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オスカー・レヴァント/ ラプソディー・イン・ブルー ~ オスカー・レヴァントの素晴らしき生涯伝説のピアニスト《オスカー・レヴァント》の、ソニー・クラシカルへの全録音集。世界初CD化音源多数!★20世紀中盤のアメリカで人気の高さにおいて最高のコンサート・アーティストだったオスカー・レヴァント(1906-1972)。ホロヴィッツ、ルービンシュタインとともに、クラシック・ピアニストとして、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも刻まれています。トスカニーニ、ビーチャム、ミトロプーロス、ライナー、オーマンディが共演を乞い、ガーシュウィン作品の伝道師でもありました。1945年録音のオーマンディとの「ラプソディ・イン・ブルー」はビルボード・チャート入りし、コロンビア・レコードのベストセラーアルバムとして数十年にわたりその記録を維持しました。また、テレビやラジオで自分の番組を持つトーク・ショーのパーソナリティであり、ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』(本人役として)、『ブロードウェイのバークレイ夫妻』、『パリのアメリカ人』、『バンド・ワゴン』など、ハリウッド映画にも多数出演、ピアニスト役でその腕前を披露することもありました。CD8枚組のこのセットに収録された音源は、1942年から1958年にかけてコロンビア・レコードに録音されたレヴァントのピアニストとしての全ての録音を初めて集成したものです。レヴァントの録音はガーシュウィン作品の一部を除いて過去にほとんどCD化されてこなかったので、今回のセットはその多くが世界初CD化となります。オーケストラとの共演になる協奏的作品では、コステラネッツ/ニューヨーク・フィル、オーマンディ/フィラデルフィア管などと共演したお得意のガーシュウィンのほか、チャイコフスキー第1番(オーマンディ/フィラデルフィア)、グリーグ(クルツ/ニューヨーク・フィル)は当然として、オネゲル(ライナー/ピッツバーグ響)、ハチャトゥリアンとA.ルビンシテイン(ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル)という当時としては大胆な選曲と、当時コロンビアが擁した2大メジャー・オケと指揮者陣という豪華な共演ぶりが光っています。ソロでは、バッハ(唯一のバッハ録音であるパルティータ第1番)、ベートーヴェン(月光ソナタほか)、ショパン、リスト、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェル、ラフマニノフ、コープランド(ルーカス・フォス編によるビリー・ザ・キッドからの抜粋)、さらには自作のジャズ風の「ブルー・プレイト・スペシャル」(世界初発売)までが含まれています。1946年の映画「ユーモレスク」(クラシック音楽を中心とした数少なかった当時の映画の一つ)のために録音されたワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」をワックスマンがヴァイオリン、ピアノとオーケストラのためにアレンジした音楽では、何とアイザック・スターンと共演しています。LPサイズの見開き仕様のパッケージは、アメリカの名グラフィックデザイナーであったアレックス・スタインワイス氏(SP~LP初期にコロンビア・レコードのために多数のジャケットデザインを手がけた)によるデザインを使用。100ページのオールカラーブックレットは、アメリカの歌手でガーシュウィンとレヴァントについての血球下でもあるマイケル・ファインスタインによるエッセイ、レアな写真やファクシミリなど多数を掲載予定です。 (資料提供:ソニーミュージック)【オスカー・レヴァント プロフィール】1906年にピッツバーグでロシア系ユダヤ系移民の両親に生まれる。15歳で高校を卒業し、パデレフスキの弟子であるジグムント・ストヨフスキにピアノを学び、ダンスバンド、酒場、ナイトクラブなどで演奏。1928年、リハーサルなしの15分間のセッションで「ラプソディ・イン・ブルー」を録音し、そのアルバムはベストセラーに。1930年、ガーシュインとその兄アイラの知己を得て、1932年にニューヨークの17,000人の聴衆を集めたルイゾーン・スタジアムで、ガーシュウィンの希望で「ピアノ協奏曲ヘ調」を弾いてソロ・ピアニストとしてのデビューを飾った。さらにレヴァントとガーシュウィンは、トスカニーニのために「第2ラプソディ」の2台ピアノ用の編曲版を作成、1937年のガーシュウィンの死に際しては、ハリウッドボウルの追悼コンサートで「協奏曲ヘ調」を演奏している。1945年、ワーナー・ブラザーズのガーシュウィンの伝記映画「アメリカ交響楽」に出演。1951年のオスカー賞を受賞した映画「巴里のアメリカ人」で、ジーン・ケリーの海外出身の友人アダム役で出演し、演奏でも参加。この映画に出演する際、レヴァントは「B級映画であれば、私はピアノを弾く。A級映画ならば、ピアノを動かす」と彼は冗談を言ったという。作曲者としては、シェーンベルクに3年間学び、その弦楽四重奏曲は、1937年にコーリッシュ四重奏団によって演奏された。レヴァントの作品で最もよく知られているのは、ビング・クロスビー、ローズマリー・クルーニー、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、サミー・デイヴィスJr、アンドレ・プレヴィンらによって様々に演奏された1934年のヒット曲『Blame It On My Youth(若さゆえ)』で 、近年でもキース・ジャレット、ブラッド・メルドー、アーロン・ネヴィル、バリー・マニロウ、ジェイミー・カラムらによって取り上げられている。1949年になってようやく、ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルとの共演で、ガーシュウィンなどを弾いてカーネギー・ホールへのデビューを果たした。「彼の演奏は華やかで美しい...彼はピアノの巨人となる」とは、ニューヨーク・タイムズの音楽評論家オリン・ダウンズの評。1958年、フランツ・ワックスマン指揮によるロサンゼルス・ミュージック・フェスティヴァルで、ガーシュウィンを演奏するために、病をおして出演したのが最後のコンサートとなった。1972年、ビヴァリー・ヒルズの自宅で心臓発作で65歳の若さで死去した。【収録予定曲】
OSCAR LEVANT / オスカー・レヴァント
アメリカのピアニスト(1906-1972)