9年振り奇跡のリユニオンとなるDRY&HEAVY。そこまでのストーリーを秋本武士(ベース)が語る...

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2011.06.24

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かつて世界最高レヴェルのリズム・コンビ=DRY&HEAVYとして重低音を各地に響かせてき七尾茂大(ドラムス)、HEAVYこと秋本武士(ベース)の2人。2001年のコンビ解散、別々の道を歩み続けてきた彼らが奇跡のリユニオンを果たした。BLACK SMOKERから発表された12インチ『DRY&HEAVY/ONE SHOT ONE KILL』で初お目見えとなった新生DRY&HEAVY、そこまでのストーリーを秋本に語ってもらった。


DRY & HEAVY / ONE SHOT ONE KILL
BLACK SMOKER RECORDS / 12" / SOLD OUT


──そもそも秋本さんがレゲエと出会ったのはいつごろだったんですか?


「15、6のときに初めて(ボブ・マーリー&ザ・)ウェイラーズを聴いて、もう〈レゲエしかない〉と思ったわけ。〈こんな凄いものが世の中にあるんだ〉っていう驚きがあって。人間のあらゆる表現手段のなかでも究極に研ぎ澄まされた表現だと思ったし、一万の言葉を一言で表現してしまうようなね。そこからレゲエにハマっていったんだ。ボブ・マーリー以上に(ウェイラーズのリズム隊である)バレット兄弟のほうが格好いいと思ったし、レゲエを表現してると思った。ベースを手にする前から〈この音楽は自分のためにある〉と直感で感じて、一生をかけてもレゲエのベースをやってみたいと思うようになって。それで18ぐらいからベースを弾き始めた。(アストン“ファミリーマン”)バレットやロビー(・シェイクスピア)の音源を1音1音コピーしてね」

──レゲエ以前に音楽は聴いてたんですか?

「ニューウェイヴとかパンクは聴いてたし、ヒットチャートものは普通に聴こえてきた。クラッシュやポリス、PILなんかを通して方法論としてのレゲエやダブには触れていたんだけど、いざ本物が目の前に現れたときに〈これなんだ〉、と。(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの)“Lively Up Yourself”がすべての始まりだった。歌詞の意味は分からなかったけど、何かワクワクするような、凄いエネルギーを感じて〈このベースを弾きたい〉と思った。1曲あげろと言われたら、自分にとっては今でもあの曲がレゲエのすべて。ボブ・マーリーの歌だけじゃなく、ドラムとベースが、レゲエの持つ生命力すべてを表現してると思う。何の現実も知らない15、6のガキには、それぐらいの衝撃だった」

──で、18歳でベースを弾き始めて……。

「3、4年は徹底的に練習をして、そろそろ勝負をしてみようと。その頃は今みたいにインターネットなんかもまだない時代だったから、メンバーを探すには音楽雑誌が一番大きな媒体だったんだ。〈レゲエ・ベーシスト募集〉っていう告知を見つけてはいくつもセッションしてみたんだけど、もう全然ダメで。ストーンズの流れからレゲエを聴き始めたような人か、胡散くせーヒッピーみたいなのばっかりっだったから。〈これはもうダメだ、自分で(メンバーを)集めるしかない〉と意識を変えて、そのとき日本で本気でレゲエをやろうとしてるヤツ全員の目に触れてやろうと思って、2年ぐらい毎月どこかの雑誌に必ず俺のメンバー募集が載るように(編集部に)手紙を書き続けた。いろんな人とセッションし続けたんだけど、やっぱり思うようなメンバーが集まらなくて。〈日本でやることはやったから、もうジャマイカに行くしかないか〉とまで思ってね、実際に準備も始めて。そんな時にPJのツアーでスライ&ロビーが日本に来たことがあって、俺も会いに行ったわけ。ライヴの後にロビーがいたから話しかけたんだよ、〈あなたは俺の世界一のヒーローで、あなたのミスタッチもコピーしてるんです〉って(笑)。そうしたら住所と電話番号を教えてくれてね。そんなときに七尾君と力武(啓一/ギター)さんから応募が来てさ。それで一緒に音を出してみたら……もう何十年も一緒に演奏してきたみたいな感じなんだよ。何も決めずにセッションしたのに、お互いの出したい音がすぐ分かる。そのあと古畑さん(隆男/ギター。後のREBEL FAMIILIA、THE HEAVYMANNERSマネージャー)が加入して、そうやってVITAL CONNECTIONを始まるんだよね」

──七尾さんとの2人で〈DRY&HEAVY〉と名乗り出したのはこの頃ですか?


「そうだね。七尾君と2人でよく朝まで呑みながら語り合ってたんだよ。〈スライ&ロビーをいつか超えよう。レゲエの歴史に残るような、オリジナルのリディムを必ず作ろう〉って。VITAL CONNECTIONのメンバーに〈俺たち、DRY&HEAVYっていうリズム・チーム名でやっていくから〉って宣言したら〈それ、格好よすぎるだろ!〉ってからかわれたけど(笑)、俺はそう名乗れたことが単純に嬉しかった」

だが、秋本にとって念願のレゲエ・バンドだったVITAL CONNECTIONは、とある事情から突如分裂。七尾とのリズム・コンビ、DRY&HEAVYもここで一端解散することになった。秋本はLIKKLE MAIも参加していたINTERCEPTORで活動を行うものの、こちらも短期間で活動休止。結果として、七尾とのDRY&HEAVYを再始動することとなる。

──DRY&HEAVYとして活動していくなかで、国内はもとより、海外での評価も非常に高くなっていきますよね。

「ドラムとベースに関しては自信があったから、ヨーロッパで評価が高まっても〈当たり前だ〉と思ってたけどね」

──海外で刺激を受けることもあったんじゃないですか?


「それはあるよね。イギリスやドイツ、フランスなんかは日本よりも昔からレゲエが受け入れられてきた国だし、受け手も耳が肥えてるから」

──〈日本の状況を変えたい〉という意識もあった?

「うーんとね、オレは最初から日本のレゲエには全く興味がなかったし、聴いたこともなかったんだよ。ただただ、凄い音、凄いレゲエをやりたかっただけ。音で殺してやる、みたいなね」

──そして2001年7月28日、フジロックのステージで脱退宣言をします。実質的にはリズム隊としてのDRY&HEAVYの解散宣言だったわけですが。

「俺は自分を磨いてきた分だけ凄いドラマーとやりたかったし、シンプルにやってきただけ。俺なりにDRY&HEAVY CONNECTIONのリーダーとしても責任を持ってやってきたわけだけど、レコード会社を含めてだんだんとそれぞれの思惑がおかしくなってきて……肝心の七尾くんもブレだした。で、気が付いたらトンでもないことになってたんだ。そもそも、なぜDRY&HEAVYはドラムとベースのコンビなのか? 俺には夢とヴィションがあったんだ。特別なグルーヴを持ったコンビだったし、自分たちをさらに磨きながら、いろんな才能を持ったヤツに花を咲かせてやれる。まずは日本。DRY&HEAVYとして最初の仕事は、筋として、一緒に練習してきた仲間たちのプロデュースだと決めていたしね。そしていずれはスライ&ロビーのように、最強と信じるレゲエのグルーヴを背負って世界中のミュージシャンたちとセッションを重ねて作品を残す。DRY&HEAVYにならそれができると思ってたから。でも、残念ながらDRY&HEAVYはそうではなくなっていた」


GOTH-TRADとのREBEL FAMILIA、そして若手ミュージシャンを集めて結成したTHE HEAVYMANNERS。秋本はこの2つのユニットでレゲエ/ダブの新たな可能性を提示していく。後者ではスライ・ダンバーとの夢のセッションも実現し、名実ともに世界的なベーシストの座に上り詰めていくこととなるものの、その道程は決して平坦なものではなかった。



「まあ、結局……DRY&HEAVYの解散宣言をした日っていうのは俺にとって人生で最もつらい1日だったし、あの日のあと、世の中の仕組みも、人間というものの本質も、ある程度見えてしまったようなところがあって。世の中の扱いも脱退以降でまったく変わって、〈俺の存在は消されるな〉って思ったね。それを一回一回、ライヴでひっくり返していくしかなかったんだ。毎回、街頭で演説するような気持ちでライヴをやった。でも、格闘していくなかで日増しに新たなファンが支持してくれてね、少しずつ道が開けてきたんだ。本当にありがたかったね。何年かしてTHE HEAVYMANNERSも始めることができた。スライとも本当のセッションができて……ジャマイカに渡ってスライとやったことで、男としてカタをつけたというか。DRY&HEAVYの一件にはもうカタをつけた、もう未練はない、と。これまで以上にREBEL FAMILIAとTHE HEAVYMANNERSを一生懸命やっていこうと思ってたんだけど、一方ではずっと、俺と七尾君のグルーヴをもう一度聴きたいと言ってくれる人たちがいろんなところにいて。当然、俺は二度とやるつもりはなかったんだけど、クラナカなんかはわざわざカードを組んでくるわけ。それと、七尾君が沖縄に移っちゃって以降、いろんな人が俺と引き合わせようとしたんだよ。〈ライヴをやらなくてもいいから、一度七尾君とやってほしい〉って。断りきれなくなって、俺も沖縄まで行ってね。でも、ライヴをやるつもりは全然なかった。セッションを何回かやって……ただ、日を追うごとに周りのみんなから凄く感じるんだよ、〈ライヴをやって欲しい〉って。そこまでしてくれたみんなに何か返したいと思ったし、完全シークレットなら1回だけやろう、と。それが一昨年」

──それが脱退以降8年ぶりだったわけですよね。いざやってみて、どんな感覚を持ったんですか?

「まあ、分かりきってるんだけど……やっぱり特別なんだなって。なんというか、七尾君ともう一回やらないといけないのかなって思った。七尾君と初めてやったときから同じなんだけど、2人で演奏すると褒められたことしかないんだよ。世界中どこでやっても、誰からもダメ出しされたことがない。みんなおかしいんじゃないかと思ってさ(笑)。ただ、確かに、2人で演奏してると、すぐに次の景色が見えちゃうわけ。次にどうしたいか、普通は絶対に分からないはずなのに。同じ景色を見ながら走ってるような……本当に、俺と七尾君にしか聴こえない犬笛みたいなものがある。それだけはいくら努力しても得られるものではないと思う。人類60億分の1の確立、それぐらいの、そういうものを最初に感じたからこそDRY&HEAVYを始めたわけだし、昔から俺と七尾君の2人さえいれば何の心配もいらないと思ってた」

──なるほど……。

「ただね、沖縄から帰ってきてから七尾君とはずっと話してなかったんだけど、その1年後ぐらいかな、突然電話がかかってきて。〈どこにでも行くから、一度だけ話しを聞いてほしい〉って。それで、9年ぶりぐらいに2人だけで会ったわけ。そうしたら泣きながら〈ごめん〉って……〈もう一度だけ一緒にやりたい。自分を信じてほしい〉って言うんだよ。一時期は本当に、殺してやろうかと思うほど憎んでたわけだけど、実際に会ってしまうといろんな感情が沸いてきちゃって。〈じゃあ分かった、もう一度だけ信じるよ〉、そう言ったんだ。〈もう一度やろう〉となったとき、勢いもあってさ、その場でクラナカに電話したんだよ。〈七尾君ともう一度やることになったから、クラナカ、証人になってくれ〉って。〈DRYです〉〈HEAVYです〉ってやったんだから(笑)。オレも熱くなっちゃって、帰りにひとりでBLACK SMOKERの事務所に寄って、ヤツらに〈こういうことになったから、宜しく頼む〉って言ってね」

──そのとき、なぜBLACK SMOKERの事務所に行ったんでしょう?

「たぶん心の底で、連中をいつも頼りにしてるんだろう。なぜか行ってしまったんだよ(笑)。BLACK SMOKERのみんなの顔を見たかった。俺のなかでは〈あいつらこそレゲエだ〉みたいな感覚があるから。乱獲のサバンナに唯一残ったライオンの群れみたいな感じ(笑)。どこにも媚びずに続けてるわけでしょ。それに、ここ10年の俺を支えてくれた本当の仲間だったし」

──昨年2回のライヴを経て、今年(2011年)の5月、Killer-Bong(ヴォーカル&MPC)とCutsign(ギター)も参加した12インチ『DRY&HEAVY/ONE SHOT ONE KILL』がBLACK SMOKERから出たわけですが、リリースの話はBLACK SMOKER側からあったんですか?


「いや、それは俺から。俺にとってのレゲエは常にレベル・ミュージックであって、インディペンデントなものなんだ。誰にも媚を売らないもの。DRY&HEAVYをもう一度そういうところに戻したかったし、そのためにはBLACK SMOKERから出すのが一番しっくりくるんじゃないかと思って。毒は毒をもって制す、じゃないけど(笑)。12インチは誰でも聞ける環境があるわけじゃないことも分かってるんだけど、そこはあえて〈本当に聴きたかったら谷底まで花を摘みにこい〉ぐらいの感覚で(笑)。それと、グルーヴとスピリットだけで勝負するものにしたかったし、それで成り立つと思った。だから、カセットのMTRで録ったわけ。それは七尾君のアイデアだったんだけど」

──レコーディングは中野のライヴハウス/クラブ、HEAVYSICK ZEROで行ったんですよね。決めごとナシの完全セッションだったとか。

「そう、一切決めてない。ただ、DRY&HEAVYに関しては9割ぐらいがその場で作ったものが作品になってる。トラックが生まれた瞬間を記録したものを作品にしてるわけで、その点は今回も変わらないけどね。今回はそれぞれ1チャンネルずつしかないから、オーヴァーダブもパンチインもできない。本当にごまかしが効かないし、それぐらいのことでいいと思った」

──そもそもなぜ音源を出したかったんですか?


「七尾君はレコーディング好きなんだよ。最初から〈アルバムを作りたい〉って言ってたし。それと俺は、ジャマイカでスライとセッションして以降、作品制作を日記みたいな感覚で捉えるようになった。自由になれたんだ。スライとのセッションは一世一代の大勝負だったし、もし結果が出せなかったら(ベースを)辞めようと思ってたんだけど、1時間ない時間のなかでセッションをして、2曲満足のいく曲ができたとき、〈音楽とはこういうものなんだ〉と思った。勝負は時の運というか、鍛錬を怠らず、その時々の自分に胸を張れれば、明日やればまた違う曲ができる、その次の日にやれば違う曲ができる、そういうものなんじゃないかって。七尾君ともその時その時を大事にやってるし、一回一回、これが最後になっても悔いはないと思ってやってるから」

──そもそも七尾さんとのコンビってVSっていう感覚じゃないんですね。


「違うね。大事にひとつのグルーヴを紡いでいく感覚。ここ最近もドラムとベースとダブ・ミックスだけっていう、かなりミニマルなライヴをやってるけど、誰も帰らないんだよね。こっちが心配になるぐらいワン・ループでやってるのに(笑)。賛否両論はあるけど、若い、特にヒップホップやテクノのリスナーなんかが〈気持ちよくて最後まで聞いちゃいました〉とか言うんだよ。まあ、だから、俺たちのグルーヴには、過信はしないけど、確信はあるよ」

──今後のDRY&HEAVYの活動については、どう考えていらっしゃいますか?

「もう一度だけ信じると言ったんだ。何か一度でも胡散臭いことがあったら、次は二度とないだろう。今回、俺たち2人のグルーヴが昔より、より強力になってることが分かった。離れていても、お互い努力してきた証だろう。人間としての生き方は全然違うけど、音を出す時は心一つになれる。もう、いろんなことがありすぎたからさ。今はただ本当に、七尾君の横に立って心静かにベースを弾きたいっていうだけだよ。あとは望まない。七尾君がドラムセットの前に座って、俺がベースアンプのスイッチを入れる。もう音しか信じてないから。ただ、俺たち2人のグルーヴを聴いて、1人でも幸せな気持ちになってくれる人がいるんだったら……これはもう、俺たちに託された使命みたいなものだと思ってる」

(インタヴュー・文/大石始)


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