<連載>原田和典のJAZZ徒然草 第96回

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2015.12.24

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瀬川昌久さんインタビュー(前編)
「トニー・スコットは日本滞在中、“自分はいつも新しいものに取り組んでいくために、先鋭的な若手を登用している”と言っていました」

大先輩のインタビューを2回にわけてお届けしたい。音楽評論界の重鎮・瀬川昌久さんのご登場だ。いつかじっくりお話をうかがうことができたらと思っていたが、今回、ついにその機会に恵まれた。
ぼくが瀬川さんに初めてご挨拶してから25年ほど経つ。ご自宅に原稿をいただきに行ったことも何度もあるし、ライヴ会場でお目にかかったことも数知れない。なかでも一番驚いたのは浅草にある浪曲の寄席「木馬亭」でばったり出会った時だ。ぼくもびっくりしたし瀬川さんも相当にびっくりされたようだったが、「いろんなエンタテインメントに熱心なのはいいことだ」と、大変にうれしい言葉をいただいて心が暖まったことを覚えている。
ますます著作・講演・執筆・プロデュースに精力的に取り組み、音楽・演劇・演芸などの実演を楽しんでおられる瀬川さん。オーディオパークからの『ホット・ファイブ結成90周年記念 瀬川昌久監修 ルイ・アームストロング大特集』(全4枚)、ブリッジからの『戦前モダン・ミュージック集 Vol.3 ~瀬川昌久秘蔵コレクション~』、そして著作『日本のジャズは横浜から始まった』(ジャズ喫茶ちぐさ。柴田浩一氏との講義を書籍化)、来年1月リリース予定の『チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私: 瀬川昌久自選著作集1954-2014』(河出書房新社)と、“瀬川ワークス”は今なお厚みを増すばかりだ。


瀬川昌久さん(写真協力:日本ポピュラー音楽協会)


「チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私 瀬川昌久自選著作集1954-2014」(河出書房新社 2016年1月22日発売 
 
「日本のジャズは横浜から始まった」(ジャズ喫茶ちぐさ、横浜市内ジャズスポットのほか、通販サイトでも取り扱い)


--- ぼくが編集者としてここ(瀬川さんのご自宅)にうかがっていた頃は、猫がいました。

瀬川昌久 残念ながらね、もう亡くなっちゃったの。2匹、白いのと黒いのがいてね、覚えてるでしょ。ほんとに、よくなついてね。だいぶ大きかった白いほうは、ほんとに長生きして、十何年で命が尽きたらしいんですよ。もうひとり一緒に黒いのがいたんだけど、これもとうとう亡くなっちゃってね。だけど時々ね、ここへ近くの(猫)が来るんで、玄関に魚でも出しといてやるとね、食べるんだ。茶と黒の混ざったような猫で、天気がいい時は家の前の茂みで日なたぼっこをしている。それで僕が帰ってくると「ニャー」って鳴くから、こっちも「ニャー」と言ってね。

--- こっちの「ニャー」に猫が応えてくれる時は本当に最高の気分です。昔から猫を飼っていたんですか?

瀬川 そうね。家内が好きで、娘も好きなもんだから。で、猫っていうのは不思議だね、ドアを閉めても(ノブのところまで)飛びあがってね、ドアを開けるんですよ。不思議だね。

--- クラリネット奏者のトニー・スコットが居住していたのもこの家ですか?

瀬川 ここじゃなくて、となりにあった戦後のちっぽけな家ですね。家が二つあって、一つを貸していたんですけど、それが空いちゃうんで、おやじが「トニー・スコットをここへ泊めたらどうか?」と言うんで、彼が住むことになったんですよ。

--- トニーとはいつ知り合ったんですか?

瀬川 1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルだったかな? それとも「バードランド」(ニューヨークのジャズ・クラブ)かな、とにかくものすごく親しくなっちゃって、「日本に行きたい」って言って。僕は58年の末に二度目のニューヨーク勤務から日本に戻ってくるんですが(※最初のニューヨーク勤務は1953~54年。このときチャーリー・パーカー、ビリー・ホリデイ、クリフォード・ブラウン等をご覧になっている)、59年の初めごろに「トニーが日本に来る」という話になったんです。TBSのディレクターの鈴木道明さんが大変なジャズ好きで、「それなら、トニー・スコットを主役にした1時間のテレビ番組を作ろう」という話が出ました。ミュージカル「南太平洋」の曲を演奏した『サウス・パシフィック・ジャズ』が新作の頃ですね。そこからの曲を日本人ミュージシャンとのバンドで放映してはどうか、というプランも出た。だから、テレビ局が多少(トニー来日の)金を出してくれたんです。
トニー・スコットは日本に来て、さっそく伴奏のピアノ・トリオを作りました。八木正生さんがピアノで、ドラムが富樫(雅彦)、ベースは誰だっけな? 当時のモダン・ジャズの先端をいくトリオですよ。進駐軍の基地まわりもしたんじゃないでしょうか。そのうち、奥さんも日本に来たんですよ。しばらく日本に夫婦で一緒にいたいということになって、空き家に住んでもらったんです。

--- 奥さんはフランさんという名前で、レコード・ジャケットのデザイナーでした。

瀬川 写真もやっていたはずですよ。ABCパラマウントにオスカー・ペティフォードのビッグ・バンドのレコードがふたつあるでしょ、ペティフォードがベースを持っているやつと、他のメンバーと写ってるやつ。2枚目の方に彼女が写っているはずです(『オスカー・ペティフォード・オーケストラ・イン・ハイ・ファイVol.2』にハイヒールを履いた脚だけ写っている)。フランさんは琴が好きで、一生懸命琴を勉強していましたね。
 


Oscar Pettiford 「In Hi Fi Vol.2」

Tony Scott「South Pacific Jazz」


--- トニーは日本に来る直前まで、ビル・エヴァンスを入れたバンドを率いていました。当時のエヴァンスは日本で無名に近かったと思いますが、たとえば「俺のバンドにいるビル・エヴァンスというピアニストはなかなかすごいよ」とか、そういう話を彼の口からきいたことはありますか?

瀬川 ちょっと覚えていないですね。「自分はいつも新しいものに取り組んでいくために、先鋭的な若手を登用している」とは言っていましたけど。覚えているのは、トニーはいろんな人の、例えば、ビリー・ホリデイとか、いろんな人をテーマにしたブルースを作るでしょう。あれはだいぶ後で出たんでしょ?(サニーサイド盤『サング・ヒーローズ』、バックはビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアン)。彼は日本にそのテスト盤を持ってきたと思います。それをね、僕は放送局のディレクターをしておられた鈴木道子さんの番組で紹介しました。トニーを放送局に連れていって、いろいろ話をしたり、レコードをかけてもらった覚えがありますよ。


Tony Scott「Sung Heroes」
 


--- トニー・スコットは滞日中、東映映画の『乾杯!ごきげん野郎』(61年12月公開、2016年1月に神保町シアターで上映。詳しくは文末参照)にも出ています。梅宮辰夫や三田佳子が出ている・・・

瀬川 僕の弟(瀬川昌治氏)が作った映画ですね。弟が「トニー・スコットに出てもらいたい」って言うから、紹介したんですよ。

--- 弟さんも音楽はお好きなんですか?

瀬川 好きですよ。ジャズ・ピアニストの松井八郎さんと仲が良くて、よく(サウンドトラックを)依頼してましたね。

--- その映画の中でトニー・スコットは本格的なモダン・ジャズを演奏しています。ただ共演メンバーがわからないのです。ご存知ですか?

瀬川 ドラムは富樫さんじゃなかったと思う。ピアノは誰かなあ・・・・

--- トニーのバックを、菅野邦彦さんやジョージ大塚さんが務めていた時期もあったようですが・・・・

瀬川 トニーと八木さんが音楽的に合わなくなって、スガチン(菅野邦彦)が入ったんだ。だけど映画のメンバーかどうかは覚えていません。

--- トニー・スコットは、どのくらい瀬川さんのところにいたんですか?

瀬川 10ヶ月くらいかね。で、香港や東南アジアへ行ったの。フランさんとはその時に別れたはずですよ。第二の奥さんと香港で結婚した。お嬢ちゃんがいるんだけど、その人はその香港の中国系の人との娘なの。

--- トニーが住んでいたころの、日本のジャズ界の人気ナンバーワン・バンドは白木秀雄クインテットだったんでしょうか?

瀬川 そうね、ナベプロの所属で、レコードもずいぶん出していましたから。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの来日公演を見に行った時(61年正月)、終わってから、白木さんに「連中を呼んでパーティをするから、来ないか」って言われて。赤坂見附の赤い橋を渡ったところに、水谷八重子さん(先代。当時の白木の義母)のすごい立派な家があって、そこに彼も同居していたわけ。それで、八重子さんの広い大きな家の中で、ジャズ・メッセンジャーズの連中と白木さんなんかと一緒にね、夜ね、ずっと酒かなんかを飲んでね。白木クインテットの世良(譲)さんがジャズ・メッセンジャーズのボビー・ティモンズと親しくなって、いろいろと(ピアノ奏法を)教わっていた覚えがありますね。その頃が白木さんにとっても最盛期だったんでしょうね。

--- 1965年11月に渡辺貞夫さんがアメリカから帰国します。このあたりから日本のジャズがまた新たな展開をみせていくと思います。

瀬川 60年代後半の新しいのですごいと思ったのはやっぱり、貞夫さん、富樫さん、ヒノテル(日野皓正)、プーさん(菊地雅章)だね。「新宿ピットイン」などで人気があって、ものすごく盛んだった時じゃないかと思いますね。レコード会社もやっと重い腰をあげて、そういう人達の作品を出すようになった。タクト・レコードが発足したりね。タクトの初期はほとんど、戦前からミュージシャンをしていた大森盛太郎さんがプロデュースしておられました。大森さんは僕と非常に親しくしてくれて、僕の初めての本「舶来音楽芸能史―ジャズで踊って」でもいろいろ助言を与えてくれたんです。貞夫さんは、モダン・ジャズとボサノヴァの両方をやって非常にポピュラーな人気が出ました。そして、「アメリカのバークリー(音楽院)で学んできたことを皆に教えよう」って講義も始めて、若手とリハーサル・オーケストラを組んで、日本のジャズ界を活性化させた。ラジオ番組でも活躍してね。一方では日野ちゃんが、ヒーローみたいな、今のEXILEみたいな人気だよね、あの頃はね。ファッション・リーダーでもあるし、大変な話題でした。
 
・・・次回へつづく



★「泣いて! 笑って! どっこい生きる! 映画監督 瀬川昌治」

1月4日(月)~1月29日(金) 神保町シアター

 瀬川昌久さんの実弟、映画監督・瀬川昌治さんの作品上映会。

榎本健一、フランキー堺、谷啓、ハナ肇、大橋巨泉、タモリ、ビートたけしなどジャズと縁の深い面々も多数スクリーンに登場、ぜひ駆けつけるべし!

トニー・スコットが出演する「乾杯!ごきげん野郎」も上映されます。

http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/segawa.html