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<アンディ・ギブ 没後25年 オリジナル・アルバム&ベスト・アルバム・リイシュー>
「フロウィング・リヴァーズ」
全米アルバム・チャート19位。(1977年)全米シングル・チャート1位「恋のときめき」、同1位「愛の面影」収録のデビュー・アルバム!
<アンディ・ギブ バイオグラフィ>
1977年メジャー・デビュー・シングル長兄バリーによって書かれた「恋のときめき」はアメリカとオーストラリアでナンバー1ヒットとなり、結局この曲はその年で最も演奏された曲となった。
1977年9月にデビュー・アルバム『Fフロウィング・リヴァーズ』は、もう1つのナンバー1ヒット「愛の面影」(アンディとバリーの共同制作)が収録され、ミリオン・セラーとなった。ビージーズが制作したサウンドトラック『サタデー・ナイト・フィーバー』からの曲が次々と連続でナンバー1ヒットとなる中、その間に割り込んだ形で「愛の面影」がナンバー1ヒットとなった(この曲の前のナンバー1ヒットが「ステイン・アライヴ」で、後が「恋のナイト・フィーバー」)。
1978年4月に、バリー・ギブ、アルビー・ガルテン、カール・リチャードソンと制作をした2NDアルバム『シャドウ・ダンシング』を発表した。このアルバムのタイトル・トラック(ギブ4兄弟によって書かれた曲)はシングルとして発売されると、アメリカで7週連続1位となり、プラチナレコードを記録した。ビルボード・ホット100で3曲連続でナンバー1ヒットを記録する、アンディは初めてのソロ・シンガーとなった。このアルバムには他にトップ10ヒットが2曲(「永遠の愛」(最高5位)、「愛を捨てないで」(最高9位))が収録され、このアルバムもミリオン・セラーとなった。
1979年、アンディはビージーズ、ABBA、オリビア・ニュートン=ジョンとユニセフ・コンサートで「レスト・ユア・ラヴ・オン・ミー」を演奏し、その模様は世界中で放送された。
彼の最後のアルバムとなる『アフター・ダーク』をレコーディングするため、彼はスタジオへ戻った。1980年3月、アンディにとって最後のトップ10シングルとなる「ディザイアー」は、アルバムのリリースより前にチャート・インした。「ディザイアー」は、元々ビー・ジーズの1979年のアルバム『失われた愛の世界』のために書かれた曲で、アンディはゲスト・ボーカルとして参加していた。次のシングル「アイ・キャント・ヘルプ・イット」はオリビア・ニュートン=ジョンとのデュエットで、トップ20ヒットとなった。
年末にリリースされた『グレイテスト・ヒッツ』は、2曲の新曲が収録され、RSOレコードとの契約の最後としてリリースされた。「タイム・イズ・タイム」(最高15位)、「ミー」(最後のトップ40ヒット)は、シングルとしても発表された。
彼が30歳である1988年3月、新しいアルバムの制作作業に入った頃、胸の痛みを訴えてジョン・ラドクリフ病院に入院した。そして1988年3月10日、ウイルス感染による心筋炎でわずか30歳で逝去した。彼が亡くなる直前、ビージーズに彼が加わることが決まっていたが、それは叶えられなかった。ビージーズはアルバム『ワン』と楽曲「WISH YOU WERE HERE」をアンディに捧げた。アンディ・ギブはロサンゼルスのフォレスト・ローン・メモリアル・パークに埋葬された。彼の父ヒューも4年後に亡くなったため、同じところに埋葬された。
解説歌詞対訳付/オリジナル発売日:1977年9月
ANDY GIBB / アンディ・ギブ