2026.07.21 クラブミュージック・ダンスミュージック 特集・お知らせ

北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ Beppe Loda 来日ツアー&インタビュー

北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ Beppe Loda 来日ツアー&インタビュー



Interview: Yoko Shibuya (BASE,ltd./ Ø Zero)
Supported by Voices Agency



■まず最初に、あなたのDJキャリアを教えてください。

俺の40年のDJキャリアを全部話すのは、長くなるな。
それじゃあ、俺のキャリアの中で、まずDJをスタートとした時から、Typhoonのクローズまでの話をするよ。それは1987年のことだね。
1973年の後半から74年の初めに、DJのキャリアをスタートしたんだ。
最初にプレイしていたのは、ROCK、SOUL、RNB&FUNKYだったんだけど、76年くらいから新しくリリースされたレコードを追いかけ始めたんだ。
それはユーロディスコだったり、イタリー、フランス、ドイツ、カナダからリリースされたものを、常にチェックしていたね。
その時の話で、いつも衝撃をうけていたのが、モロダータイプの音楽とスペースディスコだったよ。
例にあげると、SPACE、ROCKETS、あとITALIAN CELSO VALLIのプロダクションや、ちょっと変わった7インチなんかにも、あの当時は衝撃を受けたな。
その後、軍隊での経験があってさ、それが終わって、俺はまたDJに戻ったんだ。けどその時はまだユーロディスコなんかをプレイしていたんだけど、でも俺は常に新しい音を求めていたんだ。
兵役から帰ってきた頃から、新しいジャンルの音楽も、積極的に織り交ぜてプレイするようになって、AFRO DISCO、FUSION、PSYCHO SOUL、PSYCHO FUNK、NEW WAVE、INDUSTRIAL、POP、あとKRAUTROCKの中でも、よりROCKティストな音が、フロアにいるみんなを踊らせていたね。


俺が、Typhoonクラブとのコラボレーションの中で生み出していったアイディアって言うのはさ、ドイツなんかからも来ていたよ。70年代の終わりと、80年代のはじめ、イングランドから、NEW WAVEが世の中に表れるまでは、新しいELECTRONICの殆どは、ドイツから来ててさ、 あと1892年の半ば、俺はパーカッションの学校に通って、アフリカン・リズムを勉強したんだ。その時から、俺は自分のDJセットを三分割してプレイするようになって、まず最初の1時間に、ROCK、POP、 ELECTRONIC、NEW WAVE、INDUSTRIALなんかをプレイして、次に、AFRO。そして最後に、自由に何も考えず、フリースタイルでプレイしていたよ。


1984年に、一端Typhoonを離れて、Cosmicで11月の終わりまでプレイしたよ。Cosmicでは、自分のスタイルを少し変えて、プレイしていたね。1985年に、またTyphoonに戻ってきて、 1986年くらいは、LATIN JAZZ MUSICや、CHICANO MUSICに、FUSION、初期のACID/JAZZなんかを織り交ぜてプレイしていたね。
そして、1987 年にTyphoonはクローズしたんだ。いい終わり方だったよ。



■あなたがDJをやろうと思ったきっかけは何ですか?

音楽を愛してるからさ!!


■伝説的なクラブTyphoonで、レジデンツDJをされていた時の話をきかせてください。

MANERBIO っていう、小さい村での話なんだけど、そこに俺は、洋服を買いに行ってたんだ。
その洋服屋のオーナーって言うのが、俺のDJスタイルや、俺のやりたい事にすごく興味をもってくれてさ、彼とはクラブや、音楽のこと色々、すごく長い時間話をしたんだ。
それで、まずは一緒にパーティーを始めることになってね、『THE KINKY CLUB』っていう、小さいクラブで最初やったんだけど、それが大盛況だったんだ。で、何年後に彼が新しいクラブをオープンするってことで連絡が来て、それがTyphoonさ。
俺がTyphoonのサウンドシステムを選んだり、俺の身長に合わせて、DJブースを作ってくれたんだ。



■ イタリアでは、CosmicもTyphoonと並ぶ、伝説的なクラブといわれていますが、あなたは両クラブでプレイしていましたよね?あなたにとって、どういうイメージですか?内装やサウンドシステム、箱に関する1番の違いは、何だと思いますか?

まず最初に、他のDJやクラブに対して、リスペクトの気持ちをもって、話させてもらうよ。
俺は、ポジション的には CONRAD SCHNITZLERや、STEVE REICHみないなアーティストだったんだ。サウンドシステムはね、実は、ほとんど一緒だったんだ。唯一、大きな違いはターンテーブルが違ったくらいかな?
クラブの中の内装を、イタリアの70年代のファッションで空間を創ったりする事を、みんな『Cosmic』って、呼んでたよね。74年に最も有名なディスコの一つだった『 L'ALTRO MONDO STUDIO』っていう箱があったんだけど、クラブ『Cosmic』は、『 L'ALTRO MONDO STUDIO』にイスパイヤーされて創ったものさ。
『Typhoon』クラブは、ディスコテックよりも、もっと文化的な要素を持ってたクラブだったね。
例えばさ、内装をデザインしたやつは、映画監督のFederico Felliniと一緒に仕事をしていたし、DJセットに関してだけど、俺のアイディアって言うのは、みんなを踊らせる事は勿論だけど、『新しい音楽の文化』を、みんなとシェアするって事さ。


■Typhoonが伝説的なクラブと言われ、イタリア国外からも、沢山の人が押し寄せる人気クラブになったのは、何でだと思いますか?

Typhoonは、GARDA湖からそんなに遠くなくって、ホリデーシーズンになると、国外から多くの人がやってきたんだ。俺が作ったmixテープが、移動距離に聞くには最適だったんじゃないかな。
オーストリア、ドイツ、オランダ、スイスから来るやつらは、みんな俺のテープを持っていたね。


■ディスコだけではなく、オールジャンルを織り交ぜ、プレイするDJスタイルを確立されたのはいつ頃ですか?

78年、兵役から帰って来た時だな。



■みんな、あなたの事をアフロシーンの創始者と呼んでいますが、アフロミュージックを一言でいうと?

そうさ、俺だよ、その通りさ。まず、『イタリアン・アフロ』は、音楽のジャンルでは無い。
けど、それは箱のようなもので、その箱っていうのは、昔、いろんな音楽の種類を入れたものでさ、
その中に入ってる音楽って言うのは、全てアフリカからのリズムを持ってるものさ。
例えば、BRASIL (ALSO AFRO/BRASIL)、 CUBAN (AFRO CUBAN)や、JAZZティストのFUSINON (AFRO JAZZ)、AFRO FUNKYなんかが、そうかな。


■現在DJプレイで使用している機材は何を使ってますか?

通常はパイオニアのCDJを使ってるよ。なぜなら自分で沢山エディットをしているからね。


■DJをする際、何か心がけてる事はありますか?

あるよ!常に頭の中にあるのは、DJとしての本物のセンス、それは、一晩中クラウドを踊らせなきゃいけないセンスの事だよね。それが出来なかったら、俺は”HARAKIRI“ ハラキリするしかないな。


■今現在どれくらいのレコードを所有しているの? レコードはどうやって管理していますか?

今は15000枚以上かな。ジャンルと、アルファベットで、図書館みたいに整理してるよ。



■あなたはこれまでに、色んな国でDJをされて来たと思いますが、1番印象に残ってる都市、パーティーもしくはクラブはありますか?

自分がプレイしてきた国や、都市、パーティー、クラブは全部良かったけど、中でもベストだったのが、ロンドンの『THE LASERMAGNETIC』のパーティーかな。
次は、ベルギーのゲントの『WHITE CAT』、マドリッドの『WONKY』、ドイツの『SALOND DES AMATEUR』、『PUDEL CLUB』や、ベルリンの『HUMBOLDTHAIN』、デンマークの『HARVEY'S CLUB』とか、まだまだ沢山あるかな。 日本のクラブやクラウドが、すごくいいって言う評判を聞いてるから、すごく楽しみだな。


■尊敬しているアーティスト、影響を受けたアーティストはいますか?

たくさん、たくさん、多過ぎるね!
FRANCESCO BOSCOLO , VANGELIS , MORODER、ドイツのアーティスト、その他にも沢山いるよ。
 

■現在、あなたは、レジデンツパーティーはもっているの?

たくさんレジデンツを持ってるけど、その殆どがイタリアだね。


■最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

親愛なる日本の人々へ。
おばあちゃんを家に残して、みんな、俺のパーティーに遊びに来い。
しかも、みんな、下着一枚で来てくれ。
Beppe Loda、地球で1番ハンサムなDJより



Beppe Loda

アフロシーンの創始者
北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ
Beppe Lodaなくして、イタリアのディスコシーンを語ることは出来ない。全盛期“Typhoon” ”Cosmic”のレジデンツとして君臨し続け、”Afro”ムーヴメントを興した中心人物だと言えるだろう。


イタリアの工場都市Bresciaで、DJ Beppe Lodaは生まれた。1973年、彼は北イタリアManerboでDJとしてのキァリアをスタートする。当初はRockミュージックをプレイしていたが、すぐに当時流行っていたFunk, Discoをプレイするようになる。
1980年まで、Le Cupole Di Maeribo, Bisi & Good Moon のレジデンツDJとしてプレイし、その頃からAfrican origin, Fusion, Jazz, Brazilian, Funk, Blaxploitation, Percussionといった異なるジャンルを織り交ぜるDJスタイルを確立していく。それはその時々の個人的なムードで決定されていた。

1980年、彼にブレークスルーの機会が訪れる。
“Cosmic”と同じく、今も尚語り継がれるイタリアの伝説のクラブ ”Typhoon”でのレジデンツDJのオファーである。 “Typhoon”は、北イタリアのGambaraという、とてもとても小さな街にあり、映画の撮影スタジオ跡地に、サウンドシステム、ライティングを取り付けたキャパシティー400人の箱だった。
彼はレジデンツDJとして、毎週土曜日にプレイしていたが、月に一度だけ月曜日に、"Non-Stop-Music"というタイトルで、当時イタリアで全盛期だったDisco, Funkミュージックに、ドイツ産電子音楽、New Wave、Industrial Musicを織り交ぜ実験的にプレイした。
非常に遅いBPMでスタートし、徐々にアフロ セントリック サウンドに移行していく。ここでのプレイでは、最先端な音を追求しながらも、彼自身リアルにやりたい方向性を探し出すプレイが出来ていたのではないのだろうか。

“Typhoon”では、Micro Seiki DQX 1000を使用していた。それは当時+/- 8%が通常に対し、+/- 20%のピッチ調節が可能だった為、 通常Mixする事が出来ない曲をスムーズにMixすることができた。
それでも当時の作品を織り交ぜるプレイスタイルは容易ではなく、非常に集中力がいることだった。その為、彼は空手を習い(黒帯)精神面を鍛え集中力を高めたという。

 “Typhoon”の客層は、Gambara近辺のBrescia, Verona, Cremona, Mantovaが主だったが、”Typhoon”の名が広がるに連れて、イタリアだけではなく、ドイツ、オーストリアからもエキサイティングな音楽を求めるクラウド達が押し寄せ、“Typhoon”は最も魅力的なクラブとして、ヨーローッパ中に広がっていった。
当時の北イタリアのラジオ局では、Beppe Lodaが”Typhoon”でプレイする最新の音楽をかけていて、そこに他のクラブが追いついていくと言う在り方だった。
”Typhoon”は、北イタリアの音楽シーンをリードしていく中心的存在だったと言えるだろう。

あなたは想像する事ができるだろうか。
”Typhoon”は、普通の民家に隣接され、駐車場も無かった。400人のキャパシティーのクラブの外には、3000-4000人もの人々が、入るのを待っていたのだから。
一人出ては、一人入る。
それは、クラブカルチャーにおける革命だったとも言えるだろう。あなたが “Tyhoon”を訪れたならば、それは別世界への入口だっただろう。

北イタリアでは、”Typhoon”と”Cosmic”互クラブは、イタリアで最も有名なクラブだったが、実は彼も1984年まで ”Cosmic”のレジデンツをつとめている。
Baldeliはマシーン、Beppeのプレイは人間味があると例えられ、両者はイタリアのディスコ界を代表するDJとして君臨していた。
当時はどこのクラブも、Mixテープを作っていた。それは200タイトル以上もあり、Goma RecordやCompost Recordらに流通され、Lindstroem, Prins Thomasをはじめとする、若いジェネレーションのアーティストに影響を与えた。

北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的なクラブ ”Typhoon”と”Cosmic”は、同じ87年に幕を閉じる。 “Typhoon”に至っては、400人のキャパシティーのクラブに、毎週3000人近いお客さんが訪れるというプレッシャーに絶えきれず閉店した。最終日には、1万人ものファンが押し寄せ、皆、伝説的なクラブに敬意を払いお金を置いていったという。

“Typhoon”閉店後は、彼はヨーロッパ、アメリカをはじめイタリア外で招聘されプレイする機会が多くなる。
Beppeのスタイルの特徴でもある、Afro Musicにシンセサイザーが加わり、サイケデリックを融合させ、新たなジャンルへと進化させるスタイルは、故Larry LevanやDavid Mancusoにも影響を与え、彼らも好んでプレイしたという。
現在もBeppeは多忙な日々を送っている。2014年12月までのDJオファーも決まっており、リリースに関しては、Spacemachine RecordingsからのコンピレーションCD、 DJ Harveyとのコンピレーション&コラボ作品のリリースが決まっている。

Afroスタイルは、BeppeにとってDJセットの一部でしかない。
彼は自分のDJスタイルに、多種多様なカラーを取り入れ常に違うものをmix upできるように心がけている。
一つのケースとして、Afroに現代のミュージックを抱き合わせプレイする。何年の年月を積み重ねて、今、自分の中ではスペーシーディスコが、色んな年代の人から支持をうけている。人の心を突き動かす音楽の本質を理解しているからこそ、彼の作り出す音は実にスペーシーにエモーショナルにフロアに届くのである。
今日も彼はレアなレコードを探し続けている。それは彼にとって、鼓舞し深奥の原動力ともなっている愛の出来事だと言えるだろう。



(2013.9.6)

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