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新史実歴史的大発見!1972年、成毛滋宅で行われた柳ジョージと、ムーのボーカリスト、関口敏朗とのセッション音源
柳ジョージ、関口敏朗、陳信輝らによるMOUE(ムー)は1966年結成、活動初期からソウル、R&Bをレパートリーとし横浜では知られた存在だった。ソウルフルなボーカリストとして名高い関口敏朗と、その後ボーカルに転向する柳ジョージが、成毛滋の演奏をバックに、R&Bなどのカバーを交互に歌ったものが収められているたいへん貴重な音源だ。
横浜・南太田の幼馴染、17歳の柳譲治と関口敏朗は初めてのバンド、フリーメンを結成、ジョン・レノンのリッケンバッカーにそっくりの(関口による)自家製ギターを弾くバンドとして地元で話題に。ビートルズ来日公演の1966年、横浜ではエディ藩のファナティックス、デイブ平尾のスフィンクスやグループ・アンド・アイ、竹村栄司、陳信輝、加部正義らのミッドナイト・エキスプレス・バンドなどがしのぎを削り、フリーメンは野木信一らを加えMOUE(ムー)に発展、ストーンズやスペンサー・デイヴィス・グループ、さらにオーティス・レディングなどのカバーを中心に活動、特にブルース・フィーリングでトップと言われた竹村栄司と並び、R&Bでは一番と関口のソウルフルで深く厚みのあるボーカルが評判を呼んだ。1967年、竹村のミッドナイト・エキスプレス・バンドはミッキー吉野が加わりベベズと改名。当時のライブ会場、関内の中川三郎ディスコテックで竹村と柳が出会い、ムーに陳が加入後、関口の脱退に替り竹村が参加、1968年、ベベズ(第2期)が再スタートしパワーハウスと改名(竹村栄司Vo、陳信輝G、柳譲治B、野木信一Ds)し1969年、東芝EMIより「ブルースの新星~パワー・ハウス」発売、日本初の本格的ブルース・バンドと、当時隆盛を誇ったゴールデン・カップスと並び評された。1970年パワーハウス解散により、柳譲治は(GSバンド、フィンガーズの)成毛滋、(渡辺貞夫カルテットの)角田ひろ(つのだ☆ひろ)とジプシー・アイズを結成し本格的にボーカル(とベース)を担当する。同年9月にゴールデン・カップスに加入、『ザ・フィフス・ジェネレーション』、『ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス』に参加、ジプシー・アイズは高中正義を加えフライド・エッグとなる。1972年、柳はゴールデン・カップス解散後、一時音楽から遠ざかるが同年10月に成毛と渡英、ハイドパークで見た霧雨が、1975年からスタートする柳ジョージ&レイニーウッドの由来である。本音源は、この時期、成毛滋は自宅スタジオでテスト録音やカラオケ、カー・ステレオのレコーディングを請け負っていて、ボーカリストとして柳ジョージと関口敏朗が起用され録音されたもの。ギター、ベース、キーボード、ドラムなど全ての演奏は成毛による多重録音、柳と関口はボーカルのみである。関口敏朗は、柳ジョージやエディ藩のソロ・アルバムにボーカリストとしてゲスト参加し、柳の自伝「敗者復活戦」では、大きな影響を与えた重要なキーパーソンであると記されている。
柳ジョージ、関口敏朗 & 成毛滋