<連載>原田和典のJAZZ徒然草 第94回

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2015.07.27

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マリーン・ヴァ―プランク、ジョン・ヘンドリックス、シナトラ生誕100年展・・・・ホンモノの歌が、マンハッタンの夏に鳴り響いたぜ

ドルが高いので(オリンピックが終了するまでは、このくらいの値段のまま操作されるのだろうか。いやな話だ)、なかなか海外行きがしんどいが、それでも年に1回ぐらいはと思い、この7月、ニューヨークを歩いてきた。
どのくらい高いかというと、たとえばベーシックなハンバーガーが8.95ドルだとする。チーズやベーコンが入るとさらに数ドル単位で高くなるので、これで我慢だ。しかしトマトとかピクルスとかレタスとかはそれなりに入っている。山のようなフレンチフライ(日本語ではフライドポテト)もくっついてくる。飲み物は含まれていないから、ソーダ類も一緒に頼むとしよう(ジュース類は高いので)。まあ、2.75ドルぐらいを考えてほしい。これで計11.70ドル。そこに税金である8.75パーセントがかけあわさって約12.72ドル。そこにチップ(税の2倍が目安)が加わるとなんだかんだで15ドル、16ドルとなり、それを1ドル125円(成田空港でドルを買った場合、もっと割高だが)で換算すると125×16=ちょうど2000円なり。
ハンバーガー定食に2000円! これはなかなかきつい。松屋の山形だし牛めしが何杯食えると思っているのだ。1ドル85円の頃は何から何までリーズナブルに感じられたものだが、幸いにも為政者の血筋に生まれてこなかった自分たちは、どこかの誰かがやっているはずのレート操作に従うしかないのだろう。しかし、ニューヨークには「これは決してお金では買えないだろう」という体験もゴロゴロ転がっているし、最終的には十二分に「モトをとった」気分になるのだから不思議だ。やはり魔都である。


「ジャズ・アット・キタノ」(66 Park Ave)ではマリーン・ヴァ―プランクを聴いた。1933年生まれ、今年の11月で満82歳になる。1955年サヴォイ・レコードにファースト・アルバム『エヴリ・ブレス・アイ・テイク』を吹き込み、最後期のトミー・ド―シー(56年死去)のオーケストラでも歌ったことがある。アレンジャーのビリー・ヴァ―プランク(故人)と結婚したのも、この時期のことだ。キャピトル・レコードに作品のあるジョン・ラサール・カルテットに在籍を経て、テレビ・コマーシャル、ジングル、バック・コーラスの仕事で多忙を極め、その後、再びジャズ・クラブで歌うようになった。最近はほぼ毎年ニュー・レコーディングを発表している。音域こそ若い頃よりはやや狭まった気がするが、発声は力強く、バラードもアップ・テンポも抜群。80歳過ぎの老人の歌を聴いているという気が、まったくしない。晩年のエラ・フィッツジェラルドアニタ・オデイの、悲しくなるようなコンディションを考えると、マリーンのそれは驚異的といっていい。この原稿がアップされている頃には、ヨーロッパ・ツアーに出ているはずだ。
伴奏は大野智子(ピアノ)、ジェイ・レンハート(ベース)、リック・ヴィゾーニ(ドラムス)。マリーンと同じくイタリア系のヴィゾーニのルックスは、中年期の三船敏郎と勝新太郎をあわせたような脂っこい貫禄と迫力がある。演目は「ディアリー・ビラヴド」、「ノーバディ・エルス・バット・ミー」、「ザ・ベスト・シング・フォー・ユー」、「アイ・ディドント・ノウ・ホワット・タイム・イット・ウォズ」、「ゼン・アイル・ビー・タイアード・オブ・ユー」等。ヴァースのある曲はしっかりヴァースから表現し、歌い始める前に作詞・作曲家の名前をきちっと紹介するのも嬉しい。「ソングライターへの敬意」(しかもマリーンの場合、大抵その作者と直に交流がある)、「英語のクリアな発音」(英語ネイティヴなのだから当たり前だが)、「多彩なレパートリー」・・・・ああ、なんて気持ちいいのだろう。キャバレー・シンガー(※日本の「キャバレー」とは別もの)、サルーン・シンガーの広く豊かな世界にたっぷり触れた気分である。


マリーン・ヴァ―プランクとジェイ・レンハート

マリーン・ヴァ―プランク



歌ではもうひとつ、「イリディアム」(1650 Broadway)で行なわれたジョン・ヘンドリックスの公演も堪能できた。この9月で94歳! ファッツ・ウォーラーにバンドに誘われ、アート・テイタムとも友人だったそうだから、もう生きる古事記である。開演数十分前、正面入り口から会場入りしただけでスタンディング・オベイションが起こり、いつしか女性ファンを両脇にはべらせてニコニコしている。あいかわらず、おしゃれで、ユーモラスだ。かつて日本に来た時は、バラエティ番組「笑っていいとも!」に登場したこともある。そこでパーソナリティを務めていたタモリはジャズ・ファンとしても有名だ。もちろんジョンの偉大さもご存知なのだろう。
この日は賛助出演ということで、ジョンを「音楽上の父」を仰ぐマンハッタン・トランスファージャニス・シーゲル、ギターの弾き語りもするケヴィン・フィッツジェラルド・バーク等も参加。「セロニアス・モンクの曲に詞をつけたときは、モンクがとても喜んでくれた。“君は最高の詩人だね”といわれたことが忘れられないね」という前置きのあと、「イン・ウォークト・バド」、「リフレクションズ」、「リズマニング」等のモンク・ナンバーが次々と歌われた。もちろんホレス・シルヴァーの「カム・オン・ホーム」、レイ・チャールズの「ロックハウス」等のファンキー・ナンバーも盛り込み、「イン・ア・メロートーン」ではウッド・ベースを弾くポーズをとりながら低音スキャットで魅了した。クライマックスは客席も巻き込んでの大合唱「モーニン」、そして伝説のヴォーカル・グループ“ランバート、ヘンドリックス&ロス”時代の当たり曲「センターピース」。終演後、“日本のファンは暖かいから大好きだ。来年、また日本に行けたらいいな”と話してくれた。まだまだ健在、ヴォーカル・マエストロの再来日が実現することを心から望みたい。


ジョン・ヘンドリックス


もうひとつ歌ネタをいきたい。この2015年はビリー・ホリデイフランク・シナトラ、ふたりの偉大なヴォーカル・スタイリストの生誕100年ということになっている。もっともビリー・ホリデイの誕生日は1950年代、パスポート取得のためにでっちあげられたものだそうだが(黒人貧困街で生まれ育った彼女の出生証明書はなかった)、シナトラは確かに12月12日、ニュージャージー州ホーボーケンに生まれたようだ。特別企画「シナトラ~アン・アメリカン・アイコン」は、リンカーン・センター内、エイヴリー・フィッシャー・ホール(旧フィルハーモニック・ホール。マイルス・デイヴィスが『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』、『フォー&モア』を残した)そばにあるニューヨーク公共図書館(40 Lincoln Center Plaza)で開催されていた。


シナトラ展 入口


展示はほぼ編年体。少年時代に逮捕された時の写真、アマチュア・コンテストで優勝した時の景品、空前のアイドル人気に沸いていた頃のファン・クラブ会報(?)、キャピトル・スタジオのブースの再現、全部シナトラ・ナンバーで埋め尽くされたジュークボックス、数々のトロフィーやゴールド・ディスク等。
ヴァイオリンの特技があったということも初めて知った。「影響を受けた歌手」としてはビリー・ホリデイが紹介され(彼女が身に着けていたコートと共に)、「最もお気に入りの歌手のひとりで、よく共演したのに、なぜか一枚も一緒にレコードを吹き込まなかった歌手」としてはエラ・フィッツジェラルドが紹介され、彼女が着ていたドレスも展示されていた。「ザ・ハウス・アイ・リヴ・イン」の歌詞が展示されているのも素晴らしいと思った。話は飛ぶがソニー・ロリンズは少年時代、この詞やシナトラの歌声に大きく励まされたという。ロリンズの通っていた学校は白人居住区の近くにあった。というかそこを通らずに行くことは難しかった。だから通るのだが、白人たちは物を投げつけたり野次を飛ばし、いやがらせ・妨害をした。そんな時期、シナトラが白人居住区のイベントに来たらしい。そして「ザ・ハウス・アイ・リヴ・イン」を歌った。“All races and religions, that's America to me”。妨害はやがて止んだという。ロリンズは1956年、プレスティッジ・レコードにこの曲を吹き込んでいる。エンディングに“黒人国歌”と呼ばれる「リフト・エヴリ・ヴォイス・アンド・シング」の一節を挿入しながら。
シナトラの画才については美術書「A Man and His Art」である程度は知られていると思うが、原画の色使い、構図、筆致には否応なく目を見張らされた。「絵を描く歌手」といえばトニー・ベネットが知られていると思うが、正直言って僕はベネットの絵に感銘を受けたことはない。だがシナトラには敬服してしまう。おそらく音楽同様、正式に習ったわけではなく、感覚で入っていったのだと思うが、“アートの核”をつかむ才能に尋常ではなく恵まれていたのだろう。また「ニューヨーク、ニューヨーク」をシナトラの音源にあわせて歌えるカラオケ・ボックスも設置されている。

 
『オンリー・ザ・ロンリー』のゴールド・ディスク
 
シナトラのファンクラブ会報(?)


展示コーナーの終わりは、1982年に行なわれたコンサート『Concert For The Americas』のDVD上映だ。シナトラのコンディションは脂が乗り(マイクの使い方、美しいディクションを、日本の自称ジャズ・シンガーたちに見てほしい!)、トニー・モットーラのギターは歌心にあふれ、バディ・リッチのドラムスは天才的に華やかだ。「センド・イン・ザ・クラウンズ」を聴いて、僕は落涙しそうになった。わが拙き英語力では理解に苦しむ歌詞なのに(カップルの心のすれ違いを歌っているのだろう、ぐらいはわかるが)、シラブルのひとつひとつが胸に迫る。絶唱に触れて、僕の数メートル先にいた観覧客が感嘆のためいきをもらす。なんという大歌手、シナトラ。展示会は9月4日まで続く。
これだけのボリュームある展覧会が無料、しかも写真撮影自由なのだから、本当に太っ腹だ。ちなみにこの会場のワン・フロア下にある図書館には、音楽関係の書籍(英語のみだが)がズラリと揃い、閲覧できる。こちらもタダ。やはりニューヨークは音楽好きにとっての聖地だ。

 
シナトラのアトリエを再現
 
図書館。アンソニー・ブラクストンに関する本もある



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