<連載>原田和典のJAZZ徒然草 第114回

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2020.09.28

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キング・クリムゾン、ジョン・レノンからハービー・ニコルズ、ジーン・アモンズまで、レパートリーも音楽性も驚きの幅広さ。注目のレーベル「JMood」から数々の力作を送り出す辣腕ピアニスト/作曲家/アレンジャー、ロベルト・マグリスから気迫のこもった最新メッセージが届いたぜ


以前からJMoodというレーベル、そしてロベルト・マグリスというアーティストにスポットを当てたいと思っていた。
ある作品ではアコースティック・ピアノによるゴリゴリのハード・バップ、またある作品ではハモンドB-3を使ったコテコテ風味のソウル・ジャズ、またある作品ではエレクトリック・キーボードをビャーッと鳴らしたコズミックなアシッド・ジャズを展開。かと思えばハーブ・ゲラーのバックではスウィンギーにスタンダード・ナンバーを料理し、アート・デイヴィスとの共演ではモーダルかつ骨太なフレーズで駆け抜ける。しかもカヴァー曲のセンスが独特だ。ジーン・アモンズキング・クリムゾンアンドリュー・ヒルハービー・ニコルズケン・マッキンタイア―ジャクソン5サー・チャールズ・トンプソンらの楽曲を、同一のミュージシャンが演奏するのだから痛快ではないか。そんな“横並び”感覚はたぶん、ここ30数年間の少年少女たちにとっては当たり前かもしれないが(自分の記憶では、1987年時点、ジョン・コルトレーンの58年録音『ソウルトレーン』もザ・ビートルズの67年作品『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』も南野陽子の87年作品『BLOOM』もU2の87年作品『ヨシュア・トゥリー』もすべて“新譜CD”として同一の価格で販売され、ほぼ変わらぬ記事の大きさでFM雑誌などで紹介されていたはずだ)、1959年生まれのロベルトの世代ではまだまだ希少なのではないかと思う。
1970年代後半から母国イタリアでプロのジャズ・ピアニストとして活動を始め、80年代半ばには今も語り草となっている“Gruppo Jazz Marca”を結成。以来、一時も動きを休めることのないままロベルトは欧米のジャズ・シーンを疾走し、このたび約2時間収録のアルバム『Suite!』をリリースした。猫好きで柔道の黒帯を持ち、音楽をまるごと愛そうとする彼のワイド・オープンな多作家ぶり、精力的な姿勢に触れていただけると幸いだ。
(写真協力=ロベルト・マグリス)

〈ロベルト・マグリス〉


--- 2枚組のニュー・アルバム『Suite!』、大変な力作です。タイトル通り、ひとつの組曲の中を泳いでいるような気持ちになりました。

ロベルト・マグリス このアルバムには、ただ音楽を収録するだけではなく、歌唱やスポークン・ワードを通じてスピリチュアルなメッセージ、社会的な要素も収めたいと思った。ほとんどの曲は私の自作だが、キング・クリムゾン、サンタナジョン・レノンの楽曲に新たなアレンジをほどこしたものや、スタンダード・ナンバーも含んでいる。もちろん基本にあるのは私のキャリアの核であるモダン・ジャズ・・・愛とインスピレーションに基づいてプレイされるモダン・ジャズだけどね。そしてこのアルバムでは、今までのキャリアの中でベストと考えられるほどのミュージシャンとグループを集めることができた。ミルウォーキー州出身のトランペット奏者エリック・ジェイコブソン、サックス奏者マーク・コルビー、ベース奏者エリック・ハクバーグ(Hochberg)、ドラマーのグレッグ・アートリーという3人のシカゴアン(シカゴ出身者)、そしてカンザス出身のPJオーブリー・コリンズのヴォイスだ。

--- 「In The Wake of Poseidon」(「ポセイドンのめざめ」という不思議な日本語題もあるけれど、Wakeに“めざめ”という意味はない)を皮切りに音楽の旅が始まって・・・

ロベルト もちろん私はジャズ・ミュージシャンだ。だけど若いころに受けたロック、それこそキング・クリムゾンのような最高峰のプログレッシヴ・ロック(prog-rock)からの影響は忘れることができないね。クリムゾンの曲は『Suite!』以外のCDにも私のアレンジで収めている。60年代や70年代に生まれたいくつかの音楽は今なおものすごく新鮮だし、ジャズ・フォーマットで現代的な視点を添えて再構築するのに適していると思う。今回のプロジェクトに、「In the Wake of Poseidon」のハーモニーと詞はパーフェクトだった。

--- この新作ではさらに、リスナーをいろんなモダン・ジャズやスタンダード・ナンバーやジャズ・ファンクの世界に連れ出して、最後にソロ・ピアノの「Imagine」で終わる。その流れも絶妙です。

ロベルト 曲順に関してはとても考えた。私は、音楽に接するということは、自らの経験を豊かにし、新たなレヴェルへの意識の扉を開けること、暗闇に差し込む光を見つけ出すことだと感じている。リスナーに音楽的、精神的な旅に出てもらえたらと思うよ。様々な音楽スタイル、様々な社会的コンセプトをこめた『Suite!』がたくさんの人の心に届くことを望んでいる。

<最新作『Suite!』>


--- ヴォイスで貢献しているPJオーブリー・コリンズの存在感も大きいですね。

ロベルト プロデューサーのポール・コリンズのお嬢さんだ。彼女の詩作、歌声の才能についてはすでに知っていたので、『Suite!』でそれを発揮してもらおうと考えた。彼女はオリジナル・ソングを作詞し、スポークン・ワードを聴かせるほか、「One with the Sun」では歌も歌っている。多才な芸術家だね。

--- 去る8月31日に亡くなったマーク・コルビーの快演が聴けるのも、作品の価値を高めています。70年代からフュージョンを聴いてきた方には、メイナード・ファーガソンボブ・ジェームスとの共演でも馴染み深い名前です。

ロベルト マークとは何度も演奏したよ。シカゴ、ミルウォーキー、マイアミなどでね。ステージ上でも普段でも変わりなく素晴らしい人物だった。彼は私の『Suite!』や『Sun Stone』に参加しているが、実は昨年の11月にもデュオ・アルバムを録音しているんだ。パンデミックのせいでまだ発売できていないけどね、たぶんそれが彼のラスト・レコーディングになるんじゃないかと思う。とても美しい音色の持ち主で、いろんなジャズのスタイルに精通していた。初期のスタン・ゲッツからジョン・コルトレーンまで数多くの奏者から影響を受けて、いわゆるジャズ・フュージョンの言語も身につけていた。かけがえのない友人を失って、とても悲しいよ。

<『Suite!』のメンバーで、シカゴ「ジャズ・ショウケース」に出演>


--- マークはブルックリン生まれですが、マイアミ大学で音楽の学位をとり、その後もマイアミで活動することが多かったと記憶しています。あなたもマイアミとは縁が深いですね。

ロベルト 私の場合、『Live in Miami at the WDNA Jazz Gallery』が大好評だったことがきっかけで、マイアミでコンサートやレコーディングをする機会がとても増えた。そのうちプロデューサーのポール・コリンズが、シカゴ出身のマルチ楽器奏者のアイラ・サリヴァンを紹介してくれたんだ。彼はマイアミに長く住んでいるからね。チャーリー・パーカーレスター・ヤングワーデル・グレイレッド・ロドニーらと共演した伝説の奏者だよ。

--- トランペットとサックスとフルートを、あれほど高い境地で兼ねることのできるミュージシャンは、アイラだけでしょう。彼は自身のグループに、駆け出しのころのジャコ・パストリアスを起用していたこともあります。

ロベルト アイラもマークも、マイアミ・ジャズ界の“キー”といえる奏者だ。私はマークと、シカゴの「ジャズ・ショウケース」で演奏した。この前(8月10日)、94歳で亡くなったジョー・シーガルの店だよ。アイラもマークとそこで演奏したことがある。アイラは毎年ここに出演しているからね。いつのまにか我々の間で“シカゴ=マイアミ=ジャズ・ショウケース・コネクション”の準備ができて、その結果がアルバム『Sun Stone』になった。アイラ、マーク、私が揃ったんだ。

<アイラ・サリヴァン(右)と>


<『Sun Stone』>


--- ところで、最初に夢中になった音楽はジャズですか?

ロベルト いや、違う。4歳の頃、両親が私にクラシック・ピアノを習うよう勧めた。私が前向きなリアクションをとったので、両親がピアノを借りてきて、私はそれを楽しみながら演奏した。だが10代初めの頃、ロックに心を奪われてしまった。1970年代初頭のことだよ。ジャズに関心を持つようになったのは、ハイスクールの頃に聴き始めたジャズのラジオ番組がきっかけだ。初めて買ったジャズのLPはオスカー・ピーターソンの『The Way I Really Play』。素晴らしかった。今も大好きな愛聴盤だ。だけど影響を受けたという意味では、ボビー・ティモンズの「モーニン」「ジス・ヒア」「ダット・デア」「ソー・タイアード」、レス・マッキャンの楽曲とかかな。私はソウル・ジャズを愛しているんだ。

<1963年のクリスマスに>



--- 初めてジャズ・バンドで演奏したのは?

ロベルト ハイスクール時代に率いたグループが最初だと記憶している。チャーリー・パーカーの古典的なビ・バップを演奏したよ。そのあとジョン・コルトレーン・カルテットを聴いて、マッコイ・タイナーが私のヒーローになった。それからセロニアス・モンクを聴いてトリップし、あの代理コードの感覚が永遠に私のピアノ・アプローチに刻まれることになる。ビル・エヴァンスも聴いたし、さらにその後アンドリュー・ヒルを発見した。自由なアプローチ、踊るようなコンポジションに、催眠術にかけられた気分になったよ。ジャズ・ピアニストとしての私は、とくに誰に師事したとか、どの学校で学んだということはない。とにかく数えきれないほどのアルバムを聴きまくり、彼らのソロを採譜して練習し、ジャム・セッションやコンサートの現場で鍛えていったんだ。

--- ロベルトさんが活躍を始めたころ、イタリアのジャズ界ではエンリコ・ピエラヌンツィダニーロ・レアフランコ・ダンドレアなども頭角を現していたと思いますが、相互影響は?

ロベルト 実は私は、それほどイタリアのジャズ・シーンに関わってこなかったんだ。ソウル・ノートなどのレーベルには作品を残しているけどね。私の出身はトリエステで、スロベニアとの国境にある。つまりイタリアン・ジャズの中心地であろうミラノやローマとはかなり距離があって、むしろ中央ヨーロッパや東ヨーロッパに近いんだ。私は(チェコ共和国の首都)プラハとの結びつきが強くて、80年代、まだ鉄のカーテンのあった時代からコンサートを行なってきた。いまでも第二の故郷のような感覚なんだ。2016年にはチェコ出身の旧友のベース奏者Frantisek Uhlir 、そしてドラマーのJaromir Helesicと共に“MUHトリオ”を組んだ。これはMagris/Uhlir/Helesicの頭文字だよ。最初に『Prague After Dark』 を出して、この1月には『Step Into Light』も出した。だけどパンデミックの影響でプロモーションが止まったままなのは本当に残念だ。

<『Prague After Dark』>


<『Step Into Light』>


--- その『Prague After Dark』ではハービー・ニコルズの、『One Night in with Hope and More vol.1』ではエルモ・ホープの楽曲も演奏していますね。ぼくにとって彼らは替えのきかない偉大な楽聖なのですが、現状は過小評価と言わざるを得ません。

ロベルト エルモ・ホープもハービー・ニコルズも忘れられてしまった、もしくは過小評価されている。これは大きな悲しみだ。彼らの真に演奏や作曲に触れる機会が、もっと増えたらいいのにと心から思う。彼らの美しいコンポジションの数々を演奏することは、私のライフワークの一つである“古典の再訪”にとってこの上なく重要で喜ばしいことだ。『One Night in with Hope and More vol.1』のジャケットを見てくれたかい? これはエルモのアルバム『クインテット』(ブルーノート盤)を意識したんだ。そのジャケットでは、かっこいいスーツを着こなして帽子をかぶったエルモの横に犬が映っているけれど、私のアルバムでは代わりに愛猫のジジに登場してもらった。

--- 『One Night in with Hope and More vol.1』ではドラマーのアルバート・ヒースを迎えていますが、あなたは他にも数々のレジェンドと共演なさっていますね。

ロベルト 40年間にわたって本当にさまざまな伝説的ミュージシャンとプレイすることができた。その中から数人について語ってみようか。アルト・サックス奏者のハーブ・ゲラーとは、2003年にソウル・ノート盤『Il Bello del Jazz』のレコーディングで一緒になり、その後も彼が他界(2013年12月19日)するまで共演を続けた。『An evening with Herb Geller and the Roberto Magris Trio』は各国の評論家の間でも高く評価された。ハーブについて語るなら・・・スウィート・ジェントルマンという言葉に尽きる。ウディ・アレンの映画が大好きでね、素晴らしいユーモアの持ち主だった。そして彼はベニー・カータービリー・ストレイホーンデューク・エリントンジョニー・ホッジスカウント・ベイシーアル・コーンズート・シムスらが築いてきた美しいジャズの世界に私を案内してくれたんだ。ベース奏者のアート・デイヴィスは、ジョン・コルトレーンの『アフリカ/ブラス』、『オレ』、『アセンション』、さらに『至上の愛』のリハーサル・テイクにも参加している。彼とは2004年に初めて共演し、私のグループがロサンゼルスの「ジャズ・ベイカリー」やハリウッドの「カタリーナ・ジャズ・クラブ」で演奏するときも参加してくれた。一緒に録音した作品は『Kansas City Outbound』、ドラムはジミー・“ジューンバッグ”・ジャクソンだった。アートは“ドクター”と呼ばれていて、これは彼が精神医学の修士号を持っているためだ。とても優しい人物で、私のロサンゼルスにおけるメンターのひとりでもあったね。そして人種や人権の問題に関してとてもアクティヴだった。あまりにも突然、亡くなってしまった(2007年7月29日)のが本当に残念だ。

<『One Night in with Hope and More vol.1』>


<『An evening with Herb Geller』>


<アート・デイヴィス(右)と>


--- 今後のプロジェクトについて教えていただけますか?

ロベルト もう2021年のことを考えている。まずは昨年のシカゴ滞在時、ベースのエリック・ハクバーグとデュオで録音した『Shuffling Ivories』を出すことになるだろう。選曲はユービー・ブレイクからアンドリュー・ヒルまで、広い範囲で取り上げている。マイアミでヴィブラフォン兼コンガ奏者のアルフレード・チャコンと吹き込んだ『Matching Point』は2022年のリリースになるかな。もちろん先に触れたマーク・コルビーとのデュオ作品もあるし、出したいアイテムはいっぱいあるんだ。それから『Suite!』を気に入ってくれた方には、ぜひ私のトリオがカンザス・シティで録音した『Enigmatix』、『World Gardens』、それからセクステットで録音した『Live in Miami at the WDNA Jazz Gallery』も聴いてほしい。こちらには、この前グラミー賞を獲ったトランペット奏者のブライアン・リンチも参加しているよ。

<『Enigmatix』>


<『World Gardens』>


<『Live in Miami at the WDNA Jazz Gallery』>


--- JMoodからあなたが出している作品は本当に多彩です。まるでひとりのミュージシャンとは思えないほどに。

ロベルト JMoodのオーナーで、私の友人、プロモーター、プロデューサーであるポール・コリンズのおかげだよ。彼が各アルバムの基本的コンセプトを決め、私を含む“JMood Team”が動き出す。このチームは常に新たな要素、とくに若いミュージシャンを歓迎する。私がJMoodの音楽に一番求めているのはジャズに美しい姿勢で前向きに取り組み、いろんな音楽の間に橋をかけて、レーベルのスタッフたち、音楽家、リスナー、ファンとフレンドリーな関係を築ける人材なんだ。そして私に関していうと、心をオープンにして、いろんな知識を新たに得るための情熱を保ち続けている。その物事にある“源”を意識しながらね。演奏や作曲をするときにはインスピレーションにまかせ、特に何かに強くこだわることはないが、ヨーロッパ人ジャズ・ミュージシャンである私と、アフリカ系アメリカ人のジャズ・トラディションの関係性を、忘れろと言われても難しいとは思う。
日本の皆さんとこういう形で触れ合えることがとてもうれしいよ。私は長年柔道をやってきて、黒帯をとることもできた。数年前にひざを痛めてしまったが、さいきん復調してきたので、また取り組みたいと思っている。柔道は私にとって肉体的、哲学的に本当に重要なものなんだ。

JMoodのウェブサイト https://jmoodrecords.com/