2,619円(税込)
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1965年のベネズエラでのブレイクをきっかけに、北米、中南米で驚異的な人気を博したYOSHIRO広石。また、日本でもブエナ・ビスタ・ブーム以前から数度に渡るオマーラ・ポルトゥオンドを迎えてのコンサートの成功でお馴染みです。4年ぶりのアルバムとなる本作は、「あらゆるラテンのジャンルを独自のスタイルで表現する」という本来のYOSHIROの姿をストレートに表出した作品に仕上がっています。
オープニングのバラード調から自然に軽快なサルサへ移行し自由に歌いまくる1曲から始まり、恋人を思い悲しく鳴く男を鳩に見立てたメキシコの名曲「ククルクク・パロマ(鳩に生まれ変わった男)」のセンティメンタルな歌、アルバム表題曲のタンゴの名曲「ウノ(人とは)」では叙情性たっぷりな歌唱を聞かせたかと思うと、次のチャップリンの名曲「スマイル」を英語詞サルサに仕立て直し、ジャズの名曲「ミスティ」はスペイン語詩のサルサに仕上げています。
他にもフィーリンの表現法を引き継いたメキシコの大ヒットメーカー、アルマンド・マンサネーロの曲を2曲取り上げ、同じくメキシコのスタンダード「エル・レロホ(時計)」を歌い、極めつけは、ペルーの若くして絶頂期にこの世を去った”クリオーヤ音楽の黄金のモレーナ”ことルチャ・レジェスの最後のヒット曲であり、バルスの名曲「ミ・ウルティマ・カンシオーン(私の最後の歌)」を日本語とスペイン語の2ヴァージョンで披露しています。また、アルバムの最終曲「ラ・メンティラ(いつわり)」は、1965年デビュー間もないベネズエラで録音された音源から今回の最新録音へワープさせ、YOSHIRO広石のキャリアを見事に表しています。
ところどころ挟み込まれる日本語による歌詞の朗読は、歌詞の意味を伝えることを大切にするYOSHIRO広石ならではのサーヴィスで、その姿勢はその実直でまっすぐな歌唱にも表れています。また、このような多彩なラテンの曲をアレンジする奥山勝は、ラテンからジャズまで様々なミュージシャンのサポートをし、YOSHIRO広石のファミリーバンド“TOKYO SALSABOR”のアレンジャーとしても活躍するピアニスト。曲本来の特色を的確に捉えながら曲毎に指向を凝らし、アルバム全体としても統一感のあるサウンドに仕上がっているのは奥山の手腕によるものです。
このアルバムの安定感の中にある多彩さ、音の機微は、57年のキャリアと本場中南米をはじめとする各国での活躍をしてきたYASHIRO広石だからこそ出せるものなのだと、納得させられる内容です。
(メーカーインフォより)
<以下、プロフィール>
中南米を始め海外で高い知名度を誇る、日本を代表するラテン歌手である。NHK/TV「歌の広場」でデビュー後65年にベネズエラのTV局に招かれたのを機に南米で人気を得る。同年、ハリウッド・ボールにてソノーラ・マタンセーラと共演、同時にレコードもヒット。現在まで18カ国で発売されている。70年日本人アーティストとして初めてアストル・ピアソラと共演。その後、ロシア、東ヨーロッパ、中央・東南アジアにもマーケットを広げる。90年にニューヨーク公演を大成功させ翌91年、日本で発売された「カリブ午前0時」は南米でもヒットする。93年に日本の若手ミュージシャンと共に「YOSHIRO&東京サルサボール」を結成。以後現在まで活動を続けている。
<最近の主な略歴>
97年キューバのボレロフェスティバルに招かれ、キューバの至宝オマーラ・ポルトゥオンドと共演。「愛の音」をデュエット録音し同名のCDをリリース。
97、98年五反田ユーポートのゲストにオマーラ・ポルトゥオンドを迎える。
99年、文化庁芸術祭音楽部門優秀賞受賞。
01年10月、歌手生活45周年コンサートを五反田ユーポートにて開催。
06年、歌手生活50周年コンサートを五反田ユーポートにて開催。
09年、CD「愛の音」リリース(グルーポチェベレ伊藤寛康プロデュース)
11年、歌手生活55周年コンサートを五反田ユーポートにて開催。
13年、ニューアルバム「UNO」リリース。
YOSHIRO HIROISHI / YOSHIRO広石