ドロヘドロインタビュー

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2024.04.19

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Q.
門脇さんが『DOROHEDORO original soundtrack』の存在を知ったのはいつ頃でしたか?


大学浪人していた頃に模試帰りに寄ったヴィレッジ・ヴァンガードで『ドロヘドロ』の原作を買って読み始めていたですが、この音盤の存在を本格的に意識したのはそれから10年近くが経ったここ数年の事でした。

現在〈DU BOOKS〉で『ニューエイジ・アニメ・ディスクガイド』(仮)という、近年の「ニューエイジ」や「オブスキュア」以降の目線からエッジの効いた広義のアニメ音楽、声優音盤などに切り込んだディスクガイド書籍を編集しているところなのですが、そのために軽く万を超える、膨大な数のサウンドトラックやレアグルーヴ的なアニソンをリサーチしてきました。


chOOn!! · chOOn!! with Tsunaki Kadowaki [Guest Mix]


その過程、つまり音楽ディグの過程でたまたま(K)NoW_NAMEが手掛けていたアニメ版『ドロヘドロ』のサントラ)をまず発見したんです。

当時アニメ版は未視聴でしたが、サントラへの先入観も無く入り込んだら、まさか本当にノイズ(しかもガチのパワエレ)やブラック・メタルまで鳴らされるとは思わず、流石に絶句しました...

アニメ・サントラ作品は多くの場合、劇伴としての機能性を重視される傾向が極めて強いので、言い換えれば制約が設けられており、その中で如何に調理していくかが問われる事は言うまでもありませんが、これはこれで原作に一番忠実な表現の成果だと言えるかもしれません(笑)

とはいえ、(K)NoW_NAME仕事では最大級の特異点的作品...。



アニメ版サントラをググって、直ぐに『DOROHEDORO original soundtrack』にも辿り着きました。 最初に目に入ったのがよく見覚えのあるmhZの特設ページで、その繋がりにもびっくり。そしてIGORRRに、Shackleton、khost、Roly Porter、Dead Faderというクレジットには実験音楽リスナーとしても流石に唸りました。さらにはアニメ版サントラ以上に中で凶悪なのですから尚更驚きでした...。コーネリアスや細野さんの様なメジャー領域の先鋭的な作家がアニメ・サントラを手がける事も稀にありますけど、流石に地下トライバル・エクスペリメンタル帝王なShackletonに、インダストリアル/ドゥームの盟主Khostあたりは喰らいました(笑)



ところで、この『DOROHEDORO original soundtrack』は正確にいえば、いわゆる「サウンドトラック」ではなく、「イメージ・アルバム」と呼ばれる枠組みに該当する作品だと考えられます。

実際の劇伴への叩き台として企画される事もあるなど、その有り様には諸説あるのですが、多くの場合、既存の小説や漫画などの世界観をもとに独自解釈されて制作された音楽作品が「イメージ・アルバム」と呼ばれています。主に80年代頃に日本コロムビアやビクターなどの大手レコード会社によって展開され始めた歴史があり、マライアやムーンライダーズなどの人脈なども携わった様な先鋭的な小説・漫画原作の音盤が存在しています。その足掛かりとしては、ビクター音楽産業の展開した「ファンタスティック・ワールド」や東芝EMIの「Futureland」といったレーベルがオススメです。




Q.
門脇さんの推薦によって『DOROHEDORO original soundtrack』は再発されることになったのですが、今作を再発しようと思ったのはなぜでしょうか?


オブスキュアなアニメ音楽ディグに執心して来た身として、〈Sad Disco〉でもアニメ・サントラを手掛けたいという思いがありました。当レーベルでも『Bluespring』のアナログ/CD再発盤をリリースさせてもらったTelematic Visionsくんがよく「アニメ音楽を作りたい!」と口にしていた事に触発されていた部分もあります。

彼の『Bluespring』も「架空のサウンドトラック」というテーマであったこと、他にもTEMPLIMEやUztamaさんなど〈Sad Disco〉でも広義のアニメ表象が用いられた作品を展開して来たことから、いずれ、原作ありきの「アニメ音楽」にもご縁があれば、と考えていました。



しかしながら、なかなかサントラ再発への足掛かりができない中、偶然にもBo NingenのTaigen Kawabeさんと『ドロヘドロ』サントラの話になって、 梅ケ谷さんとお繋ぎいただけることになったという経緯がありました。

今作の再発の現代におけるアクチュアリティは、全編がポスト・インダストリアル、言い換えるなら現代的な暗黒の意匠に満ちていることにあると考えています。

Deconstructed ClubやTzusingなどのLeftfield-Techno勢、The Bodyなどのヘヴィミュージックが台頭する中、ポスト・インダストリアルという音楽は新たな局面、新たなリファレンスとしての再定位、新たな解釈を迎えていると考えています。その過熱した状況下でアノマリーなポスト・インダストリアル音楽を収める音盤が再発されることにも大きな意義があると感じていますし、長年Meditationsのスタッフとして扱ってきた領域の音楽をより広いリスナーに届ける事ができるという事もまた、個人的な達成の一つです。



サウンドトラックの発売当初こそ、その存在も知らないでいた僕が、この数年で、後追いで今作と出会った偶然があり、かつ、ここ数年自分の音楽観の主軸を為していた(再デザインされた)「ニューエイジ」や「オブスキュア」といった新時代的な審美眼やそれら以降の音楽的目線と文脈を辿ってきた中で本作に魅了された経緯があって。いち原作ファンとしての込み入った感情よりも、リバイバル以降の目線で(音楽ディグの過程で)「発見」した感覚というものがウェイトを占める部分もあるからだと感じています。


Q.
近年、DiscogsやYouTubeなどによって埋もれてしまっていた名盤が続々と再発され、再評価されていますが、この再発ムーブメントについて門脇さんはどう感じられていますか?


まず、Solid Recordsや私も関与したSuper Fuji Discs、幻の名盤解放同盟、和ラダイスガラージ周辺など、現在言われる世界的な「リバイバル」の源流となったレーベルやコレクティヴ、パーティーは、日本においても以前より存在していて、さらに決して「海外からの逆輸入ばかり」ではないという事も前提として断っておきたいです。

個人的な経緯の説明が中心になってしまうんですけど、純粋にここ10年ほどの間、後追いながらレコードバイヤーとして、いちリスナーとして楽しみながら諸々のリバイバルの流れ追ってきた経緯があって、これらはまさに20代以降の第2の青春時代の中心でもあったと言えます。決して新しく作られる音楽だけが「新譜」ではない、という事実をあまりにも清々しく突き付けられた、人生でも有数の体験であったといいますか。

旧来は視界にさえ入らなかった様な、辺境的な音楽ジャンルの自主盤や、インターネット以降に漸く発見され始めた世界各地の未知なる民俗音楽、第三世界のポピュラー音楽、忘れ去られたジャンクに至るまでがミレニアル世代以降のフラットな視点で掘り起こされ、新たな価値と文脈を付与されていったのは最早周知の事実ですが、「ニューエイジ」と並び、これらの鍵となった「オブスキュア」と呼ばれる、新時代的な審美眼を世界に広めた選曲家/Organic Music店主のChee Shimizuさんに僕は強く影響を受けました。



広大な地平から掘り起こされた膨大な音盤たちの、捉えどころのなかった輪郭を鋭く捉えたのがまさに「オブスキュア」の審美眼の存在であり、同氏が2013年に出版した書籍『obscure sound: 桃源郷的音盤640選』では、「Organic(オーガニック)」「Ethnic(エスニック)」「Meditative(瞑想的)」などといった、ユニークで独創的な章立てのもとで、その玲瓏にして深遠な絶景と未知を垣間見る事が出来ます。



この本との出会いで、それまでハッキリと捉えられてこなかった音盤たちが見事に点と線で繋がった事でいたく感動したんです。そして、この深遠なるヴィジョンを提示した世界的なディガーが「この音楽を聴きたい人がどこかにいるんじゃないかと思っていて。人々がレコードを聴けるようにするのが喜びです。」という素朴な発言を残していた事にもまた感銘を受けました。

直接お会いした事はないものの、同氏の様々な仕事から滲み出ていたその人柄や、名ブログ「森と記録の音楽」を運営していた藤井友行さんや新潟のShe Ye Ye Records店主増子さんといった、「オブスキュア」周辺の人々の姿勢や気風に惹かれたという素朴な体験が根っこにあったんです。



そういう意味でも、(仰る通り粗悪な再発レーベルも一部存在してはいますが)世界各地でリイシュー業を展開するレーベルオーナーやDJたちの多くは、純粋に伝道者や求道者の様にも感じられる事も多々あって、彼らの後を追いたいと惹きつけられた気持ちが強かったですね。

遠泳音楽とはまた違った「ここではないどこか」への憧憬を抱く者として、音楽ジャンルやスタイルを横断しながら、当初の文脈から(時には乱暴に)切り離して、新たな文脈や意味、価値を付与し、新たな枠組みの1区画として位置付け直すというリスキーな作業の繰り返しに身を置いて来ましたが、特にアニメ・レコードに触れる様になってからは、音楽リスナーとしての原点に立ち戻る形で(ごく当然の事、初歩の初歩ですが)改めてカルチャーや原作、それらを取り巻く環境や聴衆、シーンといったもとあった場所へのまなざしや手つきがあっての「再評価」だと強く考える様になりました。

しかし、再発可能なカタログが再発され尽くして、強引な再発明らかに増えてきた昨今の和物やシティ・ポップ系のリリースを眺めていると改めて襟を正さねばと感じると同時に、そのまま突っ走って、最終的には全盛期のJ-Popリミックス・アルバムまでアナログにしてくれと思わないでもありません(笑)


Q.
門脇さんの視点から『DOROHEDORO original soundtrack』 の音楽的な魅力を教えていただけますでしょうか? 『DOROHEDORO original soundtrack』は漫画ファン以外にも音楽ファンに受け入れられると思いますか?


原作の漫画自体が、暗黒でディストピア的な感覚と屈折したユーモアやペーソス、一般的な倫理の在り方に働きかけるような魅了を抱えた作品である事は読者の皆さんも私も知っていると思います。

その作品の黒々しい美しさがブラックメタル、ノイズ、それらを経由した異形のクラブ・ミュージックへと強く反映されたことで、ミュージシャン側に起きた反応があり、そもそもイメージ・アルバムという形態でしか成立し得なかった音楽、音盤である、という事は最初に強調すべきだと思います。

全体を貫くのは全てのトラックが(ポスト)インダストリアル・ミュージックである事で、その周辺のエクスペリメンタル、クラブ・ミュージックの領域のある種の優れたショーケース・コンピレーションとも言えます。

言及すべき特異性はその「イメージ・アルバム」である事、アニメーション/コミックと強く紐づいた作品である事、つまり映像、ヴィジュアルの喚起性が志向されている事に言えると考えられます。

例えば、Dead FaderやShackleton、Roly Porterのような著名な作家も、他のクラブ・ミュージックの作家も持ち味を存分に発揮しつつ、イメージ・アルバムという領域での実験を行っている事が特筆され、それは原作ファンの想像力を拡張するものでもありますが、同時にそれらの作家のファンから見ても新しい実験であり、新しいものとして響くのだと思います。


Q.
『DOROHEDORO original soundtrack』収録曲で特にお気に入りの曲などはありますでしょうか?


まずは一曲目であるKhost「Redacted Recalcitrant Repressed」でしょうか。

いわゆる荒野的なノイズ・ミュージックというよりそれ以降の、ポスト・モダン的な速度との戯れであり、サウンドスケープの人造性とも言うべき洗練された音響で、シンプルに格好良く、原作のダークさを拡張しています。

次はNAH「Enter the Hole」。
レフトフィールドなクラブ・ミュージックの一角が夢見てきた昏い桃源郷的な感覚が、声やウワモノ、ビートのスピードの中で現出していく。そして、それらに溺れてしまうような快楽性の高いトラックで、ポスト・インダストリアルのひとつのマイルストーンと言える楽曲です。

Shackleton「Transformations」も看板のようなダークな、ストレンジなトライバル感覚を押し出しつつイメージ・アルバム向けにチューンされたような内容で、ミニマルに進行する幻が原作の幕間と呼応するようにも感じられて気に入っています。Shackletonは比較的ダークな音楽を展開する作家ですが、今作の作家陣に混じると明るく聴こえるのも面白いです。

最後に、Ed Cox「Stay Down Zonbies!」について触れようと思います。
ブレイクビーツとブラックなユーモア、リリカルなピアノと作中の劇、のようにドロヘドロという作品と直接的に紐づいていますし、このスピードはある意味で作品を象徴しているんじゃないかなと思います。

どの作品も優れて美しいものであり、進んで推しを決める事は難しいのですが、これらのトラックは特に印象に残っています。


Q.
門脇さんはフィジカル・リリースのコレクターとして知られていますが、フィジカルを所有するという行為はどういったことなのでしょうか?


まず前提として、(後述しますが)フィジカルが音楽における総合的な、美しい「モノ」であること、言い換えるならひとつのアート、総合芸術であることが挙げられます。

サブスクでのデータベース的な、網羅的な体験とは少し位相が違うと言いますか、サブスクでの視聴と比較して、より唯一性を持った作品への体験を促すメディウムとも言えるものだと考えいています。

その美しい「モノ」を所有することは、豊かな音楽体験を担保することであると同時に、コレクター的な充足もあり、またオリジナル盤においては当時の状況を知る貴重な資料でもあります。

その「オリジナル盤」というモノにおいて、再発盤と事情が違っているのは、ジャケット、インサート、音楽的内容を含めオリジナル盤が文字通り本来の形であり、原典であることや、再発盤でオリジナル盤のリリース当時に達成出来なかったことが可能になるケースもありますが、基本的にはそれはオリジナルあってのものである、という発想があります。

さらに言えば、それは貴重な資料であり、私が専門化して探索しているジャンル、例えばニューエイジやオブスキュアといった情報の極めて少ないジャンルにおいては一次資料としてオリジナル盤を所有することは書籍やファンジンなどの収集と同列で重要だと言い切れます。


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素朴な理由としては、いつ消えるかわからないサブスクではなく、モノという形のあるレコードやCDを所有することで得られる音楽へのアクセスの担保という側面もありますし、作家が本来の形として提示した、総合的なアート/モノを所有することは豊かな体験でもあり、作家への敬意でもあると考えています。また、現代においてそれらの”アナログ”な体験が齎す充足は、SNSから離れて物思いに沈む時の最大の友人の1人としてとても大切です。


Q.
門脇さんのレーベルであるSad Discoはストリーミングサービスを使用されており、『DOROHEDORO original soundtrack』もLP/CDのリリース以外にストリーミングも解禁されています。
フィジカルとストリーミングは今後どういった関係性を築いていくと予想されますか?


一般論としてはフィジカルの代替としてのリスニング手段、そのフィジカルへの導線(試聴機)としての機能などが挙げられますが、同時に現在SpotifyやApple Musicが担っている機能として音楽ディグの効率的で先端的な方法、という側面が挙げられます。

十数年前なら僅かな試聴ソースを探して確認しフィジカルを取り寄せる、もしくはレコードショップの店頭でのジャケ買い、友人間での貸し借りやデータ交換などの手段で行っていた音楽ディグが、まさしく以前ツイートした通りの「音の図書館」のような網羅的なアーカイブとインターネット特有のアクセスの容易性によって加速され、今では日本の地方に住む若者がアフリカの最先端の電子音楽を聴き、より物理的に恵まれない環境にいる人たちも同様に様々な音楽にアクセス出来るようになりました。

近年のSpotifyのAI企業買収も大きな出来事であり、例えば、アンビエントのプレイリストを選曲している時の楽曲サジェストに山崎まさよしや布袋寅泰のバレアリック・アンビエントが現れる様な先鋭的な例に代表される、そのアルゴリズムの洗練によるサジェストの進化には驚異的なものがあります。私も手がけているプレイリスト文化が貢献している側面もあると思います。



そして、それは手段の拡張によって、以前一万クリックを要した地点へも僅か数クリックで様々な音楽へのアクセスが可能になった、インターネット以降の音楽ディグを取り巻く最大のビッグバンによる素晴らしい状況を表すと同時に、リスナー側の意識や審美眼を変化させるものでもあります。

物事への見方、この場合だと音楽を聴く耳の良さがリスニング体験の多様性、総量、それにおける選択(審美眼を育てること)に依拠しているのは自明で、様々なリスナーが様々な豊かな音楽体験を経由したことで、前例のない音楽におけるルネサンスが起きている、というのが現在ではないでしょうか。

そして、『DOROHEDORO original soundtrack』もその状況にサブスク、フィジカルという両面で投げ込まれます。

その状況下でフィジカル、レコードやCDが持つ価値と意味は、単なる音楽の記録物ではなく音楽における総合性、音楽を体験する為の総合的な「モノ」としての価値ではないでしょうか。

それ自体がひとつのアートとも言えますし、(主だった機能ではありますが)単なるメディウムとしての機能に留まらない、アートとしての価値があります。

また、サブスクとフィジカルでは音楽に向き合う姿勢も違ったもので、データベースにアクセスして網羅的に聴く前提であるサブスクと比較して、フィジカルは音楽、その作品それ自体に対してひとつの作品として、唯一の作品として向き合うことを促すものではないでしょうか。

つまり、サブスクが生んだのは音楽に対する俯瞰的な把握とアクセス、それに伴う審美眼などの向上であり、音楽に対する意識の変化。全てわたしたちが触れられるものである、という音楽への意識の民主的な開きではないでしょうか。それ以降として存在するフィジカルが担保するのは、唯一の作品への「私」という唯一の個人の、私的で豊かな体験です。

それだけの価値がフィジカルという音楽における総合的な「モノ」にあると考えています。

サブスクが導線になり、もしくは音楽ディグの過程で『DOROHEDORO original soundtrack』が発見され、聴かれるのは望ましいことです。

そして、それがフィジカルというひとつのアートに触れる入口になれば本当に素晴らしいと思います。


Q.
最後に、『DOROHEDORO original soundtrack』を作り終えた現時点での心境を教えてください。


本作で『ドロヘドロ』に出会った音楽リスナーには原作とアニメを、原作とアニメのファンには本作に触れて欲しいという気持ちだけです!

後者の皆様にはぜひ本作に参加した数々の魔物のディスコグラフィにも目を通してもらえたら僕としてはもう言うことはありません。サントラはサブスクで聴いていただけても嬉しいですが、ぜひフィジカル(値段が張るけれど特にアナログ)でも体験してみてほしいという思いです。

また、(個人的に!)アニメ版のサウンドトラックの方もぜひアナログ化される事を願っております。

・門脇 綱生 Tsunaki Kadowaki(Sad Disco / Meditations)

1993年生まれ。鳥取県米子市在住。国内盤CDのライナーノーツの執筆やミュージック・マガジン、レコード・コレクターズなどでの音楽記事、レヴュー執筆などを担当しています。本業はレコ屋のスタッフ/バイヤー。

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