【神の左手、無意識の右手/ポール・マッカートニーの作り方 2】 宮崎貴士

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2020.04.13

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【第一章:ビューティフル・ドリーマー/『イエスタデイ』編2
宮崎貴士 連載「神の左手、無意識の右手/ポール・マッカートニーの作り方」
第0回(4/1公開)
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/87737
第1回(4/8公開) 
https://diskunion.net/diw/ct/news/article/1/87852

気分が良いときなどに、つい出てしまう鼻唄。その鼻唄(メロディ)はなぜ、その曲なのか?確かにお気に入りの曲ではあっても、その瞬間になぜ、そのタイミングでそれがいきなり外部化、肉体化しているのか?「よし、あの曲を鼻唄としてこれから歌ってみよう!いくぜ~!」それは鼻唄ではない、ただの意識化された歌唱だ。
お気に入りの曲は数あれど特定の曲がなぜ(口先から)出たのか?口ずさまなくても、頭の中でお気に入りの曲が鳴ってしまう体験は誰でもあることだろう。 考えてみればその瞬間の意識、特定の曲を選んだ理由を説明出来る人は実はいないはずなのだ。

既成の曲を歌ってしまう話だけではない、例えば「お掃除~掃除機~ルルルルル~」....いつのまにか節をつけて、家のなかで鼻唄を歌ってしまうような体験。 無意識時の作曲行為とは実際、その延長でもあるのだ。その気楽なお掃除ソングが『イエスタデイ』にならない理由は実は無い。 理論的に構築され意識化された作曲行為ではない状態として、両者は共通しているのだ。

「『イエスタデイ』よりいい曲をまだ作れるかもしれない、だから曲作りを続けているんだ」
無意識がもたらした成功体験がすでにポールの作曲へのモチベーションでもある。そしてポールの音楽を分析する難しさがここにある。

音楽家ならずとも誰もが体験している無意識な状態での作曲行為、その体験自体には音楽的な価値がないからだ。誰でも口ずさむ鼻唄、思いついただけのメロディが常に『イエスタデイ』並みの曲になることはないのだ。(僕の体験でも、無意識な状態で閃いたメロディがすべて優秀である、という定理はない。残念ながら。)

メロディの調を把握し、コード(和音構成)で曲を進行させ、全体像を作り上げ(イントロやアウトロを考え)、重要な歌詞作成と曲自体のタイトル付け、適切なアレンジを施して、最後に演奏して録音をする。
そのすべての作業が最初の思いつきや閃きと等しく重要なのだ。それらの様々な音楽的作業によって作り上げられ、誰かに「聴かれる音楽」として完成するのだ。
(この話を考える時、世界のどこかの台所を舞台にして音楽的な表象能力がない主婦によって凄まじい可能性を持ったメロディが鼻唄によって生まれている、そんな様をいつも夢想してしまう。当然本人はその価値に気づいていないのだ。)
『イエスタデイ』を理論的に分析する作業は当然、可能である。二小節目でいきなり転調するコードワーク、メロディが最初からテンションを含んだ流れになっていることなど。ポールが睡眠中に思いついたのはいわゆるAパート(“Yesterday~から“Oh, I believe in yesterday”まで)だと推測している、それはひと固まりのメロディとして構築されているからだ。
だからこそ、その先のBパート(“Why she~から“now I long for yesterday”まで)の構成と分析が重要になる。メロディを思いついたときに「ベッドの脇にあったピアノですぐにコードをあてて覚えておいた」とポールは語っている。Aパートの先にBパートを作る知識、技術がそこには入っているのである。

ポールが『イエスタデイ』を作った時の意識をあえて想像でなぞってみると《浮かんだメロディにコードを付けてみる。そのメロディが転調を含んだ独特なメロディであることを理解する》~《コードの流れを把握したので先の展開を音楽的知識で探ってみる》~《様々な流れをピアノで探りながら決定的なBパートを思いついて記憶、または記録しておく》。

つまり閃きが元で生まれたメロディは最初から興味深い構造を内包していた、それを音楽的に理解し、発展させたのだ。メロディが夢のなかで鳴っていた体験、曲の構造的も興味深かった、しかも周囲のメンバーの誰もがそのメロディを聞いたことがなかった、それらが一致していること。これが『イエスタデイ』=「曲作りの面白さ」なのではないか。

そして、この流れを知ることが「ポール・マッカートニーの音楽の作り方」の基本姿勢だと思っている。体験としての無意識の創作を信じることと、それを音楽的に構築する技術。その組み合わせ、それがポール流の音楽の作り方、なのであろう。
優秀な音楽家だけに当てはまる話ではない、すべてのクリエイターに共通する閃きの重要さと、それをカタチにして残し、持続させる能力、そして必要な技術。それはポールだけの特権的な技術や知識ではないのだ。

参考音源1お掃除、掃除機ルルル』(作曲、演奏 宮崎貴士) 原稿内で触れたので、その曲を咄嗟に鼻唄で作り、演奏編曲してみた。 
■参考音源2グレンスミス『泣き虫モンスター』(作曲/郷拓郎、宮崎貴士 作詞/足立守正)
著者所属バンド『グレンスミス』の楽曲。ブリティシュ・テイストを念頭に作った楽曲である。Aパートのメロディをメンバーの郷拓郎が担当、郷と宮崎の二人で全体を共作して完成、足立守正氏により作詞、曲名決定。グレンスミス全員で編曲、録音をへて完成した曲である。(アルバム全体の制作、配信含めた音盤化にはまた別の作業、マスタリング作業など、が必要になるのだが、それはまた別項で)

■関連本1ポール・マッカートニー作曲術」野口義修・著(株)ヤマハミュージックメディア
このテキストを書いている最中に、この本が出版されることを知り、早速読んだ。タイトル通りにポールの音楽術をかなり詳細にアナライズしている本である。
音楽講師もなさっている著者による丁寧な楽曲解説は他に同種の本がないがゆえ、指導書としても有用な本になっていると思う。同時期に似たような状況にアクセスしている人がいた偶然に驚きつつ、今後も「巨大な音楽的空洞」と理解しているポール・マッカートニーの音楽、そのものの言説空間が豊かになればと思っている。




[宮崎貴士]1965年、東京生まれ。 作、編曲家。ソロ名義で2枚(Out One Discより)、2つのバンド「図書館」「グレンスミス」(ともにdiskunion/MY BEST!RECORDSより)で共にアルバム2枚リリース。 他、岸野雄一氏のバンド「ワッツタワーズ」にも在籍中。 2015年、第19回文化庁メディア芸術祭エンターティメント部門大賞受賞作(岸野雄一氏)「正しい数の数え方」作曲。曲提供、編曲、など多数。ライター活動としては「レコード・コレクターズ」(ミュージック・マガジン社)を中心に執筆。2017年6月号のレコード・コレクターズ「サージェント・ペパーズ~特集号」アルバム全曲解説。同誌2018年12月号「ホワイト・アルバム特集号」エンジニアに聞くホワイト・アルバム録音事情、取材、執筆、他。 
"Paul and Stella"  Illustrated Miyazaki Takashi