2025.08.26 ラテン・ブラジル・ワールドミュージック アジアン・ミュージック

台湾の注目SSW 鄭宜農に聞く最新作『圓缺 Moon Phases』の制作背景とこだわり【アジア・インタビュー連載企画Vol.5】

New!【祝来日公演決定】2026.6.17(水)「Moon Phases 2.0」World Tour @東京六本木|EX THEATER ROPPONGI

https://www.parkpark.tokyo/



台湾のみならずアジアを代表するシンガー・ソングライターになりつつある イーノ・チェン (鄭宜農/Enno Cheng) の2作目となる台湾語アルバム『圓缺 Moon Phases』がリリースされた。


「他者とのコミュニケーション」「台湾語での歌唱」という二つのテーマを核とした前作『水逆 Mercury Retrograde』の流れを汲みながらも、この二年間の文字創作・演技・演奏と幅広い世界で活躍してきた経験をもとに、他者とのコミュニケーション、様々な感情の側面、そしてその中の言語というテーマを更に掘り下げて制作されている。


アルバムのコンセプトや楽曲に込められた意味、デザインにいたるまで興味深い点が多数あったので、アルバムの制作背景やフィジカルのこだわりについて本人に取材した。


文 / インタビュー : ディスクユニオン・田川
取材協力 : 中村めぐみ@Tapitea_rec


以下、メールインタビューを編集したものです。
原文は本ページの最後に掲載しました(原文在本頁底部)。




ー今回のアルバムのテーマを地球に最も近い天体である月をテーマに決めた背景、経緯や イーノ・チェンさん自身の変化を教えてください。


この2年間での思考の変化や、なぜ『円缺(えんけつ)』というアルバムが「人生における欠落」—— 傷跡、記憶、命の儚さや時間の流れといったテーマを語る作品になったのかについてお話しすると、うまく言葉にしづらい部分もあります。というのも、私の思考は段階的に整理されてきたというより、あちこちに飛びながら、「自分は本当に何を語りたいのか?」「なぜ創作を続けているのか?」という問いを何度も咀嚼しながら、書きながら、少しずつ自分自身を理解していくプロセスを辿ったからです。


月の満ち欠けというモチーフを通じて、「欠けていること」をテーマにした10曲を表現するというアイデアは、美しくも哲学的な比喩です。同時に、これまでの自分の作品が星や天体をテーマにしてきた流れを引き継ぐというコンセプチュアルな側面があり、今回もその積み重ねとして天体とのつながりを意識しました*。(補足:これまでリリースされたタイトルは、『海王星』(2011)、『Pluto』(2017)、『給天王星』(2019)、『水逆Mercury Retrograde』(2022)とすべて天体の名称が冠されている)


そして、純粋に自分の創作プロセスにおける状態や考えを純粋に共有すると、今年で38歳になり、それなりに多くの人生の浮き沈みや感情の起伏を経験してきましたが、それでもまだ自分が知らないことがあります。今の私は、心の中の暗闇や悲しい記憶を創作によって変換し、それらを新しい「空間」として構築し、聴く人がそこに自分を預けたり、共に生命の意味を考えたりできる「場」をつくることに、少し自信を持てるようになった気がします。


私はよく「空間」という概念について話すのですが、これは、「私的な経験を創作を通して、さまざまな他者が自由に投影できる場所へと変える」という意味です。そのためには、感情や情緒の濃度からある程度距離を置く必要があり、自分自身を異化して、感覚という本来パーソナルなものを、私自身から切り離し、誰のものでもないものにする必要があると思っています。


これが私の創作における信念です。というのも、こうすることで初めて、もっとも的確な言葉や音で、誰かの心に深く届くものが語れると感じるし、また、こうすることでこそ、作品が大作となり得る可能性があると信じているからです。


そしてこの考え方は月ともつながっています。月という天体は、実は灰色で、デコボコとした表面を持ち、自ら光を放つこともなく、熱すぎることも冷たすぎることもない、非常に冷静な存在です。しかし、それは地上の潮の満ち引きをもたらし、私たちの身体や精神にまで想像を超える影響を与えているのです。


私にとって、創作を通して語りたいすべてのことは、この月の特性と直接的に結びついていると思います。




ーデザイン設計とアルバムコンセプトの関連性ついて教えてください。月の満ち欠けから、「対比」「二元性」といったキーワードが表現されているように思います。また、単純な黒と白の対比構造というだけではなく、中間色である灰色? の層が見えますが、これにはどういった意図があるのでしょうか?



ご指摘いただいた「対比」と「二元性」こそが、私たちのデザインの核心にあります。 月の満ち欠けは単なる宇宙の現象ではなく、感情の交差や人生の欠落の象徴でもあります。 黒と白、明と暗──それは月の変化に留まらず、私たちが外の世界と関わり、内なる自己を見つめる間を行き来するプロセスそのものを映し出しています。 この旅路は、決して完璧に満たされることはありません。 けれど、ひび割れや欠けがあるからこそ、私たちは互いに真に繋がることができるのです。


アルバム全体のデザインは、「外部への探求/対人」と「内部への気づき/自己」という二つの軸に基づいて展開されています。二色・異素材(紙ケースとプラスチックケース)の外装、両面から読める歌詞ブックなどの要素により、対立と統合のあいだにある流動的な状態を表現しています。


このようなデザイン理念は、アルバム『圓缺』が描こうとしている旅路そのものでもあります。人は生まれてから、月の満ち欠けのように未完成で、行きつ戻りつ、壊れそうで壊れない、縫い直しながら進んでいく生命の軌跡を辿るのです。


そのため、カバーにある異素材の継ぎ目「不完全な裂け目」は欠陥ではなく、象徴的な存在です。この裂け目を開けると、鏡面のように反射するCDが現れ、観る者はそこに自分自身の姿を映し出すことになります。


まるで「結局のところ、私たちはこの"欠け"を通じてしか、他者や自己を理解することはできない。だからこそ、それを受け入れ、ともに生きることを試み、そこにあるかもしれない"和解"を見出すしかないのだ」と語りかけているように。





ー実際にどういった意図をもって作られたかお聞きすることができて、さらにアルバムが好きになりました。では次にデザイナーについて教えてください。


デザインは、 イーノ・チェンの音楽的コンセプトを起点に、アルバム全体のストーリーコンセプトを構築し、企画の品杰(Pin Chieh)がアーティストと共に本作品における創作上の立ち位置(Story Concept & Identity Definition)を統合。グラフィックデザイナーのBIG Linがアートワークを手掛けました。


初期段階でフィジカルアルバムのデザインに関するディスカッションを行った際、「欠けていること」をいかに節度を持って、的確かつ陳腐にならずに表現するかについて、言葉による整理と対面での話し合いを重ねました。その結果、コンセプトは極力シンプルなシンボルと素材感に集約することとなりました。


アルバムのふたつのパートは、色によって月の光と陰を表すだけでなく、素材の違いもまた、人生の不完全さを示しています。不完全であり、繋ぎ合わせたときには必ず継ぎ目が見えるけれども、それでもなお繋がる。このような人生には、波があり、凹凸がある。しかし、それらの不完全な繋ぎ目こそが、もう一つの美しさを生み出しているのです。


興味深いのは、月という天体自体が、実は灰色で、クレーターに満ち、自らは光を放たない存在であること。最も明るく見えるときでさえ、それは灰色の輝きに過ぎません。したがって、このアルバムにおける明るさは、どこか曖昧で、確固たるものではないのです。


絶対的な明るさは存在せず、100%の喜びや爽快さ、明朗な語り口や描写もありません。それは創作者としての私自身の性質であり、私が見ている世界の姿でもあります。二元的に見えるこのパッケージデザインも、実は曖昧さと不確かさに満ちているのです。




ータイトル曲とそのMVについて教えてください。



〈圓缺〉はアルバムのラストを飾る楽曲であり、光と闇を通り抜け、欠落を抱きしめる旅の総まとめとなる曲です。この曲が伝えたいのは、「すべてが無常で不完全であると知りながらも、私たちはなお愛することに努力し、限られた時間の中で愛する人と共に生活を築き、精神的には永遠を追い求め続ける」というメッセージです。


このテーマを表現するため、監督は格子状の映像構造で「循環」と「無常」を表現し、それらを一つの線として繋ぐことで人生の流転を表現しています。映像には、四季、流れる水、空、誕生や成長などの自然の要素が多用され、この楽曲が持つ「時間・生命・感情」という核心のテーマに呼応しています。


アルバムのコンセプトを凝縮した本楽曲〈圓缺〉は、傷跡と生存、抑圧と渇望、愛と憎しみ、生と死といった人生のスペクトルを内包しています。MVでは特に〈寬寬地來到祢的面前〉の映像を引用し、人間関係の中にある緊張感や競争を描き出しています。最終的には、 イーノ・チェンとイ・ランが向かい合って静かに座り、じっと見つめ合います。それはまるで、生命の意味を探し求めてきた道を共に歩み終えたかのような瞬間です。カメラは裂け目の中に映る自分自身で静止し、こう語りかけているようです。「欠けた部分を通じてこそ、私たちは他者と自分自身を理解し、不完全さを抱きしめることで、初めて真の和解へと進めるのだ」と。





次は、監督と映像言語の選定についてです。本MVは韓国のナン監督 (NÄN/Nany Kim, Hyeji Kim)によって手掛けられました。ナン監督は、数多くのトレンド性のあるアイドルグループの映像作品に携わる一方で、自主制作の短編映画も手掛けています。私たちは、〈寬寬地來到祢的面前〉や〈真罕得想起來〉のMVの監督であるIdaの紹介を通じて彼女と出会いました。



当初は作品を通してのみ彼女を知っていましたが、面談とプレゼンテーションを通じて、すぐにお互いの独自の映像語彙を理解できると確信しました。 エンターテインメント、芸術性、そして思索的視野を併せ持つ若きアーティストである彼女に、私たちは本作の全体的な映像構成を託すことを決めました。



最終的に彼女から届いた企画案は、チーム全員が思わず笑ってしまうほど、非常に大胆で魅力的なものでした。このMVで用いられている映像は、実はとても直接的な意図に基づいています。それは生命の誕生と終焉に関するビジョンであり、一直線で狭い視野の中で繰り返される輪廻のようなイメージです。この狭い視野は、私自身の解釈では生命の物理的な限界を象徴しています。私たちの時間は短く、身体は脆く、存在はとても小さい。この事実自体が、時として息苦しさを感じさせるかもしれません。


しかし、心の中に流れる時間は、限りなく広がることができます。愛、希望、他者への理解を求める意志――それらは無限でありうるのです。この無限の可能性に気づいた瞬間、視野は大きく広がります。
だからこそ、MVの中盤、ナレーションが入るタイミングで映像のサイズが急に広がり、視聴者に呼吸ができるような感覚を与えるのです。


そして、狭い視野に戻り、再度開かれていくという構成は、音楽のアレンジの変化に合わせただけでなく、ひとりの人間がもうひとりの人間に歩み寄ることで心が広がる様子を象徴的に表現しています。


最後に登場するもう一人の人物――それがイ・ランです。この演出は、最初のMV〈寬寬地來到祢的面前〉との物語的な連動を意図したものであり、企画全体におけるストーリーの一貫性をも担保しています。




ー「愛」という字の本作における表現方法と、このシンプルな一文字に対する姿勢・考えを教えてください。〈講袂出嘴的彼个字(口にできないあの言葉)〉でなかなか口に出すのが難しい言葉として、愛という一文字にフォーカスがあてられています。またタイトル曲のように月に愛情表現を例える方法などのようにあえて比喩的な表現で使われている楽曲もあるように感じましたが、いかがでしょうか。


このアルバムの中で愛という言葉を唯一使っている曲は、〈講袂出嘴的彼个字〉だけだと思います。この曲のインスピレーションは、私が自分の生まれ育った家族について考えたことから生まれました。父の生家の家族は、お互いにとても仲が良いのですが、私は彼らの口から一度も愛という言葉を聞いたことがありません。私の世代になってようやく、少しずつその言葉を言おうとするようになりましたが、それもふざけあいの中でのことが多いです。



父の生家では母語が台湾語であることから、愛を口にすることについて台湾語で書いてみようと思ったことが、この曲のきっかけです。


実際、私自身も「愛してる」という言葉を口に出すことがとても苦手なタイプで、かつて中国語の楽曲を書いていた時でも、この言葉を使うことはほとんどありませんでした。だからこそ、この〈講袂出嘴的彼个字〉を書くことは本当に気恥ずかしくて、「我愛你(わたしはあなたを愛してる)」という一文を歌えるようになるまで、メロディを何度も口ずさむ必要がありました。


また、もう一曲〈牽我(手をつないで)〉は、台湾のリスナーの間で、  イーノ・チェンの作品の中で「愛を最も美しく描いている」と評されています。面白いことに、この曲では最初から最後まで愛という言葉は一度も登場しません。つまり、言葉には限界があるかもしれませんが、言葉を超えたところに私たちの思いは無限に広がっているのです。



そして、このアルバム全体における愛への姿勢について言えば、愛とは多くのさりげない積み重ねであり、日常の何気ない光景の中に存在しているものだと感じています。その一方で、愛はまた、時代を超えて繰り返される根源的な問いでもあります。愛とは何か? どうやって愛するのか? それは、時代も場所も違う私たちが、未だに「欠け」や「後悔」の中で、少しずつ探し、理解していくべきものなのです。


だからこそ、月のように中性的で、距離を保ちつつもずっとそこにある存在は、ある種の高次の視点を象徴しているのかもしれません。あるいは、それは人類が永遠に問い続けてきた歴史の中で、「永遠のそばにあるもの」と呼ばれるものなのだと思います。


ーありがとうございました。


原文は以下です。


鄭宜農 Enno Cheng(イーノ・チェン)

シンガーソングライター、俳優、執筆家という多数の顔を持つ。アルバム『海王星 Neptune』『Pluto』『給天王星 Dear Uranus』『水逆 Mercury Retrograde』や、数多くの映画・ドラマ主題歌をリリースしてきたほか、児童書『風中的小米田』、短編小説『幹上俱樂部:3D妖獸變形實錄』、エッセイ『孤獨培養皿』を執筆している。現在も音楽や文章の創作を続けながら、台湾各地のライブで活躍中。

2023年にはアルバム『水逆 Mercury Retrograde』で、第34回金曲賞(ゴールデン・メロディー・アワード)における最優秀台湾語アルバム賞と最優秀台湾語女性歌手賞を受賞したほか、シングル「金黃色的 Golden」で第14回金音創作賞(ゴールデンインディーミュージックアワード)の最優秀オルタナティブ・ポップ楽曲賞を受賞した。日本ではアジア音楽の祭典Biknに出演、韓国では今年開催されるAsian pop festivalに出演予定。



▼【鄭宜農Enno Cheng特集】はこちらから▼


https://diskunion.net/latin/ct/news/article/10/130533




▼今回紹介したアルバムはこちらから購入が可能です▼



▼これまでのインタビュー記事はこちら


■【Vol.1】韓国のレコードショップDOPE RECORDSのオーナーKEVINさんに聞く韓国の音楽カルチャー

https://diskunion.net/news/detail/1391


■【Vol.2】NUSANTARA BEAT インタビュー! スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドで来日

https://diskunion.net/news/detail/1618

 

■【Vol.3】Moguさんってどんな人?〜阿佐ヶ谷mogumogu店主の音楽遍歴と、90年代以降の中国ロック音楽のこと

https://diskunion.net/news/detail/1390


■【Vol.4】上海ジャズ・シーンを代表するヴォーカリスト、ヴォイジョン・シー来日直前インタビュー

https://diskunion.net/news/detail/1353

 

■【Vol.5】台湾の注目SSW イーノ・チェン (鄭宜農) に聞く最新作『圓缺 Moon Phases』の制作背景とこだわり

https://diskunion.net/news/detail/1372


■【Vol.6】韓国のシンガー・ソングライター、ウ・ジウォン(Woo Jee Won, 우지원)インタビュー

https://diskunion.net/news/detail/1361


■【Vol.7】韓国の注目プロデューサー JINex に聞く最新作『ETERNAL』制作秘話と創作の源泉【アジア・インタビュー連載企画Vol.7】

https://diskunion.net/news/detail/1359

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