昭和100年記念特別企画 diskunion presents レコードでたどる日本とジャズ 第6回
昭和のバンドマンの息子として生まれ育ち、そのルーツである日本のジャズについて探求を続ける音楽ライター原田和典が綴る「レコードでたどる日本とジャズ」 第6回
前回は「史上空前のジャズ・ブーム」について触れた。このあたりのことについては、いま読んでいる(不勉強にして昨年発行されていたことを存じ上げていなかった)大場吾郎・著『戦後期渡米芸能人のメディア史: ナンシー梅木とその時代』に詳細に記されていて、まさにページをめくるたびに「おっ」と唸るような状態なのだが、著者がこれほどまでに調べ上げた労苦への深いリスペクトも込めて、あえて本稿では一文も引用しないことにする。私は名古屋の鶴舞中央図書館で調べもの中にこの本に出くわし、パラパラと見たところで「これは熟読したい」と思って帰宅後に買った。戦後の日本ジャズと放送・芸能(とアメリカの関係)について知りたい方は、ぜひ人文書院から発売されている同著をチェックされたい。
今回のテーマは「日本のジャズ・レーベル」である。ニアイコール、ジャズ専門のレコード会社と考えてもいいかもしれない。世界初のジャズ・レーベルは1937年(昭和12年)にジャズ愛好団体「ホット・クラブ・オブ・フランス」に所属していたユーグ・パナシエとシャルル・ドロネーが立ち上げた“スウィング”だ、とされる。ドロネーはレコード会社“パテ・マルコーニ”のディレクターだったらしいから、そこで作業しているうちに「ジャズに特化したレコード部門を作ってみようか」と考えたのかもしれない。しかも彼はジャンゴ・ラインハルトのマネージャーでもあったので、ごく自然にジャンゴやその周りの(当時としては先鋭的な)ミュージシャンの演奏が次々と収録された。
アメリカでは38年にスティーヴ・スミスが“ホット・レコード・ソサエティ”(HRS、37年の設立当時は再発専門だった)の新録音を始め、ミルト・ゲイブラーが“コモドア”、39年にはアルフレッド・ライオンとマックス・マーグリスが“ブルーノート”を設立。ゲイブラーはレコード店「コモドア・ミュージック・ショップ」経営のいっぽうで35年頃からUHCA(ユナイテッド・ホット・クラブス・オブ・アメリカ)という名の再発レーベルに関わっていた。そこで作業しているうちに「ジャズの新作のレコードを作ってみようか」と考えたのかもしれない。いっぽう、ライオンがブルーノート以前にレコード作りに携わっていたかどうかは定かではない。「カーネギー・ホールで行われたコンサート“フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング”に大感激してブルーノートを始めた」という説もあるようだが、そのコンサートの開催が1938年12月23日、ブルーノートの第1回レコーディングは39年1月6日だから、そのあいだ2週間しかない。そんなに首尾よく進むものなのかしらん。初回アーティストはアルバート・アモンズとミード・ルクス・ルイスというピアニスト2名。ともにブギウギのスターだが、品番BN-1のA面「メランコリー」もB面「ソリチュード」も、いわゆるブギウギと呼べる感じではない。そこも不思議だ。
さあ、41年にはバンク・ジョンソンなどを記録した“ジャズ・マン”、44年にはやはりバンクの演奏が有名な“アメリカン・ミュージック”、ゴスペルやリズム&ブルースのカタログも豊富な“サヴォイ”、46年にはクラシックの作品もある“ダイアル”ができ、49年には元サヴォイのプロデューサーであるテディ・リーグ(ライグ)が“ロイヤル・ルースト”、レコード店主のボブ・ワインストックが“ニュー・ジャズ”(すぐにプレスティッジと改名)、レスター・ケイニグがディキシーランド・ジャズに的を絞った“グッド・タイム・ジャズ”を作った。その2年後、ケイニグはより新しいジャズを発表すべく“コンテンポラリー”を立ち上げて、52年にはリチャード・ボックがドラマーのロイ・ハートの協力を得て“パシフィック・ジャズ”を創立。そして53年にはビル・グラウアー(調べるほどにわからない人物だ)と元ジャズ雑誌編集者のオリン・キープニューズが“リヴァーサイド”を始めた。あと、ノーマン・グランツ関連のレーベルについては非常にややこしいのでここでは触れないが、いくつかの資料に出ている“クレフ”が1946年創立、という根拠はどこにあるのだろう。
評論家の油井正一が、エンジニアの岩味潔やミュージシャン兼経理監査の井手忠の協力を得て日本最初のジャズ・レーベルと目される“ロックウェル”を立ち上げたのは1956年、昭和31年のことだ。油井は、「日本人によるジャズ・レコードが市場に現れないことを不思議に、残念に思っていた」「とても高くコストがついたため、小売商に払うマージンが出ないので、通信販売とする」「守安祥太郎が死んだって、たった一枚のレコードも残ってない始末ではおはなしにならない」というようなコメントを寄せている。そう、この時期の日本のレコード産業における“ジャズ”はペギー葉山、江利チエミ、雪村いづみといったところであり、アドリブの入ったインストゥルメンタル音楽としてのジャズは驚くほど記録されていない。
同時期、油井と同じようにすっきりしない気持ちを持つ者は他にもいた。やがてペギーやチエミの牙城であるキングレコードで通称“キング・ジャズ・シリーズ”を始めることになるプロデューサーの久保田二郎(元ドラマー)と、日本のジャズメンの底力を知ってもらいたいとばかりに気鋭たちの演奏を昭和32年の時点でステレオ・テープに収録し、それをアメリカの有識者に送付した写真家の阿部克自である。ほんの数年前まで日本ビクターで数々のジャズ録音を制作していた河野隆次も次なる機会を待っていた。
ロックウェルのレコード形態はLPではなくEPだった(17センチ45回転、基本的に片面2曲)。第1弾はトランぺッター、右近雅夫の『オリジナル・ディキシーランド・ハートウォーマーズ』。右近は昭和30年にブラジルに渡ったので、ロックウェルのために録音された音源ではない(ラジオ神戸の音源がソース)。クラリネットの油井義光、トロンボーンの大越泰蔵、ピアノの小曽根実と、油井正一、タイガー大越、小曽根真との関係を調べていけば、当時から今に続く関西ジャズのブラッドラインが見えてくるはずだ。ロックウェルの第2弾は新録音による『鈴木章治クインテット』(昭和32年1月にベニー・グッドマンが来日するのに、“日本のグッドマン”のレコードが1枚もないのはおかしいのではないか、と制作)、第3弾こそ、あの『守安祥太郎メモリアル』(当初の告知タイトルは“鬼才守安祥太郎集”)で第2弾・第3弾ともに昭和31年12月にリリースされた。なお『守安祥太郎』のA面は歴史的なモカンボ・セッションから「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ハッピー」の短縮ヴァージョン、B面は別の場所での公開収録による「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」で守安のソロは短いながらも狂気という点ではモカンボのそれを上回るかもしれない。こちらの収録場所について私は石原康行氏に質問したことがあるが、「TBSの放送音源かもしれない」とのことであった。石原氏は当時TBSに務めていて、守安のプレイを高く評価していたこともあり、いろんな番組(昭和30年4月に本放送が始まったテレビも含めて)に起用していたらしいのだ。
ロックウェルはほかに北村英治(当時未発表)、藤井英一+渡辺貞夫(今も未発表)の音源も制作した。岩味潔がCDにしたのは右近、鈴木、北村。“モカンボの守安”は1998年にポリドールから出た3枚組CD『幻のモカンボ・セッション’54 完全版』が決定版ということになろうが、このライヴの日、ピアニストは少なくとも守安、秋吉敏子、ハンプトン・ホーズ、萩原秀樹の4人がいた。私が興味をムラムラさせているのは萩原秀樹の演奏である。彼の兄は偉大なる萩原哲晶、そう、鈴木章治や佐久間牧夫と共に日本のベニー・グッドマンに数えられ(当時の北村英治はグッドマンというよりバディ・デフランコ)、のちに「スーダラ節」の作編曲で名を馳せ、大瀧詠一少年の心をくすぐった、あの萩原哲晶である。その弟の萩原秀樹が、どんなバップ・ピアノを弾いていたのか、知りたくなるのが人情というものだろうが。
さあ、30センチLP主体によるキング・ジャズ・シリーズが始まり、新興の東芝音楽工業やユニヴァーサル(岡信一が設立。ユニバーサルミュージックとは無関係)、老舗のテイチクや日本ビクターや日本コロムビアも再びジャズ作品を作り始めて、それが米国黒人ジャズをあがめるファンキー・ブーム、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ熱(サントラによくモダンジャズが使われた)などと相乗効果をあげて、水谷良重(現・水谷八重子)と結婚した白木秀雄のように芸能のメインストリートに登場する人気者もあらわれたのが昭和30年代である。そして昭和39年には東京オリンピックが行われ、ジャズ版オリンピックを目指したらしい「世界ジャズフェスティヴァル」ではマイルス・デイヴィスが来日した。マイルスが若きハービー・ハンコックやトニー・ウィリアムスと共に「最先端のホンモノ」をつきつけたことと関係があるのかどうかはわからぬが、このあたりから目に見えて日本人ジャズ作品の制作が減っていく。キングレコードのジャズもしだいに“歌のないポップス”的なものになっていった。
次に出てくる、日本ジャズ史上のマイナー・レーベルは“タクト”、親会社は昭和35年3月に創業したタクト電機(ポータブルステレオの開発で名をあげたとか)。昭和42年2月1日発売の渡辺貞夫『ジャズ&ボッサ』からジャズ・シリーズが始まり、翌年9月25日発売の日野皓正『フィーリン・グッド』、ジョージ大塚トリオ『ページ2』から日本コロムビアとの提携が始まった。よってインディペンデントだった時期は1年7か月に過ぎない。タクトはジャズ専門ではなく、クラシック、イージー・リスニング、朗読(三島由紀夫)なども有しており、別レーベル“ミリオン”には早川義夫などを含む“ジャックス”のシングル盤もある。一部がコロムビアではなくRVCから再発されていたり、1960年代後半のレーベルだというのにとにかく謎が多い。ロイヤルレコードに迫る、わけのわからなさだ。なお、インディペンデント時代のダブル・ジャケットは異様に分厚く重く、何枚か持つと手が疲れる。
スリー・ブラインド・マイス(TBM)の第1回作品として峰厚介『ミネ』と今田勝『ナウ!!』が発売されたのが昭和45年9月25日だから、タクトとコロムビアの提携からちょうど2年後ということになる。私は昭和44年を「日本ジャズ、覚醒の年」と呼んでいるのだが、その覚醒以降に生まれた日本初の、そして歴史的にはロックウェルに続いて14年ぶり二度目のジャズ専門レーベル(その間に日野皓正のEP『スウィンギン』をリリースした“しゃっとレコード”などもあるけれど)がTBMだ。TBMについての評価は国際的にもうなぎのぼりというか天井知らずであり、復刻も順調に進んでいるから、まずは演奏を聴いていただくことが先決ではなかろうか。市川崑の監督映画などの音作りをしていた神成芳彦が、マイク多めのセッティングで克明に捉えた“ガッツのある音質”も大きな魅力だ。
このTBMとは一種対照的に、録音場所にはコンサートホールを中心に選び、極力少ないマイクで、アンビエンスをたっぷり含む音作りでリスナーを魅了したのが、エンジニアの菅野沖彦を代表とする“オーディオ・ラボ”である。主力はクラシックとジャズで、ジャズ・レコードの第1弾は昭和48年夏にリリースされた菅野邦彦(沖彦の実弟)と北村英治の『コラボレーション』。復刻に関しては昭和60年代にクラウンレコードから何作かCD化されていたと記憶するが、このたびディスクユニオンが権利を取得し、いまのところ関根敏行『ラブ・フォー・セイル』がLP復刻されている。来年以降は猪俣猛『ザ・ダイアローグ』『ゲット・ハッピー』、八城一夫『サイド・バイ・サイド』シリーズなどの再発が予定されているとのことだから、稀代のピアニスト・菅野邦彦の音源も含めて、ぜひとも、このレーベルの趣味の良さを幅広い層にアピールしてもらうことを祈るや切である。
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