2015.02.09
「ユード・ビー」だけがヘレン・メリルじゃない。ギル・エヴァンスと組んだ隠れ名盤『ドリーム・オブ・ユー』について書き記してみたぜ
1954年12月のレコーディングからちょうど60年を経た2014年末、日本限定で発売された3枚組『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン 録音60周年記念BOX』が飛ぶようなセールスらしい。伝統的なジャズが好きなら誰でも知っているといっても過言ではないこのセッションは、『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』という邦題で長い間、親しまれてきた(原題は単に『Helen Merrill』)。が、これはアルバムにまとめられる前に3種のEP盤として、ジャケット付きでリリースされている。それをCD復刻したのが、今回の記念ボックスなのである。1枚目には「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「ス・ワンダフル」、「ドント・エクスプレイン」、2枚目には「イエスタデイズ」、「恋に恋して」、3枚目には「ボーン・トゥ・ビー・ブルー」、「ホワッツ・ニュー」が収められている。日本のキングレコードが1956年に発表した『ハイカラー・クラブ・コンサート』のようにEP(3枚に分売)とLPの内容が違うということはないのだが、極めつけの名唱を“別ジャケ”を見ながら聴くのは新鮮な気分だ。ちなみにジャケは1枚目が腕を組んで顔半分を上に向けて歌っている写真、2枚目が巨大なマイクに向かって、かゆみを我慢しているような顔で歌っている写真、3枚目が両手の指をほぼCの字にして歌っている写真だ。LPには2枚目のジャケが採用されたのだが、僕が過日ヘレンに話をきいたところによると、「なんで、よりにもよってファースト・アルバムにあんな写真を使ったのかしら。おかげで私は“苦しそうな顔をして歌う歌手”という先入観を持たれてしまったわ」とのことだった。3枚目のジャケがLPに使われていたら、今よりもさらに巨大なロング・セラーになっていたかもしれないのに・・・・。ところでクリフォード・ブラウン『ウィズ・ストリングス』も当初はEP盤として出たはずだ。LPのジャケには左の横顔が写っているが、右側から横顔を捉えたショットもEPジャケットには使われている。今度はこちらの復刻も楽しみにしたい。
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ヘレンの本名はJelena Ana Milceticという。クロアチアから移住してきた両親のもと、1930年ニューヨークで生まれた。この時期の、いわゆるジャズ・ヴォーカリストの中で、ジューイッシュ、イタリア、アフリカの血が入っていない存在は珍しいのではないか。大都会で生まれ育ったから物心つく前から最先端のエンタテインメントに触れることができた。さらに「地方で認められ、各地を転々として、ついにニューヨークに到着」という下積み期間も不要だった。ラジオから流れるジャズに心を奪われたヘレンは、やがてナイト・クラブで行なわれているライヴに通いたくてしょうがなくなった。しかし彼女は未成年であり、おいそれとは入れない。ではどうしたか。近所にあった有名な「ノラ・スタジオ」に、吹き込みを見学に行くようになったのである。40年代のスタジオ風景は、決して「部外者立ち入り禁止」のようなものではなく、一種の公開録音的な雰囲気だったという。アート・テイタム、レスター・ヤング、マイルス・デイヴィス、マチート楽団とチャーリー・パーカーの共演、あこがれのジニー・パウエル(ボイド・レイバーン楽団の歌手)等のレコーディングやリハーサルも見ることができた。
プロの歌手になって、サックス/クラリネット奏者アーロン・サクスと結婚し、ピアノ奏者アール・ハインズのバンドの一員としてレコーディングするあたりの話は恐縮だがウルトラ・ヴァイヴから発売されたベツレヘム盤『アーロン・サクス』の解説文を見ていただけると幸いだ。
53年にはジミー・レイニー(ギター)、レッド・ミッチェル(ベース)とのトリオで、ロイヤル・ルーストというレーベルに「ザ・モア・アイ・シー・ユー/マイ・ファニー・ヴァレンタイン」(78回転、いわゆるSP)を残している。録音はルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで行なわれたそうだが、あいにく僕はこれを聴いたことがない。究極のレア・アイテムのひとつだろう。ルーストとヘレンのつきあいはこれ1枚で終わったようだ。ところでルーストは設立当初、ということは1949年頃のことだろうが、売り込みに来た男性歌手の歌を聴くなり「ゴー・ホーム」と切り捨てたこともあるらしい。彼の名はハリー・ベラフォンテ、50年代半ばにRCAビクターのドル箱となった大エンターテイナーだ。
ルーストを去ったヘレンは、プロデューサーのボブ・シャッドの目にとまる。シャッドは当時、マーキュリー傘下に新たなジャズ・レーベルを作ろうと東奔西走していた。それまで同社のジャズ部門の大半を制作していたノーマン・グランツが原盤を引き上げて自身の会社を作ってしまったので(のちのヴァーヴ・レーベル)、マーキュリーはジャズ・カタログの層を厚くする必要に迫られたのだ。シャッドはそのジャズ・レーベルを“エマーシー”と名付けた。
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ヘレンは54年2月、ジョニー・リチャーズ編曲指揮のオーケストラを従えてシングル盤用に4曲分のセッションを行なったが、僕の聴いた感じ、カントリー風のポピュラー・ヴォーカルだ。カントリーの巨匠ギター奏者チェット・アトキンスが書いた「ハウズ・ザ・ワールド・トリーティング・ユー?」(“久しぶりだね、最近どう?”みたいな意味)では、パティ・ペイジばりの多重コーラスも聴ける。ちなみにこの曲、エルヴィス・プレスリーやアリソン・クラウスも歌っているので、機会があればぜひ比較試聴されたい。この10か月後、ヘレンがお気に入りのジャズ・ミュージシャンを集めて、クインシー・ジョーンズの編曲で思いっきりジャズを歌った“ジャズ・レコーディング”こそ、文頭で紹介した全7曲なのである。
次にヘレンが組みたかったアレンジャーはギル・エヴァンスだった。シャッドは「確かにギルは素晴らしい音楽家だ」といいながらも、「彼に頼むと作業が終わらない。すべてを忘れて没頭するから、時間の感覚を忘れてしまう。結果、予算超過する」と乗り気ではなかった。しかしヘレンはそこを押し切った。92年に書かれた文章では「当時の私は予算や売り上げのことまで注意が及んでいなかった。ただ、よい音楽を作ることしか考えていなかった。気の毒なボブ」と振り返っている。
ヘレンとギルは話し合って曲を選んだ。当時は歌も伴奏も一発録り。伴奏にはアート・ファーマー(トランペット)、ジョン・ラポータ(アルト・サックス、クラリネット)、ハンク・ジョーンズ(ピアノ、チェレスタ)、バリー・ガルブレイス(ギター)、オスカー・ぺティフォード(ベース)、ジョー・モレロ(ドラムス)らが集められ、予想を裏切ることなくリハーサルにもレコーディングにも時間がかかった。収録に費やされた日にちは1956年6月26日、27日、29日。その間の26日深夜には54年12月のセッションで大活躍したトランペット奏者クリフォード・ブラウンが自動車事故で即死している。「28日」が空白なのは、“「27日」の吹込み中か吹き込み後のどこかで訃報がヘレンたちのもとに届き、翌日、喪に服することにしたのではないか”というのが僕の推測だ。ちなみにブラウン研究家ドン・グランデンは事故日時について“I saw the details of the injuries and exact time of death which was 1:15 AM on June 27, 1956”と書いている。
苦心の末に完成した作品は『ドリーム・オブ・ユー』と題された。ジャケットは54年12月のそれとは異なり、ヘレンの美貌をカラー写真で捉えた親しみやすいものだ。しかしアレンジャーの名前は表紙のどこにも、センター・レーベルのどこにも書かれていない。しかしこれはアルバムまるごとギルが編曲した最初の1枚である。マイルス・デイヴィスの『マイルス・アヘッド』もドン・エリオットの『ジャマイカ・ジャズ』も、ギルにとって初リーダー作にあたる『ギル・エヴァンス+10』もすべて翌57年の吹き込み、40年代後半にマイルスのバンドを手伝っていた時の数曲がアルバム『クールの誕生』でLP化されたのも同年だ。つまりそれは皆、『ドリーム・オブ・ユー』が出てからのことなのだ。と考えると、このアルバムがいかにギル史において重要か改めて浮かびあがってくる。
「あの頃の私は経済的にどん底だった。それを救ってくれたのが、『ドリーム・オブ・ユー』の印税だったんだ」と後年、ギルはヘレンに語ったそうだ。そしてマイルスは、ここに入っている「トラブルド・ウォーターズ」が大のお気に入りだったという。
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With Clifford Brown(3SHM-CD BOX SET) / ウィズ・クリフォード・ブラウン 録音60周年記念シングルBOX
2014年12月10日 / SHM-CD / JPN
AARON SACHS SEXTET / アーロン・サクス・セクステット
2013年12月11日 / CD / JPN
With Clifford Brown / ウィズ・クリフォード・ブラウン
2014年10月08日 / CD / JPN
2011年10月05日 / LP(レコード) / IMPORT
2014年07月11日 / LP(レコード) / IMPORT
Live At New Latin Quarter / ライブ・アット・ニュー・ラテン・クォーター
2013年05月17日 / CD / JPN
American Country Songs / アメリカン・カントリー・ソングス
2013年01月23日 / CD / JPN
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