<連載>原田和典のJAZZ徒然草 第122回

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2022.06.14

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狂おしく紡がれる旋律、しなやかにうねるリズム。ファースト・アルバム『thirst』を全国販売したばかりのピアノ・トリオ“niskhaf(ニスカフ)”の藪野遥佳、細谷紀彰、中山健太郎に狂おしく語ってもらったぜ

2021年5月に「表参道live space ZIMAGINE」でライブに接し、ワン・フレーズが終わるか終わらないかのうちに引き込まれた。濃厚な歌謡性と香り高いリズムが一丸となって迫り、気がつくと最後の一音が終わっていた。“niskhaf(ニスカフ)”という初耳のグループ名は、ここで自分の中に確かに刻まれた。「アルバム、売ってますか?」とベース奏者の細谷紀彰に尋ねると、近いうちにファースト・レコーディングの予定があると教えてくれた。
そのアルバム『thirst』は21年の末からniskhafのホームページで販売されていたが、この6月15日からディスクユニオンを通じて遂に全国流通することになった。すでにデンマークのApple Musicのジャズトップアルバムのチャートにランクインしている話題作が、ついに日本全国のお店に並ぶ。しかもライブも積極的に行なっていくというから、うれしいではないか。とある梅雨の日、リハーサル(ライブでは多数の初公開曲も楽しめるという)に余念のない3人に、話をきくことができた。
niskhaf;2020年東京で結成、メンバーは藪野遥佳(ピアノ)、細谷紀彰(ベース)、中山健太郎(ドラムス)。

<“niskhaf(ニスカフ)”。左から細谷紀彰、藪野遥佳、中山健太郎>


---- niskhaf(ニスカフ)のファースト・アルバム『thirst』が、6月15日から遂に一般発売されます。3人の演奏だけではなくて、録音エンジニアの方も、ジャケット・デザイナーの方も、みんな同じ方向を見て、エゴを持ち込まずに、美しい音楽に奉仕している印象を受けました。

細谷紀彰 本当にスタッフみんなでこだわり抜いた作品です。

藪野遥佳 生みの苦しみがすごかったですね。

細谷 音ひとつひとつにしてもミックスを納得いくまでやり直して、いっぱいあったジャケット・デザイン案から選んだものに微妙に修正を重ねたり。何回もやり取りして、遂にアルバムが完成した感じです。

---- niskhaf結成のきっかけについて教えていただけますか。

藪野 私が日本に帰って来たタイミングで友達づてに「細谷さんというイスラエル・ジャズにどっぷりなベーシストがいるから、会った方がいいよ」と言われて、現場で会ったときに意気投合して「ピアノ・トリオをやりたいね」という話をして、そうしたら「絶対に良いドラマーがいるから」と(中山)健太郎さんを紹介されました。もともと健太郎さんとノリさん(細谷)は長い間コンビを組んでいたんです。

細谷 3人で最初にミーティングをしたのは2019年の年末ですが、そのときにはまだいつ正式にバンドを始めるか決まっていなかったんです。2020年になって、コロナ禍のために海外からミュージシャンが来れなくなって、決まっていたはずの僕のツアーができなくなってしまった。でも日程は押さえてしまっていたので、3人で集まって、niskhafとしてツアーに出ました。皮肉にもコロナによって、「日本でトリオをちゃんとやるなら、この人たちしかいないな」というミュージシャンとツアーできるようになったんです。

藪野 「イスラエル・ジャズにインスパイアされたピアノ・トリオ」というコンセプトは、当初からこのふたりの間では合意していました。

---- 中山さん、「イスラエル・ジャズにインスパイアされたピアノ・トリオ」のドラマーに誘われた時の率直な印象は?

中山健太郎 イスラエルのミュージシャンの音楽は好きで聴いてきましたし、細谷さんがどういう趣味嗜好かはわかっているので、ぜひお願いしますという感じでしたね。僕はビバップ、いわゆるモダンジャズも大好きなんですが、ニューヨークでは変拍子を演奏することが多くて、自分のバンドも変拍子だらけで、細谷さんと演奏するときもほとんど変拍子なので。



---- niskhafというグループ名の由来は?


細谷 最初に3人で会った時からなんとなく決めていたのは、グループ名を付けるのならヘブライ語がいいだろうということ。いろんな単語を見つけてきた中で、意見が一致したのが“niskhaf”という単語だった。ヘブライ語で「漂う」という意味です。

---- 藪野さんがイスラエル・ジャズに魅了されたきっかけは何ですか?

藪野 2010年に(米国ボストンの)バークリー音楽院に入学して、最初にジャム・セッションをした仲間がイスラエル人だったんです。その時はもちろん、普通に4ビートだったり、スウィングするものだったり、私もそういうものを学ぶつもりで渡米したんですけど、ある日、私が「チュニジアの夜」を5拍子にアレンジしたものを持っていったんです。そうしたら「これ楽しいね」という感じで、イスラエルのミュージシャンがハマってくれたので、「オリジナルで書いた5拍子のものもあったな」とセッションに持っていったら「僕たちも7拍子の曲とか書いてるよ」とかいろいろ持ってきてくれて。その後、メンバー4人でイスラエル・ジャズをベースにしたバンドを組んで演奏しました。

---- 当時のメンバーは?

藪野 ベースのエフード・エトゥン、ドラムのナティ・ブランケット、サックスのタル・グール。彼は本当に素晴らしいサックス奏者で、当時はイスラエルではエリ・デジブリかタル・グールかみたいな感じで言われていたそうですが、今はブルックリンでミュージックセラピーを専門にしているそうです。

---- エフードさんと藪野さんは“The Yabuno Ettun Project”で、アルバム発表やツアーを行なっていますね。では、細谷さんがイスラエル・ジャズに惹かれたきっかけは?

細谷 ヨーロッパにいた時からイスラエル人の友達が多くて、自然にコネクションができて、イスラエルの音楽を耳にする機会もどんどん増えていきました。気が付いたら導かれるままという感じですね。「Haifa」(Noriaki Hosoya European Trio名義のアルバム『Eye Of The Day』に収録)は、最初にイスラエルに行った時の印象から生まれました。ハイファに住んでいる友達のところで、一緒に演奏したりとか、いろんな所に観光に連れて行ってもらったり、すごく刺激を受けました。ヨーロッパとも違うし、アメリカとも違うし、いろんなものが新鮮で、メロディが自然に降りてきた。普段、僕はピアノで作曲しますが、「Haifa」に限っては頭に浮かんだものをそのまま譜面に書きました。

---- niskhafのファースト・アルバム『thirst』の収録曲は、このグループのための書きおろしですか?

細谷 大体そうですが、以前に書いていた曲もあります。以前からイスラエルに影響を受けて作曲してきたんですが、僕の場合、共演者によっては中東っぽい匂いがうまく出せないなと思うことがありました。そうした楽曲をniskhafに持ってきて3人で演奏した時に、「ああ、こういう雰囲気がほしかったんだ」という満足感を得ることができます。「Dizengoff」は特にそう。

---- 藪野さんは、共演メンバーの宛て書きという感じで作曲なさっているのでしょうか?

藪野 新しく書いた曲のひとつ「sombre mind」は、ベース奏者にとってはすごく難しいアルペジオが出てくるんですけど、ノリさんなら優しいトーンで美しくアルペジオを押さえてくれるだろうと思って書きましたし、「このふたりなら、私がその描きたいフィールや大きな流れを言葉にしなくて分かってくれるだろうな」と思って持ってきた昔の曲もあります。

---- 中山さんはふたりのメロディに、独自のアイデアを加えてドラムで色彩をつけてゆく。

中山 そうですね。「こうやったほうがいい」という考えはいろいろありますし・・・・僕はそもそも、テンポをキープするのが嫌いなんですよ。

藪野、細谷 (沸く)

中山 それが根本的にジャズに転向した理由です。R&Bとかポップスを叩く時は、どんなにみんながズレても、ドラマーがズレたらダメ。「なんでだ、俺はテンポをキープするマシンじゃない、表現をしたいんだ」ってジャズに転向して、音楽的なドラムをどう叩くか考えていた。グルーヴ系のものもできますけど、それなら素晴らしい方がいっぱいいます、日本にも世界にも。だから僕は「それはしなくていいかな」と違うことをずっとやってきたんですよ。それを細谷さんは受け入れてくれて、好きにやっていいよという感じになってる。

---- そういうドラムへの取り組み方があるのは痛快ですね。

中山 ドラムは錯覚の楽器だと思うんです。音階がないので。「サウンドがかっこいい」とお客さんに一回でも思ってもらえれば、あとはその安心感のもとに聞いてくれるので。それをどうやるかがすごい大事なんです。こういうドラマーですって提示しちゃったら、あとはそのまま聞いてくださる。

---- 中山さんは大谷愛さんとのデュオ・ユニット“めぐたろう”でも演奏なさっていますが、そちらはピアノとドラムしかない。

中山 だからベースの役割について研究しましたね。ベースがどのタイミングで、どう弾かれているかを研究して、それを(ドラムの)どの音で出すと間が持つかとか。(ドラムの役割とは)全然関係ないところでも音が出せるようになったんです。

---- ニューヨークでは、クラレンス・ペンからどんなことを学んだのですか?

中山 グルーヴというのはテンポをキープすることだけではないということですね。ドラマー的に言えば、一定のパターンって過去の人たちが作った絶対的に安心できるものなんですよ。これやっときゃどこでもハマるであろうものなんですけど、アイデアを豊富に持てば、聞いてる人を心地よく乗せることはリズムパターンじゃなくてもできます。niskhafで僕だけのパートを取り出したら不思議に聴こえるかもしれないですけど、三人の音を混ぜるとスッと聴こえるところがあるはずです。クラレンスのプレイで覚えているのは、“休符に色が見える”こと。マリア・シュナイダー・オーケストラで叩いているのを見たとき、突然1小節を休符にしたんです。マリアがハッと驚いてクラレンスを見て、その瞬間、ドラムが止まっているのに音楽が華やかだったんですよ。

---- ドラムを始めたきっかけは何ですか?

中山 X JAPANです。ヘヴィーメタルもハードコアもツーバスで、早くて音がデカければかっこいいと思っていました。

細谷 世代だよね。今日のリハーサルでも「ここもっとロックに」とか、「ハイハットをベタ叩きで」とか指示したり。niskhafはピアノ・トリオのフォーマットですけどロック・バンドだと思ってますから。

---- そんな細谷さんの音楽歴をきかせていただけますか?

細谷 本当にざっくり言いますとLUNA SEA、X JAPANから始まって、高校に入ってディープ・パープル等の洋楽を聴き、ドリーム・シアターが大好きになりました。ドリーム・シアターのジョン・マイアングみたいな6弦ベーシストみたいになりたくてバークリーに行ったというのもあります。そのバークリーでジャズに出会い、周りの影響で自分もジャズを弾くようになり、ECMレーベルの音が好きになり、ヨーロッパが好きになり、ヨーロッパに行ってイスラエルの人と友達になり、Ken Smithの6弦ベースを弾いて、その後にAdamovicの日本の代理店の方と知り合いになって、Adamovicに直接問い合わせて楽器を作ってもらって今に至る感じです。今の楽器を弾いて来年で10年になります。

---- X JAPANからECMへという振り幅がすごいです。藪野さんもロック少女だったのですか?

藪野 私はふたりと違って、ロックはあまり通過してないですね。社会に対する反抗精神みたいなものも、私の世代には少ないんじゃないかなという気もする。親世代がロックを聴いていた影響で、ロックが好きという子はいましたね。もともとヤマハでピアノを始めたんですが、テレビとかで流れてきた曲を聴いてはコピーして、即興演奏も作曲も大好きでした。レッスンでも楽譜通りに弾かずに倍音を適当に足したりしていたら「遥佳ちゃん、楽譜通りに弾いて!」と言われて。作曲に関しても、まず楽譜を書かされるんですね。書くんだけど、やっぱりその日の気持ちでアレンジを加えたくなる。でもそうすると「遥佳ちゃん、自分の曲ぐらい楽譜通りに弾いて!」(笑)。私の曲なんだからどう弾いてもいいじゃない、そこまで言われることはないのにと子供心に思いました。

---- その時点でもう、不条理に直面してしまった・・・

藪野 小さい頃から、自分の中のノイズが解消されるのがいつなのかなとは思っていました。それで小学校5年生のときにクラシックの基礎を学び直すために個人の先生について、そこからもう本当に全部叩き直しみたいな感じで、もうひたすら古典古典古典みたいな感じでやって、将来はヨーロッパに留学しようとか思っていたのに、大学に入って割とすぐにジャズと出会ってしまった。

中山 (藪野は)大学ではドラマーだったんです。niskhafのリハーサルでも、ガチでドラムを叩きますよ。

藪野 大学のジャズ研では1年間だけドラムを叩いていました。私が入学したときはピアノ志望者が多かったんですよ。でもドラム志望は少ないし、「いっぱい勉強できるよ」みたいなことも先輩に言われたので。将来クラシック・ピアノのプロとしてやっていくのだから、趣味でやるジャズは別の楽器で楽しくやってみようかなと思ったんですけど、やっぱりベーシックなものを学ぶだけでも途方もない年月がかかるし、自由自在に演奏できるまでにあと何年かかるのかなと思って。
大学3年からようやく応用演奏コースに入り、ジャズ・ピアノを小曽根真さんと山下洋輔さんと佐山雅弘さんに習いました。ジャズ・ピアノを始めたばかりの私にとって、斬新なスタンダードのアレンジのアイデアを授けてくださったり、ピアノ2台で連弾させていただいたり、「ホンモノの音」に触れられるレッスンは毎回とても刺激的でした。
バークリーではジャズ・コンポジション科に入学して、ピアノはレイ・サンティシに習いました。小曽根さんに「楽器の基礎はもう十分に勉強したでしょう。今度はハーモニーの組立ての裏付けのために、作編曲の学部に入った方がいいんじゃないの?」と言われたことがきっかけでジャズ・コンポジション科を選びました。このヴォイシングよりもこちらのヴォイシングにした方が音が立って聴こえる、効果的になるといったことを学びました。それはオリジナル曲を作るうえでも役立っています。

<藪野遥佳>


<細谷紀彰>


<中山健太郎>


----  niskhafの楽曲はインストゥルメンタルですが、藪野さんはSNSに弾き語り動画もあげていますね。

藪野 コロナ禍で少し時間ができた時に、ピアニストというアイデンティティを守りつつ、自由に何でもやれたらいいなという気持ちが芽生えてきて、試しに弾き語りをやってみた感じです。

---- 細谷さんと中山さんは、たとえば別のバンドやプライベートで歌うことはありますか?

中山 歌わないですね。

細谷 カラオケにも行きません。

---- アルバムを聴いていると、皆さん、歌心がすごい濃いなと思うんですが。

細谷 うん、そうだと思います。

中山 歌心を出そうとはしてますね。

藪野 作曲する時に、自分の中でひとつポリシーにしているのが、歌えるメロディを書くということです。ピアノはある意味、息を止めても弾けちゃう楽器なんですよ。クラシックのレッスンを受けていたとき、よく「ちゃんと呼吸をして弾いて」と先生に言われたんです。小さい頃は意味がわからなかったんですけど、フレーズの弾き始めにきちんと呼吸をして入っていかないと、そのメロディがちゃんと届いていかないんです。

---- アルバム発表後の翌月からはツアーも始まりますし(文末参照)、年末には比較的大きな会場でのライブも企画しているとのことで、今後のniskhafがさらに活発化することは間違いないですね。

細谷 最近、声をかけていただく時に「niskhafの細谷さんですか」と言われることが増えました。自分のいちキャリアとしてもniskhafとしても、これはすごい大きいことになっていると思います。バンドとしてのniskhafを周りの人もだんだん認知してくれてるのかな。それが嬉しいですね。

中山 僕のバンド(めぐたろう)はベースがいないんですが、それとは別にベーシストが入っている自分のバンドであるniskhafが結成されて、今までのファンが見たことがないアプローチがどんどん出せている。新しいもう一個の世界が持てたのは幸せですね。替えが利く方が殆どだと思うんですよ、誰それっぽいとか替わりに誰がいるとか。やっぱり音楽をやっている以上、自分らしさを出せる場所があるのは嬉しいことだなと思いますね。

藪野 日本の大学を卒業して、バンド・メンバーを探しにいくという目的のもと、バークリーに留学して、自分の思い描く形のピアノ・トリオをすごくやりたくてニューヨークに行ったりもしたんですが、それらがいろいろ動き出す前に帰国することが決まったんです。本当にこんなに早いタイミングで、自分の美学に共感してくれるメンバーに出会えたのが何よりも幸せです。曲をこういう風にしたいと説明しなくても、楽譜を見てイメージを吸収してくれる人たち。これは本当にすごく貴重なことだと思います。

細谷 3人とも、いろんなところに住んできて、気持ちの上でのホームは、世界中のいろんなところにあると思うんです。僕の場合は今もヨーロッパが恋しかったりするんですけど、niskhafは日本にいてすごくホームに感じられる場所。それがあるのは大きいですね。

<niskhafのファースト・アルバム『thirst』 6月15日から全国流通>



★niskhaf 『thirst』 リリースライブ
2022年6月15日(水) 18:30 OPEN / 19:30 START
会場 中目黒 楽屋 (チケットのご予約は会場ウェブサイトより)
※本ライブはYouTubeによる同時配信ライブも行います。
配信ページ: 中目黒 楽屋 YouTubeチャンネル

niskhaf
Web: https://niskhaf.com/
Facebook: https://www.facebook.com/niskhaf
Twitter: https://twitter.com/niskhaf
Instagram: https://www.instagram.com/niskhaf/

niskhaf summer 2022 tour
7/27(水) 静岡LIFETIME
7/30(土) 三重・松阪Jazz茶房サライ
7/31(日) 表参道live space ZIMAGINE

※アーティスト写真撮影:福田啓道