになって、ボディ・ミュージックとかも聴いてました。ミート・ビート・マニフェストとかから遡ってフロント242とか。

■いわゆるクラブ・ミュージックともまた違ったタイプのものですよね。

N:ええ、僕にとってのクラブ・ミュージック前夜というか(笑)。その頃は雑食的に何でもいろいろ聴いてみようという気持ちが強く・・・で、ケミカル・ブラザーズがダスト・ブラザーズ名義でやってた頃とか、そういうのを通じてテクノにもハマっていきました。カール・クレイグ、URとか。でも、その頃のレコード・ショップって今ほど細分化されてなくて、例えばテクノのコーナーにモ・ワックスのレコードが置いてあったりしたんですよ。そんなところからDJシャドウやDJクラッシュを並列して聴き始めました。ブレイクビーツの一環として。だから、僕とヒップホップの出会いの橋渡しとなったのは、意外にもテクノなんです(笑)。

■確かにモ・ワックスはカール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラや、ムーディーマンも加わったアーバン・トライブといったレコードも出してて、アブストラクト・ヒップホップのみにとどまらない幅広いレーベルでしたからね。でも、テクノからいきなりクラッシュというのは、あまりに飛躍してないですか(笑)?

N:その頃はDJも始めてて、テクノ系のレコードを回してたんですよ。で、クラッシュさんのレコードは33回転のものを45回転でかけてました(笑)。でも、やっぱり33回転でかけた方がカッコいいなと思うようになっていって、それからきちんとヒップホップを聴き始めました。90年代のヒップホップ全盛時で、ア・トライブ・コールド・クエストやピート・ロックとかいろいろ聴きました。DJスマッシュとかレーベルのニュー・ブリードのように、ハウスとヒップホップがミックスされたものも好きでした。でも、やっぱり一番の衝撃はクラッシュさんの『Strictly Turntablized』だったように思います。「何だコレは!」という感じで。そうした流れでインドープサイキックスを聴いてケンセイさんもやっぱり凄いなと。そこからキット・クレイトンとかポールとか、エレクトロニカやIDMなどにも広がりました。

■ハウスやジャズは聴かなかったのですか?

N:ハウスはテクノの流れで聴いていました。後にセオ・パリッシュとかに凄くハマるんですけど、彼はDJの時ハウスだけじゃなくガラージ・クラシックとか古い曲もプレイするじゃないですか。そんなところからクラシックものも聴くようになりましたね。ジャズに関して言うと、いわゆるクラブ・ジャズは当時はそれほど聴いてませんでしたが、家にはたくさんジャズやボサノヴァ、あと民族音楽とかいろんなタイプのレコードがあったので、それを聴いたり、サンプリングしてました。

-ショウでライヴをやれっていう話になって、会場にMPCを持っていって叩いてやったんですよ-

■制作もかなり本格的にやるようになっていたのですか?

N:いえ、遊びみたいなもので、ジャズのレコードを引っ張り出してきて、このフレーズをサンプリングしたら面白い感じになるんじゃないかとか。ネタの入っているレコードとか、そういったことは当時はあまり知らなくて、何でもかんでも我流ですけどいろいろやってました。ネタについては後から知っていったというか、当時フリー・ソウルも流行ってて、そういったものを聴いた時に「あ、コレはネタだったんだ」とか。その後、ディスク・ガイド本もいろいろ出てきて、そうしたものを読んで改めて勉強したという感じですね。

■そうして作ったものを発表したりとかはしなかったのですか?

N:DJする時にかけたりすることはあったのですが、まああくまで自分の楽しみというもので・・・でも、たまたまモデルやってる友達がいて、大川ひとみさんのミルクボーイのショウに出たりしてたんですよ。で、ある日彼が、今度のコレクションのBGMは素人が作った音でやることに決まったから、お前もどうって大川さんに紹介してくれたんです。その時の音楽デイレクターは藤原ヒロシさんで、デモを聴いてもらったらOKが出て。でも、録音したものを流すんじゃなく、ショウでライヴをやれっていう話になって、会場にMPCを持っていって叩いてやったんですよ(笑)。

■それはいつ頃の話ですか?

N:高校の時です。

■早熟というか、凄いですね!

N:いや、その時は自分でも何が何だかよくわからない感じでしたね。でも、それが縁となってファッションショーの音楽制作をいろいろ紹介されるようになったんです。高校を卒業して大学にも行ったんですけど、割とそれが仕事として成立するようになってきたから、就職しないでこれでやっていくかと。ただ、いろいろなブランドをやっていくと自分で作った音だけじゃイメージを伝えきれない時もあって、そうしたところから選曲の仕事もやるようになって、また化粧品やヘア関係のイベントやCFの仕事も紹介してもらえるようになったんです。ショウのBGMの先輩から声をかけられて、エンドレス・ムーンというユニットでチルアウト系のアルバムも2枚作りました。ミュージシャンの方がいて、僕はプログラミングをするんですけど、ホセ・パディーヤとかに好評で、カフェ・デル・マールでもかけてくれたみたいですね。

-ジャズからそれこそタンゴまで、何か自分に引っ掛かるものが自然とわかるようになってきた-

■アンプライベートという会社を設立したのも、そういった仕事や活動がきっけに?

N:ええ、基本はこうしたイベントやCFの音楽制作や選曲の会社です。でも、そういった具合にクライアントがいて、そのイメージに合った音楽を作ったりしていると、果たして自分が聴きたい、自分が好きな音楽って何なんだろうと悩むようになりました。そうやって煮詰まるような時期を経過する中で、いろいろ聴いてきた音楽の中でも、ジャンルには関係なく、ジャズからそれこそタンゴまで、何か自分に引っ掛かるものが自然とわかるようになってきたんです。整理されてきたというか。その頃だと思います、イエスタデイズ・ニュー・クインテットとか日本でいえばヌジャベスやミツ・ザ・ビーツとか、90年代のATCQの頃とはまた違った感覚で作られたジャジー・ヒップホップが出てきて、自分もそうしたものに惹かれるようになっていきました。例えばアーマッド・ジャマルとか、好きで聴いてきたジャズの音源がサンプリングされてたりして、自分の中でもいろいろなものが1つの線で結ばれていくようになった気がします。

■マッドリブにヌジャベス、あとイノ・ヒデフミとかに影響を受けた音だなっているのはわかる気がします

N:ええ、イノさんの7インチもとても好きでした。それで僕が高校の時から8年間くらいショウのBGMをやってたヤブ・ヤムというブランドがあって、そこで作った音楽を1枚のCDにまとめて出すことになったんです。300枚とか500枚とかそういったレベルですけど。それをヌジャベスさんがたまたま聴いて気に入ってくれて、ギネス・レコーズの前身のトライブに置いてもらえることになったんです。で、僕も僕でヌジャベスの音をパリ・コレで使ったりしてしてたので、そんなところから交流が始まったんですけど、そうやって知り合ったトライブのスタッフからテノーリオ・ジュニオールの「Nebulosa」をクラブでかけたいけど、曲が短すぎて難しいから、リエディットか何かで伸ばせないかなという話をされて、それなら自分で演奏し直してやった方が面白いよと、それであのカヴァーができたんです。

■それで7インチで出そうと?

N:いや、その時はあくまでDJの時にかけてもらうためくらいのものでした。で、そのまま1年ぐらいずっと寝かせてあったんですけど、西嶋君というギネスのスタッフから、「そういえば、あの曲どうなったの?」という話があり、B面の曲も作って7インチで出そうとアイデアをもらって、それでB面は何にしようかと彼といろいろ考えて、やっぱり好きな曲がいいな、じゃあニック・ホルダーがサンプリングしたパット・メセニーの「Slip Away」でいこうと。

■生演奏が入ってますね。

N:ええ、ピアノやギターは自分でやってます。ドラム・プログラミングとベースも打ち込みですね。で、この7インチがある程度うまくいったから、今度はそれを発展させてアルバムを作ろうと。そうやって開始したのが今年の春くらいのことですね。西嶋君には引き続いて全体のディレクションをしてもらってます。

-僕にとってのジャズは決してかしこまって聴くものじゃなく、普通に日常の中で流れてるものだった-

■アルバム・タイトルの「Humming Jazz」はどういった意味ですか?

N:前に女の子のヴォーカリストとハミング・ジャズっていうユニットを組んでたんですよ。カヴァーをコンセプトとしたプロジェクトというわけではありませんが、変にオリジナルにこだわるんじゃなく、主に自分たちの好きな曲、いい曲を自分たちの解釈でカヴァーするという。で、「Nebulosa」も「Slip Away」も基本的にそういった考えでやったから、これをアルバム・タイトルに使おうかと。まるっきりカヴァー・アルバムではないんですけどね。僕にとってのジャズは決してかしこまって聴くものじゃなく、普通に日常の中で流れてるものだったんです。それこそ、鼻歌でメロディを歌うような感じで。だから、僕の音楽もそうやって日常の中で親しめるものになるといいなという想いがこめられています。

■演奏は自分ひとりでやっているのですか?

N:自分でできるところはやってますが、限界がありますから、部分的にきちんとしたミュージシャンの方を紹介してもらって演奏してもらいました。

■ゲスト・シンガーやMCはどのようにして選びましたか?

N:基本的にはディレクターと相談しつつ僕が好きな人、やってみたいと思った人にコンタクトを取りました。サブスタンシアルやピスモは日本でも結構知られてるラッパーですけど、キッシー・アスプルンドやグレッグ・グリーンは割と最近出てきた人たちです。普段12インチとかを聴いてピンときた人に連絡してみました。だいたいMySpace経由が多いですね。アリソン・クロケットやモニカ・ヴァスコンセロスはコーディネイターの方に紹介してもらいました。最初からそういった人たちに歌ってもらうことを想定して曲を作って、それでそれぞれ僕のトラックを聴いてもらって、「OK、いいよ」っていう感じで割とスムーズにいきました。結果的に海外の人たちばかりですけど、普段日本語の歌をあまり聴いていなくて、だったら別に日本人や日本語の歌がなくてもよいかなと思いました。でも、ゲスト・シンガーたちはこのアルバムをとても東京っぽいと言ってました。それは僕が今まで聴いてきた音楽とか環境も含めて、いろいろなものが雑多に存在しているところが大きいと思います。だから、日本ということを意識してなくても、結果的に日本という国から出てきた音楽なんだなと。それより、音楽的に尊敬できる、わかりあえる人とやりたいということが重要です。だから、エンジニアもブッダ・ブランドやインドープサイキックスの時代から憧れだったD.O.Iさんにお願いしました。

■「Nebulosa」「Slip Away」以外にもフランキー・ナックルズの「Rain Falls」、デヴィッド・ベノワの「Life Is Like A Samba」、ギル・スコット・ヘロンの「Willing」とカヴァーがありますが、これらを選んだ理由は?

N:西嶋君といろいろ相談して決めたのですが、やはり自分の好きな曲というのが一番です。僕の場合こうやってカヴァーする時は、なるべくオリジナルの雰囲気やメロディ・ラインを壊さずに、そのいいところがストレートに伝わるように気をつけてます。「Willing」などのアレンジはかなりオリジナルに忠実かなと思います。

■確かに、あまり作りこんだアレンジはしてないですよね。

N:ええ、それは作曲についても言えるのですが、あまり完璧になり過ぎないようにしました。と言うのは、前にお話したBGM音楽の制作の話とも通じるのですが、仕事ではクライアントの要望に沿うために完璧に音を作り込みます。でも、自分が作る音楽を考えると、もっとシンプルに好きな音でいいんじゃないかと。そうやって出てきたフレッシュな気持ちを、作りこむことによってその鮮度を落としたくないんです。だから、割とラフ・スケッチに近い状態で制作し、1曲をだいたい1日で仕上げるくらいの気持ちで進めました。

■それはマッドリブとかにも近いスタンスというか、制作スタイルかもしれないですね。オリジナル曲はどういったイメージで作っていくのですか?

N:基本はサンプリング無しで作ってるのですが、練習でいろいろ好きな曲のカヴァーとか、コピーをやってて、そうしたものの中から気に入ったフレーズが出てきて、それを発展させたり、インスピレーションが生まれて作ることが多いですね。そういった手法自体ジャズのアドリブのトレーニングとしては割とスタンダードなアイデアだと思います。どちらにせよリズム・トラックからではなく、だいたいメロディから作っています。

■こうやってジャズやサンバのいろんなカヴァーあり、ヒップホップ系のものからハウス系のものと雑多な音楽性が詰め込まれているのですが、そうした中にもどこか統一したムードがあるのは、そのメロディやピアノのコード感からくるのかなとも思いますよ。では最後に、今後の活動予定や目標などはありますか?

N:まず、このアルバムをライヴでやりたいと思ってます。生バンドでやりたいので、メンバーをいろいろと探しているところです。それから、今回ゲスト・シンガーやD.O.Iさんなど、とてもスキルのある人たちと仕事ができて、僕自身学んだことが多いです。この経験を生かして、早く次のアルバムも作りたいですね。


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"Humming Jazz" PV
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2008/11/20 | INFORMATION | GREG WILSON初来日記念スペシャル・インタビュー!

もはや、誰もが認めるElectro-Funkの巨匠!
The Face Manchester DJ Guruであり、UKにBlack Electro Musicをもたらした
Greg Wilson(以下G)!来日直前の自宅でキャッチ!


                 


■まず、聞くところによるとDJ、アーティストとしてのキャリアを15歳からスタートさせたということですが、あなたの周辺のクラブシーンはどんな感じだったのですが? そして、あなたはどんな曲をプレイしてたのですか?

G:1975年に僕のホームタウンNew Brighton (Brightonじゃないよ) でクラブでプレイを始めたんだ。New BrightonはLiverpoolからMersey川を渡ったところにあるんだけど。あの頃はディスコ・ミュージックはジャンルとして確立されていたわけじゃなかったけど、クラブとディスコではプレイされていたよ。ただ、それはほとんど今で言うディスコじゃなくて、どっちかと言えばソウル、ファンクだね。イギリスではブラック・ミュージックはトラディショナルで1960年代から人気は根強いんだ。Tamla , Motown , Staxなどのレーベル、あとはレゲエのTrojanなんかは、1960年、70年前半にモッズやスキンヘッドカルチャーの中でも凄い人気があったな。実は僕のルーツもその時代にあるんだよ。僕の姉さんと兄貴は2人ともブラック・ミュージックの大ファンだったから、家には、凄い7インチのシングルがたくさんあったよ。

■あなたはマンチェスター出身? あなたの音楽の歴史はマンチェスターをベースに始めたんですよね?僕の聞いた感じだと、マンチェスターは独特の音楽シーン(クラブミュージック)があるように思えますが、つまりロンドンと同じじゃないってゆーか、、どうなんでしょうか?

G:僕がマンチェスター出身ってのは結構勘違いされることが多いな。マンチェスターはある意味僕のスピリチャルホームだけど、実際は住んだ事はない。あと、よく勘違いされるのは、僕が黒人だと思ってる人が多いってのもあるね。これは僕がブラック・ミュージックシーンのスペシャリストと付き合いがあったのと、80年代前半には殆どが黒人のオーディエンスの前でプレイしてたからだと思うよ。そしてマンチェスターでは、1981年にLegendでプレイし始めたんだけど、その時点では僕のDJ歴は既に6年間経ってたかな。あの頃のマンチェスターの特徴は、他のイギリスの都市と比べて凄くコスモポリタンだった事。つまり、黒人と白人が色々なアイデアを交わし合い、新しい方向性を模索し合ってた。その結果、A Guy Called Gerald , 808 State , The Happy Monday , The Stone Rosesとかが生まれたんだ。この辺のアーティスト達は皆ブラック・ミュージックシーンと直接つながっていたか、影響を受けて新しいダンス・ハイブリッドを構築していったと思う(僕がLegendでプレイしていた頃、Geraldはレギュラーでプレイしてたよ)。あの頃のイギリスでは人種差別が結構あって、1981年には人種差別関係の暴力はイギリス中どこでも起きてるような感じだったよ。そんな中で、マンチェスターの黒人が多く住んでた地区でMoss Sideっていうところは、皆、意識が高く若い黒人達を中心に自分たちのパワーを音楽とダンスに向け始めたんだ。

ひとつ付け加えておきたいんだけど、僕のLegendでのプレイを聴きに来た人は近くにあるWigan Pierからの流れてくる黒人客じゃなくて、特にHuddersfield , Birmingham , Nottingham , Leeds , Sheffield , Stoke , Derby , Bradford , Liverpool等いろんなところから集まって来てた。もちろんロンドンから来た人もいたけど、人数は少なかったな。

■そういえば、Unabomber/Electronsもマンチェスターでしょ?彼らも今年の4月に来日して、いいパフォーマンスをしてくれましたよ。Gregにとってやはり彼らは注目してるアーティスト?よく話したりします?

G:そうだね、LukeとJustinは凄い好きだし、彼らのマンチェスターでの伝説のパーティー・Electric Chairはイギリス中のアンダーグラウンドシーンに大きな影響を与えたのは間違いない。マンチェスターのクラブシーンの遺産を受け継いだElectric Chairはクラブパーティーの歴史で大きな1ページを作った。僕もElectric SoulっていうElectric Chair関連パーティーで、何度かプレイした。それは僕の誇りでもあるよ。

■Gregのスタイルは今世界のクラブシーンやメインストリームで活躍してるいろいろなアーティストに影響を与えたと思います。例えばIdjut BoysとかDj Harveyとか、、彼らとはお互いに連絡取り合う仲なんでしょうか?あなたのパーティーに来たりしてた?あと、Norman Cookは影響を受けたDJの中にあなたの名前を挙げてます(特にスクラッチプレイ!)。今でもそういったプレイはするんですか?

G:実は、Harveyとは会った事もないし、プレイを聴いたこともないんだ。彼は僕が1983年にDJを一旦止めた以降に始めたようだし、その5年後また僕が復帰して活動を始めた後は、既に彼はイギリスから出て他の国で活動していたので、不思議とまだ接触する機会がないんだ。Dan と Conrad (Idjut Boys)は最近親しくなったよ。彼らは僕と同じロンドンのエージェントがブッキングしてるってのも縁でね。たまに同じクラブでプレイすることもある。彼らのセレクションとヴァイブはいつも僕を楽しませてくれる。

Norman Cookとは1983年に会ったのが最初だったかな。あの頃から僕のスクラッチプレイは変わってない。凄く原始的だけどね。まぁ、僕はターンテーブリストじゃないし、スクラッチDJでもないけど、たぶん一番最初にイギリスでスクラッチをしたのは、僕だと思う。その頃、Normanは(当時はQuentinって呼んでた)彼のホームタウンであるBrightonで、僕がプレイした時によく来てくれてた。当時、The Haciandaや、イギリス南部でもツアーでプレイしてたかな。そんなきっかけでNormanはスクラッチの基本を僕から学んだんだと思う。

■あなたはいろんなアーティストに影響を与えたって事は先ほど触れたけど、逆に影響を受けたアーティストとかDJはいるの?若いころとかはどんな音楽を聴いてたのでしょうか?

G:そうだね、2人いるよ。2人ともローカルなDJだったけど、一人はLes SpaineってDJで、最新のファンクとソウルをThe TimepieceっていうLiverpoolで凄く影響力のあるクラブでプレイしてた。もう一人はTerry Lennaineで、毎週Radio Merseysideの「Keep On Truckin」っていうソウルミュージックショーでプレイしていた。とにかく、そのショーは選曲が良くて、実に音楽の幅が広くてね。それを僕は毎週チェックしていたんだ。その選曲に僕は影響を受けたし、こういう選曲をしたいって思った。その時に確信したのが、僕のスタイル/ゴールは彼らみたいな皆にリスペクトされているブラック・ミュージックのスペシャリストになることだったんだ。それから、1981から1984年までの間Legendでプレイしているうちに、自分でそのゴールに到達したって瞬間を感じたよ。

■ところで、Electro Funkっていうのがあなたのスタイル、これをもっと広めたいって話を以前してましたが、これは具体的にはどんなスタイルなの?Electro-Funkって名前のルーツは何?

G:Electro-Funkは、テクノロジーベースの1980年代のブラックミュージックだ。ドラムマシーンがたくさん使われ始めた頃、多くのレコードは、Prelude , Westend , Emergency , Tommy Boy , Street Wiseなど多くがニューヨークのレーベルからリリースされていた。僕はその辺は大好きだったし、このElectro-Funkってネーミングは、その時代1982年に流行った「Electric Funk / On A Journey」と「Shock / Electrophonic Phunk」を融合させて取った名前なんだ。

■DJをやるときはオープンリールを今でも使うそうですね。もちろん最近ではオープンリールでDJするという人はあまりいないけど、、どんなセットでやるんですか?

G:僕の基本セットアップは、PC、サブミキサー、PCDJコントローラーとRevox B77のオープンリールだ。トラックはパソコンからプレイして、サンプル、オーバーダブ音などは、Revoxからプレイする。リールはダブエフェクト用にも使う。80年の中頃から、その時のレコーディング・プロジェクトのきっかけでクラブプレイでもリールを使うようになったんだ。

2020 Visionからの最新リリースではジャケットにオープンリールの画像が使われてますよね?これはあなたのアイデア?

G:あの写真は、僕の家で撮ったもんだ。マネキンの手はアルバムのテーマの一部。リールとそのボックス、鉛筆、ヘッドクリーニング液、あとブレードとスプライス用のテープが写ってる。Revox B77のリールは僕のトレードマーク。フライヤー、アーティスト写真などにもRevoxのイメージを使ってる。皆、僕のDJを聴きに来る人は、僕のリールプレイを期待して来るんだ。だからリール無しでプレイすることはないな。

■このリリースであなたはSpirit Catcherなど最近のアーティストも選曲してますが、普段のDJの時も結構最新のテックハウスとかかけたりするんですか?

G:僕のヴァイブとマッチしたものを常にプレイしている。彼らSpirit Catcherのトラックは僕のそれと一致していたんだ。1970年と1980年前半のトラックがメインだけど、もちろん最近のものもところどころに入れているよ。あのアルバムでは僕のエディットもあるけど、他の人のエディットもあるし。多くのDJはひとつのジャンルしかプレイしないことも少なくないけど、僕や、僕の周辺の多くのアンダーグラウンドなDJ、例えばUnabomberやIdjutなどは現在と過去のダンスミュージックのいいところを自分のスタイルに融合させて選んでる。場所やオーディエンスによってもそれをクロスオーバーしてプレイしているね。

■確か最近アメリカにツアーに出てましたよね。イギリス以外でのプレイはどうですか?

G:ああ、何週間か前にニューヨークとサンフランシスコ、あとロサンゼルスでプレイしてきたよ。あとは3月にはマイアミのWMCにも行くつもり。最近ではブッキングの3分の1くらいはイギリス外でやってる。でも1980年代に比べると、それってだいぶ違う。というのも当時は一番遠出するツアープレイではあのNorman Cookと会ったBrightonくらいがせいぜいだったからね。

■あなたはクラブミュージックシーンにひとつの歴史を作ってきたわけですが、遂に日本でその伝説のプレイが聴ける日が来ましたね!ちなみに日本は初ですよね。あなたの周辺の誰かから日本のクラブミュージック、クラブシーンについて聞いてますか?


G:日本は僕がプレイしてみたい国のトップ・プライオリティーだったんだ。ホントは2007年に実現させたかったんだけど、叶わなかったんで、今回は嬉しいよ。日本ではダンス、クラブミュージックカルチャーは深く浸透してると思う。特に日本のレコード屋はおもしろいってD・Wangから聞いてたよ。中古レコードの12インチにも、詳しいコメントが書かれてるプライスカードが付いてたりとか、リリースデートや、関連DJなどもそれに書かれてて、ヤバいね!日本人ってのは何かに興味を持ち始めると凄くハマるみたいだね。

それと、日本は僕のElectro-Funkスタイルにとっても重要なところなんだ。僕は皆を一度1980年代前半に目を向けて欲しいと思ってる。それはダンスカルチャーの進化にとても重要な時期だったって事を知ってもらいたいからだ。イギリス人のリスナーも、この時代の重要性に気づきつつあるんだ。ブラックミュージックの重要さ、特にElectro-Funkの時代のね。その進化の過程にポッカリ穴が開いてて、イギリス・ダンスカルチャーのミッシングリンクってところかな。多くの人達にとってはIbiza1983がダンスミュージックの創世記って思ってるかもしれないけど、これは違うと思ってる。その前からカルチャーで活動してきた多くのクラブ、ダンサー、DJに失敬かな。

■今回のツアーでは東京と福岡ですよね?あと東京ではクラブLoopの13周年というアニバーサリパーティーでのプレイになりますね。皆、楽しみにしてますよ。初めての日本でのプレイを堪能して、楽しんで下さい!

G:僕も凄い楽しみだ!これは僕にとっても大きな経験になると確信してる。実は僕の母親は4年前に亡くなったんだけど、彼女はすごく日本に惹かれてた。僕が実際に今回、日本の地を踏むのは母親の夢を果たす事にもなるかな。しかも、日本に一週間も滞在できるって事は僕にとってはボーナスだね(笑)いろんな人と会えるし、東京を探索することも楽しみだ。あとは福岡にも行けるし。次回はもっといろんな都市をツアーしたいね。


パーティーの詳細はこちらから↓


LOOP 13TH ANNIVERSARY

2008/10/31 | INFORMATION | 福富 幸宏4年ぶりのオリジナル・アルバム「CONTACT」リリース記念スペシャル・インタビュー!

福富 幸宏(以下F)4年ぶりのオリジナル・アルバム「CONTACT」のリリースを記念して、小川 充氏による12500字に及ぶスペシャル・インタビューをお届けします!

YUKIHIRO FUKUTOMI■この「CONTACT」は通算7枚目のオリジナル・フル・アルバムで、前作「EQUALITY」からは4年ぶりの新作となりますね。この間、リミックス・アルバムなどがあったにせよ、随分と間隔が開いてのリリースですね。別名義での活動があったり、他のプロデュース・ワークもあったりと、いろいろと精力的に活動はしてきたと思うのですが。

F:本当は1年に1枚くらいのペースで作りたいとは思うんですが、いざ福富幸宏のアルバムとしてきちんと取り組むとなると、いろいろ自分の中で整理したいこともあり、今回は間が空きましたね。でも、実際にやるぞと決めて取り掛かったのが今年の7月頃で、それからは割とスムーズに事も運んで、2ヶ月くらいでレコーディングを終えることができました。

■その別名義のユニットでは、ここでは仮に『F』と呼ばさせてもらいますが、アルバムを07年、08年と立て続けに2枚出してきて、そうした活動が福富幸宏としてのアルバムを作る上でのいい意味で気分転換になったというか、モチベーションをアップさせるのに繋がっているのではないかと思いますが。








F:福富幸宏というアーティストを客観的に見ると、いろいろな音楽性があるが故に一般的には何をやっている人なのかわかりづらいということはあると思います。一方でFというのは僕の中にある音楽性の一部、テック・ハウスに特化した形のもので、そうした点ではわかりやすさはあるんじゃないですか。そこである程度自分の中にあるものは出しつくせたと思う一方、やっぱりそこだけではフォローできない自分の中の多様性を表現したいという欲求が高まってくるんですよ。僕の作る音楽にしろ、僕が好きな音楽にしろ、それは中心にはないものだと思っています。例えば、僕はハウスのメインストリームにいたことはないですし、かといってニュー・ジャズのアーティストかというと、そうとも言い切れない。オルナタティヴって言葉は、今はいろいろな捉え方がされるんでしょうけど、言ってみれば自分のやっている音楽はオルタナティヴ・ダンス・ミュージックだと思ってます。例を上げるとアメリカ人じゃなくてイギリスの白人がやるソウル・ミュージックだったり、逆にアメリカの黒人がやるヘヴィ・メタたっだり、そういう位置付けのものかな・・・。

■そうした主流とは違うテイストやアクセントは、初期から意識してきたものなんですか?

F:そうですね、と言うかそういう風にしかならないですね。ミュージシャンであれば、本家本元のように演奏したいという欲求があっても、なかなかそのようには演奏ができないというジレンマがある。でも、高い演奏技術と本家本元にはない個性があれば、海外に出て行って活躍することもできる。その個性が主流に対するいい刺激となり、そこからまた新しい流れが生まれるわけですよ。

■福富幸宏の個性とは、常に主流から一歩身を置き、その流れを取り入れながらも、別の流れや要素も感じさせる音作りをしていることにあるわけですね。福富さんの出発点はハウス発生時のシカゴ・ハウスとかにあったりすると思うのですが、そうしたシカゴ・ハウスに忠実な作品を作ろうと思えば、恐らくそれはできなくもない。でも、それをやってしまうと単なる物真似でしかない。そこで、先ほど話に出てきたオルタナティヴな要素を入れることにより、シカゴ・ハウスを消化した上でのオリジナルな作品となるわけです。ブロークンビーツにしてもそうだと思いますが、ウェスト・ロンドンのそれをそのままやっても意味がない。

F:そうですね、影響は受けても、それの真似をしたいわけじゃない。多分そっくりに作ろうと思ったこと自体がないんでしょうね。それをやった方がウケるのかもしれないんですけど・・・。

■う~ん、それはどうなんでしょうね・・・。まあ、福富さんはウケとか、そうしたことは考えてはいませんよね?

F:株式用語で「逆張り」というのがあって、あれは今調子のいいところと反対のものを押すということではなく、動きが少なくて安定しているところに張り続けるという意味合いなんですよ。それって、本来の株式のあり方なんですよ。会社の本当の力を正しく評価するという。その逆が「順張り」で、今流行ってるものに自分も乗っちゃえと。でも、僕はそういった買い方はできない。音楽も一緒で、自分がこれがいいと思ったら、そこをずっとプッシュしていく。そうした意味合いで、今回のアルバムを作るポイントとして、「逆張り」という言葉を使っています。それからもう2つあって、「ジャズ押し」と「黒押し」。「テック押し」と「サウンド押し」はFでやってるし、もう1つの別名義、まあEと言っときますが、ここでは「ハウス押し」と「歌押し」をやってる。そこでできてないことがこの2つなんですね。ジャズに関しては、実はビッグ・バンドもののプロデュースの話があったんですけど、流れてしまって・・・。イザベル・アンテナのアルバム・プロデュースでもジャズっぽい傾向があったので、そうしたことが積み重なって今回のアルバムではジャズっていうことが頭にありましたね。

■アルバム・タイトルの"Contact"という言葉には、どういった意味があるのですか?

F:一般的にコンタクトには連絡を取るとか、繋がりを持つという意味があるんですけど、電気用語で言うと接点という意味があって、ジョイントと同じ意味合いですね。何かと何かを繋ぐ接点、例えば音楽でもDJをやっているとハウスからブギーに行ったり、ブギーからテックに行ったり、ブロークンビーツからジャズに行ったりと、いろいろあると思うんですが、そうした間にある接点の役割を果たすもの、それが今回のアルバムであるというコンセプトです。色んなところと繋がって、色んなところに行ける。だから、何かと何かの間に入って、そこから広がりが生まれる、そうした曲作りを意識しましたね。

■福富さんの過去のアルバム「ON A TRIP」にしろ、「TIMELESS」にしろ、「EQUALITY」にしろ、そうした要素、制作姿勢はずっとありましたね。

F:そうですね、今回はそれを明言して打ち出してます。

■さきほど、福富さんはハウスのメインストリームにはいない、またニュー・ジャズのアーティストでもないということを言われてました。それはクロスオーヴァーっていうことになるのですが、ただ最近はこのクロスオーヴァーって言葉もあまりに簡単に使われてしまっていて、何でもかんでもクロスオーヴァーという状況です。僕はそういったことに違和感を覚えていて、だから安易にクロスオーヴァーという言葉を使わないように意識しているのですが、そのクロスオーヴァーっていう意義をもう一度表現しているアルバムかなとも思いますね。

F:ジャンルということで括ると狭くなってしまうんですけど、ハウスも、ロックも、ジャズもイデオロギーなんだと思うんですよ。観点とか物の考え方、アティチュードとか。だから、音楽のフォーマットのことをジャンルと言うのなら、クロスオーヴァーっていうのは汎ジャンル的なものであるべきなんですよ。例えばジャズで言うと、ジャズでしかないジャズっていうのは、ある意味ナンセンスなことだと思います。そこには時代、時代によって他の音楽的要素も入ってくるわけで、ロックにしてもそう。モダン・ミュージックっていうものが、そうして成り立っているわけですよ。

■今のクロスオーヴァーと言われる音楽には、ジャジーなハウスにしろ、ジャジーなヒップホップにしろ、ただ形式的になぞるだけ、そうしたものがあまりに多くて、福富さんが言われるイデオロギー的な側面での面白みとか、新鮮味を感じさせるものが少ないんですよね。

F:ええ、だからもしなぞるのであれば、サウンドのクオリティがずば抜けて高いとか、演奏が非常に高度であるとか、メッセージ性があるとか、そうした部分で勝負をしないといけないんですよ。それ無しでクロスオーヴァーしても、それはナンセンスに過ぎない。

■全く同感です。では、今回のアルバムの作品について実際の音を聴きながら話を伺いたいと思います。現段階では曲順が決まっていないので、アトランダムに話を伺いますが、まず「Here and now」という曲を。これはいきなり生演奏のジャズ・ファンクと言うか、ブギー・テイストが出てる曲で、今までの福富さんの作品にはあまり無かったタイプのものですね。これの演奏はどんな方たちがやっているのですか?

F:ドラムは打ち込みですけど、パーカッションはオルケスタ・デ・ラ・ルスのゲンタさん。ベースは僕が弾いてます。ギターはサザン・オールスターズのサポートなどもやっている斎藤誠さんで、ホーンはジャフロサックスの勝田一樹さんのチームです。キーボードは河野伸さんというJ-POPアーティストのアレンジも色々とやってる方ですね。

■プログラミングは当然ですけど、今回はベースをやってる曲も多いのですか?

F:そうですね、これ以外に「That music」と「Beautiful People」って曲でも弾いてますね。今までのアルバムでもちょこちょこ弾く曲もありましたが、今回ほどガッツリはやってなかったです。ただ、普段それほど練習をしているわけではないので、苦労するところもありますよ。まあ、そこは何とか編集でまとめたわけですが。

■ヴォーカルは誰ですか?

F:この曲はオルゴンのシンガーのファニー・フランクリンです。オルゴンの日本盤が出る時にコメントを書いたりしたこともあるんですけど、彼女がたまたま別のアーティストのツアー・シンガーで日本に来た時、偶然ザ・ルームに遊びに来てて、いつものルームのセッション大会が始まって、「Funky Nassau」を歌ってましたね。そこで、初めて会って話をしたんです。でも、その時の彼女の歌が僕としてはレコードよりも良くて・・・ほら、レコードは割とオーセンティックな歌い方をしてたけど、その時はもっと新しいイメージの歌い方だったんですよ。で、彼女に歌ってもらったら面白いものができるんじゃないかなと。

■この曲のリズム・トラックはブロークンビーツの一種とも言えなくもないんですが、でもそれよりもっと生演奏のグルーヴ感があるものですよね。

F:ええ、これに関してはもうジャズ・ファンク。今、ハード・バップとかのモダン・ジャズ系をやるクラブ・バンドはたくさんあると思いますけど、ジャズ・ファンクってあまりないじゃないですか、クラブ・フィールドでは。でも、僕は結構このあたりの音が好きなんで、単純に自分でやりたかったと。

■と言うことは、ライヴ演奏も視野に入れたものであると?

F:いや、そういうわけじゃないんですよ。イギリスでのブギー・ブームっていうのもあるんですけど、でもそれはDJ目線によるネタとしてのものであって、それをそのままにやるとやっぱりそうした古い曲に似てしまう。だったら自分はもともと演奏もある程度はできるから、それを踏まえた上で、今後ネタになるものを作ってしまえと。新しい、生の、今の時代にフィットするジャズ・ファンクということで。それが「Here and now」と「That music」ですね。

■「TIMELESS」や「EQUALITY」にも、こういったベクトルの曲はあるにはあったんでしょうけど、でもそれらは割と80年代的なテイストに影響を受けたものであったとすると、今回のこれらの曲はもっと遡って70年代的のソウルやディスコとかの雰囲気を感じさせますよね、そうしたライヴ・アクト的な。今、世界的に見て、例えばリクルースもリクルース・ライヴ・バンドで生バンド活動をしたり、今年出るジャザノヴァの新しいアルバムは60年代のリズム・アンド・ブルースのテイストが出ていたりと、それから4ヒーローもなんですけど、皆、ライヴ・バンド的な音作りに向かっている感じはしますね。福富さんは、そうした動きについてどう思われますか?

F:うん、そうしたシンクロニシティというか影響はすごくありますね。DJとして新しい音を追い求める一方、古い音源を掘ったり、チョイスするということもある。そうやって捜した古い音を実際かけることもあるのですが、それと同じ感覚でプレイできるものを自分でも作ってみたいという欲求はずっとありましたね。

■それと、皆、ソングライティングに重きを置いてる感じはして、それは今回の福富さんのアルバムにも感じるんですよ。

F:きちんと鑑賞に堪えうる曲作りということですよね。それと、ザ・ルームで沖野修也さんとやってる「The Crossing」というパーティーがあって、それから影響を受けてる部分が結構ありますね。クラシックス的なものからテックまでプレイしてて、好きなところだったらどこまでも行くことができる、そんなパーティーなんですけど、そうした場の雰囲気からフィードバックして得ているものもあると。例えばこの「Here and now」だったら、沖野さんの生ジャズの後にかけて、その後打ち込みにもっていってもいいし、ブロークンの次にかけて生音とのブリッジにも使えるだろうし。

■そうしたDJの現場感覚が生かされたアルバムであると。もちろん、今までのアルバムにもそうした現場感はあったと思うのですが。

F:今までとの違いで言えば、ミュージシャン的な側面が強いというか、自分で使いたいと思う曲が頭の中にあったら、自分で演奏してしまえ、という感じですかね。

■確かにルームは生のセッションも多く行われているから、そうした発想や雰囲気は生まれやすいですよね。

F:ええ、だから今回のアルバムにはルームの持つヴァイブっていうのが結構影響しました。

■「That music」の方はレディ・アルマとやってますが、彼女は「EQUALITY」に引き続いての参加ということで、やはり呼吸が合う感じですか?

F:ええ、彼女はいいですね。説得力のあるシンガーだと思います。「EQUALITY」の後に彼女とは会う機会もあって、より親しみも増した感じですね。今回のレコーディングはデータを送って、それに歌入れしてもらう形だったんですけど。

■この曲とかは、初期のインコグニートとかが持ってたようなグルーヴ感がありますね。

F:うん、これとか「Here and now」にしても、そうしたアシッド・ジャズ感はありますね。僕は昔アシッド・ジャズとかも好きだったんで、よく聴いてたんですよ。で、この頃ってインコグニートを始めとしたトーキン・ラウドのアーティストって、12インチにハウス・ミックス入れてたじゃないですか。デフ・ミックスとかロジャー・サンチェスとかがリミックスをやってましたけど、結構クオリティが高くて好きでしたね。で、その頃のアメリカのハウス・プロデューサーが作るアルバムって、あんまりよくなかったでしょ。モラレスにしても、フランキー・ナックルズにしても、トラックはいいんだけど、曲がよくないというか。その頃の彼らって作曲という意識はあまりなかったんでしょうね。だから、インコグニートのようにきちんと作曲されたものをリミックスした方が、結果的にいいものができるという。あと、勝田さんのホーン・アレンジってうま過ぎるから、どうしても比較対象するならインコグニートが思い浮かぶ、っていう感じになるかもしれないですね。アメリカのそれと違って、泥臭過ぎずにヨーロッパ的な知性も感じさせますね。もちろん、僕もファンキーな音は好きだけど、でも黒人じゃないから黒さ一辺倒にはならない、そこが僕なりの個性となっていると思います。

■レディ・アルマが歌う曲では、もう1つ「Time For Change」がありますね。この曲はアルバムの中で最もBPMが遅い曲ですが、以前のアルバムではBPMを統一して作っていたこともあります。今回はそういったことは考えたりはしませんでしたか?

F:いや、それは全然無いですね。これでBPMは110くらいですか、パーティーの最後の方にかける曲でしょうね。こういったロイ・エアーズがやってたようなメロウ・グルーヴも好きなんですよね。
 
■2000ブラックとかマーク・ド・クライヴローにも通じるというか、いわゆるソウル系のナンバーになりますが、でもこれもハウスの一種だと言っていいと思いますね。四つ打ちではないですけど、テイストとしてはハウスだと。ですが、今の人はハウスとは言わないんでしょうかね・・・。そうした点で、昔のリル・ルイスのアルバムとか聴くとすごいですね。決して四つ打ちのBPMが120~125あたりの曲ばかりじゃないんですよ。スローなソウル・ナンバーあり、スウィンギーなジャズありと、とても幅広いんですよね。

F:ええ、リル・ルイスのアルバムには驚かされましたね。ファースト・アルバムで、最後が何でブルースなんだと(笑)。でも、そういうのも含めてのハウスということはできるでしょうね。

■それから「Beautiful People」はちょっとアフロっぽいテイストが入ってますね。これもファニーが歌ってますか?

F:ええ、それからキーボードはスリープ・ウォーカーの吉澤はじめさんがやってます。これは最初に意図してアフロを作ろうと思ったのではなく、割とすんなり曲の骨格ができてしまって、で、それからどうしようっていうことになって、最終的にこういったアフロ調の味付けをしていきました。普段はフェラ・クティとか、普通にアフロものなども聴いてるんですけど、今回のアルバムでは黒さを出すということも重要なポイントだったから、こうなったのかもしれないですね。

■これもリズムはブロークン調ではありますけど、もっと生々しい感じがありますね。非常にルームっぽいというか。

F:確かにルームっぽいですね(笑)。「黒押し」です。

■「ジャズ押し」では「Out of Nowhere」ですね。

F:ええ、これは吉澤さんと、同じくスリープ・ウォーカーの中村雅人さんに参加してもらってます。上がスリープ・ウォーカーで、ベースとドラムは僕が組んだと言う状況で。でも、あの2人の演奏はやっぱり説得力がありますね。実はこれ、イザベル・アンテナのアルバムでやった「Danse le jardin d’Eden」のインスト・カヴァーなんです。

■どおりでコードが似てるなと思いました。拍子はワルツの3拍子とも少し違いますね。

F:ちょっと複雑なパターンではあるんですけど、まあ6拍子と思ってもらえばいいですかね。コルトレーンが好きなんで、そうしたモーダルな曲になってます。今までもハウスの曲でもそうしたコード感を取り入れることはやってきてるんですけどね。ハウスってコードを平行移動することによって、そういうモーダルな作りの曲が結構あるんですよね。パル・ジョイとかそうかな。でも、本人は全然意識しないでやってるんでしょうけど。

■確かに、アンビエント・テクノの曲でもモーダルな質感を持つものってありますからね。それにしても、ここまで前面にジャズを打ち出した曲も今までのアルバムには無かったですね。

F:ええ、例えばブロークンビーツの曲でもジャズのテイストを持つ曲とかは作ってきて、自分としてはジャズをやってる意識はあった。でも、一般のジャズ・ファンの人からはそう認識はされていないでしょうから、今回はパッと聴いてジャズとわかる曲も入れたかったんですよ。

■これらの曲が生演奏やヴォーカルを大きく用いたジャズ、ファンク、ソウル的な作品だとすると、一方で今回のアルバムではそれとはベクトルを異にする作品がまたありますね。ハウス~テック系と括れると思いますが、まず「Open our eyes」はマーシャル・ジェファーソンのカヴァーなんですよね。この曲は2部構成になっていて、パート1はヨーロッパ系のディープ・テックな感じなんですが、これがパート2では一転してミニマルな感じになるという、とても面白い構成なんですよね。

F:僕が初めてニューヨークに行ったのが88年で、その時にこの曲がすごく流行ってて、印象に残ったんですよ。だから、いつかはカヴァーをと考えてました。ただ、ハウスをハウスでカヴァーするってことにはあまり興味がなかったので、そのままになってたんですが、今回はこの曲の持つメッセージ性も含めて、今、再提示したいという思いがあり、やってみました。マーシャル・ジェファーソンの評価、低いんじゃないかと(笑)。

■確かに、この曲を始めとしたマーシャル・ジェファーソンの幾つかの作品は、今でも全然使えるものがありますよね。それを、福富さんはどういったポイントでカヴァーしたのでしょうか?

F:この曲はもともと黒人男性のポエトリーが入ってるんですが、それをアジア人の、それも女性のものにしたらまた違う印象になるんじゃないかと思って、有坂美香さんにやってもらいました。でも、オリジナルの部分で使ってるのはそのポエトリーとベース・ラインくらいかな。この当時、今から20年くらい前ですけど、ハウスっていろんな要素があったと思うんです。今は機材の進歩などで作りこまれたものとなってるけど、それは逆に方向性を限定してしまう。昔の音はラフだからこそ、そこから色んな可能性に繋がる部分があった。だから、そうした可能性の幅を感じさせる音にしたかったですね。これって、何とかハウスだねって言われないものにしたいと言うか。昔のハウスがまだ細分化されていない頃は、ハウスの中にも色々な要素があり、でもハウスというもの自体が抽象的なものであったから、一般的にはそれほど受け入れられるものでもなかった。今はハウスも一般化しましたが、でもある種の確立された音があって、それをハウスだと思い込んでいる人も多い。本当はハウスっていうのは色んな音楽と接点があって、広がりがあるものなんだといういことを、こうした初期のハウスをカヴァーして改めて言いたかった、というのがありますね。

■で、パート2はミニマル・ミュージックになってるんですが、こうした展開にした意図とは?

F:もともとパート1の中で使おうと思ったシークエンスがあって、でも実際はパート1にはマッチしなかったので、こうしてパート2として別に取り出して、延々とループさせることにしたんです。パート1のポエトリーのメディテーション感を、70年代のジャーマン・プログレ的な解釈、アシュラとかタンジェリン・ドリームとかああいった形で表現できないかと思ったんですよね。そこにはハウスと繋がってる部分があると、僕は考えてますしね。

■こうした展開は今までのアルバムには無かったもので、そこは別名義のFを通過して出てきた音なのかなという気はしますね。

F:「EQUALITY」あたりまでは黒っぽさというものへのこだわりがあって、こうした白っぽいシークエンスを持ってくることはなっかたですね。でも、90年代の初期は実は使ってたこともあって、Fを通過することによって、それにもう一度取り組んだという感じですかね。自分の家のレコードを掘り返して、昔は今イチだったけど、今聴くと結構よかったりとか、ありません? それと似た感覚ですね。今回のアルバムでは黒さも追求してますが、同時にこうした白さもあるという・・・。

■「A Nodal Point」もディープなテック系でF経由の音という感じですね。この曲はパーカッションとSEがすごく印象的に織り込まれているんですが。

F:ええ、トラックはミニマルな感じなんですが、そこにゲンタさんがパーカッションを被せていきました。もう、フリー・インプロヴィゼーションという感じで自由に演奏してもらって、あとさらに僕もSEを加えていくんですけど、それもあまり構築せずに、その時の感覚やノリで自由に加えていった感じです。

■ヨーロッパではこうしたミニマルよりのディープ・テックものが全盛ですが、そうした影響も受けますか?

F::うん、確かに影響は受けますよ。ただ、日本だとこの手の音はまだまだというところもありますけどね。日本ってやはり歌ものハウスが根強いから。でも、僕の考えではこうしたテックなトラックに歌が乗っててもいいと思うんですよ。だから、このアルバムからリミックス12インチとかを切るんであれば、そういった方向に持っていくかもしれないですね。例えばジョーイ・ネグロにリミックスしてもらって、とか。僕の中では、今再びジョーイ・ネグロ・ブームだったりするんですよ。サンバースト・バンドとか好きですね。彼もキャリア長くて、基本的にベースにはディスコがあると思うんですけど、彼がリミックスとかで見せるあのブギーとテックの混ざり具合とか、いいですね~。

■こうしたディープ・テックな音って、福富さんがハウスに入る前に聴いてきた音楽、先ほど話に出たジャーマン・プログレとかが下地になっている部分もあるんですか?

F:うん、あると思います。そうしたところが、普通のテック・ハウスにはないちょっと変わった感覚に繋がってるのかもしれませんね。もともと、ディープ・テックがヨーロッパで流行ってるから自分でもやろうということは全くなくて、Fの1枚目のアルバムを出した時って、正直言ってヨーロッパのディープ・テックものってあまり聴いていたわけではないんです。出した後にメディアでレディオ・スレイヴ・タイプの音とかって紹介されてるのを小耳に挟んで、「へ~、そういうのがあるんだ」という感じでしたね。それで、買って聴いてみたら似てると(笑)。それから逆にその手のものを聴くようになって、それからセカンドを出したんですが、ただそれにしてもテックを聴いてテックを作るっていうんじゃなく、ジャーマン・プログレも含めて、自分がいろいろ聴いてきたものの中でリンクを貼れる部分を見出して、そうやって自分の解釈として提示したわけです。

■今レディオ・スレイヴの話が出ましたが、こうしたディープ・テック~ミニマル系のアーティストですと、他にはどのあたりの人にシンパシーを感じますか?

F:コブルストーン・ジャズはいいですね。テックなんだけど、あの音ってファンクを感じるんですよ。ベース・ラインの取り方とか、コード進行って。あと、リカルド・ヴィラロボスはもちろんだし、アレックス・アティアスも好きですね、作品によってバラつきがあるけど。それからディクソンにヘンリック・シュワルツ、アームといったインナー・ヴィジョンズ系はやっぱり聴きますね。USだと、ディープ・テックではないんですけど、ケリー・チャンドラーとデニス・フェラーは僕にとって「逆張り」の人たちですね。彼らは浮き沈みの激しい中にあって長年ずっとやってきてて、コアなハウス・ミュージックをずっとやり続けながら、でもいろんな音楽に対する手助けも行っている。「ハウスは?」と訊かれれば、僕はまずこの2人だと言うと思いますね。

■それから、「Nesting」はダブっぽい要素の入ったディープ・ハウスっていう感じですね。

F:ええ、実はこの曲は93年に発表したセカンド・アルバムに入ってる「Rock Out」という曲のリメイクなんですよ。その時のテーマは「踊れるフリー・ジャズ」だったんですけど(笑)。結構、フリー系の音も好きで聴いてたんですね。

■僕はこの曲のダビーなサックス処理とかを聴いて、昔ブライアン・イーノがジョン・ハッセルと組んでやってた民族音楽とアンビエントの融合、そんな世界を思い出しましたね。

F:なるほど、そういう感じもありますかね。あと、IGカルチャーの「ZEN BADIZM」が今年出ましたよね。あれの影響もあります。あの中で四つ打ちにフリーキーなサックスが絡む曲があって、それがトラックと全然合ってないんですよね。恐らくサックスを演奏したのとトラックを合わせる段階で、あえて外してるんでしょうけど。そういったディスコードしたものをやりたかったんです。

■「福富流フリー・ジャズ」とでも言うんでしょうかね?

F:そうですね、もしくはエレクトリック・マイルス後期の『Pangea』とか、ああいうイメージかな。

■あと、マーシャル・ジェファーソンのジャングル・ウォンズみたいなディープさ、怪しさもありますね。

F:ええ、ビートは古典的なハウスで、サックスはフリー・ジャズ。それからベース・ラインはESGをモチーフにしてるんですよ。

■なるほど、1つの曲の中で実にいろいろな要素があるんですね。いろいろな要素と言えば、「The Empty Set」もそうですね。マリンバを使った土着的な曲で、全体的にミニマルな感じがあって、リズムは3拍子になってて、進行的にはディープ・ハウスという・・・。個人的にはこのアルバムの中で一番面白いと思った曲です。

F:スティーヴ・ライヒが凄く好きなんですけど、でもマリンバを使って3拍子でミニマルをやると、もうライヒにしか聴こえなくなってしまうんですよ。だから最初やる時点ではすごく躊躇がありましたね。実はライヒの使ってるスケールって大体同じものが多いから、それを使っちゃうとすぐ似てしまうんですね。まあ、ライヒの場合、ミニマルなので似るうんぬんと言うより、世界観、空気感の展開じゃないですか。で、まあそういったことをいろいろ考えながらフレーズを作って、いつのまにかできてしまったという曲です。マリンバのパターンとシンセのパターンが入れ子状になっていて展開していって、リズムは3拍子なんだけどハウスの四つ打ちにも適応するもの、ってことで最終的なアイデアはまとまりました。

■ライヒは昔からずっと聴いてきたんですか?

F:82年頃にECMの「MUSIC FOR LARGE ENSEMBLE」を初めて聴いて、それでハマって、それ以前のものも遡って初期のテープ・ループのものとか、有名な「DRUMMING」とか、ひととおりは聴きましたね。でも、ライヒのリミックスとか僕には来なかったな~(笑)。

■福富さんにしろ、僕もそうなんですが、ニューウェイヴを同時体験してきた世代って、同時にこうしたライヒとか、フィリップ・グラスとか、現代音楽なんかも聴いたりしましたからね。そうしたテイストが、やっぱり作品にも出るんでしょうかね?

F:ええ、やっぱりニューウェイヴ世代の感覚ってあるんでしょうね。ただ、今はニューウェイヴ自体もある種のサウンドとしてリヴァイヴァル気味ですけど、ニューウェイヴもジャンルじゃなくてアティチュードじゃないですか、音楽に対する関わり方とか、態度っていう。で、音楽を通してそれを学んでいったんですね。そういう意味でいい時代だったし、おかげでいろいろな音楽とめぐり合うこともできたと思いますよ。それら無くして、今回のアルバムは生まれなかったでしょうね。

インタビュー:小川充

■Yukihiro Fukutomi『Contact』Release Tour
11月15日(土)@京都METRO with 沖野好洋(Kyoto Jazz Massive),akiko
11月21日(金)@福岡Kieth Frack with arvin homa aya,Kentaro Takizawa
11月22日(土)@熊本INDIGO with arvin homa aya,Kentaro Takizawa
11月28日(金)@札幌mole with akiko,JABBERLOOP
11月29日(土)@金沢maniler with IZUMI(MINOTAUR),TR,BRISA
12月06日(土)@東京The Room with沖野修也(Kyoto Jazz Massive)
12月20日(土)@東京LOOP with Kentaro Takizawa
12月26日(金)@三重.. with akiko
12月27日(土)@名古屋mago with BRISA
01月24日(土)@長崎雨月with arvin homa aya
02月20日(金)@神戸troop cafe with akiko

★2008年1月31日(土)東京・代官山UNITにてリリースパーティ予定!

福富幸宏『CONTACT』リリース関連情報

●『トウキョウ発信世界水準カルチャーギークショップ:序』
11月12日~12月12日の期間中、東京・渋谷PARCO PART3にて期間限定オープンしているメンズファッションブランド・MINOTAURのショップ「MINOTAUR Shop by TOKISHIRAZU AND MA」×福富幸宏のコラボレートが決定。GOOD ENOUGH、PORTER、BE@RBRIC等のコラボと並んで、福富幸宏が音楽でのコラボを担当。MINOTAURよりコラボレートTシャツの販売もする予定。
*福富幸宏がアーティスト写真で着用しているレザージャケットは「MINOTAUR」のもの。

●11月12日、Verve/ユニバーサルJAZZより発売になる、ジャズシンガーakikoのオリジナルアルバム『What's Jazz? -SPIRIT -』(UCCJ-2073 2,800yen (tax in) Verve)に、福富幸宏が、サウンドプロデュースで、5曲参加。うち2曲は、福富幸宏×吉澤はじめ氏との共同プロデュース)

■Yukihiro Fukutomi関連リンク

Yukihiro Fukutomi official web-site
Yukuhiro Fukutomi my space(試聴可能です)
Yukihiro Fukutomi 「Contact」イメージ映像


福富幸宏 NEWアルバム「CONTACT」ご購入はこちらから↓

YUKIHIRO FUKUTOMI CONTACT

2008/10/24 | INFORMATION | 世界標準の新世代アーティスト、BRISAファースト・アルバム・リリース記念スペシャル・インタビュー!

KING STREET、IRMA、SONAR KOLLEKTIVからのワールドワイド・リリースで既に世界規模での人気を獲得している稀有な才能・BRISA(以下B)。満を持して発表されたファースト・アルバム「ELEVATION PERCEPTION」のリリースを記念して、Co-Produceを手掛けた福富幸宏氏によるインタビューをお届けします!

 



BRISA■本格的に、音楽に興味を持ったのはいつ頃からですか?

B:音楽を意識して聞くようになったのは、中学生くらいですかね。ブラック・ミュージックの持つソウル的なものに興味を持った頃からだと思います。あとは、高校に入った頃、親父の車に乗ると、車でジャズがかかっていたんですね。スタンダードが何気なくかかっていて。なんとなくかっこいいと思い始めて、父親が持ってたMILES DAVISやHERBIE HANCOCKなどのカセットを借りて聞き始めました。そんな矢先、高校の友達にすごくお洒落な人が居て。洋服とか、カルチャー的な部分にも、すごく興味を持ってる人で、その人と仲がよくなって、家に遊びに行くようになりました。その人の家に、ピチカート・ファイヴとか、UFOのCDとか、あとはマンデイ満ちるさんのデビュー・アルバムとかを聞きましたね。


 

■1993~4年頃くらいの事ですね。

B:当時はぼんやり、なんとなくお洒落というか、こういう音楽はかっこいいなあ、と思っていて。まだその時は、クラブ・ジャズって言う言葉がよく理解できていなかったんですが。ある日その人が、名古屋にGILLESが来日して、UFOやマンデイ満ちるさんも出演するというので、一緒に連れていってもらって、ジャズで踊るという事をその時に初めて知りました。凄く衝撃を受けて。「ジャズで踊る」という行為に、とにかく衝撃がありましたね。それ以来、TALKIN'LOUDとか、INCOGNITOや、GALLIANOなどを聞くようになって。とにかくACID JAZZは、衝撃と、大きな影響でしたね。

■本格的な音楽的な目覚めは、ジャズだったってことですね。日本のDJから影響を受けて、海外のDJを知って、音楽をどんどん知るようになる、という。

B:そうですね。最初はハウスよりはジャズでしたね。でも当時、ハウスという音楽を意識した聞き方をしていたわけではないですが、ピチカート・ファイヴの『東京は夜の7時』や、CRYSTAL WATERSの『Gypsy Woman』などが、その、お洒落な友達の家にありまして。ハウスと意識して聞いてはいませんでしたけど、いいなあ、と思ってましたね。一方で、もう少しロック寄りですが、PRIMAL SCREAMの『Screamadelica』なども好きで、ライブなども行ったりしましたね。
その後はとにかく、ACID JAZZのCDを買い漁りまして、ホントは行ってちゃいけないんですが(笑)名古屋のクラブ・ジャズ系のTEXTEっていうclubによく行くようになりました。

■その頃は、「音楽を作ろう」とは思わなかったんですか?

B:全く思ってませんでした。まず楽器も何も出来なかったですし、そういう考えにならなかったですね。聴いている事が好きだったんです。その頃は、音楽も好きでしたが、グラフィックをやりたい気持ちの方が大きかったので、音楽とグラフィックが両方できるもの、MTVみたいな映像を作りたいと考えていて、それで高校を卒業した後、金沢の美大に進学しました。

■学部は、何だったんですか?

B:視覚デザインという学部なのですが、ヴィジュアルを全般的に扱う学科ですね。大学に通い始めた頃、金沢にもクラブがあると聞いて、遊びに行き始めました。そこが、たまたま金沢でも有名なハウス箱だったんですよ。そのお店は、結構サウンドシステムにこだわっていたりとか、ゲストも海外から本格的なDJを呼んでいて。通い始めた矢先に、LOUIE VEGAが来たんですよ。『Nervous Track』ってあったじゃないですか。ジャズ的な評価もあった曲で、その曲を知っていたので、行ってみたところ、完全にハウスに打ちのめされまして。いまでこそ、"クロスオーヴァー"というジャンルもありますが、4つ打ちの中に、ジャズ、ラテンなど色々なジャンルのエッセンスを感じるプレイスタイルに、"これだ!"と思いまして。当時、TONY HUMPHRIESやDEF MIXまわりのDJなど、他のハウスDJも頻繁に来ていて、連続してそういったイベントに行った事で、"ハウスはヤバい” と思いましたね。

■ハウスとの本格的な出会いですね。

B:そうですね。その頃に、DJをやってみたいなと思いました。それまでは、CDしか買ったことなかったのですが、ターンテーブルとミキサーを買って、初めてレコードを買いにいきました。それが18歳くらいの時でしたね。
その、通っていたクラブでDJをやらせて欲しいと思って相談したら、クラブの人に、うちで働くならDJをやらせてあげるということになり、そこで働くようになりました。基本的にその箱は、ハウス系がメインだったのですが、田中フミヤさんや、JEFF MILLSなどテクノのDJや、JAZZ、ヒップホップのDJも、国内外問わず来てたので、幅広くクラブ・ミュージックの影響を受けたと思います。その時はそこまで考えてなかったのですが、特定のジャンルに偏らず音楽を聴けた事は、いい経験だったと思ってますし、今考えると、そこが現在の自分のベースになっていると思います。レコードは、ハウス中心で買ってはいたのですが、徐々に色んなタイプの音楽に興味が向くようになりましたね。あと、クラブで働き始めたことによって、大学生活が段々おろそかになってきて…(笑)

■順当に(笑)

B:順当に(笑)これからどうしようか、という事を考え始めて。ちょうどその頃、VJが世の中に出始めた時で、音楽と映像の融合という点では魅力的に感じていたのですが、当時特に傾倒していたいわゆるNYハウス/ガラージは、どちらかというと密室の音楽で真っ暗なフロアで聞くのが気持ちがいいみたいな…、あれ?映像いらない? と自分の中で結論が出てしまって。じゃあ、もう音楽だけでいいと思いまして、結局大学も途中で辞めました。
しばらくそのまま、金沢のクラブで働いていました。ただ、働いているうちに、もっと外の世界が見たいと思い始めて。たまに東京や大阪に遊びに行ってたのですが、やはり一度は東京に住んでみたいという気持ちがどんどん強くなって、金沢を離れ、愛知に一度戻ってお金をためて、22歳で上京しました。

■出てきてすぐにDJをやり始めたんですか?

B:上京したての頃は、地方に比べ色々なパーティが毎日のようにあるので、ひたすらにクラブ通いをしてまして、その中で、KEIとNAGI(現Dazzle Drums)という2人と出会いまして、ちょうど青山のLOOPでパーティを考えてるんだけど、よかったら一緒にやらない?と誘われ、当時渋谷のReal Music Recordで働いていたシンゴ君も加わり、東京でもパーティをやり始めました。それが23歳の時ですね。

■その時点では、まだ制作はやっていないんですか?

B:その時点でも、まだ音楽を作ろうという気持ちは全く無くて。ただ、元々、何かを表現したい、作りたいという願望は強かったので、潜在的にそういう意識があったんでしょうね。パーティをしばらく続けているうちに、ある時ポンっと、自分で音楽を作ってみたいという気持ちになったんです。とはいえ、バンド経験もないし、楽器もできないし。でも、これならなんとなく作れるんじゃないかっていう気持ちもあって。当時、本当に何の音楽経験もなかったんですけど、音楽を作ろうと思い立って、機材を買ったのが2003年の10月頃でした。

■最初に買った機材は何でした?

B:MACは元々持っていたので、MACで何か作れる環境を整えようと思って、秋葉原に行ってLOGICなどを買いました。最初は、とにかく機材をの使い方を覚える事からでしたから、1人で、ひたすら家で機材と格闘という感じでした。あ、音が出た!みたいな(笑)
そんな折、シンゴ君が家に遊びに来て、そこで、じゃあ何か一緒にやろうかという話になり、AGORA RHYTHMが誕生しました。2人で一緒に作った一番最初の曲を、CISCOの野口さんに渡したところ、何かの荷物と一緒に、DANNY KRIVITに渡してくれて。そうしたら、DANNYが気に入ってくれたらしく、向こうで色々なレーベルの人に配ってくれて。KING STREETと、JELLYBEANと、CHEZ(注:すべてNY拠点のハウス/ダンス・ミュージック・レーベル)から、いきなりオファーが来て。ビックリしましたよ。

■その曲は、制作を始めてどれくらい経ってから出来たんですか?

B:そうですね...。2003年の10月に機材を買って、11月中のどこかしらで出来てました。

■始めて1ヶ月で出来た曲なんですか!?

B:はい(笑)で、最終的にKING STREETにレーベルが決まって、リリースしたのが2004年の春先頃だと思います。

■凄いですね。初めて作った曲で、ワールドワイド・リリースって...打ち込みを始めたばかりの人には、本当に夢のある話だと思います。

B:その後、AGORA RHYTHMとしては、オリジナル12"をを3枚KING STREETからリリースして、その後、SONAR KOLLEKTIVからもリリースしました。SONAR KOLLEKTIVは、神戸にストラーダ・レコードというレコード店があるんですけど、そのお店の方に、シンゴ君がDEMOを渡していたんですね。たまたま、お店にJAZZANOVAのALEXが来る機会があり、音源を聞かせてくれた事で興味を持ってくれまして。同じ頃に、ALEX FROM TOKYOにも同じデモを渡していて、INNERVISIONSのパーティでプレイした時に、DIXONが『この曲は誰だ?』と聞いてきたそうで、ちょうど同時期にJAZZANOVAの中でもAGORA RHYTHMの認知がつながって、それで声をかけてもらいました。

■パーティや、レコード屋で音源を気に入った人が居て、リリースしないかっていう話になるというのは、本当にまっとうな話だと思います。まず音楽ありき、という一番シンプルなところが、すごくいいですね。DJの方は、その頃はどうしていたんですか?

B:曲を作り始めた時に、ずっとLOOPでやっていたパーティを辞めたんです。その後はカフェとか、ラウンジ・ダイニングみたいなところでは、BGM的なDJをしてはいたのですが、クラブでのDJは、一回辞めました。

■それは何故ですか?

B:制作に没頭するためです。正直、その時期は、全ての時間を犠牲にしてでも、曲作りをしているほうが本当に楽しかったので。もともと性格的に、いろんな事を同時並行するのは得意では無かったこともあって…DJを止めて、曲作ってましたね。

■その頃はAGORA RHYTHMとしての制作が主ですよね?BRISAとして一人で作り始めたきっかけは何ですか?

B:AGORA RHYTHMで色々と活動していた頃、ある時、IRMAさんの方から、BOSSA系のコンピで楽曲を探していて、何か無いですか?と聞かれたんです。その時に、自分のストックの中から、提出した曲がBRISAとしての最初の曲ですね。その辺りから、一人でも楽曲を作り始めまして、自分でデモを色々なレーベルに送ったりしました。やはり自分一人で完結した作品も作りたいという気持ちはありましたので。最初の頃は、AGORA RHYTHMとBRISAを並行してやっていて、その後AGORA RHYTHMを休止してからは、BRISAと他にPERSPECTIVという名義もやり始めました。しばらくして愛知に戻る事になりまして、そちらで活動を始めたのですが、今までは海外ばかりデモを送っていたのを徐々に国内でもきちんとリリースしたいと思い始めてきまして、国内のレーベルにも音源を送り始めました。

■それで、今回のリリースに至る、というわけですね。

■どんな音楽に影響を受けましたか? またどんなDJ/アーティストが好きですか?

B:僕は、エクレクティックな多様性を感じる音楽が好きなんですよ。ACID JAZZの時代は、D-NOTEというアーティストが大好きでした。ハウスの中では、当時のBODY & SOULに大きな影響を受けましたね。WAVE MUSIC(レーベル)が、凄く好きでした。DJだったら、ハウスで言えば、FRANCOIS Kとか、ジャズならGILLES PETERSONとか、ごちゃまぜ感のあるDJが好きなんですよ。多種多様な音楽がプレイされるパーティやDJが好きなのは今も変わらないですね。あとは、PHIL ASHERがすごく好きでした。ハウスの良さを持ちつつ、多様性のあるプロダクションが出来るので。BODY & SOULでいえば、FRANCOISがプレイするエッジの強い強烈なトラックにも影響をかなり受けました。大抵ヨーロッパの物が多かったですね。ハウスに限らず、刺激的、独創的な作品がヨーロッパはやはり多いと思います。自分が曲作りを始めてからは、むしろそちらの影響の方が、色濃く出ていると思います。僕の音楽の入り口はUK寄りACID JAZZ、その後USハウスに影響を受けたという感じですが、近年は、また急速にヨーロッパに戻ってきた気がします。でも、根柢にあるのは、ハウスでもJAZZでもテックでも、ヴォーカルでもインストでも、僕の中ではごくフラットな存在という事ですね。

■中高校生の時から、今に至る流れのきっかけは、ACID JAZZとの出会いだったんでしょうか?

B:そうですね。だからこそ、僕にとってマンデイ満ちるさんは特別な存在だったんですよ。今回のアルバムにフューチャリングが決まった事も、僕にとっては本当に特別で。昔、憧れていた人を実際にフューチャリング出来る機会が来るなんて、と思うと本当に感慨深かったですね。

■野望をひとつ達成しましたね(笑)

B:はい(笑)元々あまのじゃくタイプなので、今回のアルバムも、国内ではあまりないタイプの物をやろうと思っていました。そういう意味では、福富さんや、JAZZTRONIKさんには、共感する部分を感じています。あとは、あるコンセプトに縛るのではなく、あえて自分が影響を受けてきた物をなるべく多くさらけだそうと。それが自分自身を知ってもらう最良の方法だと思いますし。あとは正直、今の一部の国産ハウス・シーンに対しては、何かしら音楽で物を言いたいところもあるんですよ(笑)

■充分言えていると思います。今回のデビュー作は、ご自身の歴史を明確に反映し、過去に影響を受けたものを、一歩踏み越えたアルバムだと思います。

(Interview:福富幸宏)


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2008/09/22 | INFORMATION | SABI/KIYOスプリット・アルバム「71:36」リリース記念スペシャル・インタビュー!

新進気鋭の注目レーベル・PHASEWORKSの第2弾作品SABI/KIYO「71:36」のリリースを記念して、レーベル主宰者小西さん(以下K)、SABIさん(以下S)、KIYOさん(以下KI)の三人にインタビューさせていただきました。

SABI/KIYO 71:36


■今年発売された「RGB」というコンピレーションでクラブシーンにもインパクトを与えたPHASEWORKSですが、まずはレーベルの紹介をお願いします。

K :ありがとうございます。でも、最近のクラブシーンというのは良く分かっていないんですよ。。シーンとは言えずとも、各地で独自のやり方を貫いた活動でコミュニティーを作っているような人達に少しでもインパクトを与える事が出来たのであれば嬉しいです。「RGB」にも各地のアーティストが参加しています。それは、そんな細分化しているコミュニティーを繋げるきっかけを作りたいとの想いも込めていたからです。PHASEWORKSも、パーティ『PHASE』を通じて繋がった仲間達と始めたレーベルです。名前の通り、パーティを重ねて様々な段階を踏むにつれ、新たに見えてきた次のステップに進むために、レーベルを立ち上げる事が必要でした。PHASEWORKSは、デザイン、映像、音、全ての制作を信頼し合った仲間で取り組んでいます。ですから、レーベルというよりは、制作チームみたいな感じです。実は、それぞれ住んでる場所も全然違うのですが、それゆえに東京を中心に考える事がないところも良い点かもしれません。

■PHASEWORKSは、その名の通り『PHASE』というイベントを開催していますが、CDとしての作品のリリースも含めてコンセプトとなるものはありますか?

K :コンセプトは取り組むプロジェクトによって異なりますが、メンバーとよくディスカッションをして制作に取り組むようにしています。現在の音楽業界の冷え込みとか、国内の芸術に対する扱いなど、現状に対する悲観的な意見もありますが、僕たちは独立して、ただ良い物を作る事に集中すべきだと思っています。言葉以外の、音や映像、そしてグラフィックなどの表現を扱っているので、結局は、それを見たり、聞いたりした時に、どう感じてもらえるかが全てだと思っているからです。そして、まだ言葉になっていないような、新たな感情が芽生えるように、総合的に作り込んで、表現していきたいです。

■第2弾となる今回のリリースですが、SABIさんとKIYOさんのスプリットアルバムとなった経緯を教えて頂けますか?

K : 前作の「RGB」を制作するにあたって、2人からは多めに楽曲を提供してもらったのですが、その時点で2人の楽曲は完成されていたので、RGB制作途中で、既に第2弾はこの2人の作品だと決めていました。双方ともに、聞いていると音への意識を高めてくれるような素晴らしい楽曲に魅了されて、彼らの芯の通った独特のスタイルが素直にカッコいいと思い、日本ではリリースの少ない彼らの作品を国内で発表したいと強く思いました。

■今回のスプリットとしてのリリースにあたって、お互い意識した事はありますか?
 
KI : 曲は、特に「71:36」用に制作したわけではなく、次のアルバムに用意していたトラックの中から選びました。事前にSABI君のトラックを聴いていたのですが、スプリットアルバムとして、自分のほとんどのトラックが、SABI君のトラックとマッチしそうだったんで、あまり意識せずにやれました。

S : 以前からお互いの音はよく知っていますし、スプリット計画が持ち上がった時点でお互いの収録曲の方向性は掴めていました。また、表面上はお互い特に変に混ざり合う音でもないので、そこまで何かを強くは意識しませんでした。

■タイトルとなった「71:36」について、そして今回注目のリミキサー陣(MACHINE DRUM,RICHARD DEVINE,KETTEL,JULIEN NETO)との関係や依頼した理由を教えていただけますか。

KI : MACHINE DRUMとRICHARD DEVINEはレーベルメイトで、自分がアルバム発表する前に、音作りに関して大変影響を受けました。そんな彼らが自分の音をどうデザインするのか、すごく面白そうでしたし、アルバムにアクセントを付けてくれると思い、リミックスを依頼しました。

S :一番最初はPHASEWORKSのリリースのロードマップに沿ったタイトルが既に決まっていたのですが、諸々の都合で一転振り出しに。最終的にはアルバムのタイトルで変にイメージが定着するよりは、無機的なものにした方が良いかな、と全トラックの総合計時間を提案して、決定。アナグラム的にはGLOBAL COMMUNICATIONの「76:14」と一字違いなんですよね。リミキサーについては、今まで交流があったアーティストの中で、信頼できて、且つもっともコンセプト通りに仕上げてくれそうな人に頼みました。KETTELとJULIENは僕がJEMAPURと立ち上げたレーベル"SAAG"からリリースしたアルバム「HIIRO」に参加してもらったこともあり、かなり以前から彼らとは関わりがあったので、どんな作風かよく分かっていましたので。

■マスタリングはKIYOさんが行ったそうですが、特にマスタリングに関して意識した点を教えて頂けますか。

KI :アルバム全体が統一感を持ち、トラックからトラックへ繋がるような流れを持つよう意識しました。そして、それぞれの曲の核となる部分が生きるよう注意しました。

S :特定の部分に偏りがちな音域に対しての処理と、平坦にならないように。

SABI/KIYO■お二人の作品共に音像というか、とても奥行きがあって深みを感じるんですが曲を創る際に大事にしている事はありますか。

KI :"WARM NOISE"をテーマに、ハイファイになりすぎず、適度なローファイ感を持つようにして、グリッチ音や、ノイズも混ぜつつ、難解にならないようにしています。

S :清潔感。ノイズも、歪んだ音も、細切れにサンプリングした音も、普通にサンプリングした音も、ドローンサウンドも、綺麗な音も、汚い音も、何よりそれらを組み合わせたときにも、清潔であることです。
 

■今までに聞いた音で、一番好きな音、または印象に残っている音はなんですか。

K :ブーンという電線の音。青森出身なのですが、冬の夜遅くとか、早朝に外に出ると、雪が音を吸収して反射音がなく、無音状態の様な感じの中に、ブーンという電線の音だけが聴こえて、冷たい空気と雪とブーン、とても心地よいです。

S :たまに寝入りばなに聴こえるノイズ、轟音。大昔にパークハイアットに泊まったときに聴いた空調音。静寂。

■非常に緻密な音の連なりを感じますが、制作の過程で偶発性を取り入れたりもするのでしょうか。

K :トラックの最初のアイディアは、偶発的に得られたサウンドからであることが多いです。一部をループさせたり、並べ替えたり、それから発展させていく感じです。"Bear in.Warm-Noiz"なんかは4年かけて作ったパズルです。

S :大いにします。
 
■差し支えなければ楽曲制作の際に使用されている機材を教えて頂けますでしょうか。

KI :コンピュータとソフトウェア。主に、Ableton Live、Max/MSP、Reaktor、サンプラーソフト。そして、その他多数のプラグインです。

S :色々なところで作業をしているので、細かな機材までは分かりませんが、ソフトウェアはJeskola Buzz、Max/MSP、Nuendo、ProTools等。なかでもJeskola Buzzは10年近く使ってますが、かなり良い働きをしてくれます。ヘッドフォンはAKGとSONY、マイクはAKG。M-AudioのMicro Track等。モニターはTANNOYとGenelec。

■今後の活動予定に関して何かあれば、教えて頂けますか。
 
KI :次のアルバムのデモが完成したので、そのうちリリース出来ると思います。

S :差し当たってはどうなるかはわかりませんが、模索中のものがなるべく早いうちに世に出るようにはしたいです。

■PHASEとしての活動についても是非教えて下さい。
 
K :すでに取り組んでいるプロジェクトはありますが、まだ公表できる段階ではないです、、ごめんなさい。PHASEWORKSからのリリースではないのですが、前作の「RGB」にも参加している長野のバンド・TENGAKU、静岡在住のJEMAPUR、CUTSIGHとJEMAPURの新たなユニット・DELMAK、そしてMANATHOLとそれぞれのアルバムが年内に発表される予定です。あとは、PHASEのグラフィックデザイナーRIKA ISHIIと、毎回特設のWEBサイトを制作してくれているRAITAくんなど、静岡で活動しているアーティストが静岡で開催するグループ展「脳内アスリート」を手伝います。(http://www.no-nai.com/

■ご協力ありがとうございました。


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2008/07/16 | INFORMATION | 新世代アーティスト、PAX JAPONICA GROOVEファースト・アルバム・リリース記念スペシャル・インタビュー!

 「和の精神を持つ日本から,世界へ広げていくPEACE」 というコンセプトのもと始動するPAX JAPONICA GROOVE(a.k.a 黒坂修平)。
 2007年4月、STUDIO APARTMENT主宰レーベル"Apt."からリリースされた12INCHアナログ「SHOUーRYU/STAR CHAMBER」がスマッシュヒット。 今年3月には新曲“Ascension”が航空会社・STAR FLYER社のキャンペーン・ソングに選ばれた他、ハウス・コンピレーション 「LYRICAL HOUSE」や「PROJECT GREEN VOL.1」に楽曲提供。鍵盤奏者としても長年のキャリアを持ち、演奏者として培われた音楽感と創造力で「独自のグルーヴ(世界観)を奏でる」今、最も注目すべき新世代アーティストです。
 今回は満を持してリリースされたファースト・アルバム「PAX JAPONICA GROOVE」の記念インタビューとして、このコーナーでは2度目の登場となるPAX JAPONICA GROOVE/黒坂修平さん(以下P)に話を伺いました。

PAX JAPONICA GROOVE■前回の12inch“Shou-ryu/昇竜/Star Chamber”のリリースから約一年、遂にフル・アルバムのリリースです。改めて完成したアルバムをご自身で手にしてみた感想は...

P:まずは、この環境を与えてくれた皆さんに 本当にありがとうございますという感謝の気持ちが大きいです。ずっとやりたかったことなので、とても嬉しく思っています。そしてやっとスタートラインに立てたという気持ちで今後が自分でも楽しみです。

■実際、アルバムを聴かせて頂いて思ったことなんですが、その内容が映しだされたジャケット・デザインになっていますね。

P:ジャケットはもう大満足です。自分の出したかった方向性を、見事に 形にして下さって凄いと思いました!

■これまでは、先ほど挙げた“Shou-ryu/昇竜/Star Chamber”の12inchや、航空会社・STAR FLYER社のキャンペーンにも使用された”Ascension”と所謂「インスト主体」でしたが...

P:そうですね、むしろApt.から出す前は、歌モノしかやってなかったので、逆にインストは難しかったのですが...めちゃくちゃ勉強になりましたし、自分の新しい側面を発見することが出来ました。

■STAR FLYER社のキャンペーンにも使用された”Ascension”(5曲目)はドリーミーなプログレッシヴ・ハウス的トラックですね。

P:“Shou-ryu/昇竜”をリリースして、その後どうしようと結構考えた時間が長くて。何をやればいいんやろと色々悩みに悩んで頭がグチャグチャになってた時期に出来た曲です(笑)。でも意外と自分の引き出しの大きなひとつになった気がして、またチャレンジしたいと思います。

■そしてアルバムではMonday 満ちる、Lori Fine(COLDFEET)、JUJU、Lisa Millettといった実力派ゲスト・ヴォーカルを迎えた曲を披露しています。まずは2曲目“Turn Me On Feat. Monday 満ちる”について聞かせていただけますか?

P:皆さんそうなんですが、Mondayさんはまさかやって頂けるなんて考えてもなかったので、本当に光栄です。先日Mondayさんの生のライブを見させて頂いたんですが、本当に素晴らしく色々考えることがあったのですが、1つにはやっぱり、もっともっと音楽を楽しめるよう、表現できるよう自分自身修行していきたいと思いました。

■どうやらこの曲はアナログ12inchでのリリース予定もあるようですが...(アルバム13曲目、スタジオ・アパートメントRemixも収録)

P:懐かしい感じのアッパーハウスをやろうと思って作ってみました!それにMondayさんの声が入ったことで、とても個性ある曲となったことを嬉しく思います。

■4曲目“Keep The Dream Feat”Lori Fine(COLDFEET)について...

P:自分でもなかなか掴み所がなかった曲で、当初は結構硬めをイメージしたトラックやったんですよね。色々やっていくうちに出来上がった感じで。ポイント的には、Loriさんに作って頂いたコーラスで一気に雰囲気が出てきて、見えてきたなと。歌も疾走感が出て、こんなに歌う人で大きく変わるもんなんやなと感動したのを覚えています。

■7曲目“ Come To Your Senses Feat. Lisa Millett”について...

P:海外でも鳴らせるような骨太な音を作ろう!と思って作った曲です。現状、自分の新しい試みとしては結構やれたんではと満足はしています。ボーカルのLisaですが、ATFCの曲が好きで、そのfeatでLisaを知ってたんですが、イメージにピッタリやったんです。黒人に歌ってもらうのが夢だったのですごく嬉しかったです。

■そして、11曲目“Funtime Feat. JUJU”。これはPAX JAPONIKA GROUP時代からの楽曲のようですが...

P:そうなんです!PAXという名前で活動してから、もう7年ほど経ちますが、ライブでも1回も欠かしたことがない曲で。もともとはもっとダウンテンポのハーフシャッフルなんですが、今回テンポを上げてノリの良い感じにしてみました。昔からやってただけあってイメージやら何やら出来上がってしまってたんですが、JUJUさんの歌声があまりにイメージにピッタリで...僕はもちろん、昔から参加してくれてたメンバーもみんな感動でした!思い出深い曲にすばらしい歌が入って本当嬉しいです。

■これらの楽曲(歌モノ)は、ヴォーカルとトラックのハマリ具合が絶妙で、グルーヴ感もうまく出ていると思います。

P:そこはやっぱりヴォーカリストさんは凄いですよ。個々のトラックに対する解釈やら表現に完全にオリジナリティがありますからね。歌が乗っかってるだけのレベルとは全く違うので。とても勉強になりました。

■アルバム全体の展開を見ても9曲目“Elephant Notes”からシーンが変わり始めますよね。

P:まあ色んなことをやりたいってのが音楽をやる上での自分のコンセプトってことと、あと、メリハリ的な意味も含めて。“elephant〜”は自分でも非常に自信のある作品でして、是非じっくり聴いて頂きたいです。 

■象からインスピレーションを!?

P:象という大自然で生活する神秘の動物をイメージして描いた作品なのですが、音楽的にも映像的にも非常に上手く表現できたと気に入っています。

■何か大きくて優しい、温もりあるフィーリングですね...

P:すごく興味深くて、前々からやってみたくて。もう勝手なイメージすぎるんですが(苦笑)朝昼夜、静と動、喜怒哀楽、後は未知の象独自の精神世界・・そういうのを自分なり表現してみました。

■10曲目“Farmer's Day”では、それまでの四つ打ちから一変してジャズ・フュージョン的な楽曲も聴くことができますね。

P:フュージョン好きなのでもっとエッジが利いたモノも今後やっていきたいです。

■アルバム全11曲(オリジナル楽曲)の曲順には何か流れを感じます。

P:そうですね、頭・“昇竜/Shoryu”は、ああいう始まりですし、当時自分の持ってるものを全部吐き出した曲なので一発目にこれが俺や、みたいな(笑)2曲目はアルバムのリード曲ということで。その後は、勢いのあるエレクトロ色のあるグルーウ゛、そしてディープになり、オーガニックさが少しづつ出てくるグルーウ゛、最後、リスニング的要素が大きくなるグルーウ゛ということで、自分なりの起承転結をつけています。

■今回の制作途中に意識したことや、新たに発見したことがあればお願いします。

P:まあ今回ってわけでもないんですが、改めて、休んだらアカンなと。スポーツも勉強も楽器の練習もそうですが、曲作りもそうで、ずっと自分の中で流してないとダメですね。なので鍵盤練習と曲作りは、まさに継続は力なりです。僕の大好きな尊敬するアーティストの一人、上原ひろみさんも言ってますが、音楽は努力と気合ですね。

■12/13曲目には“Ascension”のダイシダンスRemix、そして“Turn Me On Feat. Monday 満ちる”のスタジオ・アパートメントRemixが収録されています。ご自身のRemix音源を聴いてみていかがでした?

P:自分の音の別アレンジってすごい興味があってお忙しい中やって頂けたのはすごく嬉しくもあり、出来上がりを聴くと楽しかったです。自分の曲にそのアーティストの個性が入ってくるわけですよね。すごくそれは楽しいことやと思います。

■これは前回もお伺いしたんですけど、最近音楽以外でハマってるものってあります?

P:サイクリングですかねぇ(笑)多摩川を散歩してます。“a farmer's day”(10曲目)はそのイメージなんですよ。

■前回のインタビューで、「創り手としてどんな事が自分の世界観に反映されていますか?」という問いに「それはもう日常的なもんです」と答えてくれてましたが、まさにそういった“日常”から生まれた音楽なわけですね。 

P:そうですねぇ。やっぱり基本的にはそうだと思います。別に特別な何かが起こるわけでもないですし(笑)ただやっぱり曲を作ることは本当楽しいですし、やはり自分はコレが好きやなと思います。

■7月26日(土曜日)新木場ageHaにて開催される"WORLD MUSeUM"では、STUDIO APARTMENT Bandの一員としても参加されるようですが... 
 
P:久々に集中して鍵盤練習してまして、やっぱ弾くことは楽しいです。上手くなりたいなと思います。今回自分の憧れのヴォーカリスト、Jocelyn Brownがゲストで来られるということで、めちゃくちゃテンションが上がっています!Kenny Bobienも僕の大好きな歌を歌うみたいですし、すごく楽しみです。あと今回はコーラスもガッツリ参加されるので去年よりさらにパワーアップしたステージになりそうです。本当奇跡的なメンツと思うので、これは本当見るべきだと思います!是非皆さん遊びに来て下さい!

■それでは最後に、このアルバムを通じてメッセージをお願いします。
 
P:ヴォーカリストやミュージシャン、沢山の方々の力が加わった最高の内容となっています。是非何度も聴いて、色んな発見をしてもらえると嬉しいです。宜しくお願いします!

■ご協力ありがとうございました。


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2008/06/24 | INFORMATION | STUDIO APARTMENT・世界デビュー・アルバム「RISING SUN」リリース記念スペシャル・インタビュー!

KING STREETから、豪華リミキサーによるフロアヒット満載の全世界デビュー・アルバム「RISING SUN」をリリースしたSTUDIO APARTMENT(以下S)のスペシャル・インタビューをお届けします!

STUDIO APARTMENT■今回のアルバムには多くの海外アーチストによるリミックスが収録されていますが、どのような経緯でリミキサーを選ばれたのですか?

S : 単純にお願いしたいアーティスト達にリミックスのオファーを出しました。もちろん期待通りのものもあれば、意外な仕上がりのものもあったり、面白かったですよ。

■全収録曲がヴォーカル・トラックでしたが、ヴォーカルものへのこだわり、または何か意識をされてのことでしょうか?

S : いや、たまたまリミックスをオファーしたトラックが、ボーカル物のトラックが多かったので、自然とそうなっただけです。

■収録曲の中で特に「この曲!」というお気に入り、思い出の曲はありますか?

S : やっぱり"Flight"ですかね。このリミックスは本当に最高です。

■このアルバムでのライブやツアーを行う予定はありますか?

S : はい。今月から9月にかけて、ツアーを行いますので、全国の皆さん、是非いらして下さい。

STUDIO APARTMENTThe Rising Sun Japan Tour 2008
06.21(土) @Warter(柏)
07.11(金) @JB'S(名古屋)
07.12(土) @GRAND Cafe(大阪)
07.18(金) @M-COSMO(熊本)
07.19(土) @Troopcafe(神戸)
07.20(日) @VOICE(水戸)
08.15(金) @lab underground(宮崎)
08.16(土) @O/D(福岡)
08.22(金) @RHYME(岡山)
08.23(土) @WORLD(京都)
08.29(金) @Planet cafe(浜松)
08.30(土) @club cafe' Air(沖縄)
09.05(金) @NEST(宇都宮)
09.06(土) @ADD(仙台)
09.12(金) @Air(代官山)
09.14(日) @CLUB BIBROS(松山)
09.19(金) @MUGEN∞5610(広島)
09.20(土) @WEST HALL(金沢)
09.22(月) @Sound Lab mole(札幌)


■海外でDJをされる機会も多いと思いますが、日本との違いを感じることはありますか?

S : DJの評価がそのままフロアに反映されるんです。日本はネームバリュー的なものが大きいじゃないですか。そういう面では、素っ裸にされてる感じがして、とてもやりがいがありますね。

■海外での面白いエピソードがありましたら教えていただけますか?

S : う〜ん、面白い事、、、面白いというかマイアミとかだと、当日キャンセルやらドタキャンやら、普通によくありますよ。出番まで待てなかったから帰った、とか。(笑) 日本ではありえないですよね。

■最近気になるアーチスト、または今後コラボレーションしたいアーティストはいますか?

S : 何人かいますが、今は内緒で! 実現したらリリースでお知らせします。

■現在製作中の楽曲はありますか?

S : 今はDefectedからリリースする楽曲及び、9月にリリース予定の「STUDIO APARTMENT In The House」の制作や、他アーティストのプロデュース/リミックスを行っています。

■今後の予定について教えていただけますか?

S : 年内はDefectedからのリリースばかりですが、シングルを含めて、いろいろリリースしますので、楽しみにしてて下さい。

■最後に日本のリスナーへのメッセージをお願いいたします。

S : 来春には、企画盤的なアルバムをApt.でリリースしますので、楽しみにしてて下さい。宜しくお願いします!!

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STUDIO APARTMENT RISING SUN

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