昭和100年記念特別企画 diskunion presents レコードでたどる日本とジャズ 第7回
昭和のバンドマンの息子として生まれ育ち、そのルーツである日本のジャズについて探求を続ける音楽ライター原田和典が綴る「レコードでたどる日本とジャズ」 第7回
パンデミック以降、リモートという手段が大きく表現の選択肢に入りこんできたとしても、依然としてジャズはライヴ映えする音楽であるといっていいはずだ。演奏者がひとり入れ替わるだけで俄然変化して、同じ楽曲をプレイしても昨日と今日では様相が異なってくることが、鑑賞者におよそポジティヴな気持ちで“許されてしまう”のもジャズならではの現象ではなかろうか。グループのメンバーが揃わなくても手の空いている(しかし有能な)代役を入れてライヴをしたり、同一曲の歌い方や奏で方が公演ごとに違ったり、演唱時間が大きく揺らぐことは、ポップスでもクラシックでも、まずありえないだろう。
世界最古のジャズ・クラブは1934年5月に米国ミシガン州デトロイトで誕生した「ベイカーズ・キーボード・ラウンジ」である、という説が存在する。もっとも同店のホームページに掲載されている文章を注意深く読んでみると「ビールとサンドイッチを味わうレストランとして開店し、85年間同じ場所で営業を続け、いまや世界で最も歴史のあるジャズ・クラブになった」というようなことが書かれている。ということは2019年の執筆なのだろうが、ビリー・ホリデイが「奇妙な果実」を初めて人前で歌ったと伝えられるニューヨーク「カフェ・ソサエティ」は38年の開店、35年にオープンしたニューヨーク「ヴィレッジ・ヴァンガード」がジャズの生演奏を聴かせる方針に切り替えたのは57年のことだから、やはり「ベイカーズ」の方が早い。もっともカンザス・シティでは31年に「リノ・クラブ」がオープン、35年にはカウント・ベイシー楽団が出演して評判を呼んでいるのだが、開店当時からジャズを推していたかどうか定かではない。
翻って日本ではどうか。最初のジャズ・クラブが昭和39年(1964年)7月26日に銀座の松屋デパート裏の畜産ビル地下に開店した「ジャズ・ギャラリー8」であったことは定説化している。では、それまでのミュージシャンはどういった場所で生演奏をしていたのだろう。戦前は船上、ダンスホール、大学の講堂、映画館、(クラシック用の)コンサート会場などがライヴを行う上での主な職場だったようだ。昭和20年代になると米軍キャンプでの仕事が加わり------といってもこれは一般の日本人オーディエンスにとってはオフ・リミットなので、それとは違った形でジャズのライヴを楽しむ場が求められていく。昭和22年創刊のスイングジャーナル誌が日比谷公会堂などを借りて「スヰング・コンサート」を行ない、キングレコードは昭和31年から32年にかけて東京都内の、ジャズが実施されているヴェニューに録音機を持ち込んで名シリーズ“ミッドナイト・イン・トウキョウ”を生んだ。場所は東京「丸の内クラブ」、銀座「クラブ・チェリー」、銀座「銀馬車クラブ」、銀座「キャバレー美松」、日比谷「日比谷クラブ」、田村町「マヌエラ」、赤坂「クラブ紅馬車」、銀座「テネシー」、銀座「モンテカルロ」、飯田橋「ダンスホール松竹」。「テネシー」はカントリー&ウェスタンや(後年)ロカビリーも出すライヴの店だが、他はナイトクラブやキャバレーであるといっていいはずで、ジャズ・ミュージシャンは、そうした場所に出て、ごく限られた機会にジャズを(おそらく大半はダンス・ミュージックの用途で)演奏していたわけである。が、「テネシー」を除けばこれらは経済的に恵まれた層の大人が夜を楽しむ場であろうから、やはり庶民にとっては彼方の場所だ。
昭和33年5月には銀座の不二家ビル(もちろん、あの“ペコちゃん”の)の2階に「不二家ミュージック・サロン」ができた。11時オープンの23時クローズで、ライヴは13時~18時と、18時~23時の2バンド制。昼間からソフトドリンクやケーキを賞味しながら生演奏が聴けたのだろう。監修者には大橋巨泉が就き、出演者もディキシーランドの“南里文雄とホット・ペッパーズ”から、イースト・コーストのジャズ(ニアイコール、ハードバップ)を追求していたという“河村利夫とイースト・ダンディース”、萩原秀樹(萩原哲晶の弟)のクインテット、西条孝之介とウエスト・ライナーズ、白木秀雄クインテット、のちに渡辺プロダクションで大々的に売り出すスマイリー小原のオーケストラ(まだスカイライナーズとは名乗っていない)などが出ていたようだから、当時の自分が学生なら通い詰めていたところだ。が、「日本のジャズ・クラブ誕生」までにはまだまだ歳月を必要としていて、横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」の吉田衛や愛知県の医師・内田修の支援を得て設立された、高柳昌行を中心とする新世紀音楽研究所(昭和37年発足のもよう)が銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を舞台に深夜のセッションを始めたのが昭和37年、銀座のジャズ喫茶「ろーく」が時おり生バンドを入れるようになったのも昭和37年。「ジャズ・ギャラリー8」のオープンは、その2年後のことであったが、当初は昼間のみ、秋ごろから昼夜含めてバンドを入れるようになったらしい。昼からジャズの生演奏を浴びることができたなんて、うらやましい。神田小川町で、やはり生演奏を聴かせる「モダン・ジャズ・ルーム テネシー」が始まったのも、やはり昭和39年のことであるようだ。翌40年になると「新宿モダン・ジャズ・コーナー」(詳細不明)ができ、8月には評論家いソノてルヲが経営する「ファイヴ・スポット」が自由が丘にオープンした。さらに41年に入ると新宿「ピットイン」で金土日の三日間「ピットイン・ジャズ・セッション」が始まり、「ジャズ・ギャラリー8」は「アドミラル」と名前を変えた。
「ピットイン」は改装のうえ、昭和44年にジャズ・クラブとして再スタートする。この年を私は“日本ジャズ覚醒の年”と呼んでいるのだが、佐藤允彦『パラジウム』、渡辺貞夫『パストラル』、日野皓正『ハイノロジー』、富樫雅彦『ウィ・ナウ・クリエイト』、高柳昌行『インディペンデンス』、宮間利之とニューハード『パースペクティヴ』、山下洋輔『ミナのセカンド・テーマ』などが次々と生まれたのと同時期、ピットインもまた今日に続く方針を定めていたということに、胸が熱くなることをおさえきれないのである。
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